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「いのちの選択」に答えはあるか?迷った時の医療倫理

2025年7月13日

日々の生活の中で、私たちは様々な選択の機会にめぐりあいます。医療においても同様に、いたる場面で選択が行われています。現代の医療は、目覚ましい科学技術の進歩によって、かつては想像もできなかったような治療や診断を可能にしました。しかし、その進歩は同時に、私たちに新たな問いを投げかけています。科学的なデータやエビデンスが揃っていたとしても、「どの選択が最善なのか」という問いに対する答えが、一つに定まらない場面に遭遇することが少なくありません。

それは、医療が単なる科学技術の実践ではなく、人の生と死、そして人生そのものに深く関わる人間的な営みだからです。そこには、患者さん一人ひとりの価値観、人生観、そしてこれまでに歩んできた物語が存在します。科学が「何ができるか」を教えてくれるのに対して、倫理は「何をすべきか」を考えるための道筋を示してくれます。

この報告書では、医療倫理を、遵守すべき厳格な規則の集まりとしてではなく、複雑で答えのない問題の海を航海するための「羅針盤」として捉えていきます。特に、複数の正しい選択肢が対立し、葛藤を生む「モラルジレンマ」という状況に焦点を当てます。そして、その葛藤を乗り越え、より良い意思決定を行うための思考の礎となる「生命倫理四原則」について、深く掘り下げて解説します。この報告書を通じて、倫理が医療に関わるすべての人々にとって、いかに実践的で不可欠な道具であるかを理解していただけることを目指します。

モラルジレンマとは何か ―科学と価値観のぶつかるところ―

医療の現場では、判断に迷う場面が数多く存在します。科学的な視点だけでは「どの選択肢が最善なのか」という問いに答えられない時、私たちは倫理という拠り所を必要とします。しかし、倫理的な原則に照らし合わせて考えたとしても、複数の選択肢がそれぞれ妥当性を持ち、一つを選ぶことが難しい場合があります。

モラルジレンマとは、このように、二つ以上の道徳的に正しい、あるいは妥当な行動原則が互いに衝突し、どちらか一方を立てればもう一方が成り立たなくなってしまうような状況を指します。これは、単純な「正しいこと」と「間違ったこと」の間の選択ではありません。むしろ、「正しいこと」と「もう一つの正しいこと」の間で板挟みになる葛藤なのです。例えば、患者さんの意思を尊重するという正しい原則と、患者さんに害が及ばないようにするという正しい原則が、ある状況下で両立しなくなる場合などがこれにあたります。

このような倫理的な葛藤に直面した時、医療従事者はしばしば、言葉にしがたい「モヤモヤ」とした感覚や違和感を抱えることがあります 1。この感覚は、単なる感情的な反応として片付けてはならない重要なサインです。それは、表面化していない倫理的な問題が存在することを示唆しています 1。例えば、終末期の患者さんに対して、ご家族が積極的な治療の継続を強く望む一方で、医療チームはこれ以上の治療が患者さんの苦痛を長引かせるだけだと感じている場合、その「モヤモヤ」の正体は、患者さんの自己決定(あるいは家族が代弁する意思)を尊重すべきだという原則と、患者さんにとっての最善を考え苦痛を与えないようにすべきだという原則との間の衝突です。

倫理的な思考のプロセスは、この漠然とした「モヤモヤ」を解きほぐし、何と何が対立しているのかを明確に言語化することから始まります。この感覚を無視してしまえば、議論は感情的な水掛け論に陥りがちですが、それを倫理的問題として捉え直すことで、初めて建設的な対話への道が開かれます。つまり、モラルジレンマは、科学的根拠を踏まえつつも、患者さんやご家族の価値観、医療者が持つ専門的判断、そして社会のリソースといった多様な要素が交差する複雑な領域で発生するのです。

思考の礎 ―生命倫理四原則―

医療現場で発生する複雑なモラルジレンマを整理し、分析するための強力な思考の枠組みとして、世界的に広く用いられているのが「生命倫理四原則」です。これは、米国の倫理学者であるトム・L・ビーチャムとジェイムズ・F・チルドレスが、その著書『生命医学倫理の諸原則』の中で提唱したもので、医療従事者が倫理的な問題に直面した際に、どのように考え、判断すべきかの指針を与えてくれます 2

