統計学 臨床試験

「効く」は気のせい?薬の真価を見極める臨床試験「盲検化」の力

2025年7月25日

新しい医薬品や治療法が私たちの手に届くまでには、長く、そして極めて厳格な科学的な道のりが存在します。その中心にあるのが「臨床試験」です。臨床試験は、単に新しい薬が「効くかどうか」を試す場ではありません。それは、その治療法が持つ真の有効性と安全性を、あらゆる不確かさの中から正確に見つけ出すための、科学的探求そのものです。この目的は、信頼できる科学的根拠、すなわちエビデンスを確立し、それに基づいて医療を進歩させることにあります 1

この探求には、行く手を阻む力が存在します。それは、人の期待や思い込み、観察の誤りといった、結果を真実から遠ざけてしまう可能性のある様々な要因です。科学の世界では、こうした結果の系統的な歪みを「バイアス」と呼びます。もし、ある薬が本当に効果があるのか、それとも「効果があるに違いない」という期待感が生み出した見せかけの効果なのかを区別できなければ、科学的妥当性は失われてしまいます。

この課題を乗り越えるために、科学者たちが編み出した最も強力な道具の一つが「盲検化」です。盲検化とは、試験の参加者である患者さんや、治療を行う医師たちが、誰が本当の薬を使い、誰が見た目や味はそっくりでも薬の成分を含まない「プラセボ(偽薬)」を使っているのかを知らない状態にすることで、先入観や期待というバイアスが結果に影響を与えるのを防ぐための手法です。

この記事では、なぜ臨床試験において盲検化がこれほどまでに重要視されるのか、その科学的な理由を深く掘り下げていきます。まず、結果を歪める力であるバイアスの正体を明らかにし、次に、人の心理が体に影響を及ぼす不思議な現象を探ります。そして、それらの課題に対する解決策としての盲検化の仕組み、その歴史的背景、そして科学的妥当性をいかにして確保するのかを詳しく解説します。この知識は、医療に関する情報を正しく理解し、より良い健康上の判断を下すための確かな指針となるでしょう。

結果を歪める見えざる力「バイアス」の正体

臨床試験の目的が「真実」を探求することであるならば、バイアスはその探求を妨げる最大の障害物です。バイアスとは、研究で得られた推定値と、本来あるべき真の値との間に生じる「系統的なずれ」を指します 2。これは、偶然によって生じる誤差とは根本的に異なります。偶然の誤差は、測定の回数を増やせば次第に小さくなっていきますが、バイアスは研究の設計そのものに起因する構造的な問題であるため、参加者の数をどれだけ増やしても解消されることはありません 3。この設計に根差したバイアスこそが、臨床試験の科学的信頼性を根底から揺るがしかねないものなのです。

バイアスは、研究の様々な段階で紛れ込む可能性があります。その性質を理解するために、大きく三つの種類に分けて考えてみましょう。

一つ目は「選択バイアス」です。これは、研究の対象となる人々を選ぶ段階で生じる偏りであり、比較されるグループ間に最初から不公平な差が存在してしまう状態を指します 4。例えば、特定の治療法を検証する研究に、比較的健康な人々ばかりが参加しがちであったり(健康労働者効果)、あるいは逆に、専門的な医療機関には重症の患者さんが集まりやすかったりする(紹介フィルターバイアス)といった状況が考えられます 2。もし、新しい薬を使うグループに偶然健康な人が多く集まり、プラセボを使うグループにそうでない人が多く集まってしまえば、薬の効果が過大に評価されてしまうかもしれません。これは薬の真の効果ではなく、単にグループ間の初期状態の違いを見ているに過ぎないのです。

二つ目は「情報バイアス」、あるいは測定バイアスとも呼ばれます。これは、データを収集する段階で生じる偏りです 4。例えば、治療内容を知っている医師が、新しい薬を投与されている患者さんに対しては、無意識のうちにより熱心に症状の改善を探したり、逆に副作用を軽く評価してしまったりすることがあります。これは「観察者バイアス」と呼ばれます 2。また、患者さん自身が、社会的に望ましくないとされる喫煙歴や飲酒歴を実際よりも少なく申告してしまう「報告バイアス」もこの一種です 2。このように、情報が不正確または不公平に収集されると、得られる結論もまた歪んだものになってしまいます。

