エビデンス全般

医療における「アウトカム」って、なんだろう?~「結果」とのちがい~

2021年4月29日

皆さん、こんにちは。医療の世界で最近、「アウトカム」という言葉を耳にする機会が増えたと感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、この「アウトカム」という言葉、日本語では「結果」と訳されることが多く、英語の「result」と同じように捉えられがちです。実は、これらは異なる概念であるにもかかわらず、同じ日本語が使われているために、その違いを明確に説明するのが難しいと感じる人も少なくないでしょう。

この記事では、そんな「アウトカム」の正体に、皆さんと一緒に迫っていきたいと思います。医療におけるアウトカムとは一体何なのか、なぜそれが重要視されるようになってきたのか、そして私たちの医療体験にどのように関わってくるのか。これらの疑問に、分かりやすく、丁寧にお答えしていくことを目指します。どうぞ、リラックスしてお読みいただければ幸いです。

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「アウトカム」との出会い:なぜ今、注目されているの?

ここ数年で、「アウトカム」という言葉を医療現場や関連ニュースで見聞きする機会が確かに急増しましたね。この背景には、医療の質を評価する上での考え方の変化があります。従来は、病気が治ったか、検査値が改善したか、といった点が主に注目されてきました。しかし、それだけでは患者さんが本当に満足のいく医療を受けられたのか、生活の質が向上したのか、といった点までは十分に捉えきれませんでした。

そこで、医療行為が患者さんの生活全体にどのような変化をもたらしたのか、という、より包括的で患者さん中心の視点が重要視されるようになってきたのです。この変化の中で、「アウトカム」という概念がクローズアップされてきたと言えるでしょう。

「アウトカム」の基本的な定義:「医療行為によって、何がどう変わったの?」

では、改めて「アウトカム」とは何でしょうか。明確な定義は多くありませんが、一般的には「人や集団の健康状態における変化。特に、医療行為に起因するもの」と考えると、多くの場合で意味が通じるでしょう。

もう少し詳しく見てみると、「提供された医療に起因する個人または集団の変化のこと」であり、端的に言えば「(医療行為の結果として)どうなったのか」を指します 1。ここには、単に治療による身体的な成果だけでなく、患者さんやそのご家族が得ることのできた満足度や安心感、さらには再入院率や事故発生率といった医療の安全性に関する指標も含まれることがあります 1。つまり、医療の目的そのものが、この「アウトカム」を向上させることにある、とも考えられるわけです 1

「アウトカム」と「リザルト(結果)」:似ているようで実は違う!

日本語ではどちらも「結果」と訳されてしまうため、非常に混同しやすい「アウトカム」と「リザルト」。しかし、医療の文脈、特にその評価においては、これらは明確に区別して理解する必要があります。

「リザルト(result)」は、多くの場合、ある特定の時点での検査データ(例えば、今日の血圧測定値や血液検査のコレステロール値など)や、画像診断で見られた所見、観察された特定の事実といった、比較的単発的で断片的な「情報」や「所見」を指す傾向があります。

一方、「アウトカム(outcome)」は、医療介入という一連の「プロセス」を経た上で、患者さんの健康状態がどのように「変化」したのか、どのような「最終的な状態」に至ったのか、という、より時間的な広がりと因果関係を含む包括的な概念です。つまり、単なる点としての情報ではなく、線や面としての変化の総体を示すものと言えるでしょう。

この違いを理解するために、一つの例を考えてみましょう。高血圧の患者さんが降圧治療を受けたとします。治療後の血圧測定値が「150mmHgから130mmHgに下がった」という事実は、一つの「リザルト」です。しかし、この治療によって血圧が安定し、将来的な心筋梗塞や脳卒中のリスクが低下し、患者さんが頭痛やめまいに悩まされることなく、安心して日々の散歩を楽しめるようになった、という一連の状態の変化こそが「アウトカム」なのです。

このように考えると、「リザルト」が物語の中の一枚のスナップ写真だとすれば、「アウトカム」はその写真に至るまでの経緯や、その後の展開までを含めた短編映画のようなもの、と言えるかもしれません。単に数値がどう変わったかだけでなく、その変化が患者さんの人生や生活の質(QOL)にどのような影響を与えたのか、というストーリー性を含んでいるのが「アウトカム」の大きな特徴です。この「物語」を理解しようとすることが、患者さん一人ひとりに寄り添った医療を実現する上で、非常に重要になってくるのです。

この二つの概念の違いを整理するために、以下の表にまとめてみました。

表1: 「アウトカム」と「リザルト(結果)」の主な違い

特徴 (Feature) アウトカム (Outcome) リザルト (Result)
概念の焦点 医療介入による健康状態や生活の質の変化の総体最終的な到達点 ある時点での特定の事実所見測定値
時間軸 プロセスを経た上での変化、時間的な広がりを持つ 特定の時点でのスナップショット
範囲 包括的(治療効果、副作用、QOL、患者満足度、経済的側面など多岐にわたる) 限定的(個別の検査値、観察所見など)
評価の視点 患者さんの生活全体への影響、医療の価値 客観的なデータポイント
5年生存率、合併症発生率の低下、症状の改善、日常生活動作(ADL)の向上、患者満足度の向上、QOLスコアの改善、職場復帰 血圧値、血糖値、腫瘍マーカー値、レントゲン写真の所見、心電図の波形
日本語訳のニュアンス (一連の行為の結果としての)成果、到達点、帰結 (単一の行為や測定による)結果、所見

この表からもわかるように、「アウトカム」は「リザルト」よりもはるかに幅広く、奥深い概念です。医療の真の価値を問うとき、私たちはこの「アウトカム」に目を向ける必要があるのです。

アウトカムの二つの顔:ハードアウトカムとソフトアウトカム

はじめに:なぜ二種類に分けて考えるの?

