現代の遺伝子医学の歴史を語る上で、サレプタ・セラピューティクス社は中心的な役割を担う企業の一つです。この企業は、単なる製薬会社という枠を超え、遺伝子治療分野の開拓者として、その名を刻んできました。特に、デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)や肢帯型筋ジストロフィー(LGMDs)といった、これまで有効な治療法が存在しなかった希少疾患に苦しむ患者さんたちにとって、サレプタ社は希望の光となってきました 1。その科学的探求の核となるのは、RNAを標的とする治療法と遺伝子治療という、二つの革新的な技術プラットフォームです 2。これらの技術を駆使し、サレプタ社は2023年までに4つの承認薬を世に送り出すという目覚ましい成果を上げています 1。
しかし、サレプタ社の歩みは、輝かしい成功だけで彩られているわけではありません。その道のりは、科学の最前線で活動する企業が必然的に直面する、厳しい試練と隣り合わせでした。画期的な新薬開発がもたらす希望の裏側には、生物学的な未知のリスクと、それを管理しようとする規制当局との複雑な関係性が常に存在します。特に、2025年の大規模な事業再構築は、サレプタ社が直面した困難の大きさを物語っています 2。この出来事は、同社の戦略に大きな転換を迫ると同時に、遺伝子治療という分野全体に重要な教訓を投げかけました。
本記事は、このサレプタ・セラピューティクスという企業の軌跡を、創業の黎明期から近年の戦略的転換に至るまで、多角的に整理し紹介することが目的です。その歴史、科学技術の基盤、承認された治療薬の詳細、その他の様々な出来事について、順を追って詳しく解説していきます。サレプタ社の物語は、革新的な科学技術が持つ大きな可能性と、それに伴うリスクとの間の関係を表しています。それは、希少疾患と闘う人々の人生に深く関わる、現代医学における一つの形とも言えるかもしれません。この記事を通じて、読者の皆様が精密遺伝子治療のフロンティアを切り拓く一企業の全貌を理解し、その未来を占うための一助となれば幸いです。
Table of Contents
黎明期からデュシェンヌ型筋ジストロフィーの希望へ
企業の誕生と探求の道のり
サレプタ・セラピューティクス社の物語は、1980年1月1日にアメリカ合衆国オレゴン州のコーバリスという街で始まります 1。この時、会社は「アンチバイラルズ社(AntiVirals, Inc.)」という名前で設立されました 5。その社名が示す通り、当初の焦点はウイルスの脅威に対抗することにありました。会社は成長の過程で何度か社名と拠点を変えることになりますが、これは単なる物理的な移転や名称の変更ではなく、企業の戦略とアイデンティティそのものが進化していく過程を象徴する出来事でした。
最初の大きな転換点は1997年に訪れます。この年、アンチバイラルズ社は株式公開を果たす直前に「AVIバイオファーマ社(AVI BioPharma, Inc.)」へと社名を変更しました 1。この時期のAVIバイオファーマ社は、まだ希少遺伝性疾患に特化していたわけではなく、より広範な疾患領域に関心を寄せていました。実際に2003年には、重症急性呼吸器症候群(SARS)やウエストナイルウイルスといった、当時世界的に注目されていた感染症の治療法開発に取り組んでいることを発表し、世間の注目を集めました 1。しかし、この時期の経営は決して順風満帆ではありませんでした。2009年7月の時点では、まだ商業製品を一つも開発できておらず、利益を上げるには至っていませんでした 1。同年の第2四半期には、1970万ドルもの損失を計上するなど、財政的には厳しい状況が続いていたのです 1。
このような状況の中、企業は再び大きな変革の時を迎えます。2009年7月、AVIバイオファーマ社は本社をオレゴン州ポートランドから、シアトル近郊のワシントン州ボセルへ移転することを発表しました 1。この移転は、企業が新たな方向性を模索し始めたことを示唆していましたが、真に決定的な変化は、その3年後に訪れます。