三つ目は、これらとは少し性質が異なりますが、密接に関連する「交絡」という概念です。交絡とは、検証したい要因(例:薬の投与)と結果(例:病気の回復)の両方に関連する第三の因子が存在し、その影響によって二つの関係が誤って解釈されてしまう状況を指します 2。例えば、ある研究で「飲酒は腎臓病のリスクを高める」という結果が出たとします。しかし、よく調べてみると、飲酒習慣のある人々は同時に喫煙習慣を持つ割合も高かったとします。この場合、腎臓病のリスクを高めている真の原因は、飲酒ではなく喫煙かもしれません。この喫煙のように、本来の関係をかき乱す因子を「交絡因子」と呼びます。

これらのバイアスがもたらす最も深刻な問題は、その多くが研究のデザイン、すなわち計画段階で制御されなければならず、データ収集が終わった後で統計的な手法を用いて修正することが極めて困難であるという点です。特に選択バイアスと情報バイアスは、一度入り込んでしまうと後から取り除くことはできません 2。だからこそ、研究を始める前に、これらのバイアスをいかにして防ぐかという設計思想が、臨床試験の成否を分ける鍵となるのです。そして、その最も強力な防御策こそが、これから詳しく見ていく盲検化なのです。

期待と不安が生み出す不思議な効果

臨床試験の結果を歪めるバイアスの中でも、特に強力で普遍的なものが、人間の心理状態に根差しています。それは「この治療は効くに違いない」という期待や、「何か悪いことが起きるのではないか」という不安が、実際に身体的な変化を引き起こす現象です。この心と体の不思議な結びつきを理解することは、なぜ盲検化が不可欠なのかを知る上で欠かせません。この現象は、主に「プラセボ効果」と「ノセボ効果」という二つの側面から説明されます。

プラセボ効果は、ラテン語の「私は喜ぶであろう (I shall please)」という言葉に由来します 7。これは、薬としての有効成分を全く含まない偽薬(プラセボ)を服用したにもかかわらず、症状の改善といった好ましい効果が現れる現象を指します 8。例えば、不安感を訴える患者さんが、医師から「これは気持ちを落ち着ける薬です」と言われてミントのタブレットを渡されたところ、実際に不安が和らぐといったケースがこれにあたります 10。この効果の背景には、治療に対する患者さんの期待や、医療者への信頼感が深く関わっています。重要なのは、これが単なる「気のせい」ではないという点です。研究によれば、プラセボによる鎮痛効果は、脳内で痛みを和らげる「内因性オピオイド」という物質が放出されることと関連していることが示されており、明確な生理学的メカニズムを持つ実在の現象なのです 7

一方で、プラセボ効果と対をなすのが「ノセボ効果」です。これはラテン語の「私は害するであろう (I shall harm)」に由来し、プラセボの全く逆の現象を指します 7。つまり、薬理学的には無害な物質を服用したにもかかわらず、ネガティブな思い込みや不安から、頭痛や吐き気といった有害な作用(副作用)が現れることです 8。例えば、医師から新しい薬の副作用について詳細な説明を受けた患者さんが、その副作用を強く意識するあまり、実際にはプラセボを服用しているにもかかわらず、説明された通りの症状を経験してしまうことがあります 10

これらの効果は、臨床試験において極めて重要な意味を持ちます。新しい薬の真の有効性を評価するためには、その薬が引き起こす効果が、単なるプラセボ効果を上回るものでなければなりません 11。もしプラセボ効果を考慮しなければ、偽薬でも得られるような改善を、新薬の本当の効果だと勘違いしてしまうでしょう。

さらに近年の研究では、この二つの効果の力関係について、驚くべき可能性が示唆されています。それは、ノセボ効果の影響力は、プラセボ効果の約2倍にもなる可能性があるというものです 12。これは、治療に対するネガティブな期待が、ポジティブな期待よりもはるかに強く身体に影響を及ぼすかもしれないことを意味します。この知見は、臨床試験における盲検化の重要性を新たな次元で浮き彫りにします。盲検化は、薬の「有効性」を正しく測るためだけでなく、薬の「安全性」、すなわち副作用の発生率を過大評価してしまうリスクを防ぐためにも、より一層不可欠な手続きであると言えるのです。人の心が生み出すこれらの強力な効果を公平に評価し、その影響を取り除いて薬の真価を見極めること。それこそが、盲検化が果たすべき中心的な役割なのです。

