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意思決定を科学する「オペレーションズ・リサーチ」入門

2025年9月3日

私たちの日常生活やビジネスの現場は、無数の意思決定の連続で成り立っています。限られた時間や予算、資源の中で、数多くの選択肢の中から「最善」の一手を選び出すという課題に、私たちは常に直面しています。例えば、どの商品を発注するか、どの経路で目的地に向かうか、あるいはどのプロジェクトに人員を割り当てるかといった問題です。多くの場合、私たちは経験や直感に頼ってこれらの決定を下しますが、問題が複雑になればなるほど、直感だけでは最適な答えにたどり着くことは難しくなります。

このような複雑な意思決定の問題に対して、科学的な光を当てる学問分野があります。それがオペレーションズ・リサーチ、略してORです。オペレーションズ・リサーチとは、私たちが直面する様々な問題を構造的に捉え、数学的な分析やアルゴリズムといった科学的手法を用いて、客観的かつ合理的に「最適な解」を見つけ出すための学問です。それは、単なる勘や経験則を超えて、論理的に最善の行動方針を導き出すための、強力な知恵と技術の体系と言えるでしょう。

この学問の誕生は、静かな大学の研究室ではなく、国家の存亡をかけた第二次世界大戦という極限状況の中にありました 1。当時、軍の司令官たちは、レーダーをいかに効率的に配置するか、敵の潜水艦の攻撃を避けるために輸送船団をどのように運用するかといった、一刻を争う複雑な問題の解決を迫られていました。この切実な必要性が、「作戦研究(Operations Study)」と呼ばれる新しい思考法を生み出したのです 4。これが、現代のオペレーションズ・リサーチの直接の起源となります。この歴史的背景は、ORが本質的に現実の問題解決を志向し、具体的な成果を重視する実践的な学問であることを物語っています。

本記事では、この問題解決の科学であるオペレーションズ・リサーチを、その基本から最先端の応用まで、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

オペレーションズ・リサーチの探求

基本概念と歴史的背景

オペレーションズ・リサーチをより深く理解するために、まずはその正式な定義と、戦場からビジネスの世界へと活躍の場を広げていった歴史的背景を詳しく見ていきましょう。

オペレーションズ・リサーチは、組織の運営に関わる様々な問題について、科学的な方法、数学的なモデル、そしてアルゴリズムを駆使して分析し、意思決定者が最善の判断を下すための情報を提供する学問分野として定義されます 4。そのプロセスは、まず現実世界で起きている問題を注意深く観察することから始まります。次に、その問題の本質的な要素を抽出し、数式などを用いて抽象的な「数理モデル」として表現します。そして最終的に、そのモデルを分析することで、目的を達成するための最適、あるいはそれに近い解を導き出すのです 1。このアプローチにより、主観や経験だけに頼るのではなく、合理的で定量的な根拠に基づいた意思決定が可能になります。

この強力な手法が、その真価を最初に発揮したのは、前述の通り第二次世界大戦中のイギリス軍でした 1。対潜水艦作戦の効率化や爆撃精度の向上といった軍事作戦の研究から始まったORは、戦争の終結とともに、その活躍の舞台を産業界へと移していきます。戦後の世界では、急速な経済成長に伴い、企業はかつてないほどの規模の拡大と熾烈な競争という、新たな「戦い」に直面していました 1。工場の生産ラインは複雑化し、物流網は広域化する中で、伝統的な経営手法だけでは対応しきれない問題が次々と現れたのです。このような状況下で、軍事作戦でその有効性が証明されたORの手法が、企業の経営課題を解決するための新たな武器として注目されるのは、必然的な流れでした 3

しかし、ORが産業界で広く普及するためには、もう一つの重要な要素の登場を待たねばなりませんでした。それがコンピューターの発展です 1。初期のORは、その計算の大部分を人間の手作業に頼っていたため、扱える問題の規模には限界がありました。1950年代から60年代にかけてコンピューター技術が飛躍的に進歩すると、これまで途方もない時間が必要だった複雑な数理モデルの計算が、現実的な時間で実行可能になったのです 6。この技術的な追い風を受け、ORは石油産業や建設業といった大規模な計画を必要とする分野を皮切りに、多くの企業や政府機関にとって不可欠なツールへと変貌を遂げました 1。まさに、軍事作戦で証明された「方法論」、経済競争という「需要」、そしてコンピューターという「実現手段」の三つが揃ったことで、ORは劇的な発展期を迎えたのです。