2012年7月、同社は二度目の本社移転を敢行し、拠点をアメリカ東海岸のバイオテクノロジー研究の中心地であるマサチューセッツ州ケンブリッジへと移しました。そして、この移転と時を同じくして、社名を現在の「サレプタ・セラピューティクス社」へと変更したのです 1。この一連の動きは、当時のCEOであったクリス・ガラベディアン氏のリーダーシップの下で進められました。彼が示した移転の動機は極めて明確でした。それは、希少疾患の分野で世界トップクラスの専門知識を持つ人材を獲得するためでした 1。西海岸の小さなアンチウイルス企業として始まった会社が、東海岸のバイオテクノロジーハブに拠点を移し、希少疾患に特化した企業として生まれ変わった瞬間でした。この戦略的な転換は、企業のアイデンティティを根本から再定義するものであり、その後の成功への道を切り拓く重要な一歩となりました。創業の地であったコーバリスの研究施設は2016年に閉鎖され、過去との決別を象徴する出来事となりました 1。そして2021年には、オハイオ州コロンバスに「遺伝子治療センター・オブ・エクセレンス」を新設し、筋ジストロフィー治療薬の研究開発をさらに加速させる体制を整えました 1。このように、サレプタ社の歴史は、絶え間ない自己変革と、より専門性の高い領域へと焦点を絞り込んでいく戦略的な進化であった、と見ることもできるでしょう。
RNAプラットフォームとエクソンスキッピングという革命
サレプタ・セラピューティクス社が希少疾患治療の分野で確固たる地位を築く上で、その根幹を成したのが、独自のRNAプラットフォームと「エクソンスキッピング」と呼ばれる画期的な治療アプローチでした。この技術を理解するためには、まず、その主要な標的であるデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)という病気が、遺伝子レベルでどのようにして引き起こされるのかを知る必要があります。
DMDは、ジストロフィン遺伝子の変異によって引き起こされる遺伝性の疾患です。ジストロフィン遺伝子は人体で最も巨大な遺伝子であり、エクソンと呼ばれる79個の部分から構成されています。遺伝情報は、これらのエクソンが正確な順序で連結されることによって、一つの完全な設計図として機能します。この設計図に基づいて、細胞はジストロフィンという、筋肉の細胞を正常に機能させるために不可欠なタンパク質を作り出します。ジストロフィンは、筋肉の細胞の構造を維持する役割を担っており、これが不足すると、筋肉の細胞は次第に損傷を受け、筋力が低下していきます。
DMDの患者さんの多くは、このジストロフィン遺伝子の中の一つ、あるいは複数のエクソンが欠けている「欠失変異」を持っています。遺伝子の設計図は、各エクソンが特定の連結部を持っており、隣り合うエクソンと正しくつながるようにできています。例えば、エクソン42はエクソン43と、エクソン43はエクソン44と、それぞれ決まった形で連結します。もし、エクソン43が欠失してしまうと、エクソン42はエクソン44と直接つながることができません。なぜなら、両者の連結部の形が合わないためです。この連結の失敗により、細胞のタンパク質製造装置は遺伝子の設計図を正しく読み取ることができなくなり、結果としてジストロフィンタンパク質の生産が完全に停止してしまいます。これがDMDの根本的な原因です。
この状況に対し、サレプタ社は新しい発想で挑みました。それは、巨大で複雑な遺伝子全体を置き換えるのではなく、既存の欠陥のある設計図を「修復」するというアプローチでした。そのために開発されたのが、ホスホロジアミデートモルフォリノオリゴマー(PMO)と呼ばれる独自のRNA技術です 6。PMOは、自然界に存在するRNAをモデルにして作られた合成分子ですが、その化学構造に工夫が凝らされています。RNAが五員環のリボース環を持っているのに対し、PMOは六員環のモルフォリノ環を持っています。また、環同士をつなぐ結合も、RNAのホスホジエステル結合ではなく、ホスホロジアミデート結合という特殊な形になっています。この独自の構造により、PMOは体内で分解されにくく、非常に高い安定性を持つという特徴があります 6。
このPMOを用いて、サレプタ社は「エクソンスキッピング」という治療法を確立しました。この手法の仕組みは、非常に巧妙です。まず、特定の変異に対して、標的となるエクソンに結合するようにPMOを設計します。このPMOが、タンパク質の設計図の元となるプレメッセンジャーRNAに結合すると、そのエクソンを覆い隠すことができます。すると、細胞内のスプライシング機構(エクソンをつなぎ合わせる装置)は、覆い隠されたエクソンを認識できなくなり、その部分を「スキップ」して、その前後のエクソンを直接つなぎ合わせるのです。「RNA Platform」テキストで解説されているように、先ほどの例で言えば、エクソン43の欠失によって読み取り不能になった設計図に対し、エクソン44をスキップさせるPMOを投与します。すると、エクソン42がエクソン45と直接連結され、設計図の読み取りが再開されるという仕組みです。
