現代の医療は、多くの専門職がそれぞれの高度な知識と技術を持ち寄り、連携することで成り立っています。その中で、医薬品の専門家である薬剤師は、国民の健康と生命を守る上で不可欠な役割を担っています。この薬剤師という専門職を社会的に支え、その倫理観と学術水準を高め、職能の発展を促すために存在する組織が、薬剤師会です。専門職団体は、個々の専門家が集うことで、倫理規定の策定、学術の振興、そして社会に対する統一された意見の発信といった、個人では成し得ない重要な機能を果たします。
日本の薬剤師社会には、その活動領域と目的において特色の異なる、二つの大きな柱が存在します。一つは、全国のあらゆる職域の薬剤師を包括する、公益社団法人日本薬剤師会です。そしてもう一つが、病院や診療所といった医療機関に勤務する薬剤師に特化した専門職能団体である、一般社団法人日本病院薬剤師会です。この二つの組織は、それぞれが日本の薬剤師を代表する重要な団体でありながら、その成り立ちや活動の重点は大きく異なります。
日本薬剤師会は、特に地域医療の最前線である薬局に勤務する薬剤師をその活動の中核に据え、国民の日常生活に密着した健康サポートから、国の医療制度全体に関わる政策提言まで、非常に広範な活動を展開しています。一方、日本病院薬剤師会は、医療の高度化・複雑化が進む病院という環境の中で、チーム医療の一員として臨床薬学の専門性を追求し、医薬品の安全かつ効果的な使用を担保することに特化した活動を行っています 1。
これら二つの組織は、決して対立するものでも、重複するものでもありません。むしろ、日本の医療システムが求める多様な薬剤師の役割を、それぞれが専門的な領域で分担し、支え合う補完的な関係にあります。
薬局薬剤師が地域住民の「かかりつけ」として日々の健康を支え、病院薬剤師が急性期医療や専門的な薬物治療を支える。この両輪がうまく機能することで、日本の医薬品を介した医療サービスは、切れ目なく、質の高いレベルで国民に提供されるのです。
本記事では、この日本の薬剤師社会を形成する二つの柱、日本薬剤師会と日本病院薬剤師会について、その目的、組織、活動、そして歴史的変遷を深く掘り下げ、それぞれの役割と両者の関係性を明らかにしていきます。
Table of Contents
地域医療の核となる日本薬剤師会
目的と組織の姿
公益社団法人日本薬剤師会は、日本の薬剤師を代表する最も規模の大きな職能団体です。その基本的な使命は、定款の第三条に明確に記されています。そこでは、全国の都道府県薬剤師会と緊密に連携しながら、薬剤師の高い倫理観を育み、薬学に関する学術を振興させ、薬学および薬業全体の進歩発展を図ること、そしてその活動を通じて、最終的に国民一人ひとりの健康な生活を確保し、向上させることに寄与することが、その究極の目的として掲げられています。この目的は、単に薬剤師の職能的利益を追求するだけでなく、その専門性を国民の福祉に還元するという、公益法人としての重い社会的責任を表明するものです。
この組織は、特定の職域に限定されず、薬剤師であれば誰でも加入できる自由加入制を採る公益社団法人として運営されています。その会員規模は非常に大きく、平成28年(2016年)末の時点での厚生労働省への届出薬剤師総数約30万1千人に対し、その約35パーセントにあたる約10万4千人もの会員を擁していました。より近年のデータを見ても、令和4年(2022年)10月末時点で約10万2千人 2、令和6年(2024年)10月末時点では約10万1千人 3 と、安定して10万人を超える会員数を維持しており、これは日本の全薬剤師の約3分の1が結集する、強力な組織であることを示しています 4。
日本薬剤師会の最大の特徴は、その会員構成の多様性にあります。会員の大部分を占めるのは、地域医療の最前線で活動する薬局の薬剤師です。その割合は時代によって多少の変動はありますが、一貫して全体の4分の3以上を占めており、例えば平成28年の調査では77.4%、令和4年の調査では78.5% 2 にも達します。この事実は、日本薬剤師会の活動が、いかに地域住民と直に接する薬局の機能強化に重点を置いているかを物語っています。
