東証プライム市場。そこには、日本の産業を代表する数多の企業が名を連ねています。しかし、その中でも、私たちの「生命」と「健康」という、最も根源的な価値に直接関わり、未来の医療の形そのものを創造しようとしている、極めて重要な企業が存在します。それが、今回のフォーカスするメディカル・データ・ビジョン株式会社(以下、MDV、証券コード:3902)です。
MDVは、一見すると、病院向けのシステム開発などを手掛けるIT企業の一つに見えるかもしれません。しかし、その本質は全く異なります。同社は、日本全国の病院から、日々蓄積される膨大な「診療データ(リアルワールドデータ)」を法にのっとり安全に集約し日本最大級の医療データベースを構築・運営する、社会インフラ企業です。
「いつ、どこで、誰が、どんな病気になり、どんな治療を受け、どんな薬を使い、どうなったのか——。」
この、匿名化された膨大な”リアル”なデータの集合体は、まさに日本の医療の「縮図」であり、未来の医療をより良くするための「宝の山」です。MDVは、このデータを製薬会社の創薬支援や、国の医療政策の立案、そして私たち一人ひとりの健康管理に活用することで、日本の医療が抱える様々な課題を解決しようとしています。
この記事では、この「医療ビッグデータ」という巨大なフロンティアを開拓するMDVという企業のすべてを徹底的に解剖していきます。どうやって病院から”宝の山”である診療データを集めているのか、その独自の仕組みから、財務状況、市場での立ち位置、そして未来の成長性まで、あらゆる側面を掘り下げていきましょう。
データが、いかにして私たちの命を救い、社会を豊かにするのか。その可能性と、それをビジネスとして成立させる仕組みから学ぶことは沢山あります。この記事を読み終える時、あなたはきっと、MDVが日本の医療の未来にとって、いかに不可欠な存在であるかを深く理解することになるでしょう。
Table of Contents
【企業概要】「医療情報のネットワーク化」- 創業以来ブレないビジョン
MDVの強固なビジネスモデルを理解するためには、まず同社が創業以来、ただ一つのビジョンに向かって、いかに愚直に、そして情熱的に歩んできたかを知る必要があります。そこには、日本の医療が抱える根深い課題への、強い問題意識がありました。
設立と沿革:分断された「医療データ」を繋ぐ、パイオニアの挑戦
MDVの創業は2003年。代表取締役社長である岩崎 博之氏によって設立されました 1。当時、日本の医療現場では、患者の診療情報、すなわちカルテやレセプトといった記録は、病院ごとに、しかも紙や、互換性のないバラバラの電子カルテシステムで管理されており、完全に「分断」されていました。岩崎社長は、IT業界出身者としてこの状況を目の当たりにし、業界の慣習にとらわれない視点から、この根深い課題にビジネスチャンスを見出しました 3。
「この貴重な医療情報を、病院の垣根を越えて集約し、分析・活用することができれば、日本の医療は劇的に進化するはずだ。」
この、当時としては壮大すぎるビジョンを実現するため、MDVの挑戦は始まりました。しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。事業の立ち上げは、「データがなければシステムの価値が上がらず、システムの価値がなければデータが集まらない」という、典型的な「鶏と卵」の問題に直面しました。この困難な課題に対し、MDVは忍耐強い戦略を選択します。まず、病院側に直接的なメリットを提供することから始めたのです。2006年にDPC分析ベンチマークシステム「EVE」を、2009年には病院向け経営支援システム「Medical Code」をリリースしました 4。これらのシステムを病院に提供することを通じて、少しずつ、しかし着実に、データ提供に協力してくれる病院のネットワークを広げていきました。
転機が訪れたのは2014年の東京証券取引所マザーズ市場への上場でした 4。これにより社会的な信用を得て、データネットワークの拡大が加速します。そして、データベースの規模がある一定の臨界点(クリティカルマス)を超えたことで、その価値が製薬会社などに認められるようになり、「データ利活用サービス」が本格的に収益の柱へと成長し、会社は急成長期を迎えました。その勢いはとどまることなく、2017年には東証一部へ市場変更(現在はプライム市場)を果たします 4。
さらに、2018年には個人が自らの診療情報を閲覧・管理できるPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)サービス「カルテコ」を開始し、BtoBだけでなく、BtoC領域へも事業の裾野を広げました 5。2025年6月末時点で、MDVが構築したデータベースの規模は、累計で実患者数5,270万人分を超え、日本の総人口の4割以上をカバーする国内最大級の診療データベースへと成長しました 7。創業以来、MDVは一貫して「医療情報のネットワーク化」というビジョンを追い求め、分断されていたデータを繋ぎ、価値を創造するという、前人未到の道を切り拓いてきたのです。