このエクソンスキッピングによって作られるジストロフィンタンパク質は、完全なものではありません。スキップされた部分が欠けた、短縮型のタンパク質です。しかし、この短縮型タンパク質は、重要な機能を部分的にでも保持しているため、筋肉の細胞の崩壊を食い止め、病気の進行を遅らせる効果が期待できます。これは遺伝子治療における一つのパラダイムシフトでした。欠陥のある遺伝子を丸ごと「交換」するのではなく、その遺伝情報の一部を巧みに編集して「修復」するという、より洗練されたアプローチの誕生であり、これがDMD治療に革命をもたらすことになったのです。
歴史を刻んだ治療薬たち:エクソン51、53、45を標的として
サレプタ・セラピューティクス社のRNAプラットフォームとエクソンスキッピング技術は、具体的な治療薬として結実し、DMD治療の歴史に大きな足跡を残しました。同社は、特定の遺伝子変異を持つ患者さんを対象とした3つの薬剤を次々と開発し、承認を取得することに成功します。これらの薬剤は、それぞれ異なるエクソンを標的としており、DMDコミュニティに新たな希望をもたらしました。しかし、その承認に至る道のりは平坦ではなく、科学的な議論と規制上の課題に満ちたものでした。
最初の成功例となったのは、エクソン51を標的とする「エテプリルセン(販売名:エクソンディス51)」です。この薬剤は、2016年9月19日に米国食品医薬品局(FDA)によって承認され、米国で初めてのDMD治療薬として歴史に名を刻みました 7。この承認は、DMD患者とその家族にとって画期的な出来事でしたが、その承認プロセスは異例のものでした。「迅速承認(Accelerated Approval)」と呼ばれる制度が適用されたのです 6。これは、重篤な疾患に対する薬剤について、臨床的な有用性を直接証明するデータが揃っていなくても、その有用性を合理的に予測できると考えられる「代理エンドポイント」に基づいて、早期に承認を与える制度です。エテプリルセンの場合、この代理エンドポイントとされたのが、治療を受けた患者の骨格筋におけるジストロフィンタンパク質の増加でした 7。しかし、この決定は大きな議論を巻き起こしました。なぜなら、確認されたジストロフィン量の増加は、非常に微量だったからです。ある研究では、長期治療後でも正常値の平均0.93パーセント程度にしか達しなかったと報告されています 10。このようなわずかな増加が、果たして本当に臨床的な改善につながるのか、科学界や規制当局内部でも意見が分かれました。結果として、エテプリルセンの承認には、市販後に臨床的有用性を検証する追加試験の実施が義務付けられるという条件が付されました 8。
次に登場したのが、エクソン53を標的とする「ゴロジルセン(販売名:ビヨンディス53)」です。2019年12月12日にFDAの承認を取得したこの薬剤も、エクソン53スキッピングが可能な変異を持つ患者さんを対象としています 11。ゴロジルセンもまた、エテプリルセンと同様に迅速承認の道をたどりました。承認の根拠となったのは、治療によってジストロフィンタンパク質の量がベースラインの約0.1パーセントから平均1.02パーセントへと増加したというデータでした 12。しかし、ゴロジルセンの承認プロセスもまた波乱に満ちたものでした。FDAは当初、安全性への懸念などを理由に、この薬剤の申請を一度は却下する「完全回答通知(Complete Response Letter)」を発行していました。サレプタ社は、この決定に対して異議申し立てを行い、その結果、FDAは判断を覆して承認に至ったという経緯があります 14。
そして3番目の薬剤として、2021年2月25日に承認されたのが、エクソン45を標的とする「カシメルセン(販売名:アモンディス45)」です 15。エクソン45スキッピングが可能な変異を持つ患者さんを対象としたこの薬剤の登場により、サレプタ社のPMO医薬品群はさらに強固なものとなりました 17。カシメルセンもまた、先行する2剤と同様に、ジストロフィンタンパク質の増加を根拠とした迅速承認であり、市販後の臨床的有用性の検証が継続的な承認の条件とされています 16。