薬局薬剤師に次いで多いのが、病院や診療所に勤務する薬剤師で、全体の約10%を構成しています 2。その他、医薬品の流通を担う卸売販売業に従事する者が約2%、国や地方自治体で公衆衛生に携わる行政薬剤師が約1.5%、一般用医薬品の販売を主とする店舗販売業の薬剤師が約1%、そして製薬企業や大学などの教育・研究機関に所属する薬剤師がそれぞれ1%未満と続きます 2。このように、会員は特定の分野に偏ることなく、薬剤師が活躍するあらゆる職域にわたっており、日本薬剤師会が名実ともに薬剤師全体の利益と発展を代表する組織であることを示しています。
組織構造の面では、中央組織である日本薬剤師会と、各都道府県に設置された47の都道府県薬剤師会が一体となって運営されている点が重要です。日本薬剤師会の会員になるということは、同時に自身が所属する都道府県の薬剤師会の会員になることを意味します。この二層構造により、国レベルでの政策提言や全国規模の事業展開と、各地域の特性に応じたきめ細やかな活動が有機的に連携することが可能となり、全国津々浦々で薬剤師の職能が均質かつ高いレベルで発揮されるための基盤となっているのです。
国民の健康を守るための多岐にわたる活動
日本薬剤師会は、その崇高な目的を達成するために、極めて多岐にわたる活動を展開しています。それらの活動は、国民一人ひとりの健康への直接的な貢献から、医療制度という大きな枠組みへの働きかけ、そして薬剤師自身の資質向上に至るまで、幅広い領域を網羅しています。
活動の最も中心的な柱の一つが、患者中心の薬局機能の推進です。これは、薬局の役割を、単に医師の処方箋に基づいて薬を調剤する「対物業務」から、患者一人ひとりと向き合い、薬物治療の安全性と有効性を最大限に高める「対人業務」へと転換させるという、現代の医療が求める大きな変革に対応するものです。その具体的な現れが、「かかりつけ薬剤師・薬局」の普及推進活動です 5。かかりつけ薬剤師・薬局は、患者がいつでも気軽に相談できる身近な健康パートナーとして、処方薬の一元的な管理や服薬状況の継続的な把握、在宅医療への参画はもちろんのこと、市販薬の適切な選び方に関するアドバイスや日常的な健康相談にも積極的に応じる役割を担います。
この流れをさらに推し進めたものが、「健康サポート薬局」の制度です。これは、高齢化が急速に進展し、国が住み慣れた地域で医療や介護を一体的に受けられる「地域包括ケアシステム」の構築を目指す中で、その中核を担う存在として位置づけられています。厚生労働省が平成27年(2015年)に策定した「患者のための薬局ビジョン」では、「『門前』から『かかりつけ』、そして『地域』へ」というスローガンが掲げられ、全ての薬局がかかりつけ機能を持つことが目標とされました。健康サポート薬局は、このビジョンを具現化するもので、専門的な知識を持つ薬剤師が常駐し、地域住民のセルフメディケーション支援や健康維持・増進に関する相談に積極的に応じるなど、より能動的な役割を果たすことが期待されます。日本薬剤師会は、この健康サポート薬局が全国に広がり、その機能が適切に発揮されるよう、全国共通のロゴマークを作成して周知を図るほか、薬剤師向けの研修をeラーニング形式で提供するなど、制度の普及と質の担保に深く関与しています。
次に、国の医療制度そのものへの取り組みも、日本薬剤師会の重要な活動領域です。世界に誇る国民皆保険制度を維持するため、医療費の増大は国家的な課題となっています。薬剤師・薬局は、安価で効果の同等な後発医薬品(ジェネリック医薬品)の使用を促進したり、患者の手元に残っている薬(残薬)を確認して無駄な処方を減らしたりすることで、医薬品の適正使用と薬剤費の削減に貢献しています。日本薬剤師会は、こうした現場の薬剤師の取り組みを支援し、その成果を社会に発信しています。さらに特筆すべきは、診療報酬の改定など、国の医療政策の根幹を審議する厚生労働大臣の諮問機関「中央社会保険医療協議会(中医協)」に、薬剤師を代表する唯一の委員として役員を送り込んでいることです。これにより、薬剤師の専門的見地が国の政策決定に直接反映される道筋が確保されており、その影響力は計り知れません。
薬剤師の質の根幹をなす薬学教育への対応も、欠かすことのできない活動です。平成18年(2006年)に薬学教育が4年制から6年制へと移行したことは、薬剤師の歴史における一大転換点でした。この改革により、より臨床能力の高い薬剤師を養成することが目的とされ、5年次には薬局と病院でそれぞれ11週間にわたる実務実習が必修化されました。日本薬剤師会は、この新しい教育制度が円滑に導入され、質の高い実務実習が提供できるよう、受け入れ薬局の確保や指導薬剤師の養成に尽力してきました。また、教育内容の基準となる「薬学教育モデル・コアカリキュラム」の改訂作業においても、臨床現場の視点から積極的に意見を提言するなど、未来の薬剤師を育てるプロセスに深く関わっています 6。
