皆さんの手元にある、あるいはこれから申請するかもしれないマイナンバーカード。それは単なる一枚のプラスチックカードではありません。このカードは、日本の社会がこれから目指す「デジタル社会」の根幹をなす、きわめて重要な基盤として位置づけられています。高度なセキュリティを備えた身分証明書としての役割と、様々な行政サービスをオンラインで利用するための扉を開く鍵としての役割、その二つの顔を持っています 1。
この記事は、そのマイナンバーカードが、どのような法律に基づいて作られ、どのような組織が関わり、そして私たちの手元にどのように届けられるのか、その全貌を教科書のように一から丁寧に解説していくものです。カード発行の裏側にある法的な枠組み、組織的な仕組み、そして技術的な工夫を深く知ることで、私たちはこのカードが持つ真の意味と可能性を理解することができるでしょう。これから、その複雑で精緻な仕組みを解き明かす旅にご案内します。この記事を読み終える頃には、マイナンバーカードが、より公平で効率的な社会を実現するための、いかに重要な道具であるかがお分かりいただけるはずです 2。
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デジタル国家を支える法律とマイナンバーカード
マイナンバーカードとそれを取り巻く制度は、決して思いつきで生まれたものではありません。その背後には、利便性の向上とプライバシーの保護という二つの目的を両立させるため、慎重に構築された法的な設計図が存在します。ここでは、制度全体を規定する根幹の法律から、その後の社会の変化に対応して進化してきた経緯まで、その法的枠組みを詳しく見ていくことにしましょう。
マイナンバー法:制度の憲法
すべての土台となっているのが、「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」、通称「マイナンバー法」です。この法律の主な目的は、すべての住民に唯一無二の12桁の番号、すなわちマイナンバーを割り当てることにより、行政運営の効率化、国民の利便性の向上、そして社会保障や税における給付と負担の公平性を確保することにあります 2。具体的には、これまで各行政機関がばらばらに管理していた個人情報を、マイナンバーという共通の「名寄せ」の鍵を使うことで、正確かつ迅速に連携させることが可能になります。これにより、各種申請時に必要だった添付書類が削減されたり、本当に支援が必要な人々を的確に把握したりすることができるようになるのです。
J-LIS法:執行機関の誕生
マイナンバー制度という構想を実現するためには、その中核となる情報システムを安定的かつ安全に運用する専門機関が不可欠です。その役割を担う組織として設立されたのが、「地方公共団体情報システム機構(J-LIS)」です。J-LISの設立と業務範囲を定めているのが、「地方公共団体情報システム機構法」、通称「J-LIS法」です 4。この法律によって、J-LISは法的な人格を与えられ、全国の地方公共団体が共同で運営する組織として、マイナンバーカードの発行や関連システムの開発・運用という重責を担うことになりました 6。後ほど詳しく述べますが、J-LISはまさにマイナンバー制度の心臓部と言える存在であり、その活動の根拠がこの法律に記されています。
法的枠組みの進化:時代の要請への対応
法律は一度作られたら終わりではありません。社会の変化や新たな課題に対応するために、常に見直され、進化していくものです。マイナンバー制度を取り巻く法律も例外ではありませんでした。制度発足当初、マイナンバーの利用範囲は、国民のプライバシーへの懸念に配慮し、社会保障、税、災害対策の3分野に厳格に限定されていました 2。これは、制度に対する国民の信頼を醸成するための、意図的な抑制的な設計でした。
しかし、その後の社会情勢、特に新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、行政サービスのデジタル化の遅れという課題を浮き彫りにしました 9。迅速な給付金の支給や、非接触での行政手続きの必要性が高まる中で、より広範な分野でマイナンバーとマイナンバーカードを活用すべきだという機運が急速に高まったのです 9。
この要請に応える形で制定されたのが、「デジタル社会の形成を図るための関係法律の整備に関する法律」、いわゆる「デジタル社会形成整備法」です 8。この一連の法改正により、マイナンバーの利用範囲は、当初の3分野の枠を超え、例えば国家資格の手続きなど、国民の利便性向上に資する様々な行政事務へと拡大されることになりました 8。さらに、これまで法律改正を必要としていた情報連携の範囲拡大の手続きが、主務省令で規定できるようになるなど、より迅速かつ柔軟に制度をアップデートできる仕組みも導入されました 8。