これら3つの薬剤、エクソンディス51、ビヨンディス53、そしてアモンディス45は、それぞれDMD患者全体の約13パーセント、8パーセント、8パーセントを占める特定の遺伝子変異に対応する治療選択肢を提供しました 8。これにより、DMD患者のかなりの割合が、病気の根本原因に働きかける治療を受けられる可能性が開かれたのです。しかし、これらの成功の裏には、迅速承認という仕組みが内包する本質的なリスクが存在していました。サレプタ社は、代理エンドポイントに基づいて早期に市場参入し、収益を上げることができる一方で、常に市販後試験で真の臨床的有用性を証明しなければならないという、規制上の不確実性を抱え続けることになったのです。この高リスク・高リターンの戦略は、同社の経営の根幹を成すとともに、後の遺伝子治療プログラムにおける試練の前触れでもあったのです。
遺伝子治療への挑戦と直面した試練
新たなエンジン:AAVベクター遺伝子治療
RNAプラットフォームによるエクソンスキッピング治療で成功を収めたサレプタ・セラピューティクス社は、次なる領域として、より広範な患者層への応用が期待される遺伝子治療へと舵を切りました。これは、同社にとって第二の成長エンジンを構築するための重要な挑戦であり、その科学的アプローチはエクソンスキッピングとは根本的に異なります。
遺伝子治療の基本的な考え方は、機能不全に陥った遺伝子を「修復」するのではなく、正常に機能する新しい遺伝子のコピーを細胞に送り届けることで、失われた機能を「補う」というものです。この治療法を実現するためには、一般的に3つの主要な構成要素からなる「コンストラクト」と呼ばれる設計体が必要となります。第一に、治療用の遺伝子を標的の細胞まで運ぶための「ベクター(運び屋)」。第二に、運び込まれた遺伝子が目的の組織で正しく働くように指示を出す「プロモーター(スイッチ)」。そして第三に、治療効果を発揮する遺伝子そのものである「トランスジーン」です。
サレプタ社がこの遺伝子治療プラットフォームのために選択したベクターは、アデノ随伴ウイルス(AAV)でした。特に、筋肉細胞への親和性が高いという特性から、AAVrh74という血清型のウイルスが選ばれました 19。ウイルスと聞くと危険なイメージがあるかもしれませんが、遺伝子治療で用いられるAAVは、病原性を引き起こす部分を取り除き、安全に遺伝子を運搬できるように改変されています。
次にトランスジーンですが、DMDの原因であるジストロフィン遺伝子は非常に巨大であるため、そのままの形でAAVベクターの内部に収めることは物理的に不可能です。そこでサレプタ社は、「マイクロジストロフィン」と呼ばれる、遺伝子を大幅に短縮しながらも、タンパク質の重要な機能を持つ部分を維持した人工的な遺伝子を設計しました 20。このマイクロジストロフィン遺伝子をAAVrh74ベクターに搭載することで、DMD患者の筋肉細胞に、機能的な(短縮型の)ジストロフィンタンパク質を産生させることを目指したのです。
この新しいプラットフォームへの期待は大きく、サレプタ社は積極的な投資を行いました。2019年には、1億6500万ドルを投じて5つの遺伝子治療候補薬を取得するなど、開発パイプラインを急速に拡大しました 1。そして、この遺伝子治療エンジンはDMDだけに留まらず、複数のサブタイプが存在する肢帯型筋ジストロフィー(LGMD)の治療にも応用されることになります。具体的には、LGMDのサブタイプ2A、2B、2C、2D、2E、2Lを対象とした開発プログラムが推進されました。
この遺伝子治療というアプローチは、エクソンスキッピング治療法と比較して、非常に大きな魅力を持っていました。エクソンスキッピング薬は、特定の遺伝子変異を持つ患者さんにしか効果がありませんでした。しかし、マイクロジストロフィンを送り届ける遺伝子治療は、原因となる変異の種類に関わらず、理論上は全てのDMD患者に適用できる可能性を秘めていました。さらに、一度の投与で長期的な効果が期待されることから、「ワン・アンド・ダン(one and done)」、つまり一回完結型の治療法として、遺伝子医学の究極の目標とも言えるパラダイムを提示するものでした。この大きな可能性が、サレプタ社と投資家、そして患者コミュニティの巨大な期待を集めることになったのです。しかし、この輝かしい魅力の裏には、まだ完全には解明されていない課題が潜んでいました 21。
エレビジス(ELEVIDYS)
サレプタ社の遺伝子治療プラットフォームから生まれた最初の成果であり、同社の未来を象徴する存在と目されたのが、デランジストロゲン モキセパルボベク、販売名「エレビジス(ELEVIDYS)」でした。この薬剤の登場は、DMD治療における歴史的な光となりましたが、課題に突き当たることになります。