その四つの原則とは、以下の通りです。

自律尊重の原則(Respect for Autonomy)個人の自己決定権を尊重する
無危害の原則(Non-maleficence)他者に害をなしてはならない
善行の原則(Beneficence)他者の利益となることを積極的に行う
正義の原則(Justice)利益と負担を公正に配分する

これらの原則は、決して恣意的に選ばれたものではありません。その背景には、医学研究の歴史における深い反省があります。特に、1979年に米国で公表された「ベルモント・レポート」は、四原則の成立に大きな影響を与えました 5。このレポートは、タスキギー梅毒研究のような非倫理的な人体実験への反省から、研究に参加する被験者を保護するための基本的な倫理原則として、「人格の尊重(Respect for Persons)」「善行(Beneficence)」「正義(Justice)」の三つを打ち出しました 5

ビーチャムとチルドレスは、このベルモント・レポートの考え方を臨床医療の場面に応用し、発展させました。「人格の尊重」は「自律尊重の原則」としてより具体化され、「善行」は「害をなさない」という消極的な義務(無危害)と、「善をなす」という積極的な義務(善行)に分けられました。このように、四原則の根底には、過去の過ちを繰り返し、医療や研究の名の下に個人の尊厳が踏みにじられることがないようにという、強い決意が込められています。この歴史的背景を理解することは、四原則を単なる学術的なチェックリストとしてではなく、医療における人権と尊厳を守るための力強い宣言として捉える上で非常に重要です 7

しかし、この報告書の中心的なテーマでもあるように、これら四つの原則は、実際の医療現場では常に調和しているわけではありません。むしろ、しばしば互いに緊張し、対立します。ある原則を優先すれば、別の原則が脅かされるという状況こそが、モラルジレンマの本質なのです。以降の章では、これら四つの原則を一つずつ詳しく見ていきながら、それらがどのように実践され、そして、どのように葛藤を生み出すのかを探求していきます。

個人の意思を尊ぶ ―自律尊重の原則―

生命倫理四原則の中でも、現代医療において特に中心的な役割を担っているのが「自律尊重の原則」です。これは、英語の「respect for autonomy」や「respect for persons」に対応するもので、一人の人間が自らの身体や生き方について、自分自身の価値観に基づいて決定する権利を最大限に尊重するという考え方です 8

かつての医療では、医師が専門家として最善と判断した治療方針を患者さんに提示し、患者さんはそれに従うという「パターナリズム(父権主義)」的な関係が主流でした 9。しかし、個人の権利意識の高まりとともに、医療は医師と患者のパートナーシップに基づくものへと大きく変化しました。患者さんはもはや受動的な治療の受け手ではなく、自らの治療方針の決定に主体的に参加する権利を持つ存在として認識されるようになったのです 10

この自律尊重の原則が、医療現場で具体的に形となって現れるのが「インフォームド・コンセント(説明と同意)」です。これは、患者さんが治療を受けるかどうかを自己決定するにあたり、医師が十分な情報を提供し、患者さんがそれを理解した上で同意するというプロセスを指します 2。医師には、法的な義務としても倫理的な義務としても、患者さんに対して、診断名、提案される治療の内容、その治療に伴うリスクと期待される利益、そして代替可能な他の治療選択肢の有無など、意思決定に必要な情報を具体的に説明する責任があります 12

しかし、インフォームド・コンセントが時に、法的な要件を満たすための形式的な手続き、つまり「説明しました」「同意書にサインをもらいました」というだけのチェックリストになりかねないという課題も指摘されてきました。そこで、近年さらに重要視されるようになったのが、「シェアード・ディシジョン・メイキング(Shared Decision Making, SDM)」、日本語では「共同意思決定」と呼ばれるアプローチです 13

SDMは、インフォームド・コンセントの理念をさらに一歩進めた、より協働的なプロセスです。ここでの目標は、単に医療者から患者さんへ情報を一方的に伝えることではありません。医療者が持つ医学的な専門知識やエビデンスと、患者さんが持つ自身の価値観、人生の目標、そして治療に対する意向を対等に持ち寄り、対話を通じて「その人にとっての最善の道」を一緒に見つけ出していくことにあります 15