事業内容:データを「集める」と「活かす」の両輪駆動
MDVの事業は、そのビジョンを具現化する、二つのセグメントで構成されています。この二つの事業が相互に連携し、好循環を生み出すことで、MDVの成長モデルは成り立っています 1。
一つ目は、データを「集める」役割を担うデータネットワークサービスです。全国の病院に対して、経営支援システム「EVE」や、DPC分析システム「CADA」などを提供します。病院はこれらのシステムを安価、あるいは無償に近い形で利用できます。その「対価」として、病院は、MDVに対して、個人が特定できないように匿名加工された診療データを提供することに同意します。このユニークなGive-and-Takeの関係こそが、MDVのデータベースを拡大させるための、強力なエンジンとなっています 1。
二つ目は、データを「活かす」役割を担うデータ利活用サービスです。こちらが、MDVの主力収益源です。データネットワークサービスを通じて集約した、膨大な医療ビッグデータを、様々な顧客に提供し、その対価としてデータ利用料を得ます。主な顧客は製薬会社、医療機器メーカー、大学などの研究機関、生命保険会社、そして国や地方自治体など多岐にわたります 1。この事業の利益率が非常に高いことが、MDV全体の高収益体質を支えているのです。
企業理念:「医療の質の向上と、医療費の最適化」
MDVが掲げるこの理念は、同社の事業が持つ二つの側面を見事に表しています。膨大なデータを分析することで、より効果的で安全な治療法を見つけ出し、「医療の質を向上」させる。同時に、無駄な投薬や検査をなくし、創薬のコストを下げることで、「医療費を最適化」する。この社会的な大義が、同社の事業の根幹に流れています。岩崎社長が語る「豊富な実証データに基づいた医療(EBM)の実現」という目標は、この理念に直結しています 9。また、機微な医療情報を取り扱う企業として、「正々堂々」という価値観を大切にし、倫理観を高く保ちながら事業を推進する姿勢も、同社の信頼性を支える重要な要素です 10。
【ビジネスモデルの詳細分析】「データ提供」と引き換えに、「システム」を提供する錬金術
MDVのビジネスモデルは一見複雑ですが、その核心は「価値の交換」にあります。病院が持つ「データ」という資産と、MDVが持つ「分析システム」という資産を交換することで、Win-Winの関係を築き、巨大なプラットフォームを構築しているのです。
データネットワークサービス:なぜ病院は、貴重なデータをMDVに提供するのか?
病院にとって、患者の診療データは最も重要な資産の一つです。それを、なぜ一企業であるMDVに提供するのでしょうか。そこには、病院側にも明確なメリットが存在する、巧みな仕組みがあります。MDVが病院に提供する経営支援システム「EVE」やDPC分析システム「CADA」は、病院にとって極めて価値の高いツールです 8。
例えば、これらのシステムを使うことで、病院は自院の経営状況、すなわち患者数や収益、コストなどを詳細に分析・可視化することができます。さらに重要なのは、DPC制度(包括医療費支払い制度)に対応した高度な分析機能です。これにより、自院の診療内容や治療成績を、全国の他の提携病院のデータと比較、すなわちベンチマーク分析することが可能になります。「他の病院では、この病気にどんな治療をしているのか」「自院の治療コストは、全国平均と比べて高いのか、低いのか」といったことが一目瞭然となり、診療の質の向上と経営の効率化に直結するのです 11。
病院は、これらの高機能な分析システムを、安価あるいは実質無償で利用できるという、大きなメリットを享受できます。その見返りとして、MDVは、システムの利用に必要な診療データを、個人が特定されないように匿名化された形で提供してもらい、自社のデータベースに蓄積することができます。
この「システム利用権」と「データ提供」のバーター(交換)こそが、MDVが他社の追随を許さない、巨大なデータベースを構築できた秘密なのです。このモデルには強力な「ネットワーク効果」が働いています。提携病院が増えれば増えるほど、比較対象となるベンチマークデータの価値が高まります。そして、価値が高まったシステムは、さらに新たな病院を惹きつけ、データ提供を促します。この正のスパイラルが、MDVの参入障壁をより一層強固なものにしているのです。
データ利活用サービス:医療ビッグデータは、どう「お金」に変わるのか?