さて、「アウトカム」という言葉の意味合いが少し見えてきたところで、次はその種類について見ていきましょう。アウトカムは、その性質によって大きく「ハードアウトカム」と「ソフトアウトカム」の二つに分けられます。この分類は、評価する指標がどれだけ客観的で明確か、そして患者さんの主観的な感覚や評価がどの程度関わってくるか、という点に基づいています。この二つの側面からアウトカムを捉えることで、医療の効果をより多角的に評価することができるのです。

ハードアウトカム:「客観的な事実」を測る、カチッとした指標

まず、「ハードアウトカム」についてです。これは、言葉の響き通り「固い指標」というニュアンスを持っています。つまり、誰が評価しても結果が揺らぎにくく、客観的で明確な事実を示すアウトカムのことを指します。

定義と特徴

ハードアウトカムは、結果がそう簡単には変動しない、頑健な指標とされています。評価者の主観が入り込む余地が少なく、その臨床的な重要性も大きいと考えられる評価項目(エンドポイントとも呼ばれます)がこれに該当します 2。一般的に、生命に関わる事象や、明確に定義・測定できる医学的なイベントが中心となります。

代表例

ハードアウトカムの代表的な例としては、以下のようなものが挙げられます。

  • 死亡率: ある疾患や治療介入による死亡の発生割合。これは最も明確なハードアウトカムの一つです 3
  • 5年生存率: 特にがん治療の分野でよく用いられ、診断または治療開始から5年後に生存している患者さんの割合を示します。
  • 疾患の発生率・再発率: 例えば、脳梗塞の新規発生率や、がんの再発率など、特定の病気が起こる、あるいは再び起こる割合です 4
  • 回復率: ある疾患から完全に回復した患者さんの割合なども、定義が明確であればハードアウトカムと見なせます 3

なぜ重要?

ハードアウトカムは、生命予後(生きられる期間の見込み)や、上記のような重大な健康イベントの発生を直接的に反映するため、医療介入の根本的な有効性や安全性を評価する上で不可欠な指標です。新しい治療法や薬剤の効果を検証する臨床試験などでは、これらのハードアウトカムが主要な評価項目として設定されることが多くあります。

ソフトアウトカム:「患者さんの実感」を捉える、やわらかな指標

次に、「ソフトアウトカム」です。こちらは「やわらかい指標」という言葉の通り、ハードアウトカムに比べて、患者さんの主観的な感覚や評価が大きく関わってくるアウトカムを指します。

定義と特徴

ソフトアウトカムは、ハードアウトカムと比較して結果が変動しやすく、評価者の解釈や患者さんのその時々の状態によって左右される可能性も持つ、やや柔軟性のある指標です。しかし、これは決して重要度が低いという意味ではありません。むしろ、患者さんが病気や治療とどのように向き合い、日々をどのように感じて過ごしているか、といった「生きた実感」を捉えるためには、ソフトアウトカムの視点が不可欠です。

代表例

ソフトアウトカムの代表的な例には、以下のようなものがあります。

  • 生活の質(Quality of Life: QOL)指標: 患者さん自身が評価する、身体的・精神的・社会的な健康状態や満足度。これについては後の章で詳しく触れます。
  • 疼痛スコア: 例えば、Visual Analogue Scale (VAS) と呼ばれる方法では、患者さんに痛みの程度を0から10までの線上で示してもらい、それを数値化します。
  • 患者満足度: 提供された医療サービス全体に対する患者さんの満足の度合いです 1
  • 症状の改善度: 例えば、リハビリテーションによって、患者さんが感じる機能障害の程度がどれだけ改善したか、といった主観的な評価もソフトアウトカムに含まれます 5
  • 自覚症状の変化: めまい、倦怠感、不安感など、患者さん自身が感じる症状の強さや頻度の変化。

なぜ重要?

医療の目的は、単に病気を治したり、生命を永らえたりすることだけではありません。患者さんがその人らしい生活を送り、日々の活動を楽しみ、精神的な充足感を得られるように支援することも、非常に大切な役割です。ソフトアウトカムは、このような「より良く生きる」という側面を評価するために欠かせない指標であり、患者さん中心の医療を実現する上で、その重要性はますます高まっています。

「入院」はどっち?ソフトアウトカムにもなり得る理由

ここで少し興味深い点を考えてみましょう。「入院したか、していないか」という事実は、一見すると客観的で明確なハードアウトカムのように思えます。しかし、状況によっては、この「入院」という指標がソフトアウトカムの性質を帯びることがあるのです 2

なぜでしょうか。それは、「入院」という判断自体に、医師や評価者の主観的な解釈や判断基準が影響する可能性があるからです。例えば、ある新しい治療薬の効果を検証する臨床試験を考えてみましょう。もし、その試験の評価者が、治療薬を開発した製薬会社と何らかの密接な関係(利益相反関係)にあった場合、入院の判断基準が微妙に調整される可能性はゼロではありません 2。具体的には、新しい薬を使っているグループでは入院のハードルを少し上げ、比較対象の薬やプラセボ(偽薬)を使っているグループではハードルを少し下げて入院させやすくする、といった操作が行われることも、理論上は考えられてしまうわけです。

このように考えると、ハードアウトカムとソフトアウトカムの境界線は、必ずしも絶対的で固定的なものではない、ということが見えてきます。ある指標がハードと見なされるかソフトと見なされるかは、その指標自体の性質だけでなく、それがどのように測定され、誰によって評価され、どのような文脈(例えば、企業の利益が絡む臨床試験なのか、純粋な学術研究なのかなど)で用いられるかによっても、解釈が変わり得るのです。これは、アウトカムを評価する際には、その方法論の透明性や評価者の独立性が極めて重要であることを示唆しています。客観的とされる指標であっても、その背後にある判断プロセスに目を向ける必要がある、ということですね。

両者の特徴をより明確に理解するために、以下の表にまとめてみましょう。

表2: ハードアウトカムとソフトアウトカムの比較

種類 (Type) ハードアウトカム (Hard Outcome) ソフトアウトカム (Soft Outcome)
定義 客観的で明確な事実に基づく指標。結果が変動しにくい。 患者の主観的な評価や感覚が関わる指標。結果が比較的変動しやすい。
主な特徴 生命予後や重大な健康イベントに直結することが多い。解釈の余地が少なく、普遍性が高い。 患者の体験、QOL、満足度などを反映する。多面的で、個々の患者の状態や価値観に左右されることがある。
客観性 高い 状況により変動(主観的要素が強いため)
測定の容易さ 比較的容易で、標準化しやすい。 測定に工夫が必要な場合があり、標準化された質問票などが用いられる。
代表例 死亡率、5年生存率、脳梗塞の発症率、心筋梗塞の再発率、回復率(客観的定義に基づく) QOLスコア、疼痛スコア(VASなど)、患者満足度、抑うつ症状の改善度、疲労感の軽減、日常生活の活動レベルの変化(主観的評価)
臨床的意義 治療の根本的な有効性・安全性の評価に不可欠。 患者の生活の質や治療体験の評価に重要。患者中心の医療の実現に貢献。
注意点 これのみを追求すると、患者のQOLなどが見過ごされる可能性。 評価の客観性や再現性に課題が生じることがある。結果の解釈に慎重さが必要。

この表を通じて、ハードアウトカムとソフトアウトカムが、それぞれ異なる側面から医療の成果を照らし出していることがお分かりいただけたかと思います。どちらか一方だけが重要なのではなく、両者をバランス良く評価することが、医療の質を総合的に高めていく上で大切なのです。

もっと深く知りたい!アウトカム研究の世界

アウトカムの基本的な概念と種類について理解を深めたところで、次はそのアウトカムを専門的に探求する「アウトカム研究」という分野に足を踏み入れてみましょう。この研究分野は、現代医療においてますますその重要性を増しています。

アウトカム研究って何?なぜ大切なの?