日本においても、ORの重要性は早くから認識されていました。1952年には日本科学技術連盟(日科技連)に「OR研究委員会」が設置され、1957年には学術団体である「日本オペレーションズ・リサーチ学会」が発足しました 6。これは、ORが世界的に認められた学問分野として、また専門職として確立されたことを示しています。その後、ORの考え方は多くの企業の日常業務に深く浸透していきました。1990年代には、その手法があまりにも当たり前のものとして業務に溶け込んだため、一時期「OR」という言葉が表立って語られることが少なくなった時期もありましたが、それはORが衰退したのではなく、むしろ社会の基盤として定着した証拠であるとも言えるでしょう 6

現代社会における応用

オペレーションズ・リサーチの考え方や手法は、今や私たちの社会の隅々にまで浸透し、目に見えないところで日々の生活や経済活動を支えています。ここでは、現代社会におけるORの具体的な応用例をいくつかご紹介し、その貢献の幅広さを感じていただきたいと思います。

まず、製造業の世界では、ORは生産活動の心臓部とも言える役割を担っています。工場では、どの製品を、いつ、どれだけの量生産すれば、コストを最小限に抑えつつ顧客の需要を満たせるかという、複雑な生産計画を立てる必要があります。ORは、このような問題に対して、最適なスケジュールを導き出す手助けをします 1。また、製品の在庫管理も重要な応用分野です。在庫が少なすぎれば販売機会を逃してしまい、多すぎれば保管コストや廃棄リスクが増大します。ORの手法を用いることで、欠品と過剰在庫の両方を避け、適切な在庫レベルを維持することが可能になるのです 9

物流業界もまた、ORがその力を大いに発揮している分野です。宅配便のトラックが、どのようにすれば最も効率的に荷物を届けられるか、その配送ルートの最適化にはORの技術が活用されています。これにより、燃料費の削減や配達時間の短縮が実現されています。特に近年、日本の物流業界が直面しているドライバー不足や労働時間規制といった「2024年問題」のような課題に対して、ORを用いた物流の効率化は、解決策の重要な柱として期待されています 11

金融の世界に目を向ければ、ORは投資家が自らの資産を運用する際の羅針盤となります。株式や債券など、様々な金融商品の中から、将来の収益性と価格変動のリスクのバランスを考慮し、個々の投資家の目的に合った最適な資産の組み合わせ、すなわち投資ポートフォリオを構築するために、ORの数理モデルが応用されています。

医療分野においても、ORの貢献は計り知れません。病院では、限られた手術室や医療スタッフを最大限に活用し、多くの患者さんの手術を効率的に行うためのスケジュール作成にORが役立っています。また、救急車の最適な配置場所を決定することで、通報から現場到着までの時間を短縮し、一人でも多くの命を救うことにも繋がっています。これらの最適化は、患者の待ち時間を減らし、医療サービスの質を向上させる上で不可欠です 11

これらの例にとどまらず、電力会社における発電計画の最適化、通信会社におけるネットワーク設計、政府における公共政策の立案など、ORの応用範囲は枚挙にいとまがありません。日本オペレーションズ・リサーチ学会が「働き方改革」や「社会安全」といったテーマを掲げて活動していることからもわかるように、ORは単なる経済活動の効率化ツールに留まらず、より良い社会を築くための重要な学問として、その役割を拡大し続けているのです 11

ORを支える主要な考え方

オペレーションズ・リサーチが、これほど多岐にわたる問題を解決できるのは、その背後に強力な分析手法、すなわち問題解決のための「考え方の道具箱」が存在するからです。ここでは、その中でも特に代表的で基本的な三つの考え方、「線形計画法」「動的計画法」「待ち行列理論」について、数式を使わずにその本質的なアイデアをご紹介します。これらは抽象的な理論ではなく、現実の問題を解き明かすための実践的な思考の枠組みです。

一つ目は「線形計画法」です。これは、与えられた制約条件の中で、ある目的を最大化または最小化するための最善の方法を見つけ出す手法です 14。例えば、ある工場が限られた量の原料と労働時間を使って、二種類の製品を作るとします。それぞれの製品から得られる利益は異なり、工場としては全体の利益を最大にしたいと考えています。このとき、使用できる原料の上限や労働時間の上限が「制約条件」となり、全体の利益が「目的」となります。線形計画法が適用できるのは、これらの制約や目的の関係が「線形」、つまり単純な比例関係で表せる場合です 14。この手法を用いることで、それぞれの製品を何個ずつ作れば利益が最大になるかという最適な生産計画を、数学的に導き出すことができるのです 16

