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日本医薬品市場売上高ランキング【2024年度】

今回は、日本医薬品市場売上高ランキングの上位に位置する薬、急成長を遂げた薬、そして逆に売上を落とした薬などをひとつひとつご紹介します。

ここで、一つだけ知っておいていただきたい大切なことがあります。このランキングで使われている売上高の数字には、実は二つの異なる基準が存在するということです。一つは、国内の製薬会社が決算で発表する「仕切価格」をベースにした売上高。これは、製薬会社が医薬品卸売業者に販売するときの価格です。もう一つは、主に外資系企業の売上高を算出するために使われる、IQVIAという調査会社のデータに基づく「薬価」ベースの売上高です 1

「薬価」とは、国が定めた公的な価格のことで、病院や薬局がその薬を患者さんに使用した際に、健康保険から支払いを受ける基準となる価格です 2。一般的に、製薬会社が卸に売る価格(仕切価格)よりも、この公定価格(薬価)の方が高く設定されています。この価格差は、流通経費や医療機関の利益などになります。そのため、薬価を基準に算出された売上高は、仕切価格を基準にしたものよりも金額が大きくなる傾向があります 1

この「薬価」と実際の取引価格との差こそが、日本の医薬品価格制度を理解する上で非常に重要な鍵となります。国は定期的に実際の市場での取引価格を調査し、薬価と実勢価格の間に大きな差が生まれていると判断した場合、その差を縮めるために薬価を引き下げる「薬価改定」を行います 2。この仕組みが、これから私たちが目にする多くの薬の運命を左右することになります。

順位製品名企業名2024年度売上高前年度比
1キイトルーダMSD1918億円16.3%増
2リクシアナ第一三共1330億円15.1%増
3デュピクセントサノフィ1218億円40.5%増
4オプジーボ小野薬品工業1203億円▲17.3%減
5タグリッソアストラゼネカ1111億円3.7%増
6イミフィンジアストラゼネカ1032億円▲14.5%減
7タケキャブ武田薬品工業994億円2.5%増
8ラゲブリオMSD935億円▲27.0%減
9フォシーガ小野薬品工業896億円17.7%増
10エンレストノバルティスファーマ799億円45.0%増
11ジャディアンスベーリンガー786億円32.7%増
12アイリーア参天製薬781億円7.3%増
13ベージニオ日本イーライリリー692億円19.4%増
14オフェブベーリンガー667億円9.4%増
15テセントリク中外製薬654億円▲0.2%減
16ヘムライブラ中外製薬590億円7.7%増
17イクスタンジアステラス製薬579億円2.1%増
18イベニティアステラス製薬579億円18.5%増
19ステラーラ田辺三菱製薬567億円▲13.2%減
20タリージェ第一三共556億円21.8%増
21サイラムザ日本イーライリリー496億円▲1.0%減
22アクテムラ中外製薬480億円8.4%増
23デエビゴエーザイ445億円25.2%増
24プラリア第一三共422億円▲1.3%減
25シンポニー田辺三菱製薬414億円▲4.5%減
26テリボン旭化成ファーマ410億円5.6%増
27アブラキサン大鵬薬品工業347億円8.5%増
28トラディアンスベーリンガー343億円18.2%増
29ポライビー中外製薬341億円▲3.9%減
30アバスチン中外製薬338億円▲32.1%減

日本の薬価制度への招待

医薬品の売上高ランキングを理解するためには、まず日本の「薬価制度」を学ぶ必要があります。なぜなら、個々の医薬品の価格、ひいては売上高を決定づける力を持っているからです。

価値の出発点 – 新薬の価格はどのように決まるのか

新しい薬が世に出るとき、その最初の価格、つまり「薬価」はどのようにして決まるのでしょうか。日本では、主に二つの方法が用いられています。

一つ目は「類似薬効比較方式」と呼ばれるものです 2。これは、新薬と効能や効果、作用の仕方が似ている薬がすでに市場に存在する場合に用いられる算定方法です。この方法では、最も似ている既存薬(最類似薬)の一日あたりの薬価を基準にして、新薬の価格が決められます。これは、市場での公正な競争を促し、同じような効果の薬の価格が大きくかけ離れることを防ぐための、公平なルールと言えるでしょう 3

しかし、もし新薬が既存の薬に比べて明らかに優れた点を持っている場合はどうなるでしょうか。例えば、治療効果が格段に高い、副作用が少ない、あるいは使い方が非常に便利であるといった場合です。こうした客観的に示された「有用性」が認められると、「補正加算」という形で価格が上乗せされることがあります 5。これは、より良い薬を開発した企業の努力、すなわちイノベーションを正当に評価するための仕組みです。特に、治療法がなかった病気に対する画期的な薬や、患者数の少ない希少疾病(難病)の治療薬などには、手厚い加算がなされることがあります 6