「盲検化」という名の盾

バイアス、特に人間の期待や不安から生じるプラセボ効果やノセボ効果という強力な影響力に対して、科学が用意した最も洗練された防御策が「盲検化」です。これは、試験に関わる人々から「誰がどの治療を受けているか」という情報を隠すことによって、先入観が結果を汚染するのを防ぐための盾の役割を果たします。

盲検化の概念は、意外にも現代の研究所ではなく、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで、正統派の医療と、当時流行していた非科学的な治療法との間の論争の中から生まれました 13。例えば、1784年のフランスでは、目に見えない「動物磁気」という力で病を治すという「メスメリズム」の効果を検証するために、国王の委員会が目隠しをした被験者を用いた試験を行いました 13。その結果、被験者は実際に治療を受けたかどうかではなく、「治療を受けている」と信じ込まされた時にのみ効果を実感することが示されました。これは、客観的な事実と主観的な信念を切り分けるための手法として、盲検化が歴史の早い段階でその有効性を証明した例です。その後、この手法はホメオパシーなどの検証にも用いられ、徐々に科学的な手法として磨かれていきました 13。そして20世紀に入り、ドイツの臨床薬理学者たちによって体系化され、1970年代には米国食品医薬品局(FDA)が新薬承認の要件として二重盲検試験を求めるようになるなど、現代の臨床試験における「ゴールドスタンダード(黄金標準)」としての地位を確立したのです 13

盲検化は、その厳格さのレベルに応じて、いくつかの段階に分けられます。それぞれの段階は、特定の種類のバイアスを制御するために設計されています。

最も基本的な形態が「単盲検(たんもうけん)」です。これは、試験の参加者である患者さんだけが、自分が受けている治療が本物の薬なのかプラセボなのかを知らない状態で行われる試験です 16。この方法の主目的は、患者さん自身の期待や不安から生じるプラセボ効果やノセボ効果、そして症状の自己申告における報告バイアスを制御することにあります。

しかし、単盲検では、治療を行う医師や評価者は治療内容を知っているため、彼らの側にバイアスが入り込む余地が残ります。そこで、より厳格な方法として「二重盲検(にじゅうもうけん)」が広く用いられます。これは、患者さんに加えて、治療を行う医師、データを収集するスタッフなど、試験の実施に関わる人々も、誰がどの治療を受けているかを知らない状態で行う試験です 16。これにより、患者さん側のバイアスだけでなく、医師の先入観が評価に影響を与える「観察者バイアス」も同時に防ぐことができ、試験の客観性が飛躍的に高まります 19。このため、二重盲検試験は、新薬の有効性を科学的に証明するための最も信頼性の高い方法の一つと見なされています。

さらに厳格さを追求したものが「三重盲検(さんじゅうもうけん)」です。これは、患者さんと試験実施者に加え、収集されたデータを統計的に解析する担当者や、試験の経過を監視する委員会のメンバーまでもが、治療の割り付け情報を知らされない状態で行われます 20。これは、データの解釈や分析の段階で、無意識のうちに特定の結果を期待するような解析手法が選ばれてしまうといった、分析段階でのバイアスを防ぐことを目的としています 23

これらの盲検化を実現するためには、本物の薬とプラセボが、見た目、重さ、味、匂い、包装に至るまで、人間が識別できないほどそっくりに作られる必要があります 24。このように、盲検化は単なる手続きではなく、バイアスという見えざる敵から科学的真実を守るために、何重にも張り巡らされた精巧な防御システムなのです。その階層的な構造は、研究の各段階で発生しうる様々な脅威に的確に対応するための、科学の知恵の結晶と言えるでしょう。

なぜ盲検化は科学的妥当性の礎となるのか

これまで見てきたように、盲検化は臨床試験におけるバイアスを制御するための具体的な手法です。しかし、その重要性は単なる技術的な側面に留まりません。盲検化は、臨床試験という科学的営みの「妥当性」、すなわちその結果がどれだけ真実を反映しているかという根本的な価値を支える、まさに礎となる原則なのです。