二つ目は「動的計画法」です。これは、一見すると複雑で巨大に見える問題を、より小さな部分的な問題に分割して解くことで、最終的に全体の問題を効率的に解決する、非常に賢い戦略です 17。この手法の核心は、「一度解いた問題の答えは記録しておき、再利用する」という点にあります 19。大きな問題を解く過程では、同じ部分問題が何度も現れることがよくあります。そのたびに同じ計算を繰り返すのは非効率です。動的計画法では、小さな部分問題の最適な答えを一度だけ計算して保存しておき、後で必要になった際には計算し直すのではなく、保存した答えを呼び出して利用します。この工夫により、膨大な量の重複計算を避け、計算時間を劇的に短縮することができます。この考え方は、長期的な投資計画や大規模なプロジェクトの工程管理など、時間的な順序を追って意思決定が進むような問題で特に有効です 19

三つ目は「待ち行列理論」です。これは、その名の通り「行列に並んで待つ」という現象を科学的に分析する理論です 12。銀行の窓口、スーパーのレジ、あるいはコールセンターへの電話など、私たちの周りにはサービスを待つ人々の列、すなわち「待ち行列」が溢れています。待ち行列理論は、一定の時間にどれくらいの「客」が到着し、一人当たりの「サービス」にどれくらいの時間がかかるかといった情報を基に、行列の長さや平均的な待ち時間などを数学的に予測します 12。この理論を用いることで、企業や組織は、顧客を過度に待たせることなく、かつ無駄な人員を配置することもない、効率的なサービス体制を設計することが可能になります。最も基本的なモデルとして知られるM/M/1モデルは、客の到着がランダムで、サービス時間もばらつきがあり、窓口が一つであるような、多くの現実の状況に当てはまる考え方の基礎を提供してくれます 12

組み合わせ最適化の頂点:巡回セールスマン問題

オペレーションズ・リサーチが扱う数多くの問題の中でも、ひときわ有名で、多くの研究者を魅了し続けてきた問題があります。それが「巡回セールスマン問題」です。この章では、この問題の本質に迫り、なぜそれがこれほどまでに難しく、そして重要であるのかを探求していきます。

問題の本質と魅力

巡回セールスマン問題、英語ではTraveling Salesman Problem、略してTSPと呼ばれるこの問題の定義は、驚くほどシンプルです。それは、「セールスマンがいくつかの都市を訪問する際に、すべての都市をちょうど一度ずつ巡って出発点に戻ってくる経路の中で、移動距離の合計が最も短くなるものを見つけなさい」というものです 22

この問題の尽きない魅力は、その定義の分かりやすさと、その裏に隠された解決の難しさとの間の、大きなギャップにあります 22。誰でもすぐに問題の意味を理解できるにもかかわらず、その完璧な答えを見つけ出すことは、現代のコンピューター科学をもってしても極めて困難なのです。それは、一見すると穏やかな湖面のようでありながら、その底には計り知れない深淵が広がっているような、知的な挑戦心を掻き立てる問題です。

そして、巡回セールスマン問題は単なる数学的なパズルではありません。その構造は、現実世界の様々な最適化問題の雛形となっています。例えば、宅配業者が複数の配達先を回る最も効率的なルートを計画する場合や、工場で一台の機械がこなすべき複数の作業の順序を決定する場合、さらにはコンピューターのマイクロチップ上に電子部品を配置する際の配線長を最小化する設計など、その応用範囲は非常に広いのです 25。巡回セールスマン問題を解くことは、これらの現実的な課題におけるコスト削減や効率化に直接繋がる、非常に実用的な意味を持っているのです。