こうして集められた「宝の山」である医療ビッグデータは、MDVの主力収益源であるデータ利活用サービスを通じて、様々な形で価値を生み出します。その主要な顧客は製薬会社です 1。製薬会社にとって、新薬開発(創薬)は莫大な費用と時間を要する、非常にリスクの高い事業です。MDVのデータは、そのプロセスを劇的に効率化し、成功確率を高めるための、まさに”魔法の杖”とも言える価値を持っています。
具体的な活用例は多岐にわたります。まず、市場調査や開発計画の段階では、「日本に、ある特定の病気の患者がどれくらい存在するのか」「既存の薬では、どのような副作用が報告されているのか」といったことを、リアルなデータに基づいて正確に把握できます。これにより、開発する新薬のターゲットを的確に絞り込むことが可能になります 13。
次に、臨床試験(治験)の効率化です。治験は新薬開発で最もコストと時間がかかるプロセスの一つですが、MDVのデータを使えば、「この新薬の治験に参加してくれそうな患者は、どの病院に、どれくらいいるのか」を事前に把握できます。これにより、被験者集めがスムーズになり、治験プロセス全体を大幅に効率化できるのです 14。
さらに、新薬が発売された後の製造販売後調査(PMS)においても、データは威力を発揮します。実際にどのような患者に使われ、どのような効果や副作用が出ているのかを、大規模なデータで追跡・分析することで、薬の安全性を高め、適切な使い方を医療現場に普及させることができます 13。
MDVは、これらの目的に応じて製薬会社と年間契約などを結び、データベースの閲覧権や、特定の条件で抽出・分析したデータを提供します。このビジネスモデルの特筆すべき点は、その高い収益性です。データは、一度構築してしまえば、追加のコストはほとんどかかりません。同じデータを、様々な顧客に、何度でも販売することが可能なため、売上が増えるほど利益率が高まる構造になっているのです 15。この、データを集める仕組みと、データを売って稼ぐ仕組みが両輪となって回ることで、MDVの成長スパイラルは生まれているのです。
【直近の業績・財務状況】成長は続くも、市場の期待とのギャップ
MDVは、長年にわたり高い成長を続けてきました。しかし、近年の株価は、その業績成長ほどには評価されていない「グロース・トラップ」とも言える状況にあります。その背景と、財務の健全性を分析します。
PL(損益計算書)分析:二桁成長の継続と、高い収益性
MDVの売上高は、長年にわたり二桁成長を続けてきました。例えば、2019年12月期の約40億円から2023年12月期には約64億円へと着実に成長しています 16。これは、提携病院数の増加によるデータベースの拡大と、データ利活用サービスの顧客数・単価の上昇が、両輪でうまく機能していることを示しています。2025年12月期の第1四半期においても、売上高は前年同期比10.4%増の15.32億円と、成長基調は継続しています 17。
収益性に関しても、主力であるデータ利活用サービスの利益率が非常に高いため、会社全体の営業利益率も、過去には20%を超える高い水準を維持してきました。成長のための研究開発費や人件費を吸収しながらも、しっかりと利益を確保できる、収益力の高い事業構造が強みでした。
しかし、最新の2025年12月期第1四半期の決算では、売上高が成長を続ける一方で、営業利益は前年同期比で67.6%減の1,739.7万円と大幅に減少しました 17。
この「増収減益」という状況は、投資家にとって一つの懸念材料となります。これまでMDVを支えてきた「高い成長性」と「高い収益性」という二つの魅力のうち、後者に疑問符がついたからです。市場が「さらなる成長の加速」や、「より大きな、次の成長ストーリー」を求めているにもかかわらず、足元で利益が大きく減少したことで、その期待値との間にギャップが生まれています。この減益が、将来のさらなる飛躍に向けた戦略的投資(例えば、新たなデータ取得コストの増加や、AI開発への先行投資など)による一時的なものなのか、それとも競争激化などによる収益構造の恒久的な変化の兆候なのか、市場は慎重に見極めようとしています。この期待と現実の乖離が、株価が伸び悩む「グロース・トラップ」の背景にあると考えられます。