このように、マイナンバー制度の法的枠組みは、当初の「限定利用」という慎重な姿勢から、社会のデジタル化を加速させるための「最大限の活用」へと、その重心を移しつつあります。これは、制度設計における優先順位が、国民の信頼確保という初期段階の課題から、デジタル社会の実現という国家戦略の推進へと変化してきたことを示す、重要な変遷と言えるでしょう。
制度を支える中枢:地方公共団体情報システム機構(J-LIS)の詳細
マイナンバー制度という巨大な仕組みを、実際に動かしているのは誰なのでしょうか。その答えの中心にいるのが、地方公共団体情報システム機構、通称「J-LIS(ジェイリス)」です。ここでは、J-LISがどのような組織であり、どのような役割を担い、そして近年どのような重要な変化を遂げたのかを、深く掘り下げて見ていきます。
設立と組織の性格
J-LISは、前述のJ-LIS法に基づき、2014年4月1日に設立された法人です 11。その前身は、地方自治情報センター(LASDEC)という組織でした 15。J-LISは、単にマイナンバーカードを発行するだけの組織ではありません。その業務範囲は非常に広く、地方行政のデジタル化を根底から支える、極めて重要な役割を担っています。
具体的には、全国の住民情報を管理する「住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)」、オンラインでの本人確認を可能にする「公的個人認証サービス(JPKI)」、そして全国の地方公共団体を安全なネットワークで結ぶ「総合行政ネットワーク(LGWAN)」といった、日本の行政に不可欠な情報システムの開発・運用を一手に引き受けています 16。つまり、J-LISは、私たちが日々の暮らしの中で利用する様々な行政サービスの裏側で、その情報基盤を24時間365日、安定的に動かし続けている専門家集団なのです 20。
2021年の大きな転換
設立当初、J-LISは全国の都道府県と市区町村が共同で運営する「地方共同法人」という位置づけでした 14。これは、J-LISが主として地方公共団体のための組織であり、その運営の主体も地方公共団体にあることを意味していました。しかし、2021年9月1日、J-LISの組織のあり方を根本から変える、大きな転換が訪れます。
この日、デジタル社会形成整備法の施行に伴い、J-LISは「国と地方公共団体が共同で管理する法人」へと、その法的地位を変更したのです 11。これは単なる名称の変更や、形式的な組織改編ではありませんでした。この変化の背景には、2021年に発足したデジタル庁が主導する、国全体のデジタル化を強力に推進するという国家戦略がありました 22。
国のデジタル戦略の根幹をなすマイナンバーカードや関連システムの運営を、地方公共団体の手に委ねるだけでは、国が目指すスピード感での改革は難しいという判断が働いたのです。そこで、国の関与を抜本的に強化し、J-LISの運営に国が直接、深く関わる体制へと移行することが決断されました。
この法改正により、国、具体的にはデジタル大臣や総務大臣は、J-LISが担うマイナンバーカード関連事務に対して、目標を設定し、事業計画を認可し、その実績を評価した上で、必要であれば改善を命じるという、強力な監督権限を持つことになりました 23。
つまり、2021年の転換は、国の重要インフラであるマイナンバー制度の運営について、より強力なガバナンスを確保するための、意図的な権限の再編成だったと言えます。地方の自主性を尊重しつつも、国家戦略の実行部隊として、J-LISを国の司令塔であるデジタル庁と直結させることで、迅速かつ統一的な政策実行を可能にする。この戦略的な判断が、J-LISの組織のあり方を大きく変えることになったのです。
発行の主体:J-LISと市区町村の連携プレー
マイナンバーカードは一体誰が「発行」しているのでしょうか。この問いに答えることは、制度の仕組みを理解する上で非常に重要です。結論から言えば、カードの発行は、J-LISと全国の市区町村による、見事な役割分担、いわば連携プレーによって成り立っています。ここでは、法律上の「発行主体」と、窓口での「交付主体」という二つの役割を解き明かし、両者の協力関係を具体的に見ていきましょう。
「発行主体」としてのJ-LIS
法律の世界では、言葉の定義が非常に重要です。2021年のマイナンバー法改正では、新たに第16条の2という条文が設けられ、マイナンバーカードの「発行の主体」はJ-LISであることが法律上、明確に位置づけられました 23。この「発行主体」という言葉は、物理的なカードそのものを、責任を持って製造し、世に送り出す組織を指します。
