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岐路に立つ日本の製薬業界


 

岐路に立つ日本の製薬業界

政府が迫る構造改革の深層と、企業が描くべき未来の姿

号砲:霞が関からのメッセージ

厚生労働省の水谷課長が発した「それぞれの企業が自分たちの方向性を見定めなければならない」という言葉。これは、長年続いた業界の慣習に終わりを告げ、新たな時代への移行を迫る、政府からの強力なメッセージです。各社の立ち位置が曖昧な「ぐちゃっとした」状態から脱却し、自らの価値を再定義する時が来たのです。これは、日本の医療と経済の未来を左右する、避けては通れない大改革の始まりを意味しています。

厚生労働省医政局の水谷忠由課長が発したメッセージは、単なる政策セミナーの一幕として片付けるにはあまりにも重い意味を持っていました 。彼が医薬品業界に向けて「それぞれの企業が自分たちの方向性を見定めていかなければいかない」と呼びかけた言葉は、長年にわたり独特のエコシステムの中で活動してきた日本の製薬企業にとって、時代の大きな転換点を告げる号砲となったのです 。  
この発言の背景には、一個人の見解をはるかに超えた、政府と与党による緻密に練られた国家戦略が存在します。水谷課長が講演で引き合いに出した自民党の「創薬力の強化育成等に関するPT」がまとめた提言は、まさにその設計図に他なりません 。さらに、当時の岸田首相が創薬エコシステムサミットで産業界に対し「構造改革が進められることを期待している」と明確に述べたことは、この動きが官邸主導のトップダウンのアプローチであることを裏付けています 。
これは、規制を司る厚生労働省、政策を立案する自民党、そして国政の舵を取る総理官邸が、三位一体となって業界の変革を促すという、過去に例を見ない強力な布陣が敷かれたことを意味します。水谷課長が指摘した、現在の業界の「ぐちゃっとしている」状態、つまり各社の立ち位置や戦略が曖昧なまま共存してきた時代は、もはや終わりを告げようとしています 。政府は、単なる緩やかな変化を求めているのではありません。これは、日本の製薬産業が国際競争の荒波を乗り越え、国民皆保険制度を持続可能なものとするための、避けては通れない大手術の始まりを告げるものなのです。  

製薬企業の進むべき道

これまでの「何でも屋」的なビジネスモデルは終わりを告げます。政府は企業に対し、自社の強みに基づいて、以下のいずれかの役割を担うよう促しています。

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真のグローバルファーマ

革新的新薬を自ら創出し、世界市場で戦う。巨額の投資とリスクを伴う、トップへの道。

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中堅新薬メーカー

海外の有望な薬を導入し、国内やアジアで展開。「ドラッグ・ラグ」解消に貢献する重要な役割。

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特化型プレイヤー

医薬品の製造(CMO/CDMO)や、特定の技術・領域に特化するバイオテックなど、専門性で勝負する。

政府が提示した未来図の中心にあるのが、自民党の「創薬力の抜本的強化に向けた提言」です 。この提言は、単に個別の課題に対処するのではなく、産業政策、経済安全保障、研究開発・製造拠点の強化、そして将来の感染症有事への備えという4つの柱を据え、日本の製薬産業全体を包括的に再設計しようとする壮大な構想です 。この構想が目指すのは、各企業が自らの強みと弱みを直視し、明確な役割を担うことで、産業全体として「筋肉質な構造」へと生まれ変わることにあります 。  
この新しい産業構造において、政府は製薬企業をいくつかの典型的なモデルに分類し、それぞれの進むべき道を示しています。
その頂点に立つのが、「真のグローバルファーマ」です。これは単に売上規模が大きい企業を指すのではありません。革新的な新薬を自ら創出し、それをグローバル市場で展開する研究開発力と販売網を兼ね備えた、世界と伍して戦える企業のことです 。巨額の研究開発投資とリスクテイクを厭わない経営判断が求められる、まさに選ばれし者の道と言えるでしょう。  
一方で、全ての企業がこの道を目指すことが現実的でないことも、政府は理解しています。そこで示されたのが、「中堅新薬メーカー」というもう一つの重要な役割です。水谷課長が強調したように、これは決して「グローバルファーマになれなかった敗者」を意味するものではありません 。むしろ、海外のバイオベンチャーなどが開発した有望な新薬の種(シーズ)を導入し、日本やアジア市場で開発・販売するという、極めて重要な役割を担う存在です。これは、海外で承認された薬が日本で使えない「ドラッグ・ラグ・ロス」の問題を解消する上で不可欠な機能であり、国策の観点からも高く評価されるビジネスモデルなのです 。  
さらに、これらのモデルに当てはまらない企業にも、活路は示されています。例えば、医薬品の製造に特化するCMO(医薬品製造受託機関)やCDMO(医薬品開発製造受託機関)への転換です。提言では、抗体医薬や遺伝子治療薬といった最先端の医薬品開発が日本で遅れた一因として、適切なCDMOが存在しなかったことが指摘されており、この分野の育成は急務とされています 。あるいは、特定の技術や疾患領域に特化したバイオテック型のビジネスモデルも、有力な選択肢として挙げられています 。  
これらの選択肢が示すメッセージは極めて明快です。これまでのように、国内市場を主な舞台とし、新薬開発と長期収載品(特許切れの先発医薬品)の売上に依存するという、いわば「何でも屋」的なビジネスモデルが許容される時代は終わったのです。政府は、各企業に対し、自社のリソースと将来性を冷徹に分析し、「我社は何で価値を生み出すのか」という根本的な問いに対する答えを出すよう、強く迫っています。これは、日本の製薬業界全体に、痛みを伴う自己変革と戦略的な選択を促す、構造改革の核心と言えるでしょう。

