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【日米欧・徹底比較】MSとMR、何が違う?医薬品営業の役割と未来

2025年8月3日

マーケティング・スペシャリスト(MS)と医薬情報担当者(MR)という二つの職種について深堀してみたいと思います。MSとMRの役割は、国によって様々です。

国によって異なる医療エコシステムに応じて、少しずつその役割が異なっているわけですね。日本、アメリカ、そしてヨーロッパを題材に、MSとMRの役割が変化する社会の中で、どう変化し、適応しているかを見ていきましょう。

本記事でお伝えしたいことは、医薬品の商業活動に従事する人々の役割、責任、求められるスキルは、各国の医療財政、規制の枠組み、市場文化によって決まる、ということです。この違いを知ることは、グローバルな医薬品産業を考える上で欠かせません。

日本の医薬品市場:安定とパートナーシップのシステム

まずは、国際比較の重要な基準となる日本のモデルについて、その歴史的背景に基づいた深い分析を行います。

日本の医療と薬価制度の基盤

日本の医療制度の根幹をなすのは、1961年に確立された国民皆保険制度と、政府が主導する薬価制度です。この歴史的な出来事が、安定的で予測可能、かつ全国一律の市場を創出しました。特に1961年の国民皆保険制度の導入は、医薬品市場の焦点を一般用医薬品から医療用医薬品へと大きく転換させ、現代につながる流通の姿を形作った極めて重要な岐路でした 1。この「安定・全国一律型」のシステムにおいて、医薬品の公定価格である薬価は国(政府)によって決定されます。

しかし、この安定性は諸刃の剣でもあります。当初、この制度は長期的な計画を可能にし、市場へのアクセスを保証するという点で製造業者にとって有益でした。ところが近年、この薬価制度が毎年改定される方針へと転換したことで、状況は変化しつつあります 2。毎年行われる薬価改定は、製造業者にとって予測可能な収益低下圧力となり、新たなリスク要因として浮上しています。この圧力は、製薬企業が新薬の事業性を評価する際に、将来の薬価引き下げを織り込んだ極めて厳格な分析を要求します。その結果、革新的で高価な新薬を日本市場で発売する魅力が相対的に低下し、海外での承認から国内での承認までに時間差が生じる「ドラッグ・ラグ」や、そもそも日本で新薬が発売されない「ドラッグ・ロス」といった問題を引き起こす可能性が指摘されています 4。このように、安定を目的として設計された制度そのものが、意図せずして最新の医薬品への患者アクセスを阻害しかねない戦略的リスクを生み出しているのです。

医薬品卸とMSの役割

日本の医薬品流通において、全国規模の巨大な卸売業者、いわゆる「メガ卸」は、独特かつ強力な地位を占めています。その歴史を遡ると、戦後の混乱期には全国に1200社もの卸売業者が乱立し、毎年多くの企業が倒産する不安定な状況が続いていました 1。この混乱を収拾するため、まず医薬品メーカー主導で、その後は卸売業者自身の自主的な判断によって合併が進められ、現在の効率的で全国を網羅する「メガ卸」体制が築き上げられました 1

このメガ卸の「顔」として、医療機関との最前線に立つのがMS、すなわちマーケティング・スペシャリストです。MSは単なる販売担当者ではなく、医療機関にとって不可欠な、多面的な機能を持つパートナーとして活動します。彼らの主な業務は、病院や診療所、薬局を訪問し、多種多様なメーカーの医薬品に関する情報提供、在庫や納期の調整、新薬や制度改正に関する伝達など、極めて広範囲に及びます 6。時には、医療現場が抱える経営上の課題について相談に乗るなど、コンサルタントとしての一面も持ち合わせています 7