2023年6月、FDAはエレビジスを迅速承認し、史上初のDMD遺伝子治療薬が誕生しました 1。この最初の承認は、歩行可能な4歳から5歳のDMD患者に限定されたものでした。しかし、これは遺伝子治療の時代の幕開けを告げる画期的な出来事であり、サレプタ社にとっても、DMDコミュニティにとっても、長年の夢が実現した瞬間でした。さらにその翌年、2024年6月には、この承認範囲が大幅に拡大されます。歩行可能な患者に対しては「通常承認」が、歩行不能な患者に対しては「迅速承認」が与えられ、対象年齢が4歳以上の全てのDMD患者へと広がったのです 1。これはサレプタ社の遺伝子治療プログラムにおける最大の成功であり、企業価値を飛躍的に高める要因となりました。しかし、この輝かしい成功の裏側で、一つの課題が出てきました。この課題については現在進行中のため、ここでは深く触れないようにします。
戦略転換
2025年の再構築:痛みを伴う決断
遺伝子治療プラットフォームが直面した課題は、サレプタ・セラピューティクス社に抜本的な見直しを迫りました。その結果として下されたのが、2025年7月に発表された大規模な事業再構築という決断でした 3。この再構築は、単なるコスト削減策ではなく企業を生き残らせるためのものと見ることができるでしょう。
再構築計画の柱の一つは、大規模な人員削減でした。サレプタ社は、全従業員の約36パーセントにあたる、およそ500人の従業員を解雇することを発表しました 2。これは、多くの従業員とその家族の生活に影響を与える非常に厳しい措置でした。この人員削減と、後述するパイプラインの見直しを合わせることで、同社は2026年までに年間4億ドル以上の大幅なコスト削減を見込んでいます 3。
当時のCEOであるダグラス・イングラム氏は、この決断の背景について、企業の「長期的な存続可能性」を確保するために不可欠であったと説明しています。彼は、直面した困難な状況に適応せずに現状維持を続けることは「無責任」であると述べ、厳しい決断を下す必要性を強調しました 3。この言葉は、とある治療プラットフォームへの巨額の投資が、もはや企業の成長エンジンではなく、存続を脅かすリスクそのものに変貌してしまったという現実を浮き彫りにしています。
再構築のもう一つの重要な柱が、研究開発パイプラインの大胆な見直し、すなわち優先順位の変更でした。これは、とある治療プログラムのほとんどが、開発中止、あるいは一時停止されることになったというものです 28。これは、失敗した事業を切り離し、企業全体へのダメージの拡大を防ぐための措置でした。ただし、例外として、LGMDの一種であるタイプ2E/R4を対象とする遺伝子治療候補「SRP-9003」については、開発を継続し、生物学的製剤承認申請(BLA)を行う方針が示されました 32。
イングラムCEO自身も、この決断が「挑戦的で、予期せぬ、影響の大きな出来事」に直面した結果であることを認めています 25。サレプタ社は、かつて大きな夢を託した高リスク・高コストのフロンティアから、一時的に撤退せざるを得なくなったのです。それは、会社の収益基盤であるRNA医薬品事業を含む、企業全体を守るための苦渋の選択でした。
次なる地平、siRNAとアローヘッド社との提携
2025年の事業再構築は、単なる事業の縮小や撤退を意味するものではありませんでした。それは同時に、サレプタ・セラピューティクス社が未来に向けて新たな戦略的方向性を定める、重大な転換点でもありました。同社が次なる成長の核として見出したのが、「siRNA(低分子干渉RNA)」と呼ばれる技術プラットフォームであり、その実現のために、アローヘッド・ファーマシューティカルズ社との大規模な提携を締結しました 25。この動きは、教訓を基により持続可能でリスク管理された遺伝子医学のモデルへと移行しようとする戦略的転換でした。
まず、siRNAという技術の科学的背景を理解することが重要です。この技術は、サレプタ社がこれまで得意としてきたエクソンスキッピングや、挑戦に失敗した遺伝子治療とは、その作用機序が異なります。エクソンスキッピングが遺伝子の設計図(mRNA)を「修復」するのに対し、遺伝子治療は新しい遺伝子を「追加」するアプローチでした。一方、siRNAは「遺伝子サイレンシング(沈黙化)」という手法を用います 33。具体的には、体内に存在する「RNA干渉(RNAi)」という自然な仕組みを利用して、病気の原因となる特定のメッセンジャーRNA(mRNA)を見つけ出し、それを分解・破壊するのです 35。これにより、有害な、あるいは過剰に作られているタンパク質の生産そのものを抑制することができます 36。この治療法は、一回完結型ではなく、定期的な投与が必要な慢性疾患治療に近いモデルとなります。