一時代の終焉:薬価改革という「強制スイッチ」

なぜ今、改革が必要なのでしょうか。その最大の理由は、薬価制度の抜本的改革にあります。かつて製薬企業の安定収益源であった「長期収載品」(特許切れの薬)は、制度改革によって収益性が急激に低下しています。

もはや古いビジネスモデルにしがみつくことは許されません。企業はイノベーションへの挑戦、つまり新薬開発へと舵を切ることを強制されているのです。

政府が製薬企業に戦略的な選択を迫る上で、最も強力な武器となっているのが薬価制度の抜本的な改革です。これは単なる医療費抑制策ではありません。企業の収益構造に直接介入し、旧来のビジネスモデルを根底から覆すことで、新たな産業構造へと強制的に移行させるための、極めて意図的な「産業政策」なのです。
かつての日本の製薬業界では、特許が切れた後も「長期収載品」として安定した収益を上げ続けることが可能でした。この収益が、リスクの高い新薬開発や国内の巨大な営業組織を維持するための、いわば「安全装置」として機能していました。まさに提供された資料にあるように、「これまでと同様に特許が切れた後も長期収載品で稼げていれば、こういう議論は出なかった」のです [まとめ]。しかし、政府はこの収益源を断つことで、企業を安住の地から追い立てようとしています。
そのための具体的な仕組みが、G1・G2ルールやZ2ルールといった、長期収載品の薬価を段階的に後発医薬品(ジェネリック)の価格水準まで引き下げる一連の制度です 。さらに決定的だったのが、2024年10月から導入された「選定療養」制度です 。これは、後発品があるにもかかわらず患者が先発品を希望した場合、その価格差の一部を患者自身の負担とするものです。これにより、これまで医師や薬剤師の裁量に委ねられていた後発品への切り替えが、患者自身の経済的インセンティブによっても加速されることになりました。  
これらの改革は、時に「価格逆転現象」という奇妙な事態を引き起こしています 。長期収載品の薬価が強力に引き下げられた結果、先発品であるはずの薬の公定価格が、その後発品よりも安くなるという現象です。これは、従来の「先発品は高く、後発品は安い」という常識を覆し、医療現場に混乱をもたらすと同時に、長期収載品に依存するビジネスモデルがいかに不安定なものになったかを象徴する出来事と言えます。  
その影響は甚大です。2025年度の改定では、選定療養の対象となる長期収載品の約半数が二桁の薬価引き下げに見舞われ、中には20%を超える引き下げを受ける品目も存在します 。これは企業の収益を直撃し、もはや長期収載品を主力事業として維持することは困難であることを明確に示しています 。  
ここに、政府の巧みな戦略が透けて見えます。長期収載品という「旧世界」の収益性を徹底的に破壊する「プッシュ(押し出し)」要因を作り出す一方で、提言では真に革新的な新薬に対しては薬価で手厚く評価する「メリハリの効いた」制度を志向しています 。これは、企業をイノベーションという「新世界」へと誘う「プル(引き込み)」要因となります。つまり、薬価制度は、企業の行動様式を根底から変えるための、強力なインセンティブ操作の道具として機能しているのです。これは、日本の製薬業界にとって、まさに時代の終わりと始まりを告げる、静かな、しかし決定的な革命なのです。  

