プライバシーについて、昨今は「忘れられる権利(right to be forgotten)」なども生まれたように、多くの人達の関心ごとの1つになっています。
SNSなどでの発言がデジタルタトゥーとして残ってしまうことや、ネットストーカーの心配など、テクノロジーや新サービスの普及により便利になる一方で、新たな心配事も生まれました。
日本でも、マイナンバーやマイナンバーカードの普及にあたり、プライバシーへの懸念が一つの障壁となっていたと考える人も少なくありません。
そんなプライバシーという考え方ですが、当然ながら原始時代には存在していませんでした。
プライバシーとは社会の情報化が進むにつれて、便利さの反動として生まれた懸念とともに育ってきた概念とも言えるでしょう。
今回は、その歴史について簡単に振り返ってみます。
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グーテンベルク活版印刷機の誕生
プライバシーに関する懸念は、情報の普及が始まった頃には既に存在していました。
そして、社会の情報化を急速に推し進めたのは、グーテンベルク活版印刷機でした。
活版印刷技術の何が画期的かといえば、「1対多数のコミュニケーション」いわゆるマスコミュニケーションを可能とした技術だということにあります。
それまでの情報伝達は、一対一、せいぜいが一対数十人~数百人に限られていたといえます。近所の井戸端会議や、学校の授業、講演会のようなライブイベントですね。
活版印刷技術は、その限られた伝達手段を大幅に変えました。何万と刷ってしまえば、一人が数万人に対して情報を伝えることが可能となったわけです。
さらには、文字として形に残るため、ライブイベントのように流れ去ってしまうものではなく、破いたり燃やさない限り、そこに残り続けることになります。
メモ書きのように個人差が生まれてしまうこともなく、情報が生成されたままの形で残り続けるというのは、当時においては破壊的なイノベーションだったことでしょう。
活版印刷技術により生じたプライバシーの危機
1450年頃の活版印刷技術の誕生に続き、さらなる破壊的イノベーションが起こりました。写真機の発明です。
ところが、この破壊的イノベーションには良い面だけでなく、負の側面もありました。
プライバシーの危機を生んでしまったのです。
情報が生成されたままの形で残り続けるというのは、「記憶」ベースだった人々にとっては異質なものだったとも想像できます。
「言った vs 言わない」の論争は今でもよく見られる光景ですが、活版印刷技術により大量に刷られた文字情報は頑として残り続けるため、記憶ではなく「記録」としての威力を発揮することになりました。
それは、「いずれ記憶から消えていくだろう」という常識が通用しなくなることを意味します。
口伝えで広まった噂はいずれ記憶から消えていくかもしれませんが、文字として残った場合、記憶から消えても記録として残り続けるため、再びその文字情報を目にすると記憶が蘇ってしまうことになります。
それは、報道された後に数年経っても記憶が呼び起こされてしまうということになり、著名人にとっても気持ちのいいものではないというのは想像に難くありません。
銀板写真の誕生
文字情報の大量コピーは活版印刷技術によって1450年頃には生まれていましたが、画像情報の大量コピーにはそれから400年ほどの時間を必要としました。
そして1839年、フランスの画家ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより、銀塩写真(ダゲレオタイプ)が発表されました。
銀塩写真は世界初の実用的写真投影法とされ、約10年後に発明される湿板写真法の登場までの間、最も普及したと言われます。
これにより、今のマスコミュニケーションの主な情報伝達技術である「文字情報の大量コピー」と「画像情報の大量コピー」が揃ったことになります。
今から約200年前のことですね。
こうして、活版印刷技術と写真技術の実用化により、様々な情報と形として残し、一対多数のマスコミュニケーションの仕組みが出来上がりました。
文字だけでなく、画像としても情報が残り、急速に広まることになったわけです。
新たなる脅威「コンピューター」の登場
そして1960年代に入ると、さらなるプライバシーの脅威が現れました。それこそ今まさに注目を集めている電子計算機、いわるゆコンピューターです。
メインフレームのコンピューターが一般に広く知られるようになったのは1960年代のことでした。
コンピューターの登場に伴い、活版印刷技術や写真技術とはまた異なるタイプのプライバシーの懸念がうかんでくることになりました。
そしてその懸念は今なお新たな視点や考え方を生み続けています。
なお、生体認証、システムセキュリティ、暗号化などを通じ、コンピューターはプライバシーの懸念の解決に役立つ可能性を持っているのは確かです。
ですが、コンピューターの登場当初は、活版印刷技術や写真技術と同等かそれ以上に、プライバシーに対する重大な脅威とみなされていました。
コンピューターがプライバシーに対してどの程度の脅威となり得るのかを知るために、過去のアメリカの事例を見てみましょう。
ここでは、アメリカにおける、報道の自由に関する最高裁判所の判例について見てみます。
この事例では、FBIのデータベース内の記録(特に犯罪歴リスト)が、開示対象から除かれるべきかどうか、が論点となりました。
プライバシーの観点と、公共の(潜在的な)利益を天秤にかけたわけですね。
重要なポイントは、そのFBIのデータベースは、これまで地元の郡裁判所でのみ保管されていた公的記録を集めて作られたに過ぎない、という点です。
公開情報の収集物だったわけです。
すなわち、この情報は全国の裁判所で公開されており、その情報を求めた人は誰でも入手できました。
ですが、その事例では、結局はFBIのデータベースは開示対象から除かれることになりました。
「1つの場所にコンピュータ化された形でそれらからの情報が存在している」という点が決め手でした。
というのも、いかに元々の情報が公開されていたとはいえ、簡単に入手できる類の情報ではなかったのです。
言い換えるなら、FBIのデータベース構築には沢山の労力が割かれていました。
裁判所のファイルや各地域の書庫、全国の地元の警察署の情報を検索し、整理しないとあのデータベースを作ることは出来ないわけです。
一方で、FBIが作り上げたデータベースが開示対象に含まれるとなると、その整理されたリストの開示請求が通れば、比較的用意にそのリストを入手出来ることになります。
両者の間には、労力という面でも、整理された情報が否かという面でも、大きな違いがありそうですね。
実際、プライバシーの懸念を引き起こすのは、まさにコンピュータ化された情報とは何かという点と、それらが何を可能にしたか、という点にあります。
では、コンピュータ化された記録がなぜプライバシーに関する新たな懸念を引き起こすのでしょうか。
いくつかの側面を列挙してみましょう。
- コンピュータ化された個人情報を収集することで、個人情報を含むデータベースを新たに作成することが技術的に可能になります。
- コンピュータ化されることにより、大量の情報収集を効率よく低コストで行うことができます。
- コンピュータを使えば、個人情報を簡単に多くの人に伝えることができます。
- コンピュータ化されることにより、これまでに収集されていた情報とは異なる種類の情報(購買情報、位置情報、サービス利用歴など)の収集を容易に行うことができます。
- コンピューターによって収集された情報が、以前とは異なる方法で利用され始めました。いわゆる「データや情報の二次使用」です。
コンピュータで収集される情報の量はプライバシーの懸念の質を変える可能性もあります。
また、情報の集中化により、プライバシーの懸念の質が変わる可能性もあります。
例えば、情報が集中して集まっているところをハッキング(クラッキング)することによって情報を盗む者が現れたりするかもしれません。
実際に日本でも、病院のデータを盗んで人質にとり、金銭を請求するような脅迫事件も報道されました。
情報を集めることはメリットも大きい一方で、そこが狙われるというリスクを抱えることにもなるので、相応の対策が必要になってくる点に注意が必要です。