このsiRNA技術を推進するため、サレプタ社はアローヘッド社と画期的な提携契約を結びました 37。これは小規模な提携ではなく、サレプタ社が多額の一時金と株式投資を行うことで、アローヘッド社が開発中の複数の臨床段階および前臨床段階のプログラムに対する独占的な権利を獲得するという、極めて大規模なものでした 37。この提携の核心は、アローヘッド社が持つ独自の「TRiM™プラットフォーム」という技術にあります 40。TRiM™は、siRNA分子を標的の組織へ効率的に送り届けるためのデリバリー技術であり、従来のsiRNA医薬が主に肝臓を標的としていたのに対し、筋肉や中枢神経系といった肝臓以外の組織へも薬物を届けることができる可能性を秘めています 33。
この提携により、サレプタ社の開発パイプラインは大きく変貌を遂げました。筋ジストロフィーというこれまでの中心領域から、筋強直性ジストロフィー、特発性肺線維症、ハンチントン病といった、より多様な疾患領域へとその対象を広げることになったのです 25。
このsiRNAへの戦略的転換は、リスクを多方面から低減させる(デリスキングする)ための、熟慮された一手であったと分析できます。第一に、生物学的なリスクの低減です。siRNAは合成された分子であり、より低用量で、繰り返し投与されるため、安全性の管理が比較的容易である可能性があります。第二に、商業的・ビジネスモデル上のリスク低減です。一回完結型の高額な治療法は、価格設定や保険償還の面で複雑な課題を抱えます。これに対し、定期的な投与が必要な慢性疾患治療薬は、製薬企業にとってより予測可能で安定した収益源となり得ます 40。そして第三に、研究開発上のリスク低減です。ゼロから新しいプラットフォームを構築するのではなく、アローヘッド社のTRiM™という、すでに実績のあるプラットフォームを導入することで 33、開発プロセスに伴う不確実性を低減させました。これは単なるパイプラインの入れ替えではなく、危機から得た厳しい教訓に基づいた、サレプタ社のリスクに対する考え方と企業体質そのものの、根本的な変革だったのです。
精密遺伝子治療の未来を担う企業の展望
サレプタ・セラピューティクス社のこれまでの歩みを振り返ると、それは精密遺伝子治療の歴史そのものを体現するような、光と影に満ちた物語であったことがわかります。同社は、DMDという難病に対して史上初の治療薬を届けたパイオニアとしての、揺るぎない功績を残しました 8。PMOプラットフォームから生まれた3つのエクソンスキッピング薬は、特定の遺伝子変異を持つ患者たちに、それまで存在しなかった治療の選択肢を提供し、希望の灯をともしました。この功績は、サレプタ社の歴史において、そしてDMDコミュニティの歴史において、永遠に記憶されるべきものです。
一方で、挑戦とそれに伴うエレビジスの悲劇は、同社にとって、そして遺伝子治療という分野全体にとって痛みを伴う教訓となりました。この出来事は、最先端技術が内包する現実のリスクを白日の下にさらし、その管理の難しさを浮き彫りにしました 20。しかし、この失敗から得られた貴重なデータと経験は、今後の遺伝子治療開発における安全性向上に、間違いなく貢献するでしょう。重要なのは、サレプタ社がこの危機に直面した際に、ただ立ち止まるのではなく、企業の存続をかけて大胆な戦略的転換を決断したことです。2025年の事業再構築とsiRNAプラットフォームへの転換は、逆境に適応し、失敗から学ぶという、企業の成熟と回復力を示すものでした 2。
その結果、2025年末のサレプタ社は、年初とは根本的に異なる企業へと変貌を遂げました。生物学的な現実と規制当局の厳しい判断によって、かつての野心的な姿勢は、より現実的で慎重なものへと変化したように見えます。危機は、同社に、遺伝子治療のフロンティアを猛進していた時期にはやや欠けていたかもしれない、戦略的な規律とリスク管理の重要性を教え込みました。