MSという存在は、単に卸売企業の一員であるだけでなく、日本の医薬品エコシステム全体を支える構造的な柱であると言えます。なぜなら、MSの存在こそが、後述するMRが純粋な情報専門家として機能することを可能にしているからです。日本のMRは、物流、複数メーカーにまたがる在庫管理、価格交渉といった業務を行いません 9。では、何十ものメーカーから何千種類もの医薬品を必要とする病院や薬局にとって、これらの不可欠な機能は誰が担うのでしょうか。その答えがMSです。MSは、あらゆるメーカーの製品に関する「総合案内役」として、これらの複雑な業務を一手に引き受ける単一の窓口となります 7。したがって、日本のMRが持つ高度に専門化された非商業的な性質は、MSという広範な業務を担い、物流と関係構築に重点を置く職種がその空白を埋めているからこそ成立するのです。両者は、日本の制度が生み出した、いわば表裏一体の共生関係にあると言えるでしょう。

日本のMR:「プロパー」から情報専門家へ

日本のMRの役割は、時代と共に大きく変遷を遂げてきました。その起源は、1911年にスイスの製薬企業が日本で「プロパー」を募集したことに遡ります 9。プロパーという呼称は、ドイツ語の「Wissenschaftliches Propaganda(学術的宣伝)」に由来し、当初から医薬品の適正な使用と普及を目的とした学術情報の提供者として位置づけられていました。

しかし、国民皆保険制度の導入以降、医療用医薬品市場が飛躍的に拡大すると、企業間の販売競争が激化し、プロパーによる行き過ぎた販売活動が問題視されるようになりました 9。この状況を是正し、医薬品情報の提供者という本来の役割を徹底させるため、決定的な規制介入が行われました。1992年、当時の厚生省は、MRが納入価格の決定に直接関与することを禁止し、その役割を医薬品情報の提供活動に特化させる方針を明確に打ち出したのです 12

この規制は、MRの職務を根底から再定義するものでした。価格交渉という最も直接的な商業的手段を奪われたMRは、その存在価値を維持するために、新たな中核的能力を構築する必要に迫られました。それが、質の高い、公平な科学的情報の提供者としての専門性です。この新たな専門職としてのアイデンティティを確固たるものにするため、1997年には公正な第三者機関によるMR認定制度が導入され、資格を持つ専門家としての地位が確立されました 12

今日、日本のMRは、製薬企業の営業担当者というよりも、自社製品に関する学術的サポートを提供する「医療情報のプロフェッショナル」としての側面が強いのが特徴です。彼らの日常業務は、最新の臨床データを常に把握し、医療従事者との長期的な信頼関係を築くことに重点が置かれています。そこには、直接的な価格交渉のプレッシャーはありませんが、代わりに高度な専門知識と倫理観が絶えず求められるのです 14。日本のMRが持つこのユニークな専門性は、市場の失敗を是正し、倫理的な境界線を確立しようとした、断固たる規制介入によって意図的に形成されたものなのです。

二つの市場:アメリカとヨーロッパの比較

ここでは、日本のシステムとは対照的な、より市場主導型で多様な欧米の環境に視野を広げ、比較分析を行います。

アメリカ:競争と交渉の市場

アメリカの医療システムは、自由市場の原則、激しい競争、そして複雑で多層的な交渉によって特徴づけられます。ここには、日本の制度には直接的な類似物がない、強力なプレーヤーが存在します。それは、民間の保険会社、薬剤給付管理者(PBMs)、そして共同購入組織(GPOs)です。

特にGPOは、アメリカ市場の構造を理解する上で極めて重要です。アメリカでは、薬価は政府によって一元的に決定されるのではなく、製薬企業と、GPOのような強力な交渉団体との間で決定されます 17。GPOは、多数の病院の購買力を一つに束ねる「プーリング・アライアンス」として機能し、その規模の経済を背景にメーカーに対して価格引き下げを迫ります 17。近年では、公的保険であるメディケアでさえ、この価格交渉の領域に参入し始めています 20。この「分業・競争型」のシステムにおいては、製薬企業は医師だけでなく、保険会社やGPOといった組織とも直接向き合う必要があるのです 21

この構造は、日本のシステムとの根本的な違いを浮き彫りにします。日本の流通システムが「メガ卸」によって物理的な物流の効率化を追求する形で統合されたのに対し、アメリカのシステムは、多数の病院や保険会社といった買い手が分断されているがゆえに、交渉力を集約する必要性が生じました。その結果として生まれたのがGPOという、物流ではなく交渉力を提供する全く異なる種類の中間組織です。つまり、アメリカの医療システムにおける決定的な「仲介者」は、日本のMSのような物流の専門家ではなく、契約を専門とする交渉のプロフェッショナルなのです。この市場構造の根源的な違いが、アメリカにおける商業活動のアプローチ全体と、そこで求められる人材のスキルを規定しています。