BS(貸借対照表)分析:健全で安定した財務基盤
損益計算書が企業の「成績表」だとすれば、貸借対照表は「健康診断書」です。MDVの貸借対照表を見ると、その財務基盤が非常に安定していることがわかります。自己資本比率は常に高い水準を維持しており、2023年12月期末で68.3%、2024年12月期末で65.1%と、健全な状態です 16。これは、事業で稼いだ利益を、借入に過度に頼ることなく、着実に内部留保として積み上げてきた結果です。
しかし、MDVの企業価値を評価する上で、貸借対照表の数字だけを見ていては本質を見誤ります。資産の部に計上されている「ソフトウェア」などの無形固定資産は、会計上の簿価に過ぎません。MDVが保有する、日本最大級の医療データベースという「目に見えない、真の資産価値」は、この簿価を遥かに上回るはずです。提携病院との信頼関係、ネットワーク効果によって日々価値が増大するこのデータプラットフォームこそが、会計数値には現れない、MDVの本質的な企業価値の源泉と言えるでしょう。
CF(キャッシュフロー計算書)分析:健全なキャッシュ創出サイクル
企業の「血液」とも言える現金の流れを示すキャッシュフロー計算書を見ても、MDVの経営の健全性がうかがえます。高い収益性を背景に、本業の儲けを示す営業キャッシュフローは、毎年、潤沢なプラスを記録しています。2023年12月期には16.1億円を超える営業キャッシュフローを生み出しました 16。
そして重要なのは、その稼いだキャッシュを、システムの機能強化や、新たなデータベースの構築、人材採用といった、将来の成長のための投資(投資キャッシュフロー)に積極的に再投資している点です。借入金などの財務活動に頼ることなく、自己資金でこの成長サイクルを回せているのは、理想的な経営状態と言えるでしょう。
ファンダメンタルズの観点からは、MDVは依然として、極めて優良な成長企業であると言えます。課題は、この本質的な価値を、いかにして市場、すなわち株価の評価に結びつけていくか、という点に集約されるのです。
【市場環境・業界ポジション】リアルワールドデータ市場の覇権争い
MDVが戦う「リアルワールドデータ(RWD)」市場は、世界の医療・ヘルスケア業界で、今最も注目されている成長領域の一つです。この市場での立ち位置を理解することが、MDVの未来を占う上で欠かせません。
市場環境:エビデンスに基づく医療(EBM)がもたらす巨大な追い風
リアルワールドデータ(RWD)とは、そもそも何でしょうか。これは、従来の「臨床試験(治験)」のような、限られた条件下で意図的に集められたデータとは一線を画します。「日常的な実臨床の現場」から集められた、ありのままの診療データを指します。MDVが病院から集めているデータベースは、まさにこのRWDの塊です。
では、なぜ今、このRWDがこれほどまでに重要視されているのでしょうか。その理由は大きく三つあります。
第一に、医療の質の向上です。膨大な患者のリアルな治療経過を分析することで、「本当に効果のある治療法は何か」「どんな患者に、どんな副作用が出やすいのか」といった、科学的根拠(エビデンス)を得ることができます。これが、近年重要視されている「エビデンスに基づく医療(EBM)」の根幹をなします。
第二に、医療費の最適化です。国や健康保険組合といった保険者は、RWDを分析することで、どの治療が費用対効果に優れているかを評価し、より賢明な医療政策を立案できます。
第三に、創薬の革新です。製薬会社は、RWDを活用することで、開発コストを削減し、より効果的で安全な薬を、より早く患者に届けることが可能になります。
このような背景から、RWD市場は世界的に急拡大しています。ある調査によれば、世界のRWD市場は2025年の23.8億米ドルから2032年には61億米ドルに達すると予測されています 20。また、日本の民間企業向けRWD分析サービス市場だけでも、2022年の158億円から2030年には320億円へと倍以上に成長するという予測もあります 21。MDVは、この巨大な成長の波の、まさに中心に位置しているのです。