さらに、薬剤師になった後も、日進月歩の医療に対応し続けるための生涯学習の支援体制を構築しています。その中核となるのが、生涯学習支援システム「JPALS(ジェイパルス)」です 8。これは、薬剤師が自らの能力を評価し、学習計画を立て、eラーニングなどで学習を実行し、その成果を記録するという一連のサイクルを支援するシステムであり、専門職としての能力を継続的に開発していくための強力なツールとなっています。また、他の薬学関連団体と連携し、「薬剤師生涯学習達成度確認試験」を実施するなど、客観的な指標で学習の成果を評価する仕組みも整えています。
国民の安全を守るための地道な活動も数多く行われています。その一つが、医療安全対策です。平成13年(2001年)から調剤過誤の事例を収集・分析し、個人が特定されない形で情報を共有することで、同様の事故の再発防止に努めています。また、医薬品が市販された後に、実際に使用した患者にどのような事象(イベント)が発現したかを薬剤師の視点で収集・解析する「薬剤イベントモニタリング(DEM)事業」も実施しており、副作用や薬害の早期発見・防止に貢献しています 8。研究活動においても、倫理的な配慮が不可欠であるとの認識から、会内に「臨床・疫学研究倫理審査委員会」を設置し、薬剤師が行う研究が適正な手続きに則って行われるよう支援しています。
日本薬剤師会の活動は、伝統的な薬剤師の業務範囲にとどまりません。スポーツにおけるドーピングを防止するアンチ・ドーピング活動では、薬の専門家として重要な役割を果たしています。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)と協力し、世界でも先進的な取り組みとして評価されている「公認スポーツファーマシスト」の認定制度を推進し、多くのアスリートを薬の面から支えています。また、日本独自の職能である「学校薬剤師」の活動支援も重要です。学校の環境衛生管理に加え、近年では薬物乱用防止教育や医薬品の適正使用に関する教育など、その役割はますます拡大しており、日本薬剤師会は教材の作成や研修会の開催を通じて、次代を担う子どもたちの健康教育に貢献しています。
最後に、災害時における医療支援活動も、その社会的使命を象徴する活動です。阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震といった大規模災害が発生した際には、全国の薬剤師会と連携し、被災地に支援薬剤師を派遣しました。避難所での医薬品の供給・管理、お薬相談への対応、衛生環境の改善指導など、その活動は多岐にわたり、被災者の生命と健康を守るために不可欠な役割を果たしてきました。これらの活動は、薬剤師が平時のみならず、有事においても国民の健康を守る重要な社会インフラであることを明確に示しています。
明治から令和へ、激動の時代を歩んだ歴史
日本薬剤師会の今日に至る姿は、一朝一夕に築かれたものではありません。それは、明治時代の近代国家建設期に始まり、大正、昭和、平成、そして令和へと続く、日本の社会や医療制度の変遷と深く連動した、130年以上にわたる長い歴史の賜物です。その歩みは、薬剤師という専門職のアイデンティティを確立し、その社会的役割を拡大していくための、絶え間ない努力と挑戦の連続でした。
薬剤師という職能が法的に位置づけられたのは、明治時代のことです。明治22年(1889年)に「薬品営業竝薬品取扱規則」が公布され、初めて「薬剤師」という名称とその職務が法的に規定されました。この法整備を背景に、全国の薬剤師の統一団体として、明治26年(1893年)に日本薬剤師会が創立されます。これが、今日まで続く組織の原点です。その後、明治42年(1909年)には社団法人の認可を受け、公益団体としての歩みを始めました。