アメリカのセールスレップ(SR)とメディカル・サイエンス・リエゾン(MSL)

アメリカの医薬品営業を担うのは、セールスレプリゼンタティブ(SR)と呼ばれる人々です。彼らの役割は、日本のMRとは根本的に異なります。SRは、医療機関やGPOと直接対峙し、価格や契約条件について積極的に交渉する、まさに商業活動のエージェントです。彼らの成功は、どれだけ有利な取引を成立させられるかによって測られます。さらに、アメリカでは患者に直接製品を宣伝する、いわゆるDTC(Direct-to-Consumer)広告が許可されており、これが商業戦略にもう一つの次元を加えています 22

ここで極めて重要なのが、商業活動を担うSRと、非商業的で科学的な情報提供に特化するメディカル・サイエンス・リエゾン(MSL)との間に設けられた、明確な「ファイアウォール」です。アメリカの医師はこの役割分担を理解しており、価格や契約といった商業的な話はSRと、そして臨床データや最新の研究といった科学的な議論はMSLと行います 23。SRの日常は、新規顧客への電話営業、広大な担当地域内の移動、そして顧客との関係構築に費やされ、そこには常に高い目標とプレッシャーが伴います 24

このSRとMSLの厳格な分離は、単なる業務効率化の問題ではありません。それは、訴訟リスクが極めて高いアメリカの規制環境における、重大なリスク管理戦略なのです。アメリカの医療業界では、適応外使用の推奨や不適切な利益供与に対する法的リスクが常に存在します 19。販売促進を目的とした会話と、純粋な科学的情報の交換が混在することは、規制当局から違法なプロモーションと見なされかねない「グレーゾーン」を生み出します。このリスクを最小化するため、企業は機能的な「ファイアウォール」を構築しました。SRは承認された効能・効果の範囲内での販売促進メッセージと商業条件について、一方でMSLは博士号などの高度な学位を持つことが多く、非商業的な深い科学的対話を行うための訓練を受けています。この役割分担は、企業が幅広いニーズを持つ医療専門家と関わりながら、コンプライアンス上の明確な境界線を維持することを可能にしているのです。

ヨーロッパ:多様で規制されたシステムのモザイク

ヨーロッパの医薬品市場は、単一の市場としてではなく、それぞれが異なる国民皆保険制度や規制を持つ、複雑なモザイク模様として捉えるべきです。そこでは「多様性」がキーワードとなります。

例えば、イギリスのシステムは国民保健サービス(NHS)が中心であり、国立医療技術評価機構(NICE)による厳格な費用対効果の評価が、新薬導入の可否を大きく左右します 28。ドイツはヨーロッパ最大級の市場規模を誇り、イノベーションを重視する傾向にありますが、同時に後発医薬品の使用を促進するための参照価格制度も導入しています 28。フランスでは、政府が薬価を強力に統制し、企業との間で厳しい価格交渉が行われます。また、贈収賄に関しても厳格な法律が定められています 28。そして、ヨーロッパのほとんどの国では、患者への直接広告(DTC広告)は禁止されており、医師との交流も厳しく規制されています 22

この状況は、「ヨーロッパのパラドックス」とも言うべき現象を生み出しています。欧州医薬品庁(EMA)は、EU全域で有効な単一の販売承認を与えます。これは一見、統一された市場の存在を示唆します。しかし、この承認は、個々の国でその医薬品の費用が公的保険から支払われること、すなわち「償還」を保証するものではありません。償還を得るためには、企業は各国の保健当局と個別に交渉しなければなりません。イギリスのNICEが求める費用対効果の証明、フランスの委員会が要求する臨床上の付加価値、ドイツの連邦合同委員会が評価する革新性など、国ごとに異なる基準を満たす必要があります 28。その結果、ある医薬品が法的には販売可能であっても、実質的にはその国で利用できないという状況が生まれるのです。この、承認は統一されているが市場アクセスは分断されているというパラドックスこそが、ヨーロッパ市場における最大の挑戦を定義しています。