例えば、あるがん患者さんに対して二つの治療選択肢があったとします。インフォームド・コンセントのプロセスでは、医師はそれぞれの治療法の効果や副作用について客観的に説明するでしょう。SDMでは、その対話はさらに深まります。「治療中も仕事を続けたいというお気持ちを大切にするなら、少し効果は穏やかかもしれませんが副作用の少ないA治療が、あなた様の生活に合っているかもしれません。一方で、副作用は覚悟の上で、とにかく最も高い確率で寛解を目指したいというのが最優先であれば、B治療に焦点を当てることになります。今、あなた様にとって一番大切なことは何でしょうか」といった問いかけを通じて、患者さんの個人的な価値観を意思決定の中心に据えるのです 15。このように、SDMは「この病気に何ができるか」という問いから、「この特定の人生を歩む人にとって、何が最善の選択か」という問いへと、視点を転換させるものです。それは、患者さんを単に情報を受け取る客体ではなく、自らの物語の主人公として尊重する、自律尊重の原則のより成熟した実践の形と言えるでしょう。

また、この原則は、成人で判断能力のある人だけでなく、未成年者や、意識を失っている、あるいは疾患によって判断能力が低下している人々にも適用されます。自己決定が困難な人々に対しては、その人を一人の人間として尊重し、その人にとっての最善の利益が守られるように保護することが求められるのです。これも「人に対する敬意(respect for persons)」という、より広い概念の一部です 8

害をなさず、危険を避ける ―無危害の原則―

「何よりもまず、害をなすなかれ」。これは古代ギリシャのヒポクラテスの時代から続く、医療倫理の根幹をなす誓いです。生命倫理四原則における「無危害の原則(nonmaleficence)」は、この古代からの教えを受け継ぐもので、医療者は患者さんに対して不必要な危害を加えてはならない、という基本的な義務を定めています 2

この原則が意味するのは、意図的に危害を加える行為を禁じることだけではありません。過失によって危害を与えたり、患者さんを不当なリスクに晒したりすることも含まれます。もちろん、医療行為の多くは、程度の差こそあれ何らかの身体的侵襲やリスクを伴います。注射は痛みを伴いますし、手術には合併症の危険が常につきまといます。したがって、この原則は、あらゆるリスクをゼロにすることを求めるものではなく、治療によって得られる利益と、それに伴うリスクや害を慎重に天秤にかけ、利益が害を上回ると合理的に判断される場合にのみ、その医療行為が正当化されることを意味します。

この無危害の原則と、前章で述べた自律尊重の原則とが鋭く対立し、医療者をモラルジレンマに陥らせる典型的な事例が、承認されていない治療、いわゆる「適応外治療」をめぐる問題です。ここで、報告書の冒頭で提示されたZさんの事例を考えてみましょう。

Zさんは、標準的な治療法が尽きた状況で、国内では未承認ですが海外で使われている治療を受けたいと希望しています。これは、Zさんの「少しでも長く生きたい」という切実な願いに基づく自己決定であり、自律尊重の原則からすれば、その意思は尊重されるべきです。しかし、医療者の立場から見ると、事態はそう単純ではありません。その未承認薬がZさんにとって本当に利益をもたらすのか、それとも予期せぬ深刻な副作用によって、かえってZさんの身体を傷つけ、残された時間を苦痛に満ちたものにしてしまうのか、その科学的根拠は極めて乏しいのです。

患者さんの希望に応えたいという思い(善行の原則)と、患者さんの自己決定を尊重したいという思い(自律尊重の原則)がある一方で、科学的根拠の不確かな治療によって患者さんに害を及ぼすわけにはいかないという強い倫理的制約(無危害の原則)が、医師の前に立ちはだかります。希望を安易に受け入れれば無危害の原則に反する恐れがあり、かといって「未承認だから」と一方的に拒絶すれば自律尊重の原則を踏みにじることになります。医師は、患者さんの希望を見捨てることと、患者さんを危険に晒すこととの間で、深刻な葛藤を抱えることになるのです 16

このような個人の医師が抱えるにはあまりに重いジレンマに対する、組織的・制度的な解決策の一つが「倫理委員会」の存在です 17。適応外治療のような前例の少ない、あるいはリスクの高い医療行為を実施する際には、個々の医師の裁量だけに委ねるのではなく、院内に設置された倫理委員会でその妥当性を審議することが多くの医療機関で義務付けられています。倫理委員会は、医師、看護師、法律家、そして時には医療者ではない一般市民など、多様な視点を持つメンバーで構成され、その治療の倫理的・科学的・社会的な妥当性を多角的に検討します。

