エビデンス全般

それ、広告の成果?傾向スコアで探るマーケティングの「本当の効果」

マーケティング活動の成果を正しく評価することは、企業の成長にとって大切です。例えば、ある企業が新しいオンライン広告キャンペーンを開始した後、売上が増加したとします。この時、多くの人は直感的に「広告が成功した」と結論づけるかもしれません。しかし、この観察された出来事、すなわち広告出稿と売上増加という二つの事象が同時に起きたという事実は、必ずしも両者の間に原因と結果の関係、つまり「因果関係」があることを意味しません 1

この二つの事象の間にあるのは、単なる「相関関係」かもしれない、ということですね。売上が伸びた真の理由は、広告とは全く別の要因、例えば季節的な需要の増加であったり、競合他社が値上げをしたことによる顧客の流入であったり、あるいは景気全体の好転であったりする可能性も十分に考えられます 2。もし、この相関関係を因果関係と誤って解釈してしまうと、実際には効果のなかった広告にさらに予算を投下するという、誤った経営判断につながりかねません。これは、マーケティング資源の無駄遣いであるだけでなく、企業の成長機会を逸することにもなります 3

ここで重要になるのが、「もし広告キャンペーンを実施しなかったら、売上はどうなっていたか」という視点です。この「あり得たかもしれないが、実際には観測できなかった世界」を専門的には「反実仮想(カウンターファクチュアル)」と呼びます 3。広告の真の効果とは、この観測できなかった世界での売上と、実際に観測された売上との差にほかなりません。しかし、私たちは同じ期間、同じ対象者に対して、広告を見せる世界と見せない世界を同時に観測することはできません。これは「因果推論の根本問題」として知られています 5

この記事では、こうした課題を乗り越え、相関関係の奥にある「真の効果」に迫るための強力な分析アプローチである「因果推論」をご紹介します。因果推論は、観測できなかった反実仮想を統計的な手法によって推定し、マーケティング施策がもたらした純粋な効果を明らかにすることを目指す学問分野です。傾向スコアの知識を身につけ、理解を深めることは、データに基づいた意思決定を下し、マーケティング活動の精度を飛躍的に向上させるための第一歩となるでしょう 2

因果推論の理想と現実 — なぜ単純な比較は間違うのか

因果関係を最も確実に見極めるための理想的な方法は、「ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)」と呼ばれるものです 2。これは、分析の対象となる人々をランダムに二つのグループに分ける手法です。一方のグループには広告を見せるなどの施策(処置)を行い、もう一方のグループには何もしません。前者を「処置群」、後者を「対照群」と呼びます。

ランダムに割り振ることで、二つのグループは、施策を受けたかどうかという一点を除いて、年齢、性別、興味関心、購買意欲といったあらゆる個人の背景的特徴が、平均的に見て等しくなると期待できます。したがって、その後に両グループの成果(例えばアプリの利用時間)に差が生じたとすれば、その差は施策そのものによって引き起こされたと結論づけることができるのです 7

しかし、マーケティングの現場では、このような理想的な実験をいつでも実施できるわけではありません。顧客をランダムに分けて一方にだけ広告を見せない、といった対応は、倫理的な問題や機会損失の観点から難しい場合がほとんどです 10。そのため、私たちは多くの場合、誰が広告に接触し、誰がしなかったかを人為的に操作することなく、ただ観察された事実を記録した「観察データ」を扱わざるを得ません。

この観察データを分析する際に、大きな壁として立ちはだかるのが「交絡(こうらく)」という問題です 4。本書で扱うスマホゲームアプリの例を考えてみましょう。Web広告に接触した人(処置群)と接触しなかった人(対照群)のアプリ利用時間を単純に比較して、広告の効果を測ろうとしています。

しかし、処置群の人々は自ら広告に興味を持ってクリックするなどの行動をとった人々です。このような人々は、もともとスマートフォンを長時間利用する傾向があるかもしれません。一方で、対照群にはスマートフォンをあまり利用しない人々が多く含まれている可能性があります。