二つ目の方法は「原価計算方式」です 2。これは、世の中に比較対象となる薬が全く存在しない、全く新しい作用を持った画期的な新薬の価格を決める際に用いられます。この方式では、薬の製造にかかる原材料費や製造経費、研究開発費、そして製薬企業の適正な営業利益などを一つひとつ積み上げていくことで、価格を算出します 5。こちらも同様に、既存の治療法を大きく変えるような革新性が認められれば、その価値に応じて補正加算が行われます 5

さらに、日本の薬価が国際的な水準から大きく外れないようにするための調整も行われます。それが「外国平均価格調整」です 2。これは、新薬の価格をアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスという主要4カ国の価格と比較し、日本の価格がこれらの国々の平均価格よりも著しく高い場合には引き下げ、逆に著しく低い場合には引き上げるというルールです。これにより、日本の患者さんが海外に比べて不当に高い薬価を負担したり、逆に安すぎるために日本での販売が後回しにされたりすることを防いでいます 5

このように、新薬の価格は、既存薬との比較や製造コストを基本としながらも、その薬が持つ革新性や有用性、そして国際的な価格バランスを考慮して、多角的な視点から慎重に決定されているんですね。

成功のパラドックス – 市場拡大再算定

さて、新薬が無事に発売され、多くの患者さんを救い始めたとします。それは製薬企業にとっても、社会にとっても喜ばしいことです。しかし、もしその薬の売上が、薬価を決めた当初の予測をはるかに超えて巨大なものになったとしたら、どうなるでしょうか。ここに、日本の薬価制度の非常にユニークな特徴である「市場拡大再算定」というルールが登場します 8

このルールを一言で説明するならば、「予想外に売れすぎた薬の価格を引き下げる」という仕組みです。薬価は、承認された効能・効果に基づいて、一定数の患者に使われることを想定して設定されています。しかし、発売後の研究で新たな効果が発見されたり、臨床現場での評価が高まったりして、想定をはるかに超える規模で使われることがあります。そうなると、一人の患者さんあたりの薬の価格は同じでも、国全体の医療費は大きく膨れ上がってしまいます 10

国の医療保険財政の持続可能性を守るため、市場拡大再算定は、こうした事態に対応するために設けられました。具体的には、年間販売額が一定の基準、例えば150億円を超え、かつ当初の予測の2倍以上になった場合などに、薬価の引き下げが行われます 8

さらに、特に高額な薬剤が医療財政に与える影響は大きいため、より厳しい特例ルールも存在します。例えば、年間の販売額が1000億円を超え、予測の1.5倍以上になった場合は最大で25%、1500億円を超え、予測の1.3倍以上になった場合は最大で50%もの大幅な価格引き下げが行われる可能性があるのです 8。このルールは、かつてC型肝炎治療薬のような画期的な高額薬剤が登場し、医療保険財政を圧迫する懸念が生じたことをきっかけに導入されました 9

この市場拡大再算定は、製薬企業にとっては「成功のパラドックス」とも言える厳しいルールです。革新的な薬を開発し、多くの患者に届けた結果、その成功ゆえに薬の価格が引き下げられてしまうからです。しかしこれは、企業のイノベーションを評価し、新薬開発を促進するという目的と、国民皆保険という社会の共有財産を守るという目的の、二つの相反する要請を両立させようとする、日本の医療政策の絶妙なバランス感覚の表れと見ることができるかもしれません。

一蓮托生 – 「共連れ」ルール

市場拡大再算定の興味深い点は、その影響が当事者である薬だけに留まらないことです。ここで登場するのが、「共連れ」と呼ばれる、さらに一歩踏み込んだルールです 12

「共連れ」ルールとは、ある薬が市場拡大再算定の対象となって薬価が引き下げられた際に、その薬と市場で競合している類似薬の薬価も、一緒に引き下げられるという仕組みです 12。例えば、ある画期的な抗がん剤Aが予想をはるかに超えて売れ、薬価が引き下げられることになったとします。このとき、同じようなメカニズムでがんと闘う競合薬BやCが存在すれば、たとえBやCの売上が予測の範囲内であったとしても、Aと同じように薬価が引き下げられてしまうのです。

このルールは、抗がん剤の「テセントリク」が市場拡大再算定の対象となった場合、類似薬である「オプジーボ」や「キイトルーダ」、「イミフィンジ」も同じ引き下げの対象となりうるというものです 12。これは、特定の薬だけが価格競争で有利になることを防ぎ、類似薬の市場全体で価格を適正化しようという考え方に基づいています。