業界ポジションと競合:医療ビッグデータ、もう一方の雄「JMDC」との比較
日本の医療ビッグデータ市場において、MDVの最大のライバルと目されているのが、株式会社JMDC(証券コード:4483)です。両社の違いを理解することが、MDVの業界内でのポジションを正確に把握する上で極めて重要です。
両社の最大の違いは、保有するデータの源泉にあります。MDVは、主に「病院」から収集した、DPCデータ(診断群分類包括評価)が中心です。これは、一回の入院における診断名、手術、検査、処方といった、極めて詳細な診療プロセスを記録したデータです。そのため、手術や重い病気の治療といった急性期医療の分析に特に強く、いわば「診療の”深さ”」に強みを持つと言えます。
一方、JMDCは、主に「健康保険組合」から収集した、レセプト(診療報酬明細書)データと、健康診断データが中心です 22。このデータは、病院だけでなく、街のクリニック(診療所)での受診データも含まれる上、個人の医療費や健康状態の推移を数年から十数年という長期間にわたって追跡できるのが特徴です。そのため、生活習慣病などの慢性期医療や、予防医療の分析に強く、こちらは「時間の”長さ”」に強みを持つと言えるでしょう 24。
このように、両社は競合すると同時に、それぞれ異なる強みを持つデータを保有しており、現時点では市場を「棲み分け」ている側面もあります。製薬会社などの顧客は、分析の目的に応じて両社のデータを使い分けているのが実情です。しかし、この棲み分けが未来永劫続くとは限りません。MDVが個人向けPHRサービス「カルテコ」で個人の長期的なデータ取得を目指し、JMDCも病院データの拡充を進めていることからもわかるように、両社は互いの領域へ進出し始めています。この2大巨頭の競争と協調の動向が、今後の日本の医療ビッグデータ市場の未来を左右することは間違いないでしょう。
【技術・サービスの深堀り】データの「量」と「質」こそが、絶対的な参入障壁
MDVの競争優位性の源泉は、突き詰めれば、同社が保有する医療データベースの「量」と「質」、そしてそれを安全に活用するための「技術」に集約されます。
国内最大級の診療データベース
MDVが築き上げた参入障壁の中で、最も高く、そして強固なものがデータベースの「量」です。2025年6月末時点で、データベースに含まれる実患者数は約5,270万人に達しています 7。これは、日本の総人口の4割以上に相当する規模であり、統計的な分析を行う上で、極めて高い信頼性を担保します。ある特定の希少疾患の患者動向を調査したり、新薬の副作用を分析したりする際に、この規模の大きさは決定的な意味を持ちます。後発の企業が、今からこれだけの規模のデータベースをゼロから構築することは、時間的にもコスト的にも、そして病院との信頼関係構築の面からも、事実上不可能です。この「規模の壁」こそが、MDVの絶対的な強みなのです。
しかし、価値は量だけでは決まりません。データの「質」も同様に重要です。MDVのデータの中核をなすDPCデータは、単なる請求情報であるレセプトデータだけではわからない、日々の詳細な診療行為、例えば「どの日に、どんな検査や処置が行われたか」といったことまで記録されています。この「情報の解像度の高さ」が、製薬会社などが行う、より高度で詳細な分析を可能にし、データの価値を飛躍的に高めています。
信頼を支える「匿名加工技術」
医療情報は、個人情報の中でも特に慎重な取り扱いが求められる「要配慮個人情報」に該当します。MDVのビジネスは、この機微な情報を安全に取り扱うという社会的な信頼の上に成り立っています。そのため、同社は高度な匿名加工技術を確立しています 25。
この技術は、氏名や住所といった直接的な個人識別情報はもちろんのこと、様々な情報を組み合わせても、元の個人が再特定できないように、データを不可逆的な形で加工するものです。これは、単に名前を消すといった単純な処理ではありません。例えば、珍しい病名と特定の地域、年齢などを組み合わせると個人が特定できてしまう可能性があるため、そうしたリスクを排除するための高度な統計的処理が施されています。