この「スマートフォンの利用時間」という要因は、広告への接触のしやすさ(処置)と、ゲームアプリの利用時間(結果)の両方に関係しています。このような要因を「交絡因子」と呼びます 11。この状況で二つのグループのアプリ利用時間を単純に比較してしまうと、観測された差が、広告の効果なのか、それとも元々のスマートフォン利用時間の違いに起因するものなのか、区別がつかなくなってしまいます。処置の効果と交絡因子の効果が混ざり合ってしまうこの現象が「交絡バイアス」であり、観察データから正しい因果関係を導き出す上での最大の障害となるわけです 1

バイアスを乗り越える — 傾向スコアの発見

交絡バイアスという厄介な問題を解決するために、1983年に統計学者のローゼンバウムとルービンが画期的なアイデアを提唱しました 7。それが「傾向スコア」です。傾向スコアとは、各個人が持つ様々な背景情報(共変量)に基づいて、その人が処置群(例えば広告接触者)に割り当てられる確率を計算した値のことです 7

この傾向スコアが持つ最も重要な性質は、「バランシング・プロパティ(均衡化特性)」と呼ばれます 7。これは、もし傾向スコアの値が全く同じである人々を集めてくると、その集団の中では、処置群と対照群の間で、スコアの計算に用いた様々な背景情報の分布が平均的に等しくなる、という性質です。つまり、傾向スコアという一つのものさしの上で同じ値を持つ人々を比較すれば、あたかもランダム化比較試験を行ったかのように、背景条件がそろった公正な比較ができるようになるわけです 7

ただし、この魔法のような性質が成り立つためには、二つの重要な前提条件を満たす必要があります。一つ目は「条件付き独立の仮定(あるいは強く無視できる割り当ての仮定)」です 12。これは、処置の割り当てと結果の両方に影響を与えるような重要な交絡因子が、すべて観測され、傾向スコアの計算に含められている、という仮定です。もし、観測できていない未知の要因が強く影響している場合、傾向スコアを用いてもバイアスは取り除けません。

二つ目は「共通サポートの仮定(あるいは重複の仮定)」です 19。これは、処置群と対照群で、傾向スコアの分布にある程度の重なりがあることを要求します。例えば、処置群の人々の傾向スコアが軒並み高く、対照群の人々のスコアが軒並み低い場合、比較すべき共通の土俵が存在しないため、分析が成り立ちません。

ここで非常に重要なのは、傾向スコアを計算するためのモデル(通常はロジスティック回帰分析が用いられます)は、結果(例えばアプリ利用時間)を予測するためのものではない、という点です。その目的は、あくまで各個人がどのような背景から処置群に入ったのか、という「処置の選択プロセス」をモデル化することにあります 24。そのため、モデルの評価基準も、処置をどれだけ正確に予測できたかではなく、結果として得られた傾向スコアが、処置群と対照群の背景情報をどれだけうまく均衡化(バランス)できたか、という観点で行われるんですね 19

理論から実践へ — 共変量を調整する二つのアプローチ

傾向スコアという強力な道具を手に入れた後、実際にどのようにしてバイアスを調整し、効果を測定するのでしょうか。ここでは、代表的な二つのアプローチ、「マッチング分析」と「重み付け分析」について解説します。

マッチング分析 —「統計的な双子」を作り出す

マッチング分析は、非常に直感的に理解しやすい手法です。その基本的な考え方は、処置群に属する一人ひとりの対象者に対して、対照群の中から背景情報が非常に似ている人、すなわち傾向スコアの値が近い人を探し出してきて、ペアを作るというものです 26

例えば、広告に接触したある人物の傾向スコアが0.7だったとします。マッチング分析では、広告に接触していない人々の集団の中から、傾向スコアが0.7に最も近い人物を探し出し、この二人を比較の対象とします。この操作を処置群の全員に対して行うことで、処置群と、それとよく似た背景を持つ対照群のペアから成る新しいデータセットを作り出します。その後、処置群全体の平均成果と、マッチングによって選ばれた対照群全体の平均成果の差を計算することで、施策の純粋な効果を推定します 26