しかし、このルールは時として難しい問題も引き起こします。なぜなら、薬理作用が似ているというだけで「類似薬」と見なされても、実際にはそれぞれ得意とするがんの種類や使われる場面が異なっていることがあるからです 14。ある薬の市場が拡大したからといって、効能が異なる別の薬まで同じように価格を下げるのは、必ずしも合理的とは言えません。

そのため、近年ではこの「共連れ」ルールのあり方について、見直しの議論も進められています。例えば、薬理作用は似ていても、臨床上の使われ方が全く異なる領域の薬については、共連れの対象から除外するといった、よりきめ細やかな運用が検討されているんですね 14

この「共連れ」ルールは、製薬企業にとって、自社の製品の売上だけでなく、競合品の動向にも常に注意を払わなければならないことを意味します。まさに、ライバル企業と「一蓮托生」の運命を共にしていると言えるでしょう。このルールが、いくつかの薬の売上に大きな影響を与えている事実もあります。

不可欠な薬を守るために – 不採算品再算定

これまで薬価を引き下げるルールについて見てきましたが、日本の薬価制度には、逆に薬価を「引き上げる」ための仕組みも存在します。それが「不採算品再算定」です 16

一見すると、医療費を抑制する流れに逆行するように思えるかもしれませんが、これには非常に重要な目的があります。それは、医療現場にとって不可欠であるにもかかわらず、価格が安くなりすぎて企業の採算が取れなくなり、製造・供給が困難になってしまう薬を守るためです 16

長年にわたって使われ続けてきた薬の中には、度重なる薬価改定によって、薬価が非常に低い水準になっているものが少なくありません。一方で、近年では原材料費やエネルギーコストが高騰しており、製薬企業にとっては、そうした薬を作り続けることが経営上の大きな負担となる場合があります 18。もし企業が採算割れを理由に製造を中止してしまえば、その薬を必要とする患者さんは治療の機会を失ってしまいます。特に、他に代わりとなる薬がないような、医療上の必要性が高い医薬品の場合、その影響は深刻です。

不採算品再算定は、こうした事態を防ぐためのセーフティネットです。具体的には、関係する学会などから医療上の必要性が高く、継続的な供給が求められていること、そして薬価と実際の市場価格との差が一定の範囲内であること(つまり、不当に高く売られていないこと)などの条件を満たす品目について、企業が製造を継続できる水準まで薬価を引き上げるのです 17

最近では、世界的な物価高騰や医薬品の供給不安といった問題に対応するため、この不採算品再算定が臨時・特例的な措置として、より柔軟に活用される場面も増えています 18

このルールは、イノベーションの評価とはまた違う次元で、国民の命と健康を守るために不可欠な医薬品の安定供給を確保するという、国の強い意志の表れです。後の章で、このルールによって売上を大きく伸ばした漢方薬の事例を取り上げますが、その背景にはこうした公的な配慮があることを、ぜひ心に留めておいてください。

避けられない変化 – 後発医薬品とバイオシミラー

最後に、医薬品市場の様相を根底から変える、もう一つの重要な力について説明します。それは、先発医薬品の特許が切れた後に登場する「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」と「バイオシミラー(バイオ後続品)」の存在です。

新薬は、その開発に莫大な費用と長い年月を要するため、一定期間、特許によって独占的に販売する権利が保護されています。しかし、その特許期間が満了すると、他の製薬会社が同じ有効成分を持つ医薬品を製造・販売できるようになります。これが後発医薬品です 2。後発医薬品は、すでに有効性や安全性が確認された成分を用いるため、開発コストを大幅に抑えることができ、その結果、先発医薬品の半額以下の価格で提供されることが一般的です 2

国は医療費を抑制するために後発医薬品の使用を強力に推進しており、多くの患者さんや医療機関が、価格の安い後発医薬品へと切り替えていきます。その結果、特許が切れた先発医薬品の売上は、多くの場合、劇的に減少することになります。これは、医薬品がそのライフサイクルの中で必ず直面する、避けられない変化です 1

近年では、化学合成で作られる低分子の薬だけでなく、遺伝子組換え技術などを用いて作られる、タンパク質などを有効成分とする複雑な構造の「バイオ医薬品」が増えています。こうしたバイオ医薬品の特許が切れた後に発売される後続品が「バイオシミラー」です。バイオシミラーも後発医薬品と同様に、先発のバイオ医薬品よりも安い価格で提供されるため、市場に登場すると、先発品の売上に大きな影響を与えます 1