もちろん、個人情報保護法や、医療情報の利活用を促進するために制定された次世代医療基盤法といった各種法令を遵守することは大前提です 26。厳格なセキュリティ体制の下でデータを管理し、社会からの信頼を得続けること。この「安全性」と「信頼性」こそが、病院や製薬会社といった、社会的な信用を何よりも重んじる顧客から、パートナーとして選ばれ続けるための生命線なのです。
未来への布石:PHRサービス「カルテコ」
MDVの未来を語る上で欠かせないのが、個人向けPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)サービス「カルテコ」の存在です 5。これは、個人が自らの診療情報、すなわち病名や処方された薬、検査結果などを、スマートフォンでいつでも閲覧・管理できるサービスです。患者自身の健康意識を高め、自らが治療に主体的に参加する「患者主体の医療」を促進する価値があります 28。
現時点では、「カルテコ」がMDVの収益に直接的に大きく貢献しているわけではありません。月額550円のサービスで、2025年の利用者目標も1.5万人から3万人と、まだ規模は限定的です 29。しかし、このサービスの戦略的意義は、短期的な収益を遥かに超えたところにあります。
これは、MDVが築き上げてきた「病院中心」のデータエコシステムを、「個人中心」へと拡張するための、壮大な未来への布石なのです。将来的には、「カルテコ」を通じて集められた個人の同意に基づくライフログデータ、例えば日々の歩数や食事、睡眠時間といった情報と、既存の診療データを組み合わせることが可能になるかもしれません。そうなれば、病気になってからの「治療」のデータだけでなく、病気になる前の「予防」や日々の「健康増進」の領域までカバーする、全く新しいデータ利活用のフロンティアが拓けます。これは、MDVが現在保有するデータの価値を、質・量ともに飛躍的に高める可能性を秘めた、極めて重要な戦略的投資と位置づけられるのです。
【経営陣・組織力の評価】リーダーシップと専門家集団
MDVのこれまでの成長、そしてこれからの成長を支えるのは、揺るぎないプラットフォームだけではありません。それを創り上げ、動かしていく「人」と「組織」の力もまた、重要な競争力の源泉です。
岩崎 博之 代表取締役社長のビジョン
MDVの成長物語は、創業者である岩崎 博之社長のビジョンとリーダーシップを抜きにしては語れません。岩崎社長は医療業界の出身ではありませんが、むしろそれが強みとなりました 3。業界の慣習や常識にとらわれず、「医療情報をネットワーク化すれば、もっと医療は良くなる」という、客観的で、かつ本質的な視点を持つことができたのです。
創業当初、多くの専門家から「絶対うまくいかない」と言われた「診療データの全国規模での集約」という壮大なビジョンを、20年以上にわたってブレずに追い求め、実現してきたその情熱と実行力は、高く評価されるべきです 3。事業を通じて、日本の医療が抱える「質の向上」と「コストの最適化」という二大課題を解決するという明確な社会的ミッションを掲げ、組織を力強く牽引しています。このビジョナリーなリーダーシップが、MDVの進むべき方向を常に照らし続けているのです。
専門家が集う組織力
MDVの事業は、ITの知識だけでは決して成り立ちません。医療制度、製薬会社のビジネス、そして統計学やAIといったデータサイエンスなど、多岐にわたる高度な専門性が不可欠です。
その要求に応えるため、社内には医師、薬剤師、看護師といった医療資格を持つ専門家や、統計学やプログラミングに精通したデータサイエンティストが多数在籍しています 31。このような多様なプロフェッショナル人材が集まっていることが、MDVの大きな強みです。
彼ら専門家集団が、顧客である病院や製薬会社の現場の課題を深く理解し、単にデータを渡すだけでなく、データに基づいた的確なソリューションを提案することができます。これにより、MDVは単なる「データ屋」ではなく、顧客の課題解決に並走する「対等なパートナー」としての信頼関係を築いています。この組織力こそが、MDVの提案価値を高め、他社との差別化を図る上での重要な源泉となっているのです。