つまり、日本全国で発行されるすべてのマイナンバーカードは、J-LISが一元的に、そして極めて高いセキュリティ基準のもとで製造しているのです。全国に1700以上ある市区町村が、それぞれ独自の工場でカードを作ることは、コスト面でもセキュリティ面でも非現実的です。そこで、カード製造という高度な技術と厳格な管理が求められる工程をJ-LISに集中させることで、品質の均一化、偽造防止技術の高度化、そしてスケールメリットによる効率化を実現しているのです 24。
J-LISの具体的な役割は、市区町村から送られてきた申請者のデータに基づき、ICチップを埋め込んだプラスチックカードを製造し、レーザー刻印で氏名や住所などの個人情報を券面に記載し、完成したカードを住民が住む市区町村へと送付することです 20。この一連のプロセス全体に責任を持つのが、「発行主体」としてのJ-LISなのです。
「交付主体」としての市区町村
一方で、J-LISが製造したカードを、最終的に私たち住民一人ひとりに手渡すという、きわめて重要な役割を担っているのが、全国の市区町村です。市区町村は、カードの「交付主体」として、住民に最も身近な行政の最前線としての役割を果たします 17。
住民からのマイナンバーカードの申請を受け付け、その内容に不備がないかを確認する。そして、J-LISから送られてきたカードを保管し、住民に交付通知書を送って受け取りに来るよう案内する。最後に、窓口に来た住民が本当に本人であるかを、法律で定められた厳格な方法で確認した上で、カードを有効化し、手渡す。これらの一連の住民対応が、市区町村の役割です 28。
この本人確認は、マイナンバーカードが公的な身分証明書という重要な機能を持つからこそ、絶対に間違いが許されない工程です。住民にとって馴染み深く、信頼のおける市区町村の窓口で、職員が対面で確認を行うことで、なりすましによる不正取得を防ぐ最後の砦となっているのです 27。
明確な役割分担がもたらすもの
このように、マイナンバーカードの発行は、J-LISと市区町村との間で、役割が見事に分担されています。J-LISは、いわば「中央集権的」なアプローチで、高度な技術とセキュリティが求められる「製造」を担当します。これにより、全国どこでも同じ品質の、安全なカードが効率的に作られます。
それに対して市区町村は、「地方分権的」なアプローチで、住民との信頼関係とアクセスのしやすさが求められる「交付」を担当します。これにより、住民は身近な場所で、安心してカードを受け取ることができるのです。
この仕組みは、中央集権的な「効率性と安全性」と、地方分権的な「利便性と信頼性」という、時に相反する二つの価値を両立させるための、非常に洗練された行政モデルと言えるでしょう。2021年の法改正でJ-LISが「発行主体」として明確化されたことは、この役割分担の仕組みを変えるものではなく、むしろ中央の製造責任者としてのJ-LISの立場を法的に裏付け、システム全体の責任の所在をより明確にするためのものだったのです。
申請からカード受け取りまで
それでは、私たち国民が実際にマイナンバーカードを手にするまでには、どのような道のりをたどるのでしょうか。ここでは、一人の市民の視点に立って、申請から受け取りまでの具体的な流れを、順を追って物語のように解説していきます。このプロセスには、一見すると手間がかかると感じる部分もありますが、その一つひとつが、カードの安全性を守るための重要な関門となっているのです。
カードの申請
マイナンバーカードを手に入れるための最初のステップは、もちろん申請です。申請方法はいくつか用意されており、自分のやりやすい方法を選ぶことができます。最も基本的なのは、マイナンバーが通知された際に同封されていた、あるいは後日送付されてくる紙の交付申請書に必要事項を記入し、顔写真を貼り付けて郵送する方法です 30。
より現代的な方法として、スマートフォンやパソコンを使ったオンライン申請も広く利用されています 32。この場合、スマートフォンのカメラで撮影した顔写真データを使い、申請書に記載されたQRコードを読み取るなどして、専用のウェブサイトから手続きを進めます 34。また、街中にある一部の証明写真機の中には、撮影と同時にマイナンバーカードの申請まで行える機能を備えたものもあります 35。どの方法を選ぶにせよ、申請内容に不備がないように、丁寧に行うことが大切です。
カードの製造と輸送
申請が無事に受理されると、私たちのデータは市区町村からJ-LISへと送られ、カードの製造工程に入ります。J-LISでは、申請内容の最終確認を経て、一枚一枚、カードが作られていきます。この、申請してからカードの交付準備が整うまでの期間は、おおむね1か月ほどかかるとされていますが、申請が集中する時期や市区町村の状況によって、多少前後することがあります 29。この間、私たちはカードが届くのを待つことになります。