この報告書で分析するランキングの中にも、後発医薬品やバイオシミラーの登場によって売上を大きく落とした薬がいくつも登場します。その背景には、特許という独占的な地位を失い、厳しい価格競争の波にさらされるという、市場原理に基づいたダイナミックな変化があるのです。

以上で、日本の薬価制度というゲームの基本的なルールを学び終えました。これらのルールが、実際の市場でどのように作用し、個々の薬の運命を左右していくのか。次の章から、いよいよ具体的なランキングの分析に入っていきましょう。

 1000億円クラブ

日本の医薬品市場において、年間売上高1000億円を超えるということは、その薬が単なる一つの治療選択肢ではなく、医療の根幹を支えるほどの存在になったことを意味します。この特別なグループを「1000億円クラブ」と呼ぶことにしましょう。2024年度のランキングでは、6つの製品がこのクラブのメンバーとなりました 1。しかし、その顔ぶれを見ると、それぞれが全く異なる道を歩んできたことがわかります。ある薬は輝かしい成長を続け、ある薬は厳しい逆風に耐え、またある薬は静かにその座を明け渡しました。

まず、このクラブの頂点に君臨するのは、MSD社の抗PD-1抗体、がん免疫療法薬の「キイトルーダ」です。その売上高は、前年度から16.3%増加し、1918億円という驚異的な数字を記録しました。これで2年連続のトップとなります 1。キイトルーダの強さの源泉は、その絶え間ない適応拡大にあります。2024年5月には、新たに胃がんや胆道がんの一次治療、つまり患者さんが最初に受ける治療法として使えるようになりました 1。これは、治療の早い段階からキイトルーダが選択される機会が増えることを意味し、売上を力強く押し上げる要因となりました。

しかし、キイトルーダの成功を語る上で、もう一つ見逃せない重要な事実があります。それは、2024年度において、この薬が薬価改定の影響を受けなかったということです 1。市場拡大再算定や共連れルールといった価格引き下げの網にかかることなく、純粋に治療患者数の増加がそのまま売上増に結びついたのです。これは、巨大な売上を誇る製品にとっては非常に幸運な状況であり、王者の地位を盤石なものにする決定的な要因となりました。

次に、2位の座を確保したのは、第一三共の抗凝固薬「リクシアナ」です。売上高は前年度比15.1%増の1330億円と、こちらも力強い成長を見せています 1。リクシアナは、心房細動の患者さんにおける脳卒中の予防など、非常に多くの患者さんが日常的に服用する薬です。その安定した需要と高い信頼性が、1000億円を超える巨大な売上を支える屋台骨となっています。キイトルーダのような劇的な適応拡大とは異なり、リクシアナの物語は、日々の医療現場で着実にその価値が認められ続けている、いわば「静かなる巨人」の物語と言えるでしょう。

そして、今年最も注目すべき動きを見せたのが、3位に躍り出たサノフィ社の抗IL-4/13受容体抗体「デュピクセント」です。売上高は前年度から実に40.5%も増加し、1218億円を達成。見事に1000億円クラブの仲間入りを果たしました 1。デュピクセントの急成長は、複数の要因が重なった結果です。主力の適応症であるアトピー性皮膚炎での処方が引き続き好調だったことに加え、2024年2月には新たに慢性蕁麻疹への適応が拡大され、治療の選択肢がなかった患者さんにとっての新たな希望となりました。これが売上を大きく押し上げたのです 1

ここで非常に興味深いのは、デュピクセントがこの目覚ましい成長の過程で、薬価の引き下げを経験しているという事実です。同年11月、デュピクセントは、その急激な市場拡大を理由に、3度目となる市場拡大再算定の適用を受け、薬価が引き下げられました 1。通常であれば、これは売上の伸びにブレーキをかけるはずです。しかし、デュピクセントの場合、それを補って余りあるほどの処方数量の増加があったため、価格引き下げの影響をものともせず、40%を超える驚異的な成長を遂げたのです。これは、薬が持つ本質的な価値と治療ニーズが極めて高ければ、薬価制度による価格調整の圧力をも乗り越えて成長できることを示す、象徴的な事例と言えます。

一方で、1000億円クラブの中には、厳しい現実に直面した薬もあります。4位の小野薬品工業の抗PD-1抗体「オプジーボ」は、売上高1203億円と依然として高い水準にあるものの、前年度からは17.3%もの大幅な減少となりました 1。オプジーボは、キイトルーダと同じがん免疫療法薬のパイオニアであり、長年トップクラスの売上を誇ってきました。では、なぜこれほどの減少に見舞われたのでしょうか。