今後のサレプタ社の展望は、3つの異なるリスクプロファイルを持つプラットフォームによって支えられる、ハイブリッドな事業モデルに集約されます。第一に、承認済みのPMO医薬品群がもたらす、安定的で収益性の高い基盤事業。第二に、開発が継続されるLGMD遺伝子治療薬「SRP-9003」という、依然として高いリスクと大きなリターンを秘めたレガシープログラム。そして第三に、アローヘッド社との提携を軸とするsiRNAプラットフォームという、新たな成長エンジンです。この多角的なアプローチは、かつての純粋なバイオテクノロジーの破壊的イノベーターという姿から、将来の不確実性に対してより高い耐性を持つ、成熟した多角的なバイオ医薬品企業への進化を象徴しています。
サレプタ・セラピューティクス社は、これからも精密遺伝子治療の未来を形作る重要なプレーヤーであり続けるでしょう。その道のりは、一本道ではなく、バランスの取れたものになるはずです。この企業の次なる挑戦は、科学の進歩がいかにして厳しい現実と向き合い、それを乗り越えていくのかを示す、新たな道筋となるに違いありません。
引用文献
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- Sarepta faces new scrutiny after 3rd patient death - Fierce Biotech, https://www.fiercebiotech.com/biotech/3rd-patient-dies-following-treatment-sarepta-gene-therapy-reports
- Third death reported with a Sarepta gene therapy | pharmaphorum, https://pharmaphorum.com/news/third-death-reported-sarepta-gene-therapy
- Elevidys' future said to be on ice after Sarepta reports patient death from separate gene therapy - FirstWord Pharma, https://firstwordpharma.com/story/5982216
- Sarepta CEO: 'We Have, I Believe, a Very Laudable History of Being Extraordinarily Transparent' - MedCity News, https://medcitynews.com/2025/07/sarepta-gene-therapy-fatality-limb-girdle-muscular-dystrophy-ingram-srpt/
- Sarepta Slashes Staff, Maps Path Forward for Gene Therapy and Narrower Pipeline, https://medcitynews.com/2025/07/sarepta-restructuring-elevidys-muscular-dystrophy-gene-therapy-sirna-srpt/
- Fierce Biotech Layoff Tracker 2025: Struggling Sarepta lays off 500 staffers; GSK trims R&D team - San Diego Biotechnology Network, https://sdbn.org/san-diego-biotech-news/2025/07/17/fierce-biotech-layoff-tracker-2025-struggling-sarepta-lays-off-500-staffers-gsk-trims-rd-team/
- Sarepta Therapeutics Announces Strategic Restructuring and Pipeline Prioritization Plan to Maintain Long-term, Sustainable Growth and Provides Update on ELEVIDYS Label, https://investorrelations.sarepta.com/news-releases/news-release-details/sarepta-therapeutics-announces-strategic-restructuring-and