マッチングを行う際には、いくつかの具体的な方法があります。最も単純なのは、処置群の各個人に対して、傾向スコアが最も近い対照群の個人を一人だけ選ぶ「最近傍マッチング」です 29。しかし、これだけでは、たとえ最も近い相手であってもスコアが大きく離れている「質の悪いマッチ」が生まれてしまう可能性があります。そこで、「キャリパー・マッチング」という改良版がよく用いられます 31。これは、あらかじめ許容できる傾向スコアの差(キャリパー)を設定しておき、その範囲内に対照群の相手が見つからない場合は、その処置群の個人を分析から除外するという方法です。これにより、比較の質を担保することができます。

この手法の選択には、バイアスと分散(推定値のばらつき)の間のトレードオフが伴います。厳格な基準でマッチングを行えば(例えばキャリパーを非常に小さく設定すれば)、ペアの背景はよく揃うためバイアスは小さくなりますが、マッチする相手が見つからずに多くのデータが捨てられてしまい、分析対象のサンプルサイズが減少します。サンプルサイズが小さいと、推定結果の信頼性が低下し、ばらつきが大きくなる(分散が大きくなる)という問題が生じます 20。逆に、基準を緩めれば多くのデータを残せますが、質の悪いマッチが増え、バイアスが残存するリスクが高まります。分析者は、手元のデータの特性を見極めながら、このトレードオフを考慮して最適な手法を選択する必要があるんです 30

重み付け分析 —「仮想的」な比較集団を構築する

もう一つの有力なアプローチが、重み付け分析です。これは、マッチングのようにデータの一部を捨て去るのではなく、すべてのデータを使いながら、個々のデータが分析に与える影響力(重み)を調整する手法です 33。特に「逆確率重み付け法(IPW)」が有名です。

この手法の考え方は、処置群と対照群の構成を仮想的に作り変えることにあります。例えば、本書の例に出てくる広告非接触者(対照群)のcさんを思い出してみましょう。cさんはスマホの利用時間が長く、その点では広告接触者(処置群)によく似た、対照群の中では珍しいタイプです。このような「処置群に似ているが、対照群に属している」人は、比較において非常に貴重な情報を持っています。そこで、cさんには1より大きな重みを与え、対照群の平均値を計算する際に、その影響力が大きくなるように調整します。元の文章の例では、cさんのようなタイプの人が処置群には5人、非接触群には2人いた場合、cさんを2.5人分として扱うことで、対照群におけるcさんの存在感を高めます。

逆に、スマホ利用時間が短く、対照群に典型的で処置群にはあまり見られないdさんのような人には、1より小さな重みを与えます。これにより、dさんの影響力は相対的に小さくなります。元の文章の例では、dさんのようなタイプの人が処置群に1人、非接触群に5人いた場合、dさんを0.2人分として扱い、影響力を下げています。

このような重みの調整をすべての対象者に行うことで、対照群の背景情報の構成が、あたかも処置群の構成と同じになるような「仮想的な集団」を作り出すことができます 33。この仮想的にバランスが取れた集団を用いて処置群と対照群の平均成果を比較することで、バイアスのない効果を推定するという具合です。

この重み付け分析は、特に傾向スコアとの相性が良いとされています。ある対照群の人の傾向スコア(処置群になる確率)が0.6であった場合、その人は処置群に入る可能性の方が高かったにもかかわらず、偶然対照群に属していると解釈できます。このような人には大きな重みを与えることで、その人の持つ情報を分析に有効活用します。具体的には、傾向スコアを少し変形するだけで、この「重み」を簡単に計算できるため、非常に効率的な分析が可能となります。