その答えは、「共連れ」ルールにあります。オプジーボは、競合する類似薬が市場拡大再算定の対象となった際に、その「共連れ」として薬価が引き下げられました 1。つまり、オプジーボ自身の売上が直接の原因ではなく、競合品の成功が自らの価格に影響した形です。もちろん、オプジーボを必要とする患者さんの数は増え続けています。しかし、その数量の増加だけでは、薬価引き下げによるマイナス分をカバーしきれなかったのです 1。これは、個々の薬の価値とは別に、薬価制度という大きなルールが市場にいかに強い影響力を持つかを示す、典型的な例です。

同様の運命を辿ったのが、6位のアストラゼネカ社の抗PD-L1抗体「イミフィンジ」です。売上高は1032億円でしたが、前年度比で14.5%の減少となりました。イミフィンジもまた、オプジーボと同様に薬価引き下げの影響を受け、二桁の減収を余儀なくされたのです 1

5位には、同じくアストラゼネカ社の肺がん治療薬「タグリッソ」がランクインしています。売上高は3.7%増の1111億円と、堅調な推移を見せました 1。タグリッソは、特定の遺伝子変異を持つ肺がん患者さんにとっての標準治療として、確固たる地位を築いています。

最後に、このクラブの栄枯盛衰を象徴する出来事として、MSD社の新型コロナウイルス感染症治療薬「ラゲブリオ」の動向に触れておかなければなりません。前年度は2位という高順位を誇ったラゲブリオですが、今年度は売上高935億円、前年度比27.0%減となり、1000億円クラブから姿を消しました 1。これは、薬の価値や薬価制度の問題というよりも、新型コロナウイルス感染症の流行状況が変化し、治療薬に対する需要そのものが落ち着いてきたという、市場環境の大きな変化を反映した結果です。

このように、1000億円クラブという一つのグループの中にも、適応拡大と薬価改定回避で独走する王者、薬価引き下げを力でねじ伏せた新星、そして共連れルールに泣いた古豪と、様々なドラマが繰り広げられています。それぞれの薬の売上高という数字の裏には、その薬自身の価値、患者さんのニーズ、そして日本の薬価制度という巨大な力が複雑に絡み合った、深い物語が隠されているのです。

著しい成長とイノベーション

医薬品市場の魅力は、トップに君臨する巨星たちの動向だけではありません。未来の市場を担うべく、力強く成長している「躍進する星々」に目を向けることで、私たちはイノベーションの最前線と、市場の新たな潮流を捉えることができます。この章では、売上高を大きく伸ばし、ランキングを駆け上がった製品たちに焦点を当て、その成長の原動力を探っていきます。

まず注目したいのは、トップ10入りという大きな飛躍を遂げたノバルティス ファーマの心不全・高血圧症治療薬「エンレスト」です。その売上高は、前年度から実に45.0%も増加し、799億円に達しました。これにより、順位も昨年の18位から10位へと大きくジャンプアップしたのです 1。この目覚ましい成長の背景には、明確な理由があります。2024年2月、エンレストは新たに「小児の心不全」への適応が認められました 1。これまで治療選択肢が限られていた若い患者さんたちにとって、これは大きな福音でした。この適応拡大によって新たな患者層を獲得したことが、売上高を前年から250億円近くも押し上げる強力なエンジンとなったのです。エンレストの物語は、既存の薬が新たな臨床的価値を見出され、より多くの患者さんを救うことで市場を拡大していくという、医薬品ライフサイクルマネジメントの成功例を私たちに示してくれます。

同様に、力強い二桁成長を遂げた薬として、SGLT2阻害薬と呼ばれるタイプの糖尿病治療薬が挙げられます。アストラゼネカ社の「フォシーガ」は17.7%増の896億円で9位に、そして日本ベーリンガーインゲルハイム社の「ジャディアンス」もトップ20圏内で大きく売上を伸ばしました 1。これらの薬は、元々は血糖値を下げる薬として開発されましたが、その後の研究で心臓や腎臓を保護する効果があることが次々と明らかになり、現在では糖尿病患者さんだけでなく、慢性心不全や慢性腎臓病の患者さんにも広く使われるようになっています。一つの薬が複数の領域で価値を発揮することで、その市場を大きく広げていく。フォシーガやジャディアンスの成功は、こうした「多才な薬」の可能性を象徴しています。

次に、市場に登場して間もないながら、爆発的な成長率を記録した新薬たちを見ていきましょう。これらの薬の成長率は、時に数千パーセントという天文学的な数字になりますが、これには少し注意が必要です。多くの場合、前年度の販売期間が数ヶ月と非常に短かったため、通年で売上が計上された今年度の伸び率が極端に大きく見える、いわゆる「低ベース効果」によるものです 1。しかし、その数字の裏には、医療現場がいかにその新薬の登場を待ち望んでいたかという、強い期待が込められています。