なぜこれほど難しいのか

巡回セールスマン問題の単純な見た目に反して、その解決を阻む壁は非常に高く、厚いものです。その困難さの根源は、「組み合わせの爆発」と呼ばれる現象にあります。

都市の数が少ないうちは、考えられるすべての経路を一つ一つリストアップして、その中から最短のものを選ぶという方法が可能です。しかし、都市の数が少し増えるだけで、経路の総数は私たちの想像を絶する速さで増加していきます。例えば、都市の数が10の場合、考えられる巡回路の数はおよそ18万通りです。これくらいならコンピューターで何とかなるかもしれません。しかし、都市の数が20に増えただけで、その数は約1京、つまり1兆の1万倍というとてつもない数に膨れ上がります 26。これほどの数の組み合わせを一つずつ検証することは、たとえ世界最速のスーパーコンピューターを使ったとしても、人間の寿命をはるかに超える時間が必要となり、事実上不可能です 27。このように、問題の規模が大きくなるにつれて、解の候補の数が天文学的に増加してしまう現象が「組み合わせの爆発」です。

この問題の難しさは、私たちの直感と計算の現実との間に存在する大きな隔たりを浮き彫りにします。5つや6つの都市であれば、人間は目で見て、かなり最適な経路に近いものを簡単に見つけ出すことができます。しかし、この直感的な能力は、問題の規模が大きくなると全く通用しなくなります。都市の数がわずかに増えるだけで、問題は「少し難しくなる」のではなく、「解決不可能な領域へと質的に変化する」のです。

この種の困難さを持つ問題は、計算機科学の世界で「NP困難」というクラスに分類されています 26。これは、現時点の人類の知識では、問題の規模が大きくなっても常に効率的(専門的には多項式時間と呼ばれます)に「完璧な」最適解を求める方法は存在しないだろう、と考えられている問題群の総称です。巡回セールスマン問題は、このNP困難な問題の中でも最も有名な代表例の一つであり、その難しさは、単なる技術的な課題ではなく、計算という行為そのものの限界を示唆する、根源的な性質なのです 29

最適解を求める道筋

巡回セールスマン問題が極めて難しいとはいえ、研究者たちはその完璧な最適解を見つけるための挑戦を諦めたわけではありません。ここでは、たとえ膨大な計算時間が必要になるとしても、厳密に最短経路を保証する方法、すなわち「厳密解法」について見ていきましょう。

最も直接的で分かりやすい方法は、前述した「総当たり法(ブルートフォース法)」です。これは、考えられるすべての巡回経路を一つ残らず生成し、それぞれの総距離を計算した上で、最も短いものを選ぶというアプローチです 27。この方法は、間違いなく完璧な答えを保証してくれます。しかし、これも前述の通り、「組み合わせの爆発」の直撃を受けるため、都市の数がほんの少しでも増えると、現実的な時間内には計算を終えることができなくなります。そのため、ごく少数の都市を扱う場合にしか適用できません。

そこで、総当たり法よりはるかに賢い厳密解法として「動的計画法」に基づくアプローチが考案されました。これは、しばしばその開発者の名前にちなんでヘルド・カープのアルゴリズムとも呼ばれます 30。この手法の考え方を数式なしで説明すると、問題を段階的に解いていく、というものです。まず、出発点からスタートして、いくつかの都市の小さなグループを巡る最短経路をすべて計算し、その結果を記録しておきます。次に、その記録した結果を利用して、もう少し大きな都市のグループを巡る最短経路を計算します。このように、小さな部分問題の解を再利用しながら、最終的にすべての都市を巡る全体の最短経路を構築していくのです。この方法は、同じ計算を何度も繰り返す無駄を省くため、総当たり法と比較して劇的に効率が向上します。しかし、この動的計画法でさえも、都市の数が数十個の規模になると、計算に必要な時間と、途中の結果を記録しておくためのコンピューターの記憶容量が膨大になりすぎてしまい、やはり限界に達してしまいます 30。これらの厳密解法は、最適解への道を理論的には示してくれますが、その道はあまりにも険しく、多くの場合、私たちは別の道を探すことを余儀なくされるのです。

現実的な解を求めて:近似と発見的解法

巡回セールスマン問題の完璧な最適解を求めることが、多くの場合、現実的ではないと分かりました。しかし、だからといって諦める必要はありません。実用上は、完璧な解でなくとも、「非常に質の良い解」を「現実的な時間」で見つけることができれば十分な場合がほとんどです。この要請に応えるため、研究者たちは驚くほど巧妙で多彩な手法を開発してきました。ここでは、その代表的な考え方である「近似アルゴリズム」と「発見的解法(ヒューリスティクス)」の世界を探検しましょう。これらは、完璧さとの引き換えに、実用性を手に入れるための知恵の結晶です。