- Science & Innovation - Arrowhead Pharmaceuticals, https://arrowheadpharma.com/science-and-innovation/
- RNA Interference (RNAi) - Arrowhead Pharmaceuticals, https://arrowheadpharma.com/patients-caregivers/what-is-rnai/
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- Recombinant AAV as a Platform for Translating the Therapeutic Potential of RNA Interference - PubMed Central, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3982504/
- Arrowhead Pharmaceuticals Announces Global License and Collaboration Agreement with Sarepta Therapeutics for Multiple Clinical and Preclinical Programs, https://arrowheadpharma.com/news-press/arrowhead-pharmaceuticals-announces-global-license-and-collaboration-agreement-with-sarepta-therapeutics-for-multiple-clinical-and-preclinical-programs/
- Sarepta, Arrowhead Strike Global Collaboration Deal to Develop Treatments for Rare Genetic Diseases Affecting Muscles - Pharmaceutical Executive, https://www.pharmexec.com/view/sarepta-arrowhead-strike-global-collaboration-deal-develop-treatments-rare-genetic-diseases-affecting-muscles
- Arrowhead Pharmaceuticals Announces Global License and Collaboration Agreement with Sarepta Therapeutics for Multiple Clinical and Preclinical Programs - Business Wire, https://www.businesswire.com/news/home/20241126762896/en/Arrowhead-Pharmaceuticals-Announces-Global-License-and-Collaboration-Agreement-with-Sarepta-Therapeutics-for-Multiple-Clinical-and-Preclinical-Programs
- Soaring on Elevidys' success, Sarepta signs 13-product siRNA deal with Arrowhead, https://firstwordpharma.com/story/5916723
- Corporate Overview - Arrowhead Pharmaceuticals Inc., https://ir.arrowheadpharma.com/static-files/25007351-232f-400a-bc0e-0fd4e2906fe8
- Arrowhead Hosts R&D Day Highlighting Its Pipeline of RNAi Therapeutics, https://arrowheadpharma.com/news-press/arrowhead-hosts-rd-day-highlighting-its-pipeline-of-rnai-therapeutics/