このプロセスは、無危害の原則を組織として担保するための重要な手続きです。一人の医師がプレッシャーの中で下す判断ではなく、複数の専門家による冷静な議論を通じて、その治療がもたらすであろう利益と害を客観的に評価し、それでもなお実施する価値があると判断された場合にのみ、次のステップへと進むことができます。そして、その際には、患者さんに対して、適応外使用であること、有効性や安全性が確立していないこと、そして考えうるあらゆるリスクについて、通常以上に丁寧な説明を行い、真に自由な意思に基づく同意(インフォームド・コンセント)を得ることが不可欠となります 17。このように、倫理委員会という制度は、個人の医師が抱える倫理的ジレンマを組織全体で受け止め、手続き的な正当性を確保することで、患者さんを保護し、無危害の原則を実践するための重要な社会的装置として機能しているのです。

最善を尽くすということ ―善行の原則―

「善行の原則(beneficence)」とは、患者さんに対して積極的に善をなし、その人の利益を最大化するように努めるべきだ、という倫理原則です 8。これは、前章の無危害の原則が「害をなさない」という消極的な義務であったのに対し、「善をなす」というより積極的な義務を医療者に課すものです。患者さんの病気を治し、苦痛を和らげ、健康を増進させるという、医療の根源的な目的そのものを表していると言えるでしょう。

一見すると、これは当たり前のことのように思えるかもしれません。しかし、この原則の実践は、実は非常に奥深く、困難な問題をはらんでいます。その最大の理由は、「何が患者さんにとっての最善(利益)なのか」という問いの答えが、決して一つではないからです。特に、「医療提供者が考える最善」と「患者さん自身が考える最善」とが、しばしば食い違うという現実に、私たちは直面します。

医療者は、医学的な知識と経験に基づき、病気を治療し生命を維持することを「最善」と考えがちです。しかし、患者さんは病気を抱えながらも、一人の生活者としての日々を送っています。その人にとっての「最善」は、家族との関係、仕事や趣味、あるいは個人の尊厳といった、医療の枠だけでは捉えきれない多様な価値観によって形作られています。

この「最善」をめぐる価値観の衝突が最も顕著に現れるのが、「QOL(Quality of Life、生活の質)」に関する議論です。医療者にとっての良好なQOLが、病気が治癒し身体機能が回復することであるのに対し、患者さんにとっての良好なQOLは、たとえ病を抱えていても、自分らしくいられること、大切な人との時間を過ごせること、あるいは尊厳が保たれることかもしれません 1

ここで、ある終末期のがん患者さんの事例を考えてみましょう。その患者さんは高校の教員で、サッカー部の顧問を務めていました。病状は進行し、これ以上の化学療法は延命効果が期待できず、むしろ強い副作用で残された時間を消耗するだけだと医療チームは判断しました。医療チームが考える「最善」は、これ以上の苦痛を伴う治療を中止し、緩和ケアに移行することでした。これは無危害の原則にも基づく、医学的に妥当な判断です 1

しかし、患者さん自身は、なおも化学療法の継続を強く希望しました。一見すると、これは死という現実を受け入れられない、非合理的な要求のようにも見えます。しかし、対話を重ねるうちに、その希望の裏にある本当の願いが明らかになりました。彼にとっての「最善」とは、一ヶ月後に控えたサッカー部の最後の大会に、顧問として生徒たちと一緒に臨むことだったのです。彼の「化学療法を続けたい」という言葉は、医学的な延命を求めていたのではなく、彼自身の人生にとって最も重要な目標を達成するための、最後の望みだったのです 1

この事例は、善行の原則を実践する上で極めて重要な教訓を含んでいます。真の善行とは、医療者が自らの価値観に基づいて「最善」を押し付けることではありません。それは、まず患者さんの声に深く耳を傾け、その人が何を大切にし、どのような人生を送りたいと願っているのかを理解しようと努めることから始まります。そして、その患者さん固有の価値観や人生の目標を理解した上で、医学的な専門知識を駆使して、その願いを実現するために最も適した方法を共に探していくプロセスこそが、本当の意味での「善行」なのです。この事例では、最終的に医療チームと患者さんは、彼の目標を達成するためには化学療法がむしろ妨げになる可能性を共有し、症状を緩和しながら大会に臨むという、新たな「最善」の道を見出しました。これは、善行の原則が、深いコミュニケーションと共感を通じて初めて達成されることを示しています。