交付通知書の到着
J-LISで製造されたカードは、直接私たちの自宅に送られてくるわけではありません。まず、住民登録をしている市区町村の役所へと送付されます 26。カードを受け取った市区町村では、それを住民に交付するための準備作業を行います。この準備が完了すると、市区町村から「交付通知書」というはがきが、住民票の住所宛に郵送されてきます 27。このはがきが届いたら、それがカードを受け取りに行けるという合図です。
窓口での受け取り
交付通知書が手元に届いたら、いよいよカードの受け取りです。原則として、申請した本人が、交付通知書に記載された市区町村の窓口へ出向く必要があります。多くの市区町村では、窓口の混雑を避けるために、事前に電話やインターネットで受け取り日時を予約するよう求めています 27。
窓口では、職員による厳格な本人確認が行われます。持参した交付通知書と、運転免許証やパスポートなどの本人確認書類を提示し、職員が本人に間違いないことを確認します 29。本人確認が無事に終わると、次にカードの機能を有効にするための暗証番号を設定します。複数の暗証番号をその場で端末に入力し、設定が完了すると、ついにマイナンバーカードが手渡されます 1。この一連の手続きには、一人あたり15分程度の時間が必要です 27。
やむを得ない場合の代理人受け取り
病気や身体の障がい、あるいは高齢であるなど、どうしても本人が窓口へ行くことが困難な「やむを得ない理由」がある場合に限り、代理人が代わりにカードを受け取ることが認められています 38。ただし、その手続きは非常に厳格です。本人が記入した委任状に加え、本人の来庁が困難であることを証明する書類(例えば、診断書や施設への入所証明書など)が必要です 39。さらに、本人と代理人、双方の本人確認書類も必要となり、求められる書類の種類も細かく定められています 41。
この申請から受け取りまでの一連の流れは、カードという極めて重要な身分証明書を、絶対に他人の手に渡さないための「セキュリティ・バイ・デザイン」、つまり安全を最優先した設計思想の表れです。カードを直接郵送せず、交付通知書とはがきを分離し、窓口での厳格な対面確認を義務付ける。これらの手間は、私たちの個人情報を守るための、何重もの防護壁なのです。
ICチップと電子証明書
マイナンバーカードの心臓部であり、その多機能性を支えているのが、カードに埋め込まれた小さなICチップです。このチップについて、「税金や病歴など、プライベートな情報がすべて入っていて危険だ」という誤解を耳にすることがあります。しかし、それは事実ではありません。ここでは、ICチップの本当の仕組みと、その中核技術である「公的個人認証サービス(JPKI)」について、専門用語を避けながら分かりやすく解説します。カードの安全性は、情報を隠すことではなく、確かな暗号技術による「認証」によって保たれているのです。
ICチップの中身
まず理解すべき最も重要な点は、マイナンバーカードのICチップには、個人の所得や病歴、年金の受給額といった機微な情報は一切記録されていないということです 44。チップの中に保存されているのは、必要最小限の情報に限られています。具体的には、カードの券面に記載されている氏名、住所、生年月日、性別、顔写真の画像データ、そしてマイナンバーや住民票コードといった情報です 1。
これらの情報は、ICチップ内で「アプリケーション」と呼ばれる、それぞれ独立した区画に分けて保存されています。各区画の間には「ファイアウォール」と呼ばれる壁が設けられており、あるサービスを利用する際に、関係のない別の区画の情報を読み取ることはできない仕組みになっています 1。
さらに、このICチップは物理的な攻撃にも強い耐性を持っています。無理に内部の情報を読み出そうとしたり、解析しようとしたりすると、チップが自動的に壊れて中のデータが消去される「耐タンパー性」という高度なセキュリティ機能が備わっているのです 1。
公的個人認証サービス(JPKI)の仕組み
ICチップの真価は、情報を記録する「倉庫」としてではなく、持ち主が本人であることを電子的に証明する「鍵」としての機能にあります。その役割を担うのが、「公的個人認証サービス(JPKI)」という仕組みです 46。
このサービスは、「公開鍵暗号方式」という非常に安全性の高い暗号技術を利用しています 45。これは、対になる二つの鍵、「秘密鍵」と「公開鍵」を使う方法です。秘密鍵は、マイナンバーカードのICチップの中だけに、誰にも知られることなく安全に保管されます。一方、公開鍵は、その名の通り外部に公開しても安全な鍵です。この二つの鍵は特殊な関係にあり、秘密鍵で暗号化されたデータは、対になる公開鍵でしか元に戻す(復号する)ことができません 47。この仕組みを利用して、オンライン上での安全な本人確認を実現しているのです。