まず、「近似アルゴリズム」についてです。このアプローチの最大の特徴は、得られる解の「品質保証」が付いている点です 30。つまり、アルゴリズムは「私が見つける経路は、完璧な最短経路よりも、最大でこれくらいの割合までしか長くなりません」という約束をしてくれるのです。その代表例が「クリストフィードのアルゴリズム」です 31。このアルゴリズムは、いくつかの巧妙なステップを組み合わせることで、質の高い解を効率的に生成します。まず、全都市を最小の総距離で繋ぐ予備的なネットワーク(最小全域木)を作ります。次に、そのネットワークの中で接続点が奇数個になっている特殊な都市を特定し、それらをペアにして結びつけます(最小重み完全マッチング)。これらを組み合わせることで、すべての都市を巡る一筆書きのような経路(オイラー路)を作り出し、最後に、同じ都市を二度通る部分を「近道」することで、最終的な巡回経路を完成させます 33。この一連の手順により、見つかる経路の長さが、真の最短経路の長さの最大でも1.5倍以内に収まることが数学的に証明されています。これは、近似アルゴリズムの歴史における画期的な成果でした 31

次に、「発見的解法(ヒューリスティクス)」です。これは、経験則や直感的な戦略に基づいて、保証はないけれども質の良い解を素早く見つけ出すことを目指すアプローチです 30

その基本的な考え方の一つが「局所探索法」です。まず、ランダムに一つの巡回経路を作成し、そこから小さな変更を加えて少しでも経路が短くなるなら、その変更を採用するという操作を繰り返します。その代表的な手法が「2-opt法」です 34。これは、現在の経路の中で交差してしまっている2本の辺を見つけ、その交差を解消するようにつなぎ替える、という単純な操作です。この「交差解消」を、改善の余地がなくなるまで繰り返すことで、初期のランダムな経路をどんどん洗練させていきます 30。

しかし、局所探索法には、局所的な最適解(その近傍だけを見れば最短だが、全体で見るとそうではない解)に陥ってしまうという弱点があります。この弱点を克服するために考案された、より高度なヒューリスティクスが「焼きなまし法(Simulated Annealing)」です 25。この手法は、金属を熱してからゆっくり冷やす「焼きなまし」という工程から着想を得ています 35。焼きなまし法では、解を改善する変更は常に受け入れますが、時には「あえて解を悪化させる変更」も、ある確率で受け入れます。この「改悪」を受け入れる確率は、探索の初期段階(温度が高い状態)では高く、探索が進むにつれて(温度が冷えるにつれて)低くなっていきます。この初期の柔軟な動きによって、局所的な罠から脱出し、より大域的な、真の最適解に近い領域へと探索を進めることができるのです 37

さらに、生物の進化のメカニズムを模倣した「遺伝的アルゴリズム(Genetic Algorithm)」も非常に強力なヒューリスティクスです 39。まず、多数のランダムな経路からなる「個体群」を生成します。次に、その中から「適応度の高い」個体、すなわち経路の短いものを優先的に選び出し、「親」とします。そして、二つの親の経路の良い部分を組み合わせる「交叉」によって、新たな「子」の経路を作り出します。また、ごく稀に「突然変異」として経路にランダムな変更を加え、多様性を維持します。この「選択、交叉、突然変異」というサイクルを何世代にもわたって繰り返すことで、個体群全体が、まるで生物が進化するように、非常に質の高い解へと収束していくのです 39

これらの解法群は、単なる技術の寄せ集めではありません。それらは、厳密な最適性の保証を求めるか、それとも計算速度と実用性を優先するかという、根本的なトレードオフの上になりたつ一つのスペクトルを形成しています。厳密解法は完璧な答えを約束しますが、その代償として莫大な計算コストを要求します。近似アルゴリズムは、保証のレベルを少し下げることで、実用性を手に入れます。そしてヒューリスティクスは、保証を完全に放棄する代わりに、非常に大規模で複雑な問題に対しても、驚くほど質の高い解を迅速に見つけ出すという、最高のパフォーマンスを発揮するのです。どの手法を選択するかは、解くべき問題の性質と、私たちが何を最も重視するかによって決まる、戦略的な判断なのです。