公平性と限りある資源 ―正義の原則―

「正義(justice)」という言葉は、日常生活では壮大で少し抽象的に聞こえるかもしれません。しかし、生命倫理における「正義の原則」は、非常に具体的かつ実践的な意味を持っています。それは、「利益と負担の公正な配分」という考え方です 8。より分かりやすく言えば、限られた医療資源(医師や看護師の労働力、病床、医薬品、医療機器、公的資金など)を、誰に、どのような基準で、どのように配分するのが公平か、そして、その配分の決定について社会に説明する責任を果たすこと、と捉えることができます。

この正義の原則は、私たちの医療制度の根幹をなしています。例えば、日本が採用している国民皆保険制度は、この原則の壮大な実践例です。この制度によって、すべての国民は、経済的な支払い能力に関わらず、必要な医療サービスにアクセスすることが保障されています 21。また、医療費の自己負担額が高額になった場合に、その負担を軽減する「高額療養費制度」も、病気という予期せぬ不幸によって個人や家族が経済的に破綻することのないようにという、負担の公平な配分を目指した正義の原則の現れです 22。これらは、社会全体というマクロなレベルで正義を実現するための仕組みと言えます。

一方で、正義の原則は、医療機関というミクロなレベルにおいても、日々問われています。その典型的な例が、報告書で示された新型コロナウイルスワクチンの接種における優先順位の決定です。ワクチンという限られた資源を、誰から先に接種していくべきか。この問いに答えることは、まさに正義の原則を実践することそのものでした。

厚生労働省が示した接種順位は、まず医療従事者、次いで高齢者、そして基礎疾患を有する者などと定められました 23。この順位付けの根底には、「重症化リスクや死亡リスクがより高い人々を優先的に守る」という、医学的・公衆衛生学的な合理性がありました。しかし、その具体的な運用を詳しく見ると、「正義」が単純な計算式では導き出せない、複雑な価値判断のプロセスであることが分かります。

例えば、日本の優先順位付けでは、多くの国で最優先とされた高齢者施設の職員の優先度が、65歳以上の高齢者よりも低く設定されました。施設内でのクラスター発生を防ぐためには職員への早期接種が有効であるという現場からの声があったにもかかわらず、この決定がなされた背景には、様々な要因が絡み合っていたと考えられます 23。また、当初の案には含まれていなかった重度の精神疾患や知的障害を持つ人々が、後に学会からの強い働きかけによって優先接種の対象に加えられたという事実は、どのような人々を社会的に「脆弱な存在」とみなし、保護すべきかという価値判断が、科学的エビデンスだけでなく、社会的な認識や関係団体の政治的な声によっても影響を受けることを示しています 23

これらの事例が示すのは、正義の原則を適用するということは、唯一絶対の「正しい」配分方法を見つけることではない、ということです。それは、利用可能な科学的根拠を最大限に尊重しつつも、社会がどのような価値を優先するのかについて、透明性の高い議論を行い、その上で下された決定の根拠を人々に明確に説明する責任(アカウンタビリティ)を伴う、動的なプロセスなのです。限られた資源を前にして、誰かが利益を得れば、誰かが待たなければならないという厳しい現実の中で、その判断基準の公平性を社会全体で問い続け、合意を形成していく努力こそが、正義の原則に求められる核心的な営みと言えるでしょう。

葛藤するとき ―事例から学ぶモラルジレンマ―

これまでの章で、生命倫理四原則のそれぞれについて詳しく見てきました。しかし、実際の医療現場で遭遇する倫理的問題は、一つの原則だけでは解決できない、より複雑な様相を呈しています。この章では、複数の原則が鋭く対立する具体的な事例を通して、モラルジレンマの分析をさらに深めていきましょう。

最初の事例として、認知症を患う高齢の女性、Eさんのケースを考えます 24。Eさんは、家族の負担を軽減するために週2回のデイサービスの利用が始まりましたが、本人は「行きたくない、家にいたい」と強く拒否します。その後、誤嚥性肺炎で入院し、食事も摂れなくなったEさんに対し、主治医は胃瘻の造設を提案します。同居する長男夫婦は胃瘻に賛成し、介護施設への入所を望んでいますが、遠方に住む次女は胃瘻に反対し、自分が介護をするから家に連れて帰りたいと主張しています。Eさん本人の意思は、もはや確認することができません。