アウトカム研究の定義

アウトカム研究とは、その名の通り「アウトカム」に着目した研究分野です。より具体的に表現すると、以下のようになります。

  • 「人や集団の健康状態における変化、特に医療行為に起因するもの」を科学的に調査・分析する研究。
  • 医療を提供する側(医師や看護師など)と医療を受ける側(患者さん)が、治療法やケアの方針について、より良い意思決定を行うための科学的な根拠を提供することを目的とした研究。
  • 単に身体的な変化だけでなく、健康状態の変化を測定する際には、患者さん自身の経験や価値観、人生観といった主観的な側面を積極的に考慮に入れる研究。

アウトカム研究の目的

この研究が目指すところは、非常に実践的かつ患者さん志向です。

  • 一つは、エビデンス(科学的根 quinze)に基づく最良の治療やケアを、いかに効率的かつ効果的に患者さんに届けることができるかを模索することです 6。これは、医療技術評価(Health Technology Assessment: HTA)と呼ばれる、新しい医療技術や医薬品の価値を総合的に評価する取り組みの一環としても位置づけられています。
  • もう一つは、EBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づく医療)の考え方と深く結びついています。EBMでは、目の前の患者さんが抱える具体的な臨床上の問題(Patient)、どのような医療介入(Intervention)を、何と比較して(Comparison)、どのようなアウトカム(Outcome)を目指すのか(PICOと略されます)を明確にし、最善の医療を実践することが求められます 7。アウトカム研究は、この「O(アウトカム)」の部分に光を当て、どのような医療が本当に患者さんのためになるのかを明らかにする役割を担います。

アウトカム研究で無視できない要素

アウトカム研究を進める上では、単に医学的な指標だけでなく、患者さんを取り巻く様々な要因も考慮に入れる必要があります。例えば、患者さんの経済的な背景や、治療に伴う経済的な負担、さらには、後述する健康関連QOLとは別に、医療行為そのもの(医師の説明の分かりやすさ、待ち時間、スタッフの対応など)に対する患者さんの満足度なども、重要な評価対象となります。これらは、治療の継続性や患者さんの精神的な安定にも影響を与えるため、無視できない要素なのです。

患者さん中心の医療へ:Patient Centricity と患者報告アウトカム(PRO)

アウトカム研究の発展と軌を一にして、医療全体の大きな潮流となっているのが「Patient Centricity(ペイシェント・セントリシティ/患者中心主義)」という考え方です。

Patient Centricity(患者中心主義)とは?

「Patient Centricity」という言葉は、近年、医療のあらゆる場面で聞かれるようになりました。これは、文字通り「患者さんを医療の中心に据える」という考え方です。従来の医療では、どうしても医療提供者側の視点や判断が優先される傾向がありましたが、提供者が「良かれ」と思って行った医療行為が、必ずしも患者さん自身にとって「良い」とは限らない、あるいはその逆のケースも存在しました。このような医療提供者と患者さんの間にある認識のギャップを埋め、患者さんの価値観やニーズ、選好を最大限に尊重した医療を提供しようというのが、Patient Centricity の核心です。

製薬企業においても、この考え方は深く浸透しつつあります。例えば、「患者さんへの思いやりとイノベーションへの情熱」を企業活動の中核に据え、患者さんが治療において希望を見出し、前向きに病と向き合えるよう支援することを目指す企業もあります 8。具体的な活動としては、新薬の開発段階から市販後の情報提供に至るまで、患者団体と製薬企業、医療関係者が対話の場を持ち、相互理解と信頼関係を深める努力がなされています 9

患者報告アウトカム(Patient-Reported Outcome: PRO)とは?

Patient Centricity を実現するための具体的な手段として、近年特に注目されているのが「患者報告アウトカム(Patient-Reported Outcome: PRO)」です。これは、患者さん自身が、自分の健康状態、治療による効果、感じている副作用、日常生活への影響などについて、直接報告する情報のことです 10。医師や看護師などの医療専門家による解釈や評価を介さずに、患者さんの「生の声」がそのままデータとなる点が最大の特徴です。後ほど詳しく説明する健康関連QOL(HR-QOL)の評価も、このPROの一種とされています 10。

PROは、新しい医薬品や医療機器の開発における臨床試験(治験)においても、その重要性が増しています。治療効果を評価する項目の一部としてPROが採用され、その結果が医薬品の承認申請資料に含まれるケースも増えてきています 11

Patient Centricity の理念が広がり、PROのような患者さん自身の声に耳を傾ける具体的な方法論が発展してきたことは、医療のあり方に大きな変化をもたらしつつあります。これは単に「患者さんに優しく接しましょう」といった心構えの変化に留まるものではありません。むしろ、医薬品や医療技術が研究開発される初期の段階から、患者さんの視点やニーズを積極的に取り込む動き(例えば、PFDD:Patient-Focused Drug Development(患者さんに焦点を当てた医薬品開発)8)が活発化しています。

さらに、臨床試験のあり方自体も変わりつつあります。患者さんが医療機関に来院する負担を軽減し、自宅などで治験に参加できる分散型臨床試験(DCT: Decentralized Clinical Trials)の導入も、Patient Centricity を後押しする動きの一つです 12。治験データを収集する際にも、電子的に患者報告アウトカムを収集するePRO(electronic PRO)の活用が進んでいます 12。そして、医薬品が市場に出た後の安全性監視や、患者団体との継続的な連携、適切な情報提供といった活動に至るまで、医療提供のバリューチェーン全体に影響を及ぼす、より構造的でプロセス全体に関わる変革を促す原動力となっているのです 8

このPROの台頭は、医療における「真実」や「効果」の定義そのものを拡張しているとも言えるでしょう。従来、医療の効果判定は、医師による客観的な診察所見や、検査数値の変化(いわゆるハードアウトカム)が中心でした。もちろん、これらの客観的指標は今後も重要であり続けるでしょう。しかし、PROが重視されるようになることで、患者さん自身が体験する症状の辛さ、日常生活の困難さ、治療に対する満足度といった主観的な情報が、客観的指標と同等に、あるいはそれ以上に重要な「エビデンス(科学的根拠)」として認識されるようになってきました。

つまり、医療の評価軸に、「患者さんがどう感じているか」という、これまで数値化しにくかった人間的な側面が、科学的な手法で取り入れられるようになったのです。これにより、医療の評価はより多角的で、全人的なものへと進化しつつあると言えます。これは、医療が単に「病気を治す」ことから、「病と共に生きる患者さんの人生を支える」ことへと、その役割を広げていることの表れなのかもしれません。

生活の質(QOL)に注目!~数字だけでは測れない価値~

アウトカム研究やPatient Centricityの流れの中で、特に重要なキーワードとして頻繁に登場するのが「QOL(Quality of Life:生活の質)」です。医療の目標が、単に生命を救うことや病気を治療することだけでなく、患者さんがより良い人生を送れるように支援することにあるならば、このQOLという概念の理解は不可欠です。

QOLとは?なぜ医療で大切なの?