生き残りを賭けた、ビジネスモデルの選択

新たな産業構造の中で、企業は自社の進むべき道を明確にしなければなりません。その戦略は、事業のポートフォリオに如実に表れます。

「真のグローバルファーマ」と「中堅新薬メーカー」の事業投資は典型的に異なります。一方は巨額の研究開発費を投じて自社創薬を目指し、もう一方は海外からの製品導入(ライセンス)に重点を置きます。どちらが正しいというわけではなく、自社の体力と戦略に合った道を選ぶことが、生き残りの鍵となるのです。

政府が示した厳しい現実と新たな未来図を前に、日本の新薬メーカーは今、まさに自社の将来を左右する重大な岐路に立たされています。各社が下す決断は、産業全体の勢力図を塗り替える可能性を秘めています。その戦略は、大きく分けていくつかの典型的なパターンに集約されつつあります。

ケーススタディ1:武田薬品工業 ― グローバル化への巨大な賭け

「真のグローバルファーマ」への道を最も象徴的に突き進んでいるのが武田薬品工業です。約7兆円という巨額を投じたアイルランドの製薬大手シャイアーの買収は、その象徴的な一手でした 。この決断の背景には、薬価引き下げ圧力にさらされる国内市場から脱却し、希少疾患などの成長領域でグローバルな競争力を確保するという明確な戦略がありました 。しかし、この道は決して平坦ではありません。買収によって巨額の有利子負債を抱え、その返済のために祖業とも言える事業や資産の売却を余儀なくされました 。武田薬品の歩みは、「真のグローバルファーマ」を目指すという選択が、企業の存亡を賭けたハイリスク・ハイリターンな挑戦であることを物語っています。  

ケーススタディ2:中外製薬 ― 共生による独自のグローバル戦略

一方で、全く異なるアプローチでグローバルな成功を収めているのが中外製薬です。スイスの巨大製薬企業ロシュとの戦略的アライアンスは、世界でも類を見ないユニークなビジネスモデルとして知られています 。中外製薬は、ロシュ・グループの一員でありながら経営の独立性を維持し、自社の強みである革新的な創薬研究に集中することができます 。そして、生み出した新薬はロシュの強力なグローバル販売網を通じて世界中の患者に届けられ、逆にロシュが生み出す有望な新薬は日本市場で独占的に販売する権利を得ています 。これは、自前で巨大なグローバルインフラを構築することなく、提携によってグローバルな価値創造を実現するという、極めて洗練された戦略です。  

「中堅新薬メーカー」の現実的な活路

武田薬品や中外製薬のような道を全ての企業が選べるわけではありません。そこで現実的な選択肢として浮上するのが、政府が重要な役割として位置づける「中堅新薬メーカー」としての生き残りです。その中核戦略は、海外の有望な医薬品を導入(ライセンスイン)し、日本やアジア市場で開発・販売することです 。このモデルは、国内のドラッグ・ラグ解消という社会貢献と、自社の収益確保を両立させる、非常に合理的な選択と言えます 。すでに多くの企業が、特定の疾患領域に特化したり、海外からの製品導入によってパイプラインを強化したりする動きを加速させています 。  

これらの動きが示唆するのは、日本の製薬業界が「バーベル構造」へと変化していく未来です。一方の極には武田薬品や中外製薬のような巨大なグローバル企業が位置し、もう一方の極には特定の機能や領域に特化した専門性の高い企業群(中堅新薬メーカーやCDMOなど)が形成される。そして、その中間にいた、特徴の曖昧な「国内準大手」のような企業は、どちらかの極へと向かうことを余儀なくされ、その過程で業界再編や事業の選択と集中がますます活発化していくことになるでしょう。

土台の再構築:後発医薬品業界の大再編

新薬メーカーの改革は、後発医薬品(ジェネリック)業界の健全化なくしては成り立ちません。約190社が乱立する現在の構造は、慢性的な供給不安の原因となっています。

市場シェアは上位企業に集中しているものの、非常に多くの企業が存在し、非効率な「少量多品目生産」から抜け出せずにいます。政府は「アメとムチ」で業界再編を強力に後押ししており、企業の連携や統合(コンソーシアム構想など)が、今後の安定供給と品質向上に不可欠です。