この事例には、複数の倫理原則が複雑に絡み合い、対立しています。まず、Eさんがデイサービスを拒否している時点で、彼女の意思に反して通わせることは「自律尊重の原則」に反している可能性があります。たとえ認知症によって判断能力が低下しているとしても、彼女の「家にいたい」という表明は無視できません。一方で、介護をする家族の心身の負担を考えれば、デイサービスの利用は家族の健康を守る上で「善行」であるとも言えます。

さらに、胃瘻造設をめぐる家族内の意見の対立は、ジレンマを一層深刻なものにしています。長男夫婦の選択は、Eさんの生命を維持するという「善行の原則」に基づいていると解釈できます。しかし、次女は、本人の意思が不明なまま身体に管を通し、延命を図ることは、Eさんの尊厳を損なう「危害」であり、彼女にとっての「最善」ではないと考えているのかもしれません。ここには、生命の長さと生活の質(QOL)という、異なる「善」の形をめぐる対立があります。さらに、誰がEさんの意思を最も的確に代弁できるのか、という代理判断の難しさも浮き彫りになります。このように、自律尊重、善行、無危害の各原則が、登場人物それぞれの立場から異なる解釈をされ、互いに衝突しているのです。

次に、治療可能な病気にもかかわらず、治療を拒否する患者さんの事例を見てみましょう 1。高齢のA氏は、手術歴のある肺がんとは別に、誤嚥性肺炎で入院しました。呼吸状態が悪化したため、主治医は一時的な挿管・人工呼吸器管理を提案しましたが、A氏は「管を入れるのは嫌だ。寿命だと思う」と明確に拒否しました。

これは、医療者が最も頻繁に遭遇するモラルジレンマの一つです。医療チームの立場からすれば、この肺炎は抗菌薬で治療可能であり、一時的に人工呼吸器を使えば救命できる可能性が非常に高い状況です。患者さんの生命を救い、健康を回復させることは、医療者の最も基本的な責務であり、「善行の原則」にほかなりません。この治療を行わないことは、助かるはずの命を見捨てることであり、「無危害の原則」に反するとさえ感じられるかもしれません。

しかし、その一方で、判断能力のあるA氏が明確に治療を拒否している以上、その自己決定を尊重することは「自律尊重の原則」の絶対的な要請です。医療者が「あなたのためだから」と言って無理やり治療を施すことは、A氏の身体に対する重大な侵害であり、彼の尊厳を踏みにじる行為となります。

この事例の解決の鍵は、A氏の「管は嫌だ」という言葉の裏にある、本当の理由を探ることにありました。対話を重ねる中で、A氏には、かつて弟さんが別の病気で長期間人工呼吸器につながれたまま誰とも話せずに亡くなったという、辛い経験があったことが判明したのです。彼が恐れていたのは、治療そのものではなく、「弟のように、尊厳なく死んでいくこと」でした。この背景を理解した医療チームは、今回の肺炎が一時的なものであり、回復の見込みが高いこと、そして弟さんのケースとは違うことを丁寧に説明しました。その結果、A氏は治療に同意し、ジレンマは解消されました 1。このことは、原則間の対立を乗り越えるためには、一方の原則を機械的に適用するのではなく、患者さんの物語に深く耳を傾け、その価値観を理解しようとする対話的な姿勢がいかに重要であるかを示しています。

パンデミックが問いかけたもの ―新型コロナウイルス感染症と倫理的課題―

世界中を未曾有の危機に陥れた新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、平時であれば考える必要のなかった、極めて過酷な倫理的課題を私たちに突きつけました。その中でも最も深刻な問題が、人工呼吸器や集中治療室のベッドといった、生命を維持するために不可欠な医療資源が需要に追いつかなくなった際に、誰の命を優先し、誰の治療を諦めるかという「トリアージ(いのちの選別)」の問題でした。

トリアージという言葉は、フランス語の「選別する」という動詞に由来し、もともとは戦場や大規模災害の現場で、限られた医療資源を最大限有効に活用し、一人でも多くの命を救うために用いられてきた手法です 25。しかし、これを感染症のパンデミックに適用することは、根本的に異なる、そしてより深刻な倫理的ジレンマを生じさせます。災害時のトリアージでは、助かる見込みのない患者さん(黒タグ)への治療を後回しにすることがやむを得ないとされます。しかし、パンデミック下でのトリアージは、治療をすれば助かる可能性があるにもかかわらず、資源がないという理由だけで、その患者さんを見捨てなければならないという状況を生み出しかねません 25