その後の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。特に、薬剤師の職能の根幹に関わる「医薬分業」の実現には、極めて長い年月を要しました。医薬分業とは、医師が診断と処方箋の発行に専念し、薬剤師がその処方箋に基づいて調剤と患者への服薬指導を行うという、医療の機能分担の原則です。この制度は、欧米では早くから確立されていましたが、日本では医師が診察から投薬までを一貫して行う慣行が根強く残っていました。
戦後、昭和24年(1949年)に来日した米国薬剤師協会使節団から、日本の医療制度の近代化のために医薬分業を実施すべきとの強い勧告がなされました。この勧告を受け、昭和31年(1956年)には医薬分業が法制化されますが、多くの例外規定が設けられたため、制度はなかなか国民の間に定着しませんでした。この状況を打開するため、日本薬剤師会は粘り強い活動を展開します。昭和49年(1974年)には、日本医師会が5年後の医薬分業実施の方針を表明し、これを日本薬剤師会は「分業元年」と位置づけました 9。しかし、その後も分業の進展は緩やかで、本格的に分業率が上昇し始めるのは、国の政策的誘導が強化された平成に入ってからのことでした 9。この医薬分業を巡る長い歴史は、単なる制度の変遷ではなく、薬剤師が自らの専門性を発揮する場を確保し、医療における独立した専門職としての地位を確立するための、数十年にわたる闘いの歴史であったと言えます。
この闘いと並行して、薬剤師の法的地位を明確化するための取り組みも続けられました。昭和60年(1985年)の医療法改正で、医療計画の中に初めて「薬局」が明記され、さらに平成4年(1992年)の同法改正では、医療の担い手として医師、歯科医師、看護師と並んで「薬剤師」が明確に位置づけられました。これは、薬剤師が医療チームの正式な一員として法的に認知された画期的な出来事であり、その責任が一層重くなったことを意味します。
教育制度の改革も、薬剤師の専門性を高める上で決定的な役割を果たしました。医療の高度化に対応できる質の高い薬剤師を養成する必要性から、日本薬剤師会は長年にわたり薬学教育の延長を訴え続けてきました 6。その悲願が結実したのが、平成18年(2006年)の薬学教育6年制への移行です 7。これにより、薬剤師養成課程は医師や歯科医師と並ぶ期間となり、充実した臨床実習を通じて、より実践的な能力を身につけた薬剤師が社会に輩出される道が開かれました。この教育改革は、薬剤師の専門性の高さを社会に示す上で、極めて大きな意味を持つものでした。
平成から令和にかけて、日本薬剤師会は社会の変化に迅速に対応し続けています。平成27年(2015年)に国が「患者のための薬局ビジョン」を公表すると、それを具現化するための「かかりつけ薬剤師・薬局」や「健康サポート薬局」の推進に全力を挙げました。また、阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)といった大規模災害や、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(2020年)に際しては、対策本部を設置し、全国の薬剤師の力を結集して救援活動や公衆衛生活動を展開しました 7。
このように、日本薬剤師会の歴史は、医薬分業の推進、法的地位の確立、教育制度の改革という三つの大きな柱を軸に、薬剤師の専門性を社会に認めさせ、その職能を拡大してきた軌跡です。それは、時代の要請に応え、国民の健康を守るという一貫した目的のために、常に変革を続けてきた組織の姿を浮き彫りにしています。
病院薬学の進歩を牽引する日本病院薬剤師会
その使命と専門家集団としての組織
日本薬剤師会が薬剤師全体の職能を代表する包括的な組織であるのに対し、一般社団法人日本病院薬剤師会は、その名の通り、病院や診療所といった医療機関に勤務する薬剤師に特化した、高度な専門家集団です。その設立目的は、極めて明確かつ専門的です。会の規約には、病院・診療所に勤務する薬剤師の倫理的および学術的な水準を高め、薬学の中でも特に専門分野である臨床薬学、病院薬学、そして病院薬局業務全般の進歩発展を図ることにより、国民の厚生福祉の増進に寄与することが掲げられています。この目的は、医療の最前線である病院という特殊な環境下で、薬剤師が最大限の専門性を発揮するための基盤を築くという、強い意志の表れです。