QOL(キューオーエル)という言葉は、日本語では「生活の質」と訳され、医療分野に限らず、福祉、教育、都市計画など、非常に幅広い分野で使われています。その起源は、もともと社会経済学の分野で、物質的な豊かさだけでは測れない人々の幸福度や満足度を問う研究の中で生まれたとされています。

医療の分野でQOLが重視されるようになった背景には、医学の進歩があります。かつては不治の病とされた病気が治療可能になったり、慢性疾患を抱えながらも長期間生存できるようになったりする中で、「ただ生きている」だけでなく、「いかに良く生きるか」が問われるようになってきました。つまり、病気が完全に治癒しなくても、あるいは何らかの後遺症が残ったとしても、患者さんが身体的、精神的、そして社会的に可能な限り良好な状態を保ち、その人らしい満足のいく生活を送れているか、という点が医療の大きな目標の一つとして認識されるようになったのです。

健康関連QOL(Health-Related QOL: HR-QOL)とは?

このような医療におけるQOLへの関心の高まりの中で、特に健康状態と密接に関連する側面に焦点を当てた概念として登場したのが、「健康関連QOL(Health-Related Quality of Life: HR-QOL)」です。

世界保健機関(WHO)は、生活の質(QOL)を非常に包括的に定義しています。それによれば、QOLとは「個人が生活する文化や価値体系の中で、その人の目標、期待、基準、関心事に関連した、自分自身の人生における位置づけについての認識」とされています。そして、この認識は、その人の身体的健康状態、心理状態、自立の度合い、社会的な関係、個人的な信念、さらには生活環境の顕著な特徴といった、多くの要素によって複雑に影響を受ける幅広い概念であると説明されています 10

HR-QOLは、このWHOによる広範なQOLの定義のうち、特に個人の健康状態や、医療技術(治療法、医薬品、医療機器など)の使用によって直接的に影響を受ける可能性のあるドメイン(領域や側面)に焦点を絞ったものと理解することができます 10。つまり、病気や治療が、患者さんの日常生活や幸福感にどのような影響を与えているかを測るための「ものさし」と言えるでしょう。

HR-QOLのここがポイント!ハードアウトカムにはない特徴

HR-QOLは、ソフトアウトカムの一種であり、従来の客観的な指標(ハードアウトカム)だけでは捉えきれなかった、患者さんの主観的な体験や価値観を医療評価に取り入れる上で、非常に重要な役割を果たします。HR-QOLが持つ、ハードアウトカムにはない特徴を以下にまとめてみましょう。

  1. 患者視点に立脚している指標であること:
    HR-QOLの評価は、何よりもまず「患者さん自身がどう感じているか」を基本とします。医師や医療者が「良くなった」と判断しても、患者さん自身が苦痛を感じていたり、生活に不自由を感じていたりすれば、HR-QOLは低いと評価されます。
  2. 患者と健康人という境界線を引かず、連続的に捉え、定量化していること:
    従来の医療では、「病気であるか、健康であるか」という二元論的な捉え方が主流でした。しかし、HR-QOLは、健康状態を「完全な健康」から「極めて不健康」までの連続的なスペクトラムとして捉え、それを数値(スコア)で表現しようと試みます。これにより、わずかな状態の変化も捉えることが可能になります。
  3. 患者自身が直接報告しデータ化されること(PROの一形態):
    HR-QOLのデータは、原則として患者さん自身からの報告に基づいて収集されます。標準化された質問票などを用いて、患者さんが自分の状態を直接回答し、それがデータとなります。そこには、医師や医療者の解釈や判断は介在しません 10。
  4. ハードアウトカムのような白黒はっきりとした変数ではなく、連続量として測定されること:
    ハードアウトカムの多くは、「死亡した/死亡していない」「治癒した/治癒していない」「入院した/入院していない」といった、二者択一的な(あるいはカテゴリー的な)変数で表されます。一方、HR-QOLは、多くの場合、スコアや指数といった連続的な数値で測定されるため、より細やかな変化や程度の違いを表現することができます。
  5. 多次元的な要素を含む指標であること:
    HR-QOLは、単一の側面だけを評価するのではなく、人間の健康や生活に関連する複数の側面(ドメイン)を包括的に評価しようとします。一般的には、「主観的健康度」と「日常生活機能」という二つの大きな要素から構成されると考えられています。
  • 主観的健康度: 心の健康(精神状態、気分の落ち込みや不安の有無)、痛み(身体的な苦痛の程度)、活力(エネルギーレベル、疲労感)などが含まれます。
  • 日常生活機能: 身体機能(歩行、身の回りの動作など)、日常役割機能(仕事や家事の遂行能力)、社会生活機能(家族や友人との交流、社会参加)などが含まれます。

WHOが提案する生活の質のドメインにおいても、HR-QOLに特に関連が深いものとして、「身体的健康状態」「心理学的健康状態」「自立度」「社会的関係」などが挙げられています 10。また、研究者によっては、これらのドメインをさらに細かく分類したり、独自の構成要素を提唱したりすることもあります。例えば、生活圏に関連した「環境快適因子」や「環境利便因子」を加え、身体的・心理的・社会関係因子と合わせて5因子でHR-QOLを構成するといったモデルも存在します 13

このように、HR-QOLは多岐にわたる側面から患者さんの状態を捉えようとするため、その評価は非常に複雑ですが、それゆえに患者さんの全体像をより深く理解するのに役立ちます。

HR-QOLの多次元性について、WHOが提案するドメインを参考に、より具体的に見てみましょう。

表3: 健康関連QOL(HR-QOL)の多次元的ドメイン(構成要素)の例

(WHOによる生活の質のドメイン 10 を参考に、HR-QOLに特に関連の深いものを抜粋・整理)