この状況は、これまで私たちが拠り所としてきた生命倫理四原則、特に個人に向けられた原則の限界を露呈させました。目の前の患者さん一人ひとりに対して最善を尽くすという「善行の原則」、そして危害を加えないという「無危害の原則」は、資源が絶対的に不足する状況では、もはや全ての患者さんに対して同時に守ることができなくなります。ある患者に人工呼吸器を装着するという決定は、同時に、別の患者には装着しないという決定を意味します。これは、特定の患者に対する善行が、別の患者に対する(意図せざる)危害に直結するという、医療の根本理念そのものが揺らぐ事態です。

この「ありえない選択」を迫られる医療従事者の精神的苦痛(モラル・ディストレス)は計り知れません。また、社会に与える衝撃も甚大です。特に、高齢者や障害を持つ人々など、社会的に弱い立場にある人々は、「助かる見込みが低い」という理由で、自分たちの命が後回しにされるのではないかという強い恐怖と不安を抱きました 25。実際に、一部の国や地域で年齢や基礎疾患の有無を基準としたトリアージ方針が提案された際には、障害者団体などから「優生思想につながる」として厳しい批判が巻き起こりました。

このパンデミック下のトリアージをめぐる苦しい議論は、私たちに一つの重要な視点をもたらします。それは、ベッドサイドで起こる個々の「ありえない選択」というミクロな倫理的問題が、実は、社会全体の「正義の原則」のあり方というマクロな問題と分かちがたく結びついているという事実です。そもそも、なぜ「いのちの選別」などという議論をしなければならなくなったのか。その根源をたどれば、それは公衆衛生体制への投資不足、パンデミックへの備えの欠如、そして医療提供体制の脆弱性といった、社会レベルでの「正義」の失敗に行き着くと言えます。

したがって、パンデミックの経験から私たちが学ぶべき最も重要な倫理的教訓は、トリアージの「公平な」ルールを作ること以上に、そもそもトリアージが必要となる状況を二度と引き起こさない社会を構築することです。それは、平時から公衆衛生と医療インフラに十分な資源を配分し、いかなる危機においても全ての人の命が等しく尊重される、より強靭で公正な社会システムを築き上げるという、未来に向けた「正義の原則」の実践にほかならないのです。

おわりに:倫理的思考を日常の力に

この報告書では、「医療におけるモラルジレンマ」というテーマを軸に、その背景にある葛藤の構造と、それを乗り越えるための思考の道具としての「生命倫理四原則」について探求してきました。自律尊重、無危害、善行、正義という四つの原則は、医療という複雑な営みの中で、私たちが倫理的な判断を下す際の羅針盤となるものです。

しかし、ここまで見てきたように、この羅針盤は常に一つの明確な方角を指し示してくれるわけではありません。むしろ、複数の原則が異なる方角を指し示し、私たちを葛藤させることの方が多いくらいです。適応外治療を望む患者さんの事例では自律尊重と無危害が、治療を拒否する終末期の患者さんの事例では善行と自律尊重が、そしてパンデミックにおける資源配分の問題では個人の利益と社会全体の正義が、それぞれ鋭く対立しました。

ここから得られる最も重要な結論は、生命倫理四原則が、数学の公式のように、当てはめれば自動的に「正解」を導き出してくれるような万能のアルゴリズムではないということです。そうではなく、これは私たちが直面する複雑な状況を整理し、何が問題で、何と何が対立しているのかを明確に言語化するための、柔軟で力強い「思考のフレームワーク」なのです。

このフレームワークを身につけることの真の価値は、答えを出すことそのものよりも、より良い答えに至るためのプロセスを豊かにすることにあります。倫理的な問題に気づき、その構造を四原則に照らして分析し、対立する価値の背景にある人々の思いや物語に耳を傾ける。このプロセスを通じて、私たちはより深く共感し、より建設的に対話し、そしてより思慮深く判断することができるようになります。