オペレーションズ・リサーチの未来図

オペレーションズ・リサーチは、その誕生から半世紀以上を経て、今、新たな進化の時代を迎えています。特に、データサイエンスと人工知能(AI)という二つの強力な技術との融合は、ORの可能性を飛躍的に広げ、その未来を大きく描き変えようとしています。

データサイエンスとAIとの融合

近年のオペレーションズ・リサーチの発展を語る上で、データサイエンスとAIとの深い相乗効果を抜きにすることはできません。これは、ORが古い学問として置き換えられるということでは決してなく、むしろこれらの新しい技術を取り込むことで、より強力な問題解決ツールへと進化していることを意味します 42

この関係性を理解する鍵は、「予測」と「最適化」の連携にあります。データサイエンス、特に機械学習は、膨大なデータの中からパターンを見つけ出し、未来を「予測」することに長けています。例えば、過去の販売実績や天候、経済指標といったデータを分析し、来月の製品需要を高い精度で予測するモデルを構築することができます 10

一方、オペレーションズ・リサーチは、その予測された未来を前提として、「では、どう行動すべきか」という「最適化」の問題を解くことを得意とします。データサイエンスによって得られた高精度な需要予測は、ORの在庫管理モデルや生産計画モデルにとって、極めて質の高い入力情報となります。精度の低い予測に基づいて立てられた計画が良い結果をもたらさないのと同様に、優れた予測があってもそれをどう行動に結びつけるかの指針がなければ意味がありません。データサイエンスが「何が起こるか」を明らかにし、ORが「それに対して何をすべきか」を決定する。この二つが両輪となることで、真にデータに基づいた、質の高い意思決定が実現されるのです 43

さらに、AIの技術は、ORの道具箱そのものを豊かにしています。その中でも特に注目されているのが「強化学習」です 44。強化学習は、明確な指示が与えられない状況で、「エージェント」と呼ばれる主体が試行錯誤を繰り返しながら、自律的に最善の行動方針を学習していく枠組みです 46。良い行動をとると「報酬」が与えられ、悪い行動をとると「罰」が与えられる。エージェントは、この報酬を最大化することを目指して、徐々に賢い振る舞いを身につけていきます。このアプローチは、状況が刻一刻と変化するような動的な問題、例えばロボットの自律制御や、リアルタイムでの配送スケジューリングなど、静的な数理モデルでは捉えきれない複雑な意思決定問題に対して、新たな解決の道を開くものとして期待されています。囲碁の世界でプロ棋士を破ったAlphaGoの成功は、この強化学習の持つ計り知れないポテンシャルを世界に示しました 47

このように、データサイエンスとAIは、ORに質の高い燃料を供給し、同時に新たなエンジンを提供する、強力なパートナーなのです。この融合によって、ORはこれまで以上に複雑で、不確実性の高い現実世界の問題に立ち向かう力を得つつあります。

産業と社会への新たな貢献

オペレーションズ・リサーチの進化は、その応用範囲を、従来の産業界における効率化や利益最大化という枠組みを超えて、より広範な社会課題の解決へと押し広げています。これは、ORという学問が、単なる技術から、社会の持続可能性や人々の幸福に貢献するための「思想」へと成熟しつつあることを示しています。

この新しい潮流は、日本オペレーションズ・リサーチ学会の近年の活動テーマにも明確に表れています 13。例えば、「働き方改革」というテーマでは、従業員の満足度や健康を考慮しつつ、組織全体の生産性を向上させるような勤務スケジュールの最適化が研究されています。また、「社会安全」というテーマでは、自然災害時の避難計画の最適化や、インフラの老朽化対策における投資の優先順位付けなど、市民の安全と安心を守るためのORの活用が模索されています 11

これらの課題は、単一の目的、例えばコストの最小化だけを考えればよいという単純な問題ではありません。効率性、公平性、安全性、環境への配慮といった、互いに相反することもある複数の目的を同時に考慮に入れる必要があります。このような複雑な価値観が絡み合う問題に対して、それぞれの要素を定量的に評価し、トレードオフの関係を明らかにしながら、社会全体として合意形成可能な解を探っていく。これこそが、現代のORに課せられた新たな挑戦であり、その社会的な価値の源泉です。

そして、このような壮大な課題に取り組むためには、ORの専門家だけでは不十分です。社会学、経済学、工学、公共政策学など、多様な分野の専門家との密な連携、すなわち学際的なアプローチが不可欠となります 13。それぞれの分野の知見を持ち寄り、共通の言語としてORのモデルを用いることで、複雑な社会システムをより深く理解し、より良い未来へと導くための処方箋を描くことができるのです。