その筆頭が、エーザイのアルツハイマー病治療薬「レケンビ」です。その成長率は、実に3542.1%増という驚異的なものでした 1。レケンビは、アルツハイマー病の原因物質の一つに直接働きかけるという画期的なメカニズムを持ち、病気の進行そのものを抑制する効果が期待されています。長年、根本的な治療法がなかったこの領域において、レケンビの登場はまさに夜明けを告げる光であり、その売上の急増は、計り知れないほどの大きなアンメット・メディカル・ニーズ(未だ満たされていない医療ニーズ)が存在することの証左です。

同様に、中外製薬の乳がん治療薬「フェスゴ」(3400.0%増)や、田辺三菱製薬の5種混合ワクチン「ゴービック」(1187.6%増)、キッセイ薬品工業の透析患者さんのかゆみを抑える治療薬「コルスバ」(597.4%増)なども、2023年の後半から2024年の初めにかけて発売された製品であり、その高い成長率は、それぞれの領域における革新性や利便性が市場に急速に受け入れられていることを示しています 1

2023年4月に発売された日本イーライリリーの糖尿病治療薬「マンジャロ」も、403.2%増の276億円と、発売初年度から力強いスタートを切りました 1。マンジャロは、優れた血糖降下作用と体重減少効果を併せ持つことで注目を集めており、今後の市場をリードする存在になる可能性を秘めています。

最後に、少し変わった事例をご紹介しましょう。それは、ツムラの漢方薬である「防風通聖散」と「牛車腎気丸」です。これらの薬は、それぞれ約50%という大幅な売上増を記録しました 1。これは、新たな効果が発見されたわけでも、広告宣伝が成功したわけでもありません。その理由は、「不採算品再算定」にあります。これらの漢方薬は、長年医療現場で使われ、その必要性が認められている一方で、薬価が低い水準にありました。そこで国は、安定供給を確保する目的で、2024年4月の薬価改定において不採算品再算定を適用し、これらの薬の薬価を意図的に引き上げたのです 1。その結果、販売数量が同じでも、薬価が上がった分だけ売上高が増加した、というわけです。これは、市場の力やイノベーションだけでなく、国の医療政策という「見えざる手」が、いかに医薬品の売上に直接的な影響を与えるかを示す、非常に興味深い事例と言えるでしょう。

エンレストの適応拡大、レケンビの画期的なデビュー、そしてツムラ漢方薬の政策的な価格引き上げ。これらの躍進する星々の物語は、医薬品市場における成長の原動力が、決して一つではないことを教えてくれます。それは科学の進歩であり、満たされなかったニーズへの応答であり、そして時には社会の安定を守るための公的な介入でもあるのです。

売上減少の背景を探る

市場が成長と革新の物語で彩られる一方で、その光が強ければ強いほど、濃い影もまた生まれます。医薬品市場も例外ではなく、多くの製品が厳しい競争や制度の変更という逆風にさらされています。この章では、売上を大きく減少させた薬たちに焦点を当て、その背景にある要因を深く探っていきます。売上減少の理由を理解することは、市場のダイナミクスを全体的に把握し、成功の要因をより浮き彫りにするために不可欠です。

売上減少の最も典型的で強力な要因は「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」の登場です。先発医薬品が長年かけて築き上げてきた市場は、特許が切れた瞬間から、価格の安い後発品との厳しい競争に直面します。その影響がいかに大きいかを、二つの薬の事例で見てみましょう。

一つは、武田薬品工業の高血圧症治療薬「アジルバ」です。この薬の売上は、前年度から64.9%も減少し、ほぼ3分の1になってしまいました 1。もう一つは、日本新薬の血液がん治療薬「ビダーザ」で、こちらも50.8%減と、売上が半減しています 1。これらの薬に共通しているのは、薬価改定による価格引き下げと、後発医薬品の市場への浸透という、二重の打撃を受けたことです。国の医療費抑制策として後発品の使用が強力に推進される中で、多くの医療機関や薬局が先発品から後発品へと処方を切り替えます。その結果、先発品の売上は、まるで崖から転がり落ちるように急激に減少するのです。これは、個々の薬の価値が失われたわけではなく、特許期間満了という、医薬品のライフサイクルにおける自然な、しかし非常に厳しい転換点を迎えたことを意味します。