盲検化されていない「非盲検(あるいはオープンラベル)」の試験と、盲検化された試験を比較してみると、その価値はより鮮明になります。非盲検試験では、患者さんも医師も、誰が新しい薬を使っているかを知っています。この知識は、試験のあらゆる側面に影響を及ぼす可能性があります。患者さんは、新しい薬への期待から、実際以上の効果を感じてしまうかもしれません(プラセボ効果)。あるいは、未知の薬への不安から、些細な体調の変化をすべて副作用として報告するかもしれません(ノセボ効果)。一方、医師も人間です。新しい薬の成功を願うあまり、無意識のうちにその薬を使っている患者さんの症状をより好意的に解釈したり、プラセボ群の患者さんへの関心が薄れたりするかもしれません(観察者バイアス)。このような状況では、たとえ薬に真の効果があったとしても、その大きさが期待や思い込みによって水増しされ、正確に測定することは極めて困難になります。

これに対して、厳格な二重盲検試験では、状況は一変します。患者さんは自分がどちらのグループにいるか知らないため、薬への期待値は両グループで均等になります。医師もまた、目の前の患者さんがどちらの治療を受けているか知らないため、すべての患者さんに対して公平かつ客観的な評価基準を適用せざるを得ません。この「誰も知らない」という状況を作り出すことで、プラセボ効果、ノセボ効果、観察者バイアスといった心理的な要因の影響が最小化され、二つのグループ間の差として現れるものが、純粋な「薬そのものの薬理学的な効果」であると、より確信を持って結論付けることができるのです。

この科学的な論理は、医薬品の承認審査を行う規制当局の考え方にも明確に反映されています。日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)が定める「臨床試験の一般指針」においても、盲検化は「試験結果に偏りを生じさせる危険性を減少又は最小化する重要な方法である」と明確に位置づけられています 16。これは、盲検化が単なる学術的な推奨事項ではなく、新しい薬が世に出るためにクリアすべき、公的な基準であることを意味します 25

さらに突き詰めると、盲検化の実施は科学的な正しさだけでなく、倫理的な要請でもあります。もし、不適切な設計の試験によって効果のない薬が「効果あり」と結論づけられれば、将来の患者さんを不利益に晒すことになります。逆に、優れた薬がノセボ効果によって「副作用が多い」と誤って判断されれば、世に出る機会を失ってしまうかもしれません。したがって、実行可能な限り最も厳格な科学的手法、すなわち盲検化を用いて真実に迫る努力を尽くすことは、臨床試験に参加してくれた被験者、そしてその結果を信じて治療を受ける未来のすべての患者さんに対する、研究者の倫理的な責任であると言えるのです。盲検化は、信頼できる医療を築き、人々の健康を守るという社会的な使命を果たすための、不可欠な基盤なのです。

盲検化の限界と、その先にあるもの

これまで盲検化が臨床試験における「黄金標準」であることを強調してきましたが、現実の世界では、その適用には限界や困難が伴うことも少なくありません。真に専門的な視点を持つためには、その輝かしい側面だけでなく、限界を正直に認識し、科学者たちがそれらをいかにして乗り越えようとしているかを知ることが重要です。

盲検化を維持する上での最も一般的な課題の一つは、薬そのものが持つ特徴によって、意図せず盲検性が破れてしまう「非盲検化」です。例えば、ある薬が特有の味を持っていたり、服用すると必ず特定の皮膚反応や心拍数の変化といった、誰の目にも明らかな副作用を引き起こしたりする場合があります。このような状況では、患者さんや医師は、自分がどちらの治療を受けているかを容易に推測できてしまい、盲検化の前提が崩れてしまいます。

また、そもそも盲検化の実施が物理的に、あるいは倫理的に不可能な場合もあります。例えば、外科手術と薬物治療の効果を比較する試験を考えてみましょう。手術を受ける患者さんは、自分が手術を受けたことを当然知っています。このような状況で、薬物治療群の患者さんに「偽の手術」を行うことは倫理的に許されません。同様に、特定の運動療法と何もしない場合を比較する際にも、盲検化は不可能です。