オペレーションズ・リサーチの未来は、その原点である「複雑な世界の中で、より良い意思決定を行うための科学的アプローチを提供する」という使命に、これからも忠実であり続けるでしょう。その探求は、産業の競争力を高めるだけでなく、私たちが暮らす社会そのものを、より豊かで、より安全で、より持続可能なものにしていくことに、間違いなく貢献していくはずです。

学びの先にあるもの

本記事では、「意思決定を科学する」学問、オペレーションズ・リサーチの世界を巡る旅をしてきました。その起源が第二次世界大戦の緊迫した作戦研究にあったことから始まり、線形計画法や動的計画法といった基本的な考え方、そして「組み合わせ最適化の頂点」とも言える巡回セールスマン問題の奥深い世界を探求しました。最後には、データサイエンスやAIとの融合によって切り拓かれる、ORの輝かしい未来図を垣間見ました。

この旅を通じて、皆さんが得られる最も価値のあるものは、個々のアルゴリズムの知識そのものよりも、むしろオペレーションズ・リサーチが育む「構造的・分析的な思考様式」かもしれません。それは、目の前にある複雑な問題を冷静に観察し、その本質的な構造を抽象化する力。達成すべき「目的」と、乗り越えるべき「制約」を明確に定義する力。そして、様々な選択肢を感情や主観に流されることなく、論理的かつ定量的に評価し、最善の一手を選択する力です。

この思考様式は、特定の専門分野に留まらない、普遍的なスキルです。ビジネスの現場で、あるいは日々の暮らしの中で、私たちが直面するあらゆる課題に対して、より明確で、より合理的な判断を下すための強力な武器となります。オペレーションズ・リサーチを学ぶことは、単に技術を習得することではなく、物事をより深く、より明晰に考えるための訓練でもあるのです。その核心にあるのは、いつの時代も変わらない、明晰な思考の科学なのです。