モラルや倫理に関する問題の種は、医療の現場だけでなく、私たちの日常生活のいたるところに存在します。この生命倫理四原則という思考の道具は、医療者だけでなく、患者として、あるいは一人の市民として医療に関わるすべての人々にとって、そしてさらには日々の人間関係や社会の問題を考える上でも、物事の本質を見抜くための確かな力を与えてくれるでしょう。倫理的思考を日常の力とすることで、私たちはより人間性豊かな対話と、より賢明な選択に満ちた社会を築いていくことができるはずです。

参考情報

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  2. 3. 専門職としての意識と責任 - 厚生労働省, https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000209872.pdf
  3. 医療倫理の4原則とは? - 日本医事新報社, https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=10849
  4. 倫理原則 - 看護用語集 - ナース専科, https://medical-term.nurse-senka.jp/terms/1830
  5. 研究倫理の成り立ち 歴史と基本 - 国立がん研究センター, https://www.ncc.go.jp/jp/cras/bioethics/010/20250418_lecture_1.pdf
  6. ECTM16 医療倫理学・生命倫理学の方法論について - ACES, https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ACES/main/tech_soc_ectm/16_ectm_j.html
  7. 臨床研究倫理を考える~臨床研究法施行に向けて~ | 株式会社メディカルエデュケ, https://medicaleducation.co.jp/back_number/2017_winter01/
  8. 生命倫理4原則, https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/220131nishinomiya4.pdf
  9. 医師の裁量 | 医学博士3名在籍 | 医療ミス、医療事故、医療過誤 - 弁護士法人ALG&Associates, https://www.avance-lg.com/customer_contents/iryou/doctors-discretion/
  10. 患者の自己決定権と医師の裁量権の定義づけ - J-Stage, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabedit/11/1/11_KJ00003698645/_article/-char/ja/
  11. [PDFあり]医師の裁量権と患者の自己決定権 (3)違法性阻却とインフォームド・コンセント / 村岡潔, https://bukkyo.alma.exlibrisgroup.com/discovery/fulldisplay?context=L&vid=81BU_INST:Services&docid=alma991006874707406201
  12. 患者の自己決定権に関わる医師の説明義務 に関するガイドライン, http://www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/02/papers/v02part04.pdf
  13. 共有意思決定支援 (Shared decision making:SDM)とは? | 医療安全ニュース 13 期/8 号., https://ishinkai.or.jp/hospital/wp-content/uploads/2023/03/safety-news13-8.pdf
  14. SDM(共同意思決定)とは?患者と医師が協力する医療の在り方 - ドクタービジョン, https://www.doctor-vision.com/dv-plus/column/knowledge/sdm.php
  15. 共同意思決定 Shared Decision Making - 腎臓病 SDM推進協会, https://www.ckdsdm.jp/document/slide/images/SDM_BasicSlide_202006.pdf
  16. 違法行為は許されるべきではありません。このような処方について適応外使用のあり方をチェック - する仕組みを作ることに反対する医療者はいないでしょう。 - 厚生労働省, https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/03/dl/s0308-14f_0003.pdf
  17. 医療機器の「適応外使用」が散見されるが、院内の倫理審査・患者 ..., https://gemmed.ghc-j.com/?p=55846
  18. 治療上必要となった場合の医薬品等の適応外使用について - ふたば医療センター附属病院 - 福島県, https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/futaba/tekiougaishiyou.html
  19. 治療上必要となった場合の医薬品等の適応外使用について | 横浜市立大学附属病院, https://www.yokohama-cu.ac.jp/fukuhp/effort/patient/offlabeluse.html
  20. 生命倫理の基本概念と 医学研究規制のあり方, https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/life/haihu47/siryo2.pdf
  21. 人権としての「医療へのアクセス」が保障される社会の実現を目指す決議 - 日本弁護士連合会, https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2023/2023_1.html
  22. 【高額療養費制度見直し】「財源に限りが、だから困っている人だけ助ける」では救われない重病・難病患者が続出する がん治療中の組織開発コンサルタント・勅使川原真衣さんに聞く | JBpress (ジェイビープレス), https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/89036
  23. わが国のワクチン接種の優先順位付けの特徴 | COVID-19有識者会議, https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/6886
  24. 事例で学ぶ 看護場面の倫理的ジレンマを正しくとらえ,解決するための考え方, https://www.dtp-nissoken.co.jp/jtkn/nm/2306/dilemma_it/index.html
  25. コロナ禍での医療資源配分 | COVID-19有識者会議, https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/3352

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