ヨーロッパの営業担当者:複雑な網の目を航行する

ヨーロッパの営業担当者の日常業務は、こうした国ごとの規制、厳格な倫理規範、そして変化し続ける地域の市場力学という複雑な網の目を航行するプロセスです。彼らの役割は、担当する地域や国に応じて、洗練されたスキルの組み合わせを要求されます。彼らは、企業と医療専門家とを結ぶ重要なリンクとして、面会の約束を取り付け、プレゼンテーションを行い、特定の地域内で顧客との関係を構築します 30

彼らは、イギリスの贈収賄法やフランスの反贈答法といった、各国の特殊なルールを深く理解し、それに適応しなければなりません 28。その活動の焦点は、個々の医師の好みよりも、国や地域のガイドラインの範囲内で製品の価値を証明することに置かれることが多いです 22。この仕事には、広範囲にわたる移動、目標達成への強いプレッシャー、そして製品と臨床に関する深い知識が不可欠です 31。アメリカと同様に、商業的な営業担当者と科学的なMSLとの役割分担が進んでいますが、その連携のあり方はアメリカほど厳格ではない場合もあります 23

この環境は、ヨーロッパの営業担当者に、日本やアメリカの同業者とは異なる特殊な能力を求めます。彼らは、国境を越えるたびに、そのアプローチ、メッセージ、そして「価値」の定義そのものを根本的に変えることができる「文化的なカメレオン」でなければなりません。日本のMRが全国でほぼ同じ原則を適用できるのに対し、ヨーロッパの担当者は、ロンドンでは費用対効果を、パリでは臨床的な優位性を、そしてベルリンでは革新的な便益を語る必要があります 28。価値の定義自体が、イギリスでは経済効率、フランスでは臨床的付加価値、ドイツではイノベーションというように、国ごとに異なるのです。したがって、ヨーロッパの営業担当者は、画一的なアプローチを取ることはできず、各国の医療制度が持つ政治的、経済的、文化的な優先順位に深く精通していなければならず、その役割は極めて多角的で繊細なものとなっています。

戦略的必須事項とグローバルな挑戦

ここでは、分析のレベルを個々の役割から、それらがグローバルな医薬品産業の戦略に与える影響へと引き上げます。

各国の制度がグローバル戦略をいかに形成するか

各国の異なる医療エコシステムは、製薬企業が下す最も重要なグローバルな意思決定、すなわち研究開発(R&D)の優先順位、事業開発、そして新薬の発売順序などに直接的な影響を及ぼします。

医薬品開発には莫大なコストがかかるため、企業は投資収益率を最大化するための厳しい選択を迫られます。例えば、日本の毎年行われる薬価改定は、長期的な収益予測を困難にし、日本市場での新薬発売の優先順位を引き下げる一因となり得ます。これが「ドラッグ・ラグ」の一因とも指摘されています 2。一方で、巨大な市場規模と比較的迅速な承認プロセスを持つアメリカは、多くの場合、新薬の最初の発売国として選ばれます 34。ヨーロッパでは、イギリスのように厳格な費用対効果のハードルを設ける国や、フランスやスペインのように厳しい価格交渉を行う国では、新薬へのアクセスが遅れたり、限定的になったりすることがあります 28。これらの各国の制度が、新薬から期待される収益を直接左右し、ひいては企業全体のグローバルなR&Dおよび商業化戦略を形成するのです 35

新薬が世界で発売される順序は、決して無作為ではありません。それは、どの市場が最も価値があり、影響力が大きいと産業界が見なしているかを明らかにする、綿密に計算された戦略的な決定の反映です。新薬の特許期間は限られているため、企業はこの期間内に収益を最大化しようとします。そのため、彼らは大規模な患者人口、高い薬価設定の可能性、そして迅速な市場浸透という最良の組み合わせを提供する市場で最初に発売します。歴史的にも現在も、その市場は多くの場合アメリカです 34。最初の主要市場で達成された価格は、しばしば他の国々にとって非公式な「参照価格」として機能します。アメリカでの高い価格設定は、ヨーロッパや日本で比較的に高い価格を正当化する助けとなり得ます。したがって、典型的な発売順序、すなわちアメリカが最初で、次にドイツやイギリス、そして他のEU諸国や日本が続くというパターンは、この戦略的計算を直接反映しています。イノベーションを最も手厚く報いる国の制度が最初にアクセスを得る一方で、コスト管理を優先する国々は待たなければならない可能性があるのです。