組織形態としては、日本薬剤師会と同様に、全国47都道府県にそれぞれ存在する病院薬剤師会を会員とする連合体として構成されています。つまり、各都道府県の病院薬剤師会に所属する個々の病院薬剤師が、日本病院薬剤師会の最終的な構成員となります 1。この構造により、全国の病院薬剤師が共有する課題に統一的に対応しつつ、地域ごとの医療事情に応じた活動を展開することが可能になっています。
その会員数は、日本薬剤師会と比較すると小規模ですが、専門職能団体としては非常に大きな力を持っています。以前は約42,000名とされていましたが 1、その後の会員数は着実な増加傾向を示しており、平成27年(2015年)には約42,800人であったものが、令和5年(2023年)には約48,000人に迫る勢いとなっています 12。この着実な会員数の増加は、病院内における薬剤師の役割がますます重要視され、その専門性が高く評価されるようになってきた社会情勢を反映していると言えるでしょう。病院医療の高度化・複雑化に伴い、薬物治療の専門家である病院薬剤師への期待が高まっていることの証左です。
日本病院薬剤師会は、その専門性に特化した使命を果たすため、会員である病院薬剤師の臨床能力と学術レベルを向上させるための事業を活動の中心に据えています。地区ごとのブロック学術大会や、特定のテーマに焦点を当てた各種講演会、研修会を頻繁に開催し、最新の医学・薬学知識や技術を共有する場を提供しています。また、機関誌である「日本病院薬剤師会雑誌」や関連図書を出版し、学術情報の普及にも努めています。これらの活動すべてが、病院という環境で働く薬剤師が、日々進歩する医療に対応し、質の高い薬物療法を患者に提供するための強力な支えとなっているのです。この組織は、まさに病院薬学の進歩を牽引し、日本の臨床薬学の発展をリードする存在として、確固たる地位を築いています。
チーム医療と医薬品安全を支える専門的活動
日本病院薬剤師会の活動は、病院という高度で専門的な医療環境に特化しており、その内容はチーム医療への貢献と医薬品の安全確保という二つの大きなテーマに集約されます。これらの活動は、薬剤師が単なる調剤者ではなく、薬物治療における不可欠な専門家であることを証明するための、戦略的かつ具体的な取り組みの連続です。
活動の根幹をなすのは、臨床実践の質の向上と医療安全の徹底です。現代の病院医療は、医師、看護師、薬剤師など多職種が連携して患者の治療にあたる「チーム医療」が基本です。日本病院薬剤師会は、薬剤師がこのチームの一員として積極的に薬物治療計画に参画し、専門的見地から貢献することを強力に推進しています。その一環として、院内における医薬品の安全管理体制の構築を支援し、特に副作用のリスクが高い「ハイリスク薬」の管理に関するガイドラインを作成・普及させるなど、医療事故を未然に防ぐための具体的な方策を提示しています。
この医療安全への貢献を客観的なデータとして示す画期的な取り組みが、「PREAVOID(プレアボイド)事業」です。これは、薬剤師の介入によって回避された薬物有害事象(副作用など)の事例を全国の病院から収集・分析する事業です。例えば、医師の処方提案に対して薬剤師が患者の腎機能低下に気づき、より安全な薬剤への変更を提案して副作用を防いだ、といった事例が報告されます。この事業は、薬剤師の専門的介入が持つ臨床的価値と経済的価値を「見える化」するものであり、薬剤師の業務の重要性を医療関係者や政策決定者に示すための強力なエビデンスとなっています。
日本病院薬剤師会のもう一つの、そして極めて重要な活動の柱が、高度な専門性を持つ薬剤師を育成・認定する制度の構築です。医療の専門分化が進む中で、特定の疾患領域において深い知識と技術を持つ薬剤師の必要性が高まっています。これに応えるため、日本病院薬剤師会は、がん、感染制御、精神科、妊婦・授乳婦、HIV感染症といった5つの専門領域において、「専門薬剤師」および「認定薬剤師」の認定制度を創設しました 13。
これらの認定資格を取得するためには、長年の実務経験に加え、高度な研修を受講し、厳しい試験に合格しなければなりません。例えば、「がん薬物療法認定薬剤師」は、最新のがん化学療法に関する深い知識を持ち、患者の副作用マネジメントや精神的ケアまで行える専門家です。「感染制御専門薬剤師」は、院内感染対策チームの中核として、抗菌薬の適正使用を推進し、薬剤耐性菌の発生を防ぐ重要な役割を担います。このような専門・認定薬剤師制度は、病院薬剤師のキャリアパスを明確にするとともに、その専門性を客観的に証明するものです。これにより、病院内で薬剤師がより高度な専門業務を担うための道が拓かれ、チーム医療における地位向上にも繋がっています。近年では、これらの認定制度の一部を、より学術的な基盤を持つ日本医療薬学会へ移管するなど、制度のさらなる発展と社会的な認知度向上にも努めています 15。