【中長期戦略・成長ストーリー】データで医療の課題を解決する
国内最大級の医療データベースという、揺るぎないプラットフォームを築き上げたMDV。その次なる一手は、このプラットフォームの価値を、さらに深化させ、拡大させていくことです。その成長戦略は、大きく三つの矢として整理することができます 1。
成長戦略の三本の矢
第一の矢は、プラットフォームそのものの強化、すなわちデータベースの量的・質的拡大です。引き続き、データネットワークサービスの提供を通じて提携病院の数を増やし、データベースの規模、つまり患者数を拡大していきます。将来的には「国民の半数」のデータを網羅することも視野に入れているでしょう。同時に、データの種類を拡充し、質的な向上も目指します。現在のDPCデータに加え、電子カルテに記載された医師の所見などのテキストデータや、CT、MRIといった医用画像、さらには個人のゲノム情報といった、新たな種類のデータを収集・統合していくことで、分析の幅と深さを格段に向上させ、データベースの価値を飛躍的に高めることを狙っています。
第二の矢は、収益源の拡大、すなわちデータ利活用サービスの高度化・多様化です。現在の主力の顧客である製薬会社向けだけでなく、生命保険会社の新商品開発、損害保険会社の交通事故における治療分析、食品会社の健康食品の効果検証など、ヘルスケアに関わるあらゆる業界へとデータ提供の裾野を広げていきます。さらに、AI(人工知能)を活用して、単なるデータ提供に留まらず、将来の疾患リスクを予測するような、より高度な分析サービスへと進化させることで、提供価値と収益性を高めていく戦略です。
第三の矢は、未来への挑戦です。一つはグローバル展開。日本で成功したビジネスモデルを、医療制度やデータ環境の似ているアジア諸国などを皮切りに、海外へ展開していくことを目指します 14。もう一つは、前述したPHRサービス「カルテコ」の進化です。国民一人ひとりが自らの健康データを活用できる世界を実現し、そこから生まれる新たなデータとサービスで、治療だけでなく予防医療の領域を開拓していく。これはMDVの最も挑戦的な成長戦略と言えるでしょう。
MDVは、この多層的な成長戦略を通じて、医療ビッグデータを軸とした、なくてはならない「社会インフラ」としての地位を、さらに盤石なものにしていくことを目指しているのです。
【リスク要因・課題】社会インフラ企業としての重い責任
MDVの事業は、大きな可能性を秘める一方で、社会的に極めて重要な情報を取り扱うがゆえの、特有のリスクを内包しています。これらのリスクを認識し、適切に管理することは、企業の持続的な成長にとって不可欠です。有価証券報告書でも、いくつかのリスク要因が挙げられています 16。
最大のリスクは、個人情報保護と法規制の動向です。MDVのビジネスモデルは、個人情報保護法や次世代医療基盤法といった法律の枠組みの中で許容されています。今後、これらの法律がさらに厳格化されたり、医療情報の二次利用に関する新たな規制が導入されたりした場合、事業モデルそのものが大きな影響を受ける可能性があります。社会のプライバシーに対する考え方の変化も含め、常に法改正の動向を注視し、最高水準のコンプライアンスを徹底する必要があります。
次に、データセキュリティと情報漏洩リスクです。悪意のある第三者によるサイバー攻撃などを受け、万が一、データベースから機微な医療情報が漏洩するようなことがあれば、企業の信用は一瞬で失墜し、事業の継続が困難になるほどの致命的なダメージを負うリスクがあります。最高レベルのセキュリティ対策への投資は、コストではなく、事業継続のための必須条件です。
また、事業の根幹を支える病院からのデータ提供が停止するリスクも存在します。MDVのビジネスは、提携病院からの継続的なデータ提供が生命線です。もし、提携病院が経営方針の変更などにより、データ提供を停止するような事態が多発すれば、データベースの価値は毀損してしまいます。病院側への価値提供を継続し、強固な信頼関係を維持し続けることが重要です。