進化する医薬品の価値提案

医薬品業界全体で、従来の単純な「製品の提供と販売促進」というモデルから、より包括的で、エビデンスに基づき、医療システム全体に統合された価値提案へと、戦略的な転換が進んでいます。

単に製品を宣伝するという旧来のモデルは、もはや十分ではありません 36。保険者や医療システムは、臨床試験データだけにとどまらない、実世界での価値の証明を求めています 37。これは、個々の製品だけでなく、医療システム全体のニーズを考慮した「顧客中心」モデルへの移行を意味します 38。新たな価値提案は、実世界での使用データに基づくエビデンス(RWE)に裏打ちされ、保険者や医療提供者にとっての便益を明確に示し、かつ多様な受け手に対して内容を調整する必要があります 36。これは、単に製品を販売することから、医療エコシステムにおける統合されたパートナーへと役割を進化させる動きなのです 39

この変化の先に見えるのは、製薬企業が単なる製品(錠剤)の製造業者から、統合された健康ソリューションとサービスの提供者へと進化する未来です。そこでは、物理的な製品は、より大きな提供価値の一部に過ぎません。医療システムが直面する中心的な課題は、「特定の薬が不足している」ことだけではなく、ある疾患の治療プロセス全体をいかに効率的かつ効果的に管理するか、という点にあります。一つの薬は、この問題の一部しか解決しません。真に価値のあるパートナーとは、診断の支援、患者のモニタリング、服薬継続のサポート、そして治療成績を改善するためのデータ分析などを通じて、システム全体に貢献する存在です 39。先進的な製薬企業はこの点を認識し、「製品を超えた(beyond the pill)」サービスへと事業を拡大しています 36。彼らは患者支援プログラムを構築し、診断ツールに投資し、データを用いて医療システムが患者集団を管理するのを助けています。このモデルにおいて、価値はもはや薬の作用機序だけに宿るのではなく、医療システムが「より良い治療成果をより低いコストで」という目標を達成するのを助ける、製品を取り巻く「サービス全体」に宿るのです。これは、根本的なビジネスモデルの変革と言えるでしょう。

倫理的側面と医薬品アクセスへの要請

医薬品の商業活動には、本質的に複雑な倫理的ジレンマが伴います。特に、価格設定、臨床試験の実施方法、消費者への直接広告、そして利益相反の可能性などは、常に厳しい倫理的精査の対象となります 42。利益を追求するという企業の目的と、生命を救う医薬品へのアクセスを確保するという社会的な要請との間には、根源的な緊張関係が存在します。

近年、この問題に対する国際的な関心は高まり、企業に対して医薬品へのアクセスを改善するよう求める圧力が強まっています。その象徴的な動きが、オランダに拠点を置く「医薬品アクセス財団(Access to Medicine Foundation)」が発表するATMインデックスです 44。このインデックスは、世界の主要製薬企業を、特に開発途上国における医療ニーズへの貢献度に基づいて順位付けするものです。企業は今や、アクセス改善への取り組みによって評価され、その結果は企業の評判や長期的な戦略に直接影響を与えるようになりました 44