同様の現象は、複雑な構造を持つバイオ医薬品の世界でも起こります。その事例が、田辺三菱製薬の自己免疫疾患治療薬「ステラーラ」です。売上は13.2%の減少となりましたが、その要因は薬価改定と「バイオシミラー」の参入でした 1。バイオシミラーは、バイオ医薬品における後発品のような存在です。ステラーラもまた、独占的な地位を失い、より安価な競合品の挑戦を受けることになったのです。協和キリンの「ジーラスタ」(35.7%減)や、イーライリリーの「サインバルタ」(36.4%減)なども、後発品やバイオシミラーの影響を受け、売上を大きく落とした製品の例として挙げられます 1

しかし、売上減少は、必ずしも外部からの競争圧力によってのみ引き起こされるわけではありません。時には、製薬企業自身の戦略的な判断が、ある製品の売上減少につながるという、非常に興味深いケースも存在します。その例が、中外製薬の乳がん治療薬「パージェタ」です。

パージェタの売上は、前年度から40.5%もの大幅な減少を記録しました 1。一見すると、これは何か大きな問題が起きたかのように思えるかもしれません。しかし、その隣で何が起きていたかを見てみると、全く異なる景色が広がります。前章で触れた、3400.0%増という爆発的な成長を遂げた同じ中外製薬の乳がん治療薬「フェスゴ」です 1

実は、この二つの薬には深い関係があります。フェスゴは、パージェタの有効成分と、もう一つの乳がん治療薬である「ハーセプチン」の有効成分を、あらかじめ一つに配合した薬剤なのです。さらに重要なのは、投与方法の違いです。パージェタやハーセプチンは、通常、点滴による静脈内注射で投与され、時間がかかります。それに対してフェスゴは、わずか数分で完了する皮下注射で投与することができます。これは、患者さんにとっても、医療機関にとっても、利便性を劇的に向上させる大きな進歩です。

つまり、中外製薬は、自社の既存製品であるパージェタとハーセプチンを、より使いやすく改良した「後継製品」としてフェスゴを市場に投入したのです。その結果、多くの患者さんや医師が、利便性の高いフェスゴへと治療を切り替えました。パージェタの売上が減少したのは、この戦略的な製品の世代交代、いわば「内部での共食い(カニバリゼーション)」が成功した証なのです。これは、失敗ではなく、患者さんの生活の質(QOL)を向上させ、自社の製品ラインナップをより競争力のあるものへと進化させるという、ライフサイクルマネジメント戦略の成功と言えるでしょう。

このように、売上減少という一つの現象をとっても、その背景には、後発品参入という市場の宿命、バイオシミラーという新たな競争の波、そして企業自身の戦略的な製品交代といった、多様な要因が存在します。これらを理解することで、医薬品市場の複雑さと、その中で企業が繰り広げる戦略を垣間見ることができるのです。

おわりに

今回は、2024年度の日本の医療用医薬品売上高ランキングをもとに、日本の医薬品市場を見てきました。最後に、日本の医薬品市場の将来を考えてみたいと思います。

まず、今回のランキングから浮かび上がってくるのは、現代日本の医療が直面する課題の縮図です。がん領域では、「キイトルーダ」や「オプジーボ」といった免疫チェックポイント阻害薬が依然として市場の主役であり続けており、がん治療における免疫療法の重要性が揺るぎないものであることを示しています 1。また、「デュピクセント」のような自己免疫疾患治療薬や、「エンレスト」のような心不全治療薬の躍進は、治療が複雑で長期にわたる慢性疾患や、専門性の高いスペシャルティ領域の医薬品の存在感が増していることを物語っています 1。一方で、「ラゲブリオ」の売上減少は、パンデミックという急性期の課題から、社会が新たなフェーズへと移行しつつあることを示唆しています 1

そして、この報告書を通じて一貫して探求してきた中心的なテーマは、日本の薬価制度が持つ、絶妙で、時に矛盾をはらんだ二面性でした。この制度は、一方では画期的な新薬を評価するための様々な「加算」制度を用意し、製薬企業のイノベーションを促進しようとします 2。アルツハイマー病治療の新たな扉を開いた「レケンビ」や、糖尿病治療に新たな選択肢をもたらした「マンジャロ」のような薬が迅速に市場に受け入れられる背景には、こうしたイノベーションを後押しする仕組みがあります 1