新薬メーカーの構造改革と並行して、もう一つの巨大な地殻変動が後発医薬品(ジェネリック)業界を襲っています。この二つの改革は、実は密接に連動しており、片方の成功なくしてもう片方の成功はあり得ない、いわば車の両輪の関係にあります。
日本の後発品業界は、長らく約190社もの企業が乱立する「少量多品目生産」という構造的な問題を抱えてきました 。その結果、慢性的な供給不安や、一部企業による品質不正問題が頻発し、国民の信頼を大きく損なってきました 。政府が長期収載品から後発品への切り替えを強力に推進する上で、その受け皿となるべき後発品業界がこのような脆弱な状態であっては、政策そのものが成り立ちません。したがって、後発品業界の構造改革は、日本の医療制度改革全体の成否を握る、極めて重要な課題なのです。  
この課題に対し、政府は水谷課長の言葉を借りれば「アメとムチ」を使い分けることで、強力に再編を促しています 。  
「アメ」としては、業界再編を資金面で支援する基金の創設や、企業間の連携や品目統合を円滑に進めるための独占禁止法に関するガイドラインの整備などが挙げられます 。これは、企業が再編に踏み出しやすい環境を整えるための支援策です。  
一方、「ムチ」として機能するのが、後発品企業の品質管理や安定供給体制を評価し、その結果を公表する「企業指標」の導入です 。これにより、対応の遅れた企業は市場からの評価を失い、自然淘汰の圧力を受けることになります。
こうした政府の強い意志を背景に、業界内でも具体的な動きが始まっています。その象徴的な例が、Meiji Seika ファルマとダイトが打ち出した「新・コンソーシアム構想」です 。これは、複数の企業が連携し、重複する品目の生産を集約し、ブランド(屋号)を統一することで、生産効率と品質管理レベルを抜本的に向上させることを目指すものです 。この構想は、まさに政府が求める「自律的な構造改革」への、業界からの具体的な回答と言えます。サワイグループホールディングスが提唱する生産受託モデルなど、他のアプローチも模索されており、業界全体が生き残りをかけて最適解を探し始めたことは間違いありません 。  
これは、単に後発品業界内の問題にとどまりません。信頼性の高い後発品が安定的に供給される体制が確立されて初めて、政府は安心して長期収載品の薬価を引き下げ、新薬メーカーにイノベーションへの集中を促すことができるのです。つまり、後発品業界の再編は、日本の製薬産業エコシステム全体を健全化するための、不可欠な土台作りなのです。

未来は、決断した者から変わる

今、日本の製薬業界は、歴史的な転換点に立っています。厚生労働省や自民党から発せられるメッセージは、もはや単なる提言や要望の域を超え、明確な国家の意志として産業界に突きつけられています。長期収載品に依存した安定的だが成長のないビジネスモデルは、薬価制度という強力な政策ツールによって意図的に解体されつつあり、もはや過去のものとなりました。
提供された資料にあるように、「こうなってくると早めに手を打った会社が先に新しいポジションで優位になる」という直感は、まさに的を射ています [まとめ]。政府が示した「真のグローバルファーマ」、「中堅新薬メーカー」、あるいは「CDMO」といった新たな役割分担の中から、自社が進むべき道をいち早く見定め、大胆な経営判断を下した企業が、次代の勝者となるでしょう。その決断が遅れれば遅れるほど、選択肢は狭まり、厳しい状況に追い込まれることは避けられません。
この変革の道のりは、多くの企業にとって痛みを伴うものになるはずです。しかし、この荒療治の先には、より強靭で革新的な産業構造への希望が見えます。政府が目指すのは、医薬品を単なる「社会的コスト」として捉えるのではなく、国民の健康と経済成長を支える「社会への投資」として位置づける未来です 。その実現のためには、産業界自身が旧来の殻を破り、強い覚悟を持って変革に取り組むことが不可欠です 。今この瞬間も、各社の経営陣は、自社の未来を賭けた重い決断を迫られています。その決断の一つひとつが、これからの日本の製薬業界の姿を形作っていくのです。その動向から、一瞬たりとも目が離せません。

日本の製薬業界は、歴史的な転換点を迎えています。古い慣習はもはや役に立ちません。政府が示した新たな役割の中から自社の進むべき道を見定め、迅速かつ大胆な決断を下した企業こそが、次代の勝者となるでしょう。変革の痛みは避けられませんが、その先には、より強く、革新的な産業の姿が見えています。今、この瞬間も、各社の未来を賭けた決断が下されようとしているのです。

 

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