主要ドメイン (Main Domain) 下位項目/構成要素の例 (Examples of Sub-components)
1. 身体的健康状態 (Physical Health) エネルギーと疲労 (Energy and fatigue)<br>疼痛および不快感 (Pain and discomfort)<br>睡眠および休養 (Sleep and rest)
2. 心理学的健康状態 (Psychological Health) 身体イメージと外見 (Body image and appearance)<br>マイナス思考/プラス思考 (Negative/Positive feelings)<br>自尊心 (Self-esteem)<br>思考、学習、記憶、集中力 (Thinking, learning, memory, and concentration)
3. 自立度 (Level of Independence) 移動性 (Mobility)<br>日常生活の活動 (Activities of daily living)<br>薬剤や医療援助への依存 (Dependence on medicinal substances and medical aids)<br>作業能力 (Work capacity)
4. 社会的関係 (Social Relationships) 人間関係 (Personal relationships)<br>社会的支援 (Social support)<br>性行動 (Sexual activity)
(参考) 環境 (Environment) 財源 (Financial resources)<br>自由、身体的安全性、安全 (Freedom, physical safety and security)<br>健康および社会的ケア:利用しやすさと質 (Health and social care: availability and quality)<br>家庭環境 (Home environment) など
(参考) 個人的価値と信条 (Personal Values and Beliefs) 宗教/精神性/個人的信念 (Religion/Spirituality/Personal beliefs)

注:環境や個人的価値と信条のドメインもQOL全体には重要ですが、HR-QOLでは特に最初の4つのドメインが健康状態や医療介入によって直接影響を受けるものとして重視される傾向にあります。

この表からも、HR-QOLが単に「体調が良いか悪いか」だけでなく、精神的な安定、日常生活の自立、社会とのつながりといった、人間が生きていく上で大切な多くの側面をカバーしていることが分かります。

HR-QOLはどうやって測るの?~EQ-5DやSF-36といった評価方法~

HR-QOLという複雑で多面的な概念を、どのようにして客観的に測定し、比較可能なデータとして扱うのでしょうか。そのために開発されたのが、標準化されたHR-QOL評価尺度(質問票)です。これらを用いることで、異なる患者さん間や、同一患者さんの異なる時点でのHR-QOLを比較したり、治療介入の効果を評価したりすることが可能になります。

代表的なHR-QOL評価尺度として、国際的にも広く利用されている「EQ-5D」と「SF-36」についてご紹介しましょう。

  • EQ-5D (EuroQol 5 Dimension):
    EQ-5Dは、ヨーロッパの研究グループ(EuroQol Group)によって開発された、非常に簡便なHR-QOL評価尺度です。その名前が示す通り、以下の5つの健康側面(ディメンション)について質問します 14。
  1. 移動の程度 (Mobility): 歩き回ることについて
  2. 身のまわりの管理 (Self-Care): 洗面、着替えなどについて
  3. ふだんの活動 (Usual Activities): 仕事、勉強、家事、余暇活動などについて
  4. 痛み/不快感 (Pain/Discomfort): 痛みや不快感の程度について
  5. 不安/ふさぎ込み (Anxiety/Depression): 不安や気分の落ち込みについて

これらの各項目について、患者さんは自身の健康状態を3段階のレベル(例えばEQ-5D-3L版では、「レベル1: 問題なし」「レベル2: いくらか問題がある」「レベル3: ひどく問題がある(全くできない)」)で回答します 14。この5つの項目の回答の組み合わせによって、理論上 35=243 通りの健康状態を表現することができます。さらに、EQ-5Dには、患者さん自身の今日の健康状態全般を0(想像できる最悪の健康状態)から100(想像できる最良の健康状態)までの数値で評価する視覚アナログ尺度(Visual Analogue Scale: VAS)も含まれていることが一般的です 14。EQ-5Dは質問項目が少なく、回答に要する時間も短いため、患者さんの負担が小さいという大きな利点があります 15。ただし、学術研究や商業目的で利用する際には、ライセンス申請や使用料が必要となる場合があります 15。

  • SF-36 (The Short Form-36 Health Survey):
    SF-36は、アメリカで開発された、より包括的なHR-QOL評価尺度です。その名の通り36の質問項目から構成されており、以下の8つの健康概念(尺度)を測定します 16。
  1. 身体機能 (Physical Functioning): 日常的な身体活動の制約の程度
  2. 日常役割機能(身体) (Role-Physical): 身体的な問題による仕事や日常活動の制約
  3. 体の痛み (Bodily Pain): 痛みの強さと日常生活への影響
  4. 全体的健康感 (General Health): 自己評価による全般的な健康状態
  5. 活力 (Vitality): エネルギーレベル、疲労感
  6. 社会生活機能 (Social Functioning): 健康問題による社会活動の制約
  7. 日常役割機能(精神) (Role-Emotional): 精神的な問題による仕事や日常活動の制約
  8. 心の健康 (Mental Health): 全般的な精神状態、抑うつや不安の程度

SF-36の質問は、例えば「身体機能」であれば、「激しい活動(例えば、一生懸命走る、重いものを持ち上げるなど)をすることが、健康上の理由でどのくらい難しいですか?」や「階段を数階上まで登ることは、健康上の理由でどのくらい難しいですか?」といった具体的な内容です 17。「心の健康」であれば、「過去1か月間に、落ち着いて穏やかな気分でしたか?」や「元気いっぱいでしたか?」といった質問が含まれます 17。これらの質問に対して、患者さんは選択肢(例:「いつもそうだった」「ほとんどいつもそうだった」「ときどきそうだった」など)の中から最も当てはまるものを選びます。SF-36は、EQ-5Dよりも質問数が多いため、より詳細なHR-QOLのプロファイルを得ることができますが、回答にはやや時間がかかります。

HR-QOL評価の信頼性と妥当性

これらのHR-QOL評価尺度を用いる際には、その尺度が科学的に信頼できるものであるか(信頼性)、そして測りたいものを正確に測れているか(妥当性)が非常に重要になります 10。

  • 信頼性 (Reliability): 同じ患者さんが、状態に変化がない状況で繰り返し測定した場合に、一貫した結果が得られるか(再テスト信頼性)、あるいは質問票の中の関連する項目同士が一貫した傾向を示すか(内的整合性)などによって評価されます。
  • 妥当性 (Validity): その尺度が、本当にHR-QOLという概念を適切に捉えているか、という点です。例えば、質問項目がHR-QOLの各側面を網羅しているか(内容的妥当性)、理論的に予測されるような他の指標との関連性が見られるか(構成概念妥当性)、既存の確立された他のHR-QOL尺度と類似した結果を示すか(基準関連妥当性)など、様々な角度から検証されます 10