しかし同時に、この制度は国民皆保険という貴重な社会インフラを守るため、医療費を厳格にコントロールする強力なメカニズムを内蔵しています。「市場拡大再算定」は、成功しすぎた薬の価格を引き下げることで医療費の急騰にブレーキをかけ 8、「共連れ」ルールは、その影響を競合品にまで及ぼすことで市場全体の価格を抑制します 12。「オプジーボ」や「イミフィンジ」が直面した減収は、このコストコントロールの力が、個々の製品の臨床的価値とは別の次元で、いかに強く働くかを示しています 1。さらに、特許が切れた薬は、後発医薬品との競争と価格引き下げによって、その役割を終えていきます。「アジルバ」の物語は、その典型例でした 1

この制度は単なるコスト削減の道具ではありません。「不採算品再算定」という仕組みは、採算が合わなくなったとしても医療に不可欠な薬の供給を維持するために、あえて価格を引き上げるという選択をします 16。ツムラの漢方薬の売上増は、この制度が持つ、市場原理だけでは守れない価値を守ろうとする側面を象徴していました 1

このように、日本の薬価制度は、イノベーションの促進と医療費の抑制という、二つの相反する目標を同時に達成しようとする、壮大で継続的な「バランシング・アクト(綱渡り)」なのです 4

2024年度のランキングは、スナップショットに過ぎません。市場はこれからも、科学技術の進歩、アンメット・メディカル・ニーズ、そして規制の中で、変化し続けていくでしょう。

日本の医薬品市場は、これからも予期せぬ展開を見せながら続いていきます。確かなことは、真に画期的なイノベーションは道を切り拓く力を持ち、どの製品も日本のユニークな医療制度の上で、そのルールと無縁ではいられないということです。

参考資料

  1. 【2024年度 国内医薬品売上高ランキング】トップは1900億円のキイトルーダ、リクシアナが2位…デュピクセントは1200億円で3位浮上 https://answers.ten-navi.com/pharmanews/30410/
  2. 日本の薬価制度 - 生活向上Web,https://www.seikatsu-kojo.jp/contents/yaka.html
  3. 薬価・薬価制度 | コンテンツ一覧 - Innovation for NEW HOPE,https://www.innovation-for-newhope.com/contents/15
  4. 薬価制度について - 愛知県医師会,https://www.aichi.med.or.jp/webcms/wp-content/uploads/2018/02/07010635-178-kyougi2.pdf
  5. 現行の薬価基準制度(概要) - 厚生労働省,https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/001110567.pdf
  6. 現行の薬価基準制度(概要) - 厚生労働省,https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001276014.pdf
  7. 薬と医療制度~「薬価制度とは」 - データインデックス株式会社,https://www.data-index.co.jp/knowledge/85/
  8. 市場拡大・特例、用法用量拡大、23成分が再算定の対象に - m3.com,https://www.m3.com/news/iryoishin/1004059
  9. 薬価改定のしくみ|AnswersNews Plus - Answers(アンサーズ),https://answers.ten-navi.com/newsplus/14344/
  10. 13 令和2年度薬価制度改革の概要 - YouTube,https://www.youtube.com/watch?v=kHRnQvhWYUM
  11. 市場拡大再算定の概念図,https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000020zbe-att/2r98520000020zy6.pdf
  12. gemmed.ghc-j.com,医薬品を保険適用した後の「効能効果追加」などの評価改善、市場拡大再算定の在り方を継続論議―中医協・薬価専門部会 | GemMed
  13. 医薬品を保険適用した後の「効能効果追加」などの評価改善、市場拡大再算定の在り方を継続論議―中医協・薬価専門部会 | GemMed,https://gemmed.ghc-j.com/?p=55454
  14. NEWS 市場拡大再算定の「共連れルール」からオプジーボなど除外へ―中医協 - 日本医事新報社,https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=24009
  15. 市場拡大再算定 “共連れ”ルールからPD-1/PD-L1阻害薬、JAK阻害薬除外へ 中医協,https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=76255
  16. 2024年度に不採算品再算定の対象となり薬価が引き上げられる医薬品、「適正価格での流通」「必要量のみの購入」に医療現場も協力を—厚労省 | GemMed,https://gemmed.ghc-j.com/?p=59781
  17. 不採算品再算定について - 日本ジェネリック製薬協会,https://www.jga.gr.jp/jgapedia/column/2304.html
  18. 令和7年度薬価改定に係る薬価算定基準の見直しについて(案) - 厚生労働省,https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001374475.pdf
  19. 中医協 25年度薬価改定で焦点の安定供給 不採算品再算定で支払側・松本委員「特例繰り返すべきでない」 - ミクスOnline,https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=77568
  20. 不採算品再算定について - 厚生労働省,https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1024-7b.pdf
  21. 【厚労省】適正な流通を呼びかけ-不採算品再算定の対象品目 - QLifePro,https://www.qlifepro.com/news/20230308/mhlw-73.html

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