二種類の電子証明書
JPKIは、ICチップの中に二種類の「電子証明書」を記録することで、用途に応じた本人確認を提供します。
一つ目は、「署名用電子証明書」です 49。これは、e-Taxでの確定申告や、オンラインでの不動産契約など、法的な効力が求められる重要な電子文書を作成・送信する際に使われます 50。この証明書を使うことで、「この文書は確かに私が作成したものであり、途中で誰にも改ざんされていません」ということを、数学的に証明することができます。利用するには、カード交付時に自分で設定した、6桁から16桁の英数字からなる、より複雑な暗証番号が必要です 47。
二つ目は、「利用者証明用電子証明書」です 49。こちらは、政府のオンラインサービスである「マイナポータル」にログインしたり、コンビニエンスストアの端末で住民票の写しなどを取得したりする際に使われます 50。この証明書の役割は、「今、このサービスにアクセスしようとしているのは、確かにカードの持ち主本人です」ということを証明することです。利用には、同じく自分で設定した4桁の数字の暗証番号が必要です 47。
このように、マイナンバーカードのセキュリティは、カード自体に大量の個人情報を詰め込むのではなく、ICチップに格納された安全な「鍵」である電子証明書を用いて、利用者が本人であることを確実に認証する、という考え方に基づいています。例えば、マイナポータルで自分の年金記録を見るとき、年金記録はカードの中にあるのではなく、年金機構の安全なサーバーに保管されています。カードは、そのサーバーの扉を開けるための、極めて安全性の高い「鍵」の役割を果たしているに過ぎないのです。この設計思想こそが、万が一カードを紛失した際のリスクを最小限に抑える、重要な仕組みとなっています。
進化するインフラ:政策、課題、そして
マイナンバーカードは、一度作られて完成した静的なシステムではありません。それは、国の政策、技術の進歩、そして国民の期待や不安と相互に作用しながら、常に変化し続ける、動的な社会基盤(インフラ)です。ここでは、マイナンバーカードを取り巻く現在の状況を多角的に捉え、政府による普及促進の動き、それに伴って表面化した課題や論争、そしてこの国のデジタルインフラがこれからどこへ向かおうとしているのかを展望します。
普及に向けた強力な政策推進
政府は、マイナンバーカードを単なる「持っていると便利なカード」から、「誰もが持つべき必須のツール」へと転換させるため、強力な政策を次々と打ち出しています。その代表例が、キャッシュレス決済と連携させてポイントを付与する「マイナポイント事業」や、健康保険証としての利用を原則化する方針です 1。これらの施策は、インセンティブ(報酬)と、ある種の義務化を組み合わせることで、国民にカードの取得を促し、その利用シーンを日常生活の隅々にまで浸透させようとする、明確な意図の表れです。
さらに、カードの利用範囲は今後も拡大していく計画です。運転免許証の機能を一体化させることや、図書館の利用カードとして使えるようにすること、さらには物理的なカードを持ち歩かなくても、スマートフォンにその機能を搭載するといった構想も進められています 12。これらはすべて、マイナンバーカードを国民生活におけるデジタルな活動のハブ(中心)と位置づける国家戦略の一環です。
表面化する課題と論争
しかし、このようなトップダウンでの急速な普及推進は、様々な課題や摩擦も生み出しました。システム面では、市区町村の窓口で電子証明書の発行手続きが遅延するといった技術的な不具合が報告されています 55。また、国民の不安を大きくしたのが、他人の公金受取口座が誤って紐付けられたり、別人の証明書がコンビニで発行されたりといった、ヒューマンエラーやシステムの不備に起因する一連の問題でした 56。
こうした問題は、単なる技術的な失敗にとどまらず、制度そのものへの信頼を揺るがす事態へと発展しました。特に、政府のオンラインサービス「マイナポータル」の利用規約に、当初「利用者に損害が生じても国は一切の責任を負わない」といった趣旨の免責条項が含まれていたことが発覚した際には、国民から大きな批判が巻き起こりました 57。これは、巨大なシステムを運営する国と、それを利用する国民との間の、責任の所在という根源的な問題を浮き彫りにした出来事でした。後にこの規約は修正されましたが、国民の間に根強い不信感を残す一因となりました。
複雑な責任の所在