もちろん、全ての病院薬剤師の基礎的な能力向上と生涯にわたる学習支援も怠りません。6年制薬学教育における病院実務実習が質の高いものとなるよう、受け入れ体制の整備や指導薬剤師の育成に協力しています。また、会員向けにはeラーニングシステムを活用した研修プログラムを提供し、地理的な制約なく誰もが最新の知識を学べる環境を整えています 16。さらに、学術活動を奨励し、日々の業務から得られた知見を学会で発表したり、論文として公表したりすることを推進することで、病院薬学全体の発展に貢献しています。
会員を支える福利厚生も重要な事業です。特に、業務上の過誤によって損害賠償責任を問われるリスクに備えるための「薬剤師賠償責任保険」制度は、専門家として高いリスクを伴う業務に従事する病院薬剤師にとって、安心して業務に専念するための不可欠なセーフティネットとなっています。これらの多岐にわたる専門的活動を通じて、日本病院薬剤師会は、個々の薬剤師の能力を最大限に引き出し、それを組織的な力へと結集させることで、病院医療の質の向上と安全確保に貢献し続けているのです。
戦後の医療発展と共に歩んだ歴史
日本病院薬剤師会の歴史は、第二次世界大戦後の日本の医療制度、特に病院医療の発展と密接に連携しながら、病院における薬剤師の専門的地位を確立してきた軌跡として描くことができます。その歩みは、単なる組織の成長史にとどまらず、病院薬剤師という職能が、医療の高度化という時代の要請にいかに応え、自らの価値を証明してきたかの物語です。
その源流は、戦後間もない昭和28年(1953年)に開催された全国病院薬剤師全体会議に遡ります。そして昭和30年(1955年)、前身である日本病院薬剤師連合協会が設立されました。当時の病院薬剤師が直面していたのは、自らの専門職としてのアイデンティティを確立するという根本的な課題でした。昭和27年頃の記録には、国立病院に勤務する薬剤師の身分が、医療専門職なのか一般行政職なのかという「職階制問題」が大きな議論となっていたことが記されています 17。これは、病院内における薬剤師の役割や専門性が、まだ社会的に十分に認識されていなかったことを示しています。この組織は、まさにこうした状況の中から、病院薬剤師の声を一つに束ね、その地位向上を目指すために生まれたのです。
組織の発展における画期的な転換点は、昭和46年(1971年)の社団法人化でした。これにより、公的な団体としての地位を確立し、その活動はより組織的かつ広範なものとなっていきます。この後の歴史は、病院薬剤師の業務が、国の診療報酬制度の中でいかに評価され、その専門性が公的に認められてきたかの歴史でもあります。
昭和53年(1978年)に「調剤技術基本料」が、昭和56年(1981年)には「特定薬剤治療管理料」が新設されました。これらは、単なる技術料ではなく、薬剤師の専門的な知識と管理業務が、医療の質を向上させる価値ある行為として、初めて金銭的に評価されたことを意味します。これは、日本病院薬剤師会が長年にわたり、薬剤師業務の専門性を訴え続けてきた成果の現れでした。さらに平成に入ると、その流れは加速します。平成24年(2012年)には、薬剤師が病棟に常駐して患者の薬物治療に深く関わる業務を評価する「病棟薬剤業務実施加算」が新設され、薬剤師の活動の場が調剤室から患者のベッドサイドへと大きく広がったことを象徴する出来事となりました。これらの診療報酬上の評価は、日本病院薬剤師会が、薬剤師業務の価値を具体的なデータや事例で示し、政策決定者への働きかけを続けたことによって勝ち取られたものであり、その戦略的な活動の成功を物語っています。