EQ-5DやSF-36のような代表的な尺度は、長年にわたり多くの研究でその信頼性や妥当性が検証されてきており、国際的にも広く認知されています。しかし、どのようなHR-QOL評価尺度を選択するかは、実は非常に戦略的な判断を伴います。EQ-5Dは簡便で国際比較もしやすい一方、SF-36はより詳細な情報が得られるといった特徴があります。研究の目的(例えば、大規模な疫学調査なのか、特定の疾患を持つ患者群の詳細な状態変化を追跡したいのか)、対象となる疾患の特性(例えば、身体機能への影響が大きい疾患なのか、精神的側面への影響が大きい疾患なのか)、対象となる患者集団の特性(年齢層、識字率、文化的背景など)、そして実施上の制約(患者さんの回答負担、調査にかかるコストや時間など)を総合的に考慮し、最も適切な尺度を選択する必要があります。単に「QOLを測る」というだけでなく、「何を、誰の、どのような側面を、なぜ知りたいのか」を明確にした上で、最適な「ものさし」を選ぶことが、質の高いHR-QOL評価には不可欠なのです。

以下に、これら代表的なHR-QOL評価ツールの概要をまとめます。

表4: 代表的な健康関連QOL評価ツールの概要

ツール名 (Tool Name) 主な測定領域/次元 (Main Domains/Dimensions Measured) 質問数 (Number of Questions) 回答形式例 (Example Response Format) 特徴 (Characteristics)
EQ-5D-3L 移動の程度、身の回りの管理、ふだんの活動、痛み/不快感、不安/ふさぎこみ 14 5項目 + VAS(健康状態の全般的評価) 各項目3段階のレベル選択 14 非常に簡便。回答負担が少ない。国際的な比較研究で広く利用。経済評価(費用対効果分析)にも応用可能。
SF-36v2 身体機能、日常役割機能(身体)、体の痛み、全体的健康感、活力、社会生活機能、日常役割機能(精神)、心の健康 16 36項目 主にリッカート尺度(例:5段階評価) 包括的で詳細なHR-QOLプロファイルが得られる。8つの下位尺度スコアと2つのサマリースコア(身体的側面・精神的側面)を算出可能。多くの疾患で利用実績あり。

これらのツールは、患者さんの声を医療に反映させるための強力な手段となり得ます。

医療現場でのQOL活用例~こんなところで役立っています~

HR-QOLという概念やその測定方法について見てきましたが、実際に医療の現場では、このQOLという視点がどのように活かされているのでしょうか。ここでは、具体的な疾患領域におけるQOL評価の活用例をいくつかご紹介します。

がん治療におけるQOL評価:生存期間だけではない治療目標

がん治療の分野では、伝統的に「5年生存率」や「無増悪生存期間(病気が悪化せずに生存している期間)」といった、生命予後や病気の進行度合いを示すハードアウトカムが、治療効果の主要な指標とされてきました 18。これらはもちろん非常に重要な指標ですが、近年では、それらと同等か、あるいはそれ以上に、治療中および治療後の患者さんのQOLをいかに維持・向上させるか、という点が重視されるようになっています。

新しい抗がん剤や治療法の開発における臨床試験では、腫瘍の縮小効果や生存期間といった客観的なデータと共に、患者さんが報告するQOLの変化も重要な評価項目として組み込まれることが一般的になっています 19。例えば、ある治療法が生存期間をわずかに延長させる効果があったとしても、その治療に伴う副作用が非常に強く、患者さんのQOLを著しく低下させてしまうのであれば、その治療法が本当に患者さんにとって最善の選択肢と言えるのか、慎重な検討が必要になります。

患者さんが、治療による副作用(痛み、吐き気、倦怠感、脱毛、精神的な落ち込みなど)とどのように向き合い、日々の食事や睡眠、仕事や趣味といった日常生活を可能な限り維持できるかは、治療法を選択する上でも、また治療が開始された後のケアにおいても、極めて大切な情報となります。QOL評価は、このような患者さんの主観的な体験を客観的なデータとして捉え、医療者と患者さんが共に治療目標を設定し、個別化されたケアを提供するための助けとなるのです。

慢性心不全におけるQOL評価:予後改善と並ぶ重要な治療目標

慢性心不全は、心臓のポンプ機能が低下し、息切れやむくみ、だるさといった症状が慢性的に続く疾患です。この疾患を持つ患者さんにとって、生命予後を改善することはもちろん重要ですが、それと同時に、日常生活動作(Activities of Daily Living: ADL)の維持・向上や、QOLの改善も極めて重要な治療目標と位置づけられています 20

実際、慢性心不全の診療ガイドラインなどでは、患者報告アウトカム(PRO)の一つとしてQOLを定期的に評価し、治療方針の決定や効果判定に活かすことが推奨されています 20。例えば、息切れのために以前は楽しめていた散歩ができなくなった、夜間の呼吸困難でよく眠れない、といったQOLの低下は、患者さんにとって大きな苦痛です。QOL評価を通じてこれらの問題を具体的に把握し、薬物療法や運動療法、生活指導などを適切に調整することで、症状の緩和とQOLの向上を目指します。

関節リウマチ治療におけるQOL評価:「寛解」と「低疾患活動性」を目指して

関節リウマチは、関節に炎症が起こり、痛みや腫れ、こわばりといった症状が現れ、進行すると関節の変形や機能障害を引き起こす自己免疫疾患です。この関節リウマチの治療における最も重要なゴールは、長期にわたって患者さんのQOLを良好な状態に保つことであるとされています 21

この目標を達成するためには、関節の炎症を効果的に抑制し、痛みや腫れといった症状を取り除き、関節破壊の進行を防ぐことが鍵となります。そのために、関節リウマチの治療では、「疾患活動性(病気の勢いや炎症の程度を示す指標)」を定期的に測定し、その結果に基づいて治療法を調整していくというアプローチ(Treat to Target: T2T)が基本となります 21。目指すべき治療目標は、症状がほとんど消失し、病気の進行が止まっている状態である「臨床的寛解」、あるいはそれに近い「低疾患活動性」です 22

疾患活動性を客観的に評価し、それに応じて生物学的製剤やJAK阻害剤といった効果の高い薬剤を適切に使用することで炎症をコントロールし、結果として関節の機能障害を防ぎ、QOLの低下を食い止めることができるのです 21