この動きは、企業の社会的責任(CSR)と長期的な事業戦略が、もはや切り離せないものとして収斂しつつあることを示しています。開発途上国における医薬品アクセスの改善は、かつては企業の周辺的なCSR活動と見なされていました。しかし今日では、それは持続可能なグローバルビジネス戦略の中核的な要素へと変わりつつあります。その背景には、ESG(環境・社会・ガバナンス)を重視する投資家からの圧力、企業の評判リスク、そして将来の市場成長への期待があります。かつて開発途上国市場は、収益性が低いと見なされ、大手製薬企業のR&Dや商業活動の対象から外れがちでした 44。しかし、ATMインデックスのようなグローバルなイニシアチブや機関投資家からの働きかけが、この計算式を変えました 44。アクセスに関する企業の成績は、今やESG投資家にとって重要な評価指標の一つです。この指標での低い評価は、企業の評判を損ない、株価にさえ影響を及ぼす可能性があります。さらに、これらの新興経済国が成長するにつれて、それらは将来の巨大な市場を代表する存在となります。今日、インフラを整備し、関係を構築し、良い評判を築くことは、その未来の成長への長期的な投資となるのです。したがって、かつては倫理的な要請であったものが、今や戦略的な必須事項となりつつあります。企業はもはや単に医薬品を「寄付」するのではなく、持続可能なアクセス戦略を構築しています。なぜなら、それがグローバルな事業活動を続けるための「許可証」であり、将来のビジネスの成功に不可欠となりつつあるからです。

医薬品営業の未来:人間性と技術の融合

最後に、21世紀の専門職としてこれらの役割を再形成している力に目を向け、将来を考えてみましょう。

医薬品エンゲージメントのデジタルトランスフォーメーション

人工知能(AI)やデジタルツールは、MS、MR、SRといった営業担当者の日常業務に深刻な影響を与えています。これらの技術は、研究開発からマーケティング、営業に至るまで、医薬品のバリューチェーン全体に統合されつつあります 48。商業的な役割においては、これは従来の対面訪問中心の活動から、ウェブ会議やデジタルプラットフォームを組み込んだハイブリッドモデルへの移行を意味します 50。AIは、膨大なデータを分析して医師のニーズを予測し、提供するコンテンツを個別化し、エンゲージメント戦略を最適化するのに役立ちます 51。これにより、よりタイムリーで、的確で、効率的なコミュニケーションが可能になるのです 51

しかし、ここで重要なのは、AIの役割が人間の営業担当者に「取って代わる」ことではなく、彼らの能力を「拡張する」ことにあるという点です。AIは、営業担当者がより戦略的で、的を絞った、効果的な活動を行うことを可能にする強力な「洞察エンジン」として機能します。営業担当者が直面する重要な課題の一つは、適切なタイミングで、適切な医師に、適切な情報を提供することです。歴史的に、これは担当者の「勘と経験」や人間関係に依存していました 51。AIは、処方パターン、ウェブセミナーの参加履歴、電子メールの開封率、科学文献など、多様なデータソースを分析し、医師のニーズや関心事に関する非常に正確なプロファイルを生成することができます 51。AIは自ら訪問するわけではありません。そうではなく、人間の担当者に対して、「A医師は、特定の患者群における我々の新薬の安全性データに興味を持っている可能性が高い。関連資料はこちらです」といったような、訪問前の「ブリーフィング」を提供するのです。これにより、担当者は一般的な情報の伝達者から、的確な問題解決者へと変貌を遂げます。AIが「何を」話すべきかの洞察を提供することで、人間は共感、信頼、そして繊細な対話が求められる「どのように」「なぜ」という側面に集中できるようになるのです。

次世代の営業担当者:データ駆動型のコンサルタント

これらの役割の未来像は、単なる情報伝達者から、高度なスキルを持つデータ駆動型のコンサルタント、そしてエコシステムの調整役へと変貌を遂げる姿として描かれます。

未来のMRやSRには、新たなスキルセット、特にデータリテラシーと、実世界のエビデンス(RWE)を解釈し伝達する能力が不可欠となります 50。彼らの役割は、単純な販売促進から、医師をMSLや患者支援プログラムといった、自社のより広範なリソースへと繋ぐコーディネーターへとシフトしていくでしょう 51。彼らは自社製品についてだけでなく、地域の医療システム、病院の経営課題、そして個々の患者がたどる治療の道のりについても理解する必要があります 55。この変化は、結果として、より小規模で、より専門性が高く、より高度なスキルを持つ商業部門の人員構成へとつながる可能性が高いです 55