2000年代に入ると、日本病院薬剤師会は、薬剤師の専門性をさらに高いレベルへと引き上げるための新たな戦略に着手します。それが、専門薬剤師・認定薬剤師制度の創設です。平成17年(2005年)のがん専門薬剤師制度の公表を皮切りに、感染制御、精神科、妊婦・授乳婦、HIV感染症といった領域で、次々と高度な認定制度が立ち上げられました。これは、医療の高度化・専門分化に対応し、特定の分野で卓越した能力を持つ薬剤師を育成・認証することで、チーム医療における薬剤師の不可欠性を証明しようとする明確な意図を持った取り組みでした。この戦略は、病院薬剤師の価値を「専門性」という形で具体的に提示するものであり、今日の病院薬剤師の地位を築く上で決定的な役割を果たしました。
もちろん、その活動は平時だけにとどまりません。平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災や平成23年(2011年)の東日本大震災など、大規模災害発生時には、日本薬剤師会と同様に、被災地の病院機能の維持と医療支援のために、ボランティア薬剤師の派遣など迅速な対応を行ってきました。
戦後の混乱期の中から産声を上げ、自らの専門職としてのアイデンティティを模索するところから始まった日本病院薬剤師会は、診療報酬という形で業務の価値を証明し、専門薬剤師制度によってその専門性を深化させるという戦略を通じて、今日の確固たる地位を築き上げました。その歴史は、病院医療の発展と歩調を合わせながら、常に時代の要請に応え、薬剤師の職能の新たな地平を切り拓いてきた、挑戦の歴史そのものなのです。
おわりに
本記事では、日本の薬剤師社会を支える二つの巨大な組織、日本薬剤師会と日本病院薬剤師会について、その目的、組織、活動、そして歴史を詳細に検討してきました。両者は、共に国民の健康への貢献という共通の最終目標を掲げながらも、そのアプローチと活動の主戦場において、明確な個性と役割分担を持っていることが明らかになりました。日本薬剤師会は、約10万人という広範な会員基盤を力に、地域医療、特に薬局の機能を社会の隅々まで浸透させることを目指す、いわば「陸軍」のような存在です。一方、日本病院薬剤師会は、約4万8千人の精鋭たちが、病院という高度な医療の最前線で専門性を追求する、「特殊部隊」のような存在と言えるでしょう。
この二つの組織は、それぞれの領域で薬剤師の職能を発展させるために、異なる戦略を駆使してきました。日本薬剤師会の歴史は、医薬分業の実現や法的地位の向上といった、薬剤師全体の職能を社会制度の中に確立するための、長年にわたる政治的・社会的な闘いの歴史でした。その影響力は、中医協に委員を送るなど、国の政策決定に直接関与する点に象徴されています。対照的に、日本病院薬剤師会は、その価値を証明するために、より技術的・実証的なアプローチを採ってきました。PREAVOID事業のように薬剤師業務の成果をデータで可視化し、専門薬剤師制度のように高度な専門性を客観的に認証することで、診療報酬上の評価を一つひとつ積み重ね、病院内での地位を確立してきたのです。
しかし、これらの組織が完全に独立して活動しているわけではありません。特に、薬剤師の根幹をなす教育の問題においては、両者は強力な協力関係を築いてきました。薬学教育の6年制への移行は、日本薬剤師会、日本病院薬剤師会双方にとって、薬剤師の質の向上という共通の利益に繋がる悲願であり、この実現に向けて両者が足並みをそろえて活動したことは、その協力関係を象徴する最たる例です 6。
そして今、日本の医療が直面する最大の課題である「地域包括ケアシステム」の構築は、これら二つの組織の関係を、新たな次元へと導こうとしています。地域包括ケアシステムとは、高齢者が要介護状態となっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療、介護、予防、生活支援などを一体的に提供する仕組みです。このシステムにおいては、病院での急性期治療から、回復期、そして在宅での療養生活までが、切れ目なく連携することが求められます。
この文脈において、病院薬剤師と薬局薬剤師の連携、すなわち「薬薬連携」は、決定的に重要な意味を持ちます 8。例えば、入院患者が退院する際、病院薬剤師が持っている患者の薬物治療に関する詳細な情報、注意すべき副作用、アレルギー歴などが、地域の「かかりつけ薬剤師」に正確に引き継がれなければ、安全で継続的な薬物療法は保証されません。退院時に渡される薬剤情報提供書だけでは不十分な場合も多く、両薬剤師間でのより密なコミュニケーションが不可欠となります。