多数の交絡因子を傾向スコアで操る

これまでの説明では、話を簡単にするために交絡因子を「スマートフォンの利用時間」の一つ、あるいはそれに「性別」を加えた二つとして考えてきました。しかし、現実のマーケティング分析では、考慮すべき交絡因子は無数に存在します。年齢、所得、居住地域、過去の購買履歴、Webサイトの閲覧履歴など、施策への反応と結果の両方に影響を与えうる要因は数え上げればきりがありません。

もし、これらの多数の要因すべてが完全に一致する人を探してマッチングしようとすると、どうなるでしょうか。例えば、「スマホ利用時間が同じ」で、かつ「性別が同じ」で、さらに「年齢も所得も同じ」といった条件を満たす人は、データの中に一人も存在しない可能性が非常に高くなります。これは「次元の呪い」として知られる問題で、変数の数が増えるほど、完全に一致するデータを見つけることが指数関数的に困難になる現象を指します 13

ここで、傾向スコアの真価が発揮されます。傾向スコアは、これら多数の交絡因子が持つ複雑な情報を、たった一つの「処置群に割り当てられる確率」という一次元の指標に要約してくれるわけです 13。これにより、分析者は多数の変数を一つずつ比較するという不可能な作業から解放され、この統合された傾向スコアという単一の指標だけを比較すればよくなります。

このスコアは、通常「ロジスティック回帰分析」という統計手法を用いて算出されます 16。これは、多数の交絡因子を入力情報として、その人が処置群に入るか対照群に入るかを予測するモデルを構築するものです。この予測モデルを分析対象者全員に適用することで、一人ひとりの傾向スコアが計算されます。この際、ロジスティック回帰モデルの予測精度そのものよりも、モデルによって計算された傾向スコアが、最終的に処置群と対照群の背景情報をうまくバランスさせることの方が重要となります 24

傾向スコアを算出するプロセスは、一度で完了するわけではありません。まず初期モデルでスコアを計算した後、実際に背景情報がバランスしたかを診断します。もし、重要な変数になお偏りが見られる場合は、モデルに変数の組み合わせ(交互作用項)を追加するなどして修正し、再度スコアを計算してバランスを確認します。この「モデル構築→バランス確認→モデル修正」という反復的なプロセスを経て、最終的に最もバランスの取れた傾向スコアを追求していくんですね。この過程は、分析者の判断が求められる、科学でありながら職人技の側面も持つ作業といえるでしょう 19

マーケティングの事例 — ブランドリフト調査への応用

傾向スコア分析は、理論的な概念にとどまらず、マーケティングの実務、特に広告効果を測定する「ブランドリフト調査」において絶大な力を発揮します。

ブランドリフト調査に潜むバイアス

ブランドリフト調査とは、広告に接触した人としなかった人のグループを対象にアンケートを行い、ブランドの認知度、好意度、購入意向といった指標を比較することで、広告が消費者の態度にどのような変化をもたらしたかを測定する手法です 44。しかし、この調査にも交絡バイアスの罠が潜んでいます。

特に注意すべき交絡因子は二つあります。一つ目は「カテゴリ関与度」です 47。これは、消費者がその商品のカテゴリ(例えば、化粧品や自動車、金融サービスなど)に対して、もともとどの程度の興味関心や購買経験を持っているか、という度合いを指します。現代のデジタル広告は、Web上の行動履歴などから、そのカテゴリに関心が高いと予測されるユーザーを狙って配信されることが多々あります(ターゲティング)。しかし、こうした人々は、広告に接触しなくても、元からそのブランドに対する認知度や好意度が高い傾向にあります 47。そのため、カテゴリ関与度を考慮せずに単純比較すると、広告の効果を過大評価してしまう危険性が高いんです。

二つ目は「メディア利用頻度」です 49。特定の動画サイトやSNSに広告を出稿した場合、そのメディアを日常的に長時間利用している人ほど、広告に接触する確率が高まります。そして、こうしたメディアヘビーユーザーは、そうでない人々と比べて、情報感度やライフスタイルが異なる可能性があり、その違いがブランドへの態度にも影響しているかもしれません 51