未来の医薬品営業担当者は、いわば「T字型」の専門家となるでしょう。Tの縦棒が示すのは、自らが担当する特定の治療領域における深い専門知識です。医学の複雑化、例えばゲノム医療や特殊な疾患領域の薬の登場は、担当者がその分野の深い科学的・臨床的知識を持つことを要求します。一方で、Tの横棒が示すのは、データ分析、医療経済、そしてシステム全体を俯瞰する幅広い水平的スキルです。価値に基づく医療エコシステムへの移行は、担当者が薬の科学的側面だけでなく、その経済的影響、治療経路における位置づけ、そして医療システムの目標達成にどう貢献するかを語れることを求めます。これには、電子カルテのデータを理解し、費用対効果を論じ、複雑な利害関係者間の地図を読み解くといった、幅広いビジネススキルが必要です 50。深い科学知識だけを持つ担当者は、システム全体に対する価値を証明できません。幅広いビジネススキルだけを持つ担当者は、臨床医からの信頼を欠きます。未来の専門家は、真のコンサルタントとして機能するために、この両方を兼ね備えた「T字型」人材でなければならないのです。

新たな医療エコシステムへの適応

医薬品の商業的役割は静的なものではなく、規制、経済、そして技術という力が収斂する中で、絶え間ない進化の過程にあることが明らかになります。

各国の制度が特定の役割を生み出し、グローバルな産業がより複雑な「価値」の定義へと移行し、そして技術が商業モデルの人間的要素を根本から再構築しているという構図が浮かび上がります。

これらの専門家、そして彼らが代表する企業の未来の成功は、彼らがこの変化に適応し、否定しがたい、エビデンスに裏打ちされた価値を提供できるかどうかにかかっています。彼らは、単なる製品の代表者であることを超え、ますます相互に接続され、患者中心となり、データが豊富になるグローバルな医療エコシステムの中で、不可欠で信頼されるパートナーとならなければなりません。2025年以降の日本の医療制度改革の議論が示すように、この進化の波は国内にも及んでおり、医療提供体制にはさらなる効率性、質、そして連携が求められています 57。かつての「プロパー」から未来の「パートナー」へ。これこそが、21世紀におけるこの専門職の物語を定義づけるものなのです。

引用文献

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  7. MS(医薬品卸販売担当者)とは?仕事や年収、転職について解説 - 薬読, https://yakuyomi.jp/career_skillup/work/01_034/
  8. MSの仕事内容は?やりがいや厳しさも紹介, https://karu-keru.com/info/job/ms/ms-work
  9. Ⅰ MR の使命と役割 1 MR の定義 A MR 誕生の歴史と本来の役割 わが国に、医薬品に関する情報, https://acmeded.co.jp/index.php/download_file/view/299/220
  10. MSとは?役割や特徴、なり方、MRとの違いなどを解説, https://karu-keru.com/info/job/ms/what-ms
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  12. 設立の歴史|MR認定センター, https://www.mre.or.jp/mre_info/history/
  13. MR認定制度創設から四半世紀 時代とともにMRは変化した | 編集部のオススメ | ミクスOnline, https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=75722
  14. MRの仕事は大変できつい?つらくて激務と言われる理由について解説 - 医療転職.com, https://www.iryo-tenshoku.com/column/detail.html&id=289
  15. MRの仕事はきつい?つらいや激務と言われている理由について解説 - マイナビ薬剤師, https://pharma.mynavi.jp/knowhow/workplace/mr-hard/
  16. 【MRになるためには】MR職の仕事内容ややりがいについて紹介 - Matcher(マッチャー), https://matcher.jp/dictionary/articles/39
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  54. 医療の変革を支える!MR(医薬情報担当者)の魅力と未来像 - KOTORA JOURNAL - コトラ, https://www.kotora.jp/c/66525/
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  57. 動き始めた医療介護制度改革。実現に何が必要か? - 三菱総合研究所, https://www.mri.co.jp/knowledge/opinion/2025/202505_1.html
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  59. 医療関連企業向け|医療政策トピックス(2025年5月・6月)~公定価格の引き上げ!ヘルスケア領域で骨太方針2025が示す方針は? - 日本経営, https://nkgr.co.jp/useful/enterprise-strategy-quality-122778/
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