これらの例からも分かるように、特に慢性疾患の管理においては、QOLが治療の成否を判断する上で中心的な役割を担うようになっています。これは、医療の焦点が、単に病気を「治癒させる(cure)」ことだけを目指すのではなく、たとえ病気が完全に治りきらない場合であっても、症状を上手にコントロールし、疾患の活動性を低く抑え、患者さんがその病と「共に生きながら(coexist and manage)」、可能な限り質の高い、その人らしい生活を送ることを支援するという方向へと、パラダイムがシフトしていることを示しています。この「共生・管理」モデルにおいては、患者さん自身の主観的なQOLの評価が、治療戦略を立てる上で不可欠な羅針盤となるのです。

未来の医療とQOL:パーソナルヘルスレコード(PHR)との連携

患者さん中心の医療、そしてQOLの重視という流れは、情報技術の進展と共に新たな局面を迎えています。その一つが、「パーソナルヘルスレコード(Personal Health Record: PHR)」の活用です。

PHRとは?自分の健康情報を自分で管理する時代へ

PHRとは、個人の健康診断の結果、医療機関での受診歴、処方された薬剤の情報、予防接種の履歴といった、生涯にわたる保健医療情報を、電子的な記録として本人や家族がアクセスし、管理・活用できる仕組みのことです。従来、これらの情報は医療機関や健診機関ごとに分散して保管されており、患者さん自身が一元的に把握することは困難でした。PHRは、この情報を患者さん自身の手に取り戻し、主体的な健康管理を支援することを目指しています。

日本政府も、このPHRの整備と活用を積極的に推進しています。その目的は、国民一人ひとりの健康増進(一次予防)、病気の早期発見や重症化の予防(二次予防)、そして病気や障害を抱える人々の日常生活動作(ADL)やQOLの向上(三次予防)に貢献することにあります 23

既に、様々な形のPHRサービスが登場しています。例えば、以下のようなものがあります。

  • 病院で受けた検査結果や処方された薬の情報を、スマートフォンアプリなどで閲覧・共有できるサービス 24
  • 日々の体重、血圧、歩数、睡眠時間といったバイタルサインや生活習慣に関するデータを記録・管理し、グラフなどで可視化できる健康管理アプリ 24
  • がん患者さんが、治療中の体調変化や副作用を記録し、医療者と共有することで、より良いコミュニケーションと治療生活のQOL向上を支援するアプリ 24
  • 個人の医療・健康・介護に関する情報を時系列で一元的に管理し、本人の許可に基づき医療関係者が必要な情報を閲覧できるサービス 24

また、政府が運営するオンラインサービス「マイナポータル」を通じて、自身の薬剤情報、特定健診の情報、医療費通知情報などを確認することも可能になってきています 25。これらも広義のPHRの一環と言えるでしょう。

PHRとQOL:どうつながるの?

では、このPHRの普及は、私たちのQOL向上にどのようにつながっていくのでしょうか。いくつかの重要な関連性が考えられます。

  1. 自己管理能力の向上と行動変容の促進: PHRを通じて、自分自身の健康状態(例えば、血圧や血糖値の推移、服薬状況など)を継続的かつ客観的に把握できるようになると、健康に対する意識が高まります。これにより、食生活の改善、運動習慣の開始、禁煙といった、より健康的な行動変容が促されやすくなります 23。このような主体的な健康管理は、QOLの維持・向上に直接的に貢献します。
  2. 医療者とのコミュニケーションの質の向上: 診察時に、患者さんが自身のPHR情報(例えば、自宅での血圧測定記録や、他の医療機関での治療経過など)を医師と共有することで、医師はより多くの情報を基に、より的確な診断や治療方針の決定を行うことができます。また、患者さん自身も、自分の状態や希望を具体的に伝えやすくなり、医療者とのパートナーシップに基づいた、より満足度の高い医療が期待できます。
  3. 予防・未病・ヘルスプロモーションとの高い親和性: HR-QOLという指標は、前述の通り、「病気か健康か」という二元論ではなく、健康状態を連続的なものとして捉えます。この考え方は、PHRが目指す方向性と非常に親和性が高いと言えます。PHRが広く浸透し、日常的に活用されるようになれば、本格的な病気になる前の「未病」の段階や、健康な状態をさらに向上させる「予防」「ヘルスプロモーション」といった領域においても、個々人のQOLを意識したきめ細やかなサポートが可能になるでしょう。

PHR活用の課題と展望

PHRは大きな可能性を秘めている一方で、その普及と効果的な活用に向けては、いくつかの課題も存在します。

  • 情報セキュリティとプライバシーの保護: PHRには、個人の非常に機微な健康情報が含まれます。そのため、不正アクセスや情報漏洩を防ぐための徹底した情報管理体制と、高度なセキュリティ技術の確保が不可欠です。利用者が安心してPHRサービスを利用できる環境整備が求められます 23
  • ヘルスリテラシーの向上: PHRに記録された医療情報を正しく理解し、それを自身の健康管理に活かすためには、個人のヘルスリテラシー(健康情報を入手し、理解し、評価し、活用する能力)の向上が重要です。情報を提供する側も、分かりやすい言葉で解説したり、相談できる窓口を設けたりするなどの工夫が求められます 23
  • 情報の標準化と相互運用性の確保: 患者さんが利用するPHRサービスが多種多様になったり、医療機関のシステムが異なったりする場合でも、必要な情報をスムーズに連携・共有できる仕組みが必要です。そのためには、記録されるデータの形式や用語の標準化、システム間の連携を可能にするAPI(Application Programming Interface)の整備などが重要な課題となります 23

これらの課題を乗り越え、PHRが社会に広く普及し、誰もが当たり前のように自分の健康情報を活用できるようになったとき、医療のあり方はさらに大きく変わる可能性があります。それは、患者さんが単に医療サービスの「受療者」であるだけでなく、自らの健康に関する情報に主体的にアクセスし、理解し、それに基づいて医療者と共に意思決定を行い、日々の健康管理を能動的に行う「健康の主体的な管理者」へと変容していく未来です。

従来、医療に関する情報や意思決定の権限は、医療提供者側に偏在しがちでした。しかし、PHRの普及は、患者さんと医療提供者が情報を共有し、対等な立場でパートナーシップを築き、共同で健康目標の達成に取り組む「責任共有モデル」への移行を加速させるでしょう。このような変化は、患者さんのエンパワーメント(権限移譲、能力開花)を促し、真の患者中心の医療、そして一人ひとりのQOLを最大限に高める医療の実現に貢献するものと期待されます。