一連のトラブルを通じて明らかになったのは、何か問題が発生した際に、その責任がどこにあるのかが非常に複雑であるという事実です。それは、中央のシステムを管理するJ-LISの責任なのか、政策を主導する国(デジタル庁)の責任なのか、あるいは最前線でサービスを提供する市区町村の責任なのか、簡単には切り分けられません。2021年に行われたJ-LISの体制変更は、国の監督権限を強化することで、こうした指揮命令系統と責任の所在を明確化しようとする試みの一つであったとも言えます。
マイナンバーカードの物語は、輝かしい技術革新の物語だけではありません。それは、国の効率化というトップダウンの目標と、現場での運用の難しさ、技術的な限界、そして国民の信頼という、複雑な要素が絡み合う、社会と技術の相互作用の物語です。
今後、このシステムが真に国民に受け入れられ、日本のデジタル社会の揺るぎない基盤となるためには、技術的な改良や法整備を進めることと同じくらい、あるいはそれ以上に、徹底した情報公開と丁寧な対話を通じて、国民一人ひとりの信頼を地道に築き上げていく努力が不可欠となるでしょう。マイナンバーカードの未来は、そのプラスチックとICチップの中ではなく、それを支える社会全体の信頼関係の中にあります。
引用文献
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- マイナンバーの利用範囲の拡大等のためのマイナンバー法等の改正 | 記事 | 新日本法規WEBサイト, https://www.sn-hoki.co.jp/articles/article2920407/
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- 地方公共団体情報システム機構(J-LIS)とは、どのような法人ですか(A)FAQ一覧, https://faq1.city.komatsu.lg.jp/faq/detail.aspx?id=980
- 地方公共団体情報システム機構の新卒採用・会社概要 | マイナビ2026, https://job.mynavi.jp/26/pc/search/corp92871/outline.html
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- マイナンバー制度とマイナンバーカード|公的個人認証サービスによる電子証明書 - 総務省, https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/kojinninshou-01.html
- マイナンバーカードと健康保険証の一体化に関する検討会 最終とりまとめ - 厚生労働省, https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001137913.pdf
- デジタル田園都市国家構想交付金 (デジタル実装タイプ) Q&A集 - 地方創生, https://www.chisou.go.jp/sousei/about/mirai/pdf/denenkohukin_2022type123_qa2.pdf
- デジタル改革のこれまでの経緯について - 政府CIOポータル, https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/digital/20210928_meeting_conception_04.pdf
- 情報通信技術の活用による行政手続等に係る関係者の利便性の向上並びに行政運営の簡素化及び効率化を図るためのデジタル社会形成基本法等の一部を改正する法律案 - デジタル庁, https://www.digital.go.jp/laws/423e67de-d520-4d46-8260-54b4f3125544
- J-LIS 【お詫び】マイナンバーカードの電子証明書関係手続の処理遅延について, https://www.j-lis.go.jp/about/announce/information20231010.html
- 中間とりまとめ以降の検討状況 - デジタル庁, https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/e7eca243-c5d0-4ffd-ad83-27ad59cd53f4/77f50959/20230802_meeting_card-integration-mynumber-and-insurance-wg_outline_02.pdf
- デジタル庁はマイナポータル利用規約の「一切免責」条項をどう改定したか | クラウドサイン, https://www.cloudsign.jp/media/kiyaku-mynaportal/