さらに、JMDCをはじめとする競合との熾烈な競争も無視できません。データ獲得競争や、データ利活用サービスの顧客獲得競争は、今後ますます激しくなることが予想されます。
最後に、倫理的な課題です。医療情報を商業的に利用することに対しては、社会から常に厳しい目が向けられます。事業の透明性を確保し、なぜこの事業が社会にとって有益なのかを丁寧に説明し、社会的なコンセンサスを得ながら、慎重に事業を進めていく姿勢が求められます。
【総合評価・投資判断まとめ】
日本の医療の未来を、データの力で創造する、メディカル・データ・ビジョン(3902)。そのすべてを分析した上で最終的な評価を述べたいと思います。
ポジティブ要素(投資妙味)
MDVには、投資対象として極めて魅力的な要素がいくつも存在します。第一に、リアルワールドデータ(RWD)という、世界的に需要が拡大する巨大な成長市場で、リーディングカンパニーとしての地位を確立していることです。第二に、「システム提供」と「データ収集」を組み合わせた独自のプラットフォームと、国内最大級のデータベースという、他社が追随困難な強力な参入障壁を築いていることです。第三に、データ利活用事業をエンジンとした、持続的な二桁成長と高い利益率を両立してきた実績です。第四に、自己資本比率が高く、潤沢な営業キャッシュフローを創出する、揺るぎない財務基盤を持っていることです。そして最後に、医療の質の向上と医療費の最適化に貢献するという、社会的意義が極めて大きい事業内容であり、ESG投資の観点からも非常に魅力的である点です。
ネガティブ要素(留意点)
一方で、留意すべき点も明確です。最大のものは、個人情報保護法などの規制動向や、情報漏洩リスクといった、事業の根幹を揺るがしかねない特有のリスクを常に抱えていることです。また、JMDCという強力なライバルが存在し、競争環境は決して楽観できません。そして、足元の業績に見られるように、高い成長性を持ちながらも、市場の過大な期待とのギャップから株価が伸び悩む可能性も考慮する必要があります。
総合判断
これらの要素を総合的に勘案した結果、メディカル・データ・ビジョンは、「日本の医療の未来を左右する、極めて重要な『社会インフラ』を構築・運営する、唯一無二のプラットフォーム企業」であるというのが私の結論です。
この企業への投資は、単なるIT企業やヘルスケア企業への投資とは次元が異なります。これは、「データ資本主義」の時代において、最も価値のある資産の一つである「医療ビッグデータ」という”油田”を掘り当て、その価値を社会に還元する、壮大なプラットフォームそのものに投資することを意味します。
その長期的な成長ポテンシャルは計り知れません。しかし、その一方で、社会の公器としての重い責任と、特有のリスクを背負っていることも事実です。この企業の真の価値は、短期的な株価の変動ではなく、10年、20年という長期的な時間軸の中で、日本の医療をどう変えていくか、という視点で見極めるべきです。
特に、以下のような考えを持つ投資家にとって、MDVはポートフォリオに加えることを真剣に検討すべき、類まれな企業と言えるでしょう。
- 社会の構造変化を捉え、長期的な視点で未来に投資したいと考える、真のグロース投資家。
- 企業の社会的な意義や、課題解決への貢献度を重視する、ESG投資家。
- プラットフォームビジネスの強力なネットワーク効果と、高い参入障壁に魅力を感じる投資家。
MDVのデータ基盤は、未来の創薬を導き、多くの命の支えとなり、この国の医療をより強く逞しいものへと推し進める土台となっていくでしょう。社会の一員として、限りない期待をもって、その歩みを見守りたいと思います。
引用文献
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- メディカル・データ・ビジョン【3902】のリスク・方針 - キタイシホン, https://kitaishihon.com/company/3902/management-strategy