おわりに:アウトカムを理解することが、より良い医療への第一歩

本日のまとめ:アウトカムの多面的な世界

この記事では、医療における「アウトカム」という概念について、様々な角度から掘り下げてきました。最後に、本日の内容を簡単に振り返ってみましょう。

  • 「アウトカム」とは何か: 医療行為によってもたらされる、個人や集団の健康状態における変化のことであり、単なる「リザルト(結果)」とは区別される、より包括的で患者さんの生活に根差した概念であること。
  • アウトカムの種類: 客観的で明確な指標である「ハードアウトカム」(例:死亡率、5年生存率)と、患者さんの主観的な実感や体験を反映する「ソフトアウトカム」(例:QOL、疼痛スコア、患者満足度)の二つの側面があること。
  • 健康関連QOL(HR-QOL)の重要性: 特にソフトアウトカムの中でも、患者さんの身体的・精神的・社会的な側面を多角的に評価するHR-QOLは、患者さん中心の医療を実現する上で極めて重要な指標であること。EQ-5DやSF-36といった標準化された質問票を用いて測定されること。
  • アウトカム研究の役割: これらのアウトカム指標を用いて、どのような医療が本当に患者さんのためになるのか、より良い医療のあり方とは何かを科学的に探求する学問分野であること。Patient CentricityやPRO(患者報告アウトカム)といった考え方と密接に関連していること。
  • 未来の医療とアウトカム: PHR(パーソナルヘルスレコード)のような新しい情報技術の活用は、患者さん自身による主体的な健康管理を支援し、QOLの向上に貢献するツールとして大きな期待が寄せられていること。

読者の皆さんへのメッセージ:医療との関わり方を見つめ直すきっかけに

この記事を通じて、「アウトカム」という視点に触れていただいたことで、皆さんがご自身や大切なご家族のことで医療と関わる際に、少しでも新しい気づきがあればと願っています。

病気になったとき、私たちはどうしても「病気が治るかどうか」という点に最も関心が向きがちです。それは当然のことです。しかし、それと同時に、「どのような治療法があって、それぞれどのようなメリット・デメリットがあるのか」「治療を受けることで、自分の生活はどう変わる可能性があるのか」「自分にとって、何が一番大切で、どのような状態を目指したいのか」といったことを、医療者としっかりと話し合い、共に考えていくことが、納得のいく医療を受けるためには非常に重要です。

「アウトカム」、特に「QOL」という考え方は、そのような対話を深めるための共通言語となり得ます。医療は、私たち一人ひとりが、病気や障害の有無にかかわらず、より良く、より自分らしく生きることを支えるためのものです。この記事が、皆さんと医療との関係を、より豊かで実りあるものにするための一助となれば、これに勝る喜びはありません。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

引用文献

  1. 医療の質を評価する~ドナベディアンモデルの意味と事例,  https://resilient-medical.com/nurse-management/medical-quality-evaluation
  2. 知らないと騙される!臨床試験の「闇が深い」エンドポイント 8 選 ...,  https://evineko.com/med/dark-endpoints/
  3. 医療の成果に関する指標(アウトカム指標)及び 過程に関する指標(プロセス指標)の取扱い - 厚生労働省,  https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001u0or-att/2r9852000001u0tr.pdf
  4. アウトカム | 看護師の用語辞典,  https://www.kango-roo.com/word/6727
  5. アウトカムとは?アウトカムを活用するメリットから活用のポイントや業種別事例までを紹介 | オンライン研修・人材育成 - Schoo(スクー)法人・企業向けサービス,  https://schoo.jp/biz/column/1241
  6. 医療経済・アウトカムリサーチ(HEOR)とは?概要や考え方、目的について解説 - #068,  https://www.mdv.co.jp/ebm/column/article/68.html
  7. 論文の読み方 - 総論 - 糖尿病情報センター,  https://dmic.ncgm.go.jp/medical/070/010/souron.html
  8. Patient Centricityの 取り組み - 第一三共,  https://www.daiichisankyo.co.jp/files/investors/library/annual_report/index/VR2024/VR2024_JP_p33_34.pdf
  9. 日本におけるPatient-Centricity活動の展望について - COSMO,  https://cosmopr.co.jp/en/change-agent-qa-hatanaka-jp/
  10. 健康関連の生活の質 (HRQoL) の評価 - EUPATI Toolbox,  https://toolbox.eupati.eu/resources/%E5%81%A5%E5%BA%B7%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AE%E8%B3%AA-hrqol-%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A1/?lang=ja&print=print
  11. 政策研ニュース - 製薬協,  https://www.jpma.or.jp/opir/news/065/t7v9c900000003ak-att/t7v9c900000003b0.pdf
  12. 2021 年度 産業と技術の比較研究 報告書 - 商工会館,  https://shokokaikan.or.jp/jouhoukoukai/pdf/sangyo2021.pdf
  13. 地域住民の健康関連QOLに関する満足度の測定,  https://www.hws-kyokai.or.jp/images/ronbun/all/200308-2.pdf
  14. EQ-5D-3L ユーザーガイド - EuroQol,  https://euroqol.org/wp-content/uploads/2023/11/EQ-5D-3LUserguide-Japanese-23-07.pdf
  15. QOL向上に繋がるリハビリ:5つのQOL評価の種類とアウトカム(後編) - マイナビコメディカル,  https://co-medical.mynavi.jp/contents/therapistplus/workstyle/pt_column/3347/
  16. QOL(生活の質)とは?|意味・評価方法・QOL向上のためのヒント を解説 - Rehab Cloud,  https://rehab.cloud/mag/3506/
  17. SF36 ver 2質問票,  https://www.h.u-tokyo.ac.jp/patient/depts/jyoseisanka/pdf/pa_a_joseika02_healthcare_SF36ver2.pdf
  18. 重要臨床課題10 全身化学療法の適応|胃癌治療ガイドライン 第6版,  https://www.jgca.jp/guideline/sixth/003_10.html
  19. 「抗悪性腫瘍薬の臨床評価方法に関するガイドライン」について - PMDA,  https://www.pmda.go.jp/files/000243746.pdf
  20. 「心不全診療ガイドライン」全面改訂、定義や診断・評価の変更点とは/日本循環器学会,  https://www.carenet.com/news/general/carenet/60486
  21. 関節リウマチの活動性評価と 関節診察の方法,  https://chuo.kcho.jp/app/wp-content/uploads/2022/07/6277e3a12aa9c9d415e05bb2fda1cff0.pdf
  22. 関節リウマチの治療目標 | 関節リウマチ治療薬リンヴォック®を服用される患者さんへ,  https://rinvoq.jp/ra/goal.html
  23. 国民・患者視点に立ったPHRの検討における留意事項 ... - 厚生労働省,  https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000595941.pdf
  24. マンガで学ぶPHR(パーソナルヘルスレコード),  https://phr.or.jp/archives/2141
  25. PHRで自分の健康管理がよりスムーズに! - サワイ健康推進課,  https://kenko.sawai.co.jp/theme/202207.html

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