このような困難な状況に直面したとき、科学者たちはただ手をこまねいているわけではありません。彼らは独創的な解決策を考案しました。その代表例が「PROBE(Prospective, Randomized, Open-label, Blinded-Endpoint)法」と呼ばれる試験デザインです 1。この名前は、試験の四つの特徴、すなわち「前向きに(Prospective)」計画され、「無作為に(Randomized)」割り付けが行われるが、治療内容は「非盲検(Open-label)」であり、しかし最も重要な「評価項目(Endpoint)」の判定は「盲検化(Blinded)」して行う、ということを示しています。具体的には、患者さんと担当医は誰がどの治療を受けているかを知っていますが、その治療効果(例えば、心臓発作の発生や死亡など)を最終的に判定する評価委員会は、どの患者さんがどの治療を受けていたかを知らされない、という仕組みです。

ただし、PROBE法が科学的な妥当性を保つためには、極めて重要な条件があります。それは、評価項目が、判定者の主観が入り込む余地のない、客観的で明確な「ハードエンドポイント」(例えば死亡、心筋梗塞、脳卒中、あるいは血圧値のような検査数値)でなければならない、という点です 28。患者さんの「生活の質(QOL)」や「痛みの感覚」といった主観的な評価項目には、この方法は適していません。PROBE法の存在は、科学の世界が単なる規則の遵守(ドグマ)ではなく、状況に応じて最適な方法を模索する実用主義(プラグマティズム)を重んじていることを示しています。つまり、「常に二重盲検にすべし」という硬直した考え方ではなく、「いかなる状況でもバイアスを最小化する最善の努力をすべし」という根本原則が優先されるのです。これは、臨床試験の設計が、単純なチェックリストではなく、様々な要素を天秤にかける高度な判断の連続であることを物語っています。

最後に、個々の試験の設計をどれだけ完璧にしても防ぐことのできない、より大きな脅威についても触れておく必要があります。それは「出版バイアス」です 6。これは、肯定的な結果や劇的な効果を示した研究は学術雑誌に掲載されやすい一方で、期待外れの結果や「効果なし」と結論づけられた研究は、公表されずにお蔵入り(ファイル・ドロワー問題)になりがちである、という傾向を指します 6。このバイアスは、世の中に出回る情報全体を、実際よりも楽観的な方向に歪めてしまう危険性をはらんでいます。たとえ個々の試験が盲検化によって正しく行われていたとしても、肯定的な結果だけが選択的に私たちの目に触れるのであれば、医療全体の真の姿を見誤ってしまう可能性があるのです。これもまた、科学が常に向き合い続けなければならない、誠実さへの挑戦と言えるでしょう。

まとめ:信頼できる医療のために

この記事を通じて、私たちは新しい医薬品や治療法の真価を見極めるための科学的な旅路をたどってきました。その旅は、結果を歪める「バイアス」という見えざる力との絶え間ない闘いであり、特に人間の期待や不安が生み出す「プラセボ効果」や「ノセボ効果」という強力な心理的現象を乗り越える必要がありました。そして、この困難な課題に対する最もエレガントで強力な解決策が「盲検化」であることを学びました。

盲検化は、単盲検、二重盲検、三重盲検という階層的な防御システムを通じて、患者さん、医師、そしてデータ解析者といった、試験の各段階に関わる人々の主観や先入観を体系的に排除します。これにより、私たちは観察される効果が、思い込みによる見せかけのものではなく、薬そのものが持つ純粋な作用であると、高い確度で結論付けることができるようになります。この科学的妥当性の確保は、医薬品の承認審査を行う規制当局が求める公的な要請であると同時に、未来の患者さんの安全を守るための倫理的な責務でもあります。

もちろん、盲検化は万能ではありません。特有の副作用によって盲検性が破れたり、手術のようにそもそも適用が不可能であったりする限界も存在します。しかし、そのような場合でも、科学者たちはPROBE法のような独創的なデザインを考案し、「評価項目の判定を盲検化する」という形で、バイアスを最小化するという根本原則を追求し続けています。この姿勢は、科学が硬直した規則ではなく、真実を探求するための柔軟で知的な営みであることを示しています。

臨床試験における盲検化の重要性を理解することは、単に専門的な知識を得るということ以上の意味を持ちます。それは、私たちが医療情報の大海を航海するための、信頼できる羅針盤を手に入れることに他なりません。今後、新しい治療法に関するニュースや情報に触れた際には、ぜひ心の中でこう問いかけてみてください。「その研究は、どのように設計されたのだろうか?盲検化は行われていたのだろうか?」と。