さらに、現代の広告環境では、これらのバイアスはより複雑化しています。広告プラットフォームは、まさにカテゴリ関与度やメディア利用頻度といった情報を用いてターゲティングを行うため、広告配信の仕組み自体が、処置群と対照群の間に意図的にバイアスを生み出していると言えます。したがって、現代のデジタル広告の効果を正しく評価するためには、傾向スコア分析のようなバイアス補正手法が不可欠となっているんです。また、同じ広告に何度も接触することで、逆にブランドへの嫌悪感が高まる「広告疲労」という現象も報告されており、これもまた単純な比較を歪める要因となり得ます 51

傾向スコアで見る「広告の効果」

では、これらのバイアスにどう立ち向かえばよいのでしょうか。ブランドリフト調査がアンケート調査であるという点が、ここでの鍵となります。アンケートを実施する際に、ブランド認知度や好意度といった結果指標だけでなく、交絡因子となりうる質問項目も同時に聴取することができるわけです。

具体的には、「この商品カテゴリにどのくらい興味がありますか」や「普段、〇〇(メディア名)を1日にどのくらい利用しますか」といった質問をアンケートに加えます。これにより、各回答者の「カテゴリ関与度」や「メディア利用頻度」をデータとして取得できます。

そして、これらの情報と、年齢や性別といった基本的なデモグラフィック情報を合わせて共変量とし、ロジスティック回帰分析にかけることで、各回答者の傾向スコアを算出します。このスコアを用いてマッチングや重み付けを行えば、カテゴリ関与度やメディア利用頻度といった背景情報の影響を取り除き、バランスの取れたグループ間での比較が可能になります。

この調整によって、広告がもたらした純粋なブランドリフト効果を、より正確に、より鮮明に捉えることができるようになります。ある調査事例では、単純比較では広告によって16%の売上増加が見られたものの、傾向スコアを用いてユーザーの背景特性を調整したところ、真の効果は7%に修正されたという報告もあります 1。これは、バイアス調整がいかに重要であるかを示す好例です。このようにして得られた信頼性の高い分析結果は、その後のマーケティング戦略や予算配分の最適化に向けた、確かな羅針盤となるでしょう。

傾向スコア分析の限界と課題

傾向スコア分析は非常に強力な手法ですが、万能の解決策ではありません。その力を最大限に引き出すためには、限界を正しく理解し、結果を慎重に解釈する姿勢が不可欠です。

観測されない敵 — 未知の交絡因子という課題

傾向スコア分析における最も根源的かつ重要な限界は、分析者が「観測し、測定した」交絡因子しか調整できないという点です 12。もし、広告接触とブランド態度の両方に影響を与えるような重要な要因が、データとして測定されていなかった場合、その「未知の交絡因子」によるバイアスは分析後も残存してしまいます 57

例えば、ブランドリフト調査において、個人の「新しいもの好き」といった性格特性が、広告への反応のしやすさと、新ブランドへの好意度の両方に関係しているかもしれません。しかし、もしこの性格特性をアンケートで測定していなければ、傾向スコアはこのバイアスを調整することができません。

この点が、傾向スコア分析がランダム化比較試験(RCT)の完全な代替にはなり得ない決定的な理由です。RCTは、ランダム化というプロセスによって、私たちが観測できる要因だけでなく、観測できない未知の要因も含めて、あらゆる背景情報をグループ間で均等にしてくれます 57。一方で、傾向スコア分析はあくまで観測されたデータに基づいて統計的な調整を行うため、未知の領域には踏み込めないんです。

この限界は、裏を返せば、質の高い傾向スコア分析を行うためには、統計的な技術だけでなく、分析対象の分野に関する深い専門知識(ドメイン知識)がいかに重要であるかを示唆しています。マーケターは、どのような要因が消費者の広告接触やブランド態度に影響を与えうるかを経験と洞察に基づいて仮説立てし、それらを漏れなく測定するための調査設計を行う必要があります。優れた分析は、優れたデータ収集から始まるんですね 20