引用文献

  1. オペレーションズリサーチとは? 意味や使い方 - コトバンク,オペレーションズリサーチとは? 意味や使い方 - コトバンク
  2. 社会の困りごとを科学的に解決する「オペレーションズ・リサーチ(OR)」とは | OTEMON VIEW,https://newsmedia.otemon.ac.jp/3489/
  3. オペレーションズ・リサーチとは何か?定義と基本的な考え方を解説 | 株式会社一創,https://www.issoh.co.jp/column/details/7247/
  4. オペレーションズリサーチ(OR)とは?意味を分かりやすく解説 ...,オペレーションズリサーチ(OR)とは?意味を分かりやすく解説 - IT用語辞典 e-Words
  5. OR(オペレーションズ・リサーチ)とは,https://operations-research.kke.co.jp/operations-research/
  6. OR(オペレーションズリサーチ)の歴史 - 木暮 仁,https://www.kogures.com/hitoshi/history/or/index.html
  7. オペレーションズ・リサーチ - Wikipedia,オペレーションズ・リサーチ - Wikipedia
  8. 日本オペレーションズ・リサーチ学会 - Wikipedia,日本オペレーションズ・リサーチ学会 - Wikipedia
  9. 問題解決の手法「オペレーションズ・リサーチ」って何? | 夢ナビ講義,https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g004542
  10. サプライチェーンマネジメントのためのデータサイエンス ... - Qiita,https://qiita.com/hasegawa16777216/items/b8533a41873158415844
  11. 日本オペレーションズ・リサーチ学会 秋季シンポジウム&研究発表会のご案内,https://www1.logistics.or.jp/news/news-2527/
  12. 待ち行列理論 | ITの基礎知識|ITパスポート・基本情報,待ち行列理論 | ITの基礎知識|ITパスポート・基本情報
  13. 公益社団法人 日本オペレーションズ・リサーチ学会,https://orsj.org/
  14. 線形計画法 【LP】 Linear Programming / リニアプログラミング - IT用語辞典 e-Words,https://e-words.jp/w/%E7%B7%9A%E5%BD%A2%E8%A8%88%E7%94%BB%E6%B3%95.html
  15. 【5分で分かる】線形計画法について解説! - YouTube,https://www.youtube.com/watch?v=uiruhTxziZA
  16. 線形計画法とは?例題(文章題)の解き方をわかりやすく解説 ...,https://univ-juken.com/senkei-keikakuho
  17. dai1741.github.io,動的計画法(ナップサック問題) - アルゴリズム講習会
  18. 動的計画法の易しい解説 - PyDocument,https://pydocument.hatenablog.com/entry/2023/04/01/203231
  19. 動的計画法(ナップサック問題) - アルゴリズム講習会,https://dai1741.github.io/maximum-algo-2012/docs/dynamic-programming/
  20. 待ち時間について考える方法|massaφ - note,https://note.com/re_think/n/n5ebf58c5d58b
  21. 待ち行列とケンドールの記号-わかりやすい待ち行列理論入門 - 初心者のWebサイト勉強,https://www.beginner-blogger.com/queueing-theory-introduction/
  22. 【1分解説】巡回セールスマン問題とは? | 重原 正明,https://www.dlri.co.jp/report/ld/290032.html
  23. 巡回セールスマン問題 - ANCAR,https://ancar.app/contents/problems/traveling_salesman/
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  26. 巡回セールスマン問題の考え方と解法を分かりやすく解説 ...,https://pydocument.hatenablog.com/entry/2023/05/13/120528
  27. 巡回セールスマン問題をいろんな近似解法で解く(その1: 総当たり法とグリーディ法) - Qiita,https://qiita.com/take314/items/dc2e6cf6d97889923c8b
  28. 巡回セールスマン問題にみる実践と学習のギャップ - Annealing Cloud Web,https://annealing-cloud.com/ja/column/1.html
  29. P ≠ NP 予想について 〜 NP、NP 完全、NP 困難を整理 〜 #アルゴリズム - Qiita,https://qiita.com/drken/items/5187e49082f7437349c2
  30. Pythonで「巡回セールスマン問題」を解いてみよう!8つの解法を ...,https://paiza.hatenablog.com/entry/2022/10/07/130000
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  32. 数学の難問「巡回セールスマン問題」の近似解を求める最良のアルゴリズムが数十年ぶりに更新される - GIGAZINE,https://gigazine.net/news/20201012-break-traveling-salesperson-record/
  33. メトリックTSP:1.5-近似 - 37zigenのHP,https://37zigen.com/metric-traveling-salesman-problem/
  34. 巡回セールスマン問題(TSP)の基本的な解き方(ILS) | フューチャー ...,https://future-architect.github.io/articles/20211201a/
  35. 焼きなまし法とは - アルゴ式,https://algo-method.com/descriptions/oe3TjVcJgyQyPlPb
  36. 量子アニーリング方式 - 技術リソース - Fixstars Amplify - 量子コンピューティング クラウド,https://amplify.fixstars.com/ja/techresources/annealing-method/
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  38. 雑にsimulated annealingする話 #Python3 - Qiita,https://qiita.com/ShataKurashi/items/c0c6044e97fa9e4a9471
  39. 遺伝的アルゴリズムで巡回セールスマン問題を解いてみる(理論編 ...,https://qiita.com/masaru/items/729a0a0e2d7f305e8e90
  40. 【活用例あり】遺伝的アルゴリズムとは?概念やメリデメをわかりやすく解説 - Jitera,https://jitera.com/ja/insights/45092
  41. 遺伝的アルゴリズム (Genetic Algorithm ),https://www.sss.fukushima-u.ac.jp/~fujimoto/LEC/AI/GA.pdf
  42. データを利活用した人財力最大化のための手法 ~オペレーションズ・リサーチによる人財・組織・PMOの最適化,https://bdm.dga.co.jp/?p=3992
  43. 第5回:なぜデータサイエンティストが数理最適化を行うのか ...,https://www.brainpad.co.jp/doors/contents/01_tech_2020-11-06-000005/
  44. 強化学習 - Wikipedia,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%BF%92
  45. 強化学習が可能にするオペレーション最適化の世界 - J-Stage,https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjsai/JSAI2022/0/JSAI2022_1G4OS22a04/_article/-char/ja
  46. 強化学習の仕組みと活用例を解説 - 株式会社Nuco,https://nuco.co.jp/blog/article/NI5TvQbD
  47. 強化学習の困難と解決に向けた研究の方向性〜強化学習と生成系モデルの融合〜 - Qiita,https://qiita.com/s-inoue-git/items/c1c16c818f9fb65aa8d0

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