この一つの問いかけが、情報の信頼性を見極めるための強力なツールとなります。盲検化という科学的原則に根差した批判的な視点を持つことこそが、不確かな情報に惑わされず、信頼できる医療を選択し、自らの健康について賢明な判断を下すための、最も確かな道標となるのです。

引用文献

  1. PROBE法は何を壊したか [J-CLEAR通信(41)] - 日本医事新報社,  https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=2
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  3. 交絡、誤差、バイアス、 その対処法 - ICR臨床研究入門,  https://www.icrweb.jp/mod/resource/view.php?id=2116
  4. バイアス | がん情報サイト「オンコロ」,  https://oncolo.jp/dic/bias
  5. 想定できるバイアスを定量化する(後藤温,井上浩輔,杉山雄大) | | 記事一覧 | 医学界新聞,  https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2022/3453_04
  6. 治験における統計:バイアス - EUPATI Toolbox,  治験における統計:バイアス - EUPATI Toolbox
  7. 3. 薬とドーピング:プラセボ反応とノセボ反応,  3. 薬とドーピング:プラセボ反応とノセボ反応
  8. www.bohseipharmacy.co.jp,  プラセボ・ノセボ効果とは?薬と疾患との関係について - 株式会社望星薬局
  9. プラセボ・ノセボ効果とは?薬と疾患との関係について - 株式会社望星薬局,  https://www.bohseipharmacy.co.jp/patient/cate03/post-40.html
  10. プラセボ(placebo)効果とノセボ(nocebo)効果について — 吉本 ...,  https://mcli.net/blog/2023/9/8/placebo-nocebo
  11. 治験のQ&A - 神戸医療センター - 国立病院機構,  https://kobe.hosp.go.jp/departments/clinicaltrial/topatient/clinicalqa.html
  12. 運動の効果やパフォーマンス向上における「プラセボ効果」や「ノセボ効果」の影響,  https://sndj-web.jp/news/003002.php
  13. 資料紹介:ランダム化比較試験の歴史(2),  http://pha.jp/shin-yakugaku/doc/W12-2.pdf
  14. 精神疾患の臨床試験におけるプラセボ反応の歴史 - ひだまりこころクリニック 栄院,  https://nagoyasakae-hidamarikokoro.or.jp/blog/history-of-the-placebo-effect/
  15. 二重盲検法 - Wikipedia,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E7%9B%B2%E6%A4%9C%E6%B3%95
  16. 臨床試験の一般指針 - PMDA,  https://www.pmda.go.jp/files/000156372.pdf
  17. answers.ten-navi.com,  ダブルブラインドテスト(DBT/二重盲検試験)とは | 製薬業界 用語辞典 | Answers(アンサーズ)
  18. 二重盲検試験 | 公益社団法人 日本薬学会,  https://www.pharm.or.jp/words/word00164.html
  19. 二重盲検試験(にじゅうもうけんしけん) | がん情報サイト「オンコロ」,  https://oncolo.jp/dic/doubleblind
  20. www.healthliteracy.jp,  http://www.healthliteracy.jp/shinrai/post_3.html#:~:text=%E4%BA%8C%E9%87%8D%E7%9B%B2%E6%A4%9C%E3%81%AB,%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
  21. 思い出しバイアス - 健康を決める力:ヘルスリテラシーを身につける,  http://www.healthliteracy.jp/shinrai/post_3.html
  22. 研究と出版におけるバイアスを避けるための盲検化(ブラインディング)の重要な役割 - Editage Blog,  https://www.editage.jp/blog/the-crucial-role-of-blinding-to-avoid-bias-in-research-and-publication/
  23. 臨床試験における盲検化の概念 - EUPATI Toolbox,  臨床試験における盲検化の概念 - EUPATI Toolbox
  24. 二重盲検法とは - JEITA,  https://home.jeita.or.jp/eps/emf_vdt/ref_files/double_blind.htm
  25. 医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令 - PMDA,  https://www.pmda.go.jp/int-activities/int-harmony/ich/0076.html
  26. ガイドライン | 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 - PMDA,  https://www.pmda.go.jp/int-activities/int-harmony/ich/0070.html
  27. 「臨床試験の一般指針」の改正について,  https://www.pmda.go.jp/files/000250244.pdf
  28. 実臨床に近い試験デザイン ~PROBE 試験~ 【第 52 回生物統計学】,  https://www.xn--79q34w.com/pdf/20210405.pdf

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