結果の頑健性を確認する — 感度分析

未知の交絡因子の可能性を完全に排除できないという限界に対して、分析者はどのように向き合えばよいのでしょうか。その一つの答えが「感度分析」です 60。感度分析とは、分析結果が未知の交絡因子の存在に対してどれだけ頑健(ロバスト)であるかを評価するための追加的な分析手法です。いわば、得られた結論に対する「ストレステスト」のようなものと言えるでしょう 63

感度分析には様々なアプローチがありますが、その基本的な考え方は、「もし未知の交絡因子が存在するとしたら、どの程度の強さであれば、今回の分析で得られた結論を覆してしまうだろうか」と問いかけることにあります 64。例えば、「E-value」という指標を用いる方法があります 66。これは、分析結果を完全に打ち消すために必要とされる、未知の交絡因子が処置(広告接触)と結果(ブランド好意度)のそれぞれに対して持つべき関連性の最小値を示す指標です。

仮に、ある分析で算出されたE-valueが3だったとします。これは、「未知の交絡因子が、広告に接触する確率を3倍にし、かつ、ブランドに好意を持つ確率も3倍にする、という両方の条件を満たすほど強力なものでない限り、今回の分析で見つかった広告効果は消えない」ということを意味します。E-valueの値が大きいほど、結果が未知のバイアスに対して頑健であると解釈でき、分析結果への信頼性が高まります。逆に、E-valueが小さい場合は、少しの未知のバイアスが存在するだけで結論が揺らいでしまう、脆弱な結果である可能性を示唆します 66

感度分析を行うことで、私たちは「効果はあったかなかったか」という二元論的な問いから一歩進み、「観測データの限界を考慮した上で、この効果にどれほどの確信が持てるか」という、より科学的で誠実な議論へと移行することが可能です。

まとめ

この記事では、マーケティング効果測定の定石として注目される「傾向スコア分析」について、その旅路をたどってきました。出発点は、単純な相関関係と真の因果関係を区別する必要性でした。そして、観察データに潜む交絡バイアスという課題に直面し、その解決策として傾向スコアという画期的な概念に出会いました。さらに、マッチング分析と重み付け分析という二つの実践的な手法を通じて、多数の交絡因子を乗り越え、より確かな効果を推定する方法を学びました。

ブランドリフト調査という具体的な応用例では、カテゴリ関与度やメディア利用頻度といった、マーケティングの現場特有の交絡因子を特定し、傾向スコアを用いてそれらを調整することで、広告の真の価値を浮き彫りにできることを見てきました。

しかし、同時に、この手法が万能ではないことも忘れてはなりません。傾向スコア分析は、あくまで観測された情報に基づいてバイアスを補正するものであり、測定されていない未知の交絡因子の影響を取り除くことはできません 55。この根本的な限界を認識し、感度分析などを通じて結果の頑健性を問う謙虚な姿勢が、分析者には求められます。

結論として、傾向スコア分析は、因果推論という科学的なアプローチをマーケティングの実務に応用するための、非常に強力な道具です。しかし、その真価は、分析手法の自動的な適用によって得られるものではありません。どのような要因が交絡となりうるかを深く洞察する専門知識、分析プロセスを丁寧に実行する技術、そして得られた結果の限界を正直に評価する誠実さ。これらが伴って初めて、傾向スコア分析は私たちをデータに基づいた意思決定へと導いてくれます 55。この強力な道具を使いこなすことで、マーケティング活動の精度は、これまでとは比較にならないレベルにまで高められることでしょう。

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  54. 【SNS世代は本当に広告を嫌っている?】「訴求が大袈裟」「操作の邪魔」など約4割がデジタル広告に苦手意識あり SNS世代が好感を持つデジタル広告のポイントが明らかに | 株式会社オリゾのプレスリリース - PR TIMES, https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000