この変化は、これまで比較的明確に分かれていた両組織の活動領域が、必然的に交差し、融合していく未来を示唆しています。日本病院薬剤師会が推進する「チーム医療」の概念は、もはや病院の壁の中に留まることはできず、地域の薬局薬剤師をもチームの一員として包含していく必要があります。同様に、日本薬剤師会が推進する「かかりつけ薬剤師」は、病院から送られてくる高度な臨床情報を受け取り、それを在宅でのフォローアップに活かす能力が、これまで以上に求められるようになります。
超高齢社会の進展、医療費の抑制圧力、そしてAIやゲノム医療といった新たな技術の登場など、薬剤師を取り巻く環境は、今後も激しく変化し続けるでしょう。このような未来において、薬剤師という専門職がその価値を維持し、発展させていくためには、日本薬剤師会と日本病院薬剤師会が、それぞれの専門領域を深化させると同時に、両者の間の連携をこれまで以上に強化していくことが不可欠です。地域医療を支える車輪と、高度医療を支える車輪。この二つの車輪が、未来の薬学という道を力強く進んでいくための強固な車軸、それが「薬薬連携」なのです。両組織が、それぞれの歴史と強みを活かしながら、いかにしてこの新たな協力関係を構築していくか。その舵取りが、日本の医療の未来、ひいては国民の健康の未来を左右すると言っても過言ではないでしょう。
引用文献
- 日本病院薬剤師会の紹介, https://www.jshp.or.jp/overview/shokai-soshiki.html
- 2022−2023 - 日本薬剤師会, https://www.nichiyaku.or.jp/files/co/about/anuual_report2022j.pdf
- 日薬会員数、672人減の10万1490人 24年度、34都道府県で減少 - 日刊薬業 - じほう, https://nk.jiho.jp/article/197573
- 3 薬剤師, https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/20/dl/R02_kekka-3.pdf
- 日本薬剤師会オフィシャルWebサイト, https://www.nichiyaku.or.jp/
- 6年制実務実習の開始にあたって - 日本薬剤師会, https://www.nichiyaku.or.jp/yakuzaishi/activities/training/link02
- 日本薬剤師会のあゆみ, https://www.nichiyaku.or.jp/yakuzaishi/about/summary/history
- 日本薬剤師会事業報告, https://www.nichiyaku.or.jp/files/co/about/1606_jigyou_houkoku1.pdf
- 医薬分業元年から約 40 年を経た 調剤報酬の妥当性についての考察 - 日本医師会総合政策研究機構, https://www.jmari.med.or.jp/download/WP291.pdf
- 医薬分業とは - 日本薬剤師会, https://www.nichiyaku.or.jp/yakuzaishi/activities/division/about
- 知られざる研究問題・薬学部6年化とその影響, https://www.shiminkagaku.org/post_288/
- 会員数の推移 - 日本病院薬剤師会, https://www.jshp.or.jp/overview/kaiinsu.html
- 日本病院薬剤師会, https://www.jshp.or.jp/
- 認定・専門薬剤師, https://www.jshp.or.jp/overview/pamphlet/closeup.pdf
- がん専門薬剤師認定者名簿(827名) - 日本医療薬学会, https://www.jsphcs.jp/wp-content/uploads/2024/10/g-senmon.pdf
- 令和5年度 一般社団法人日本病院薬剤師会 事業報告 (令和 5 年 4 月 ..., https://www.jshp.or.jp/overview/zaimu/2023-03.pdf
- 日本病院薬剤師会の歴史, https://www.jshp.or.jp/overview/50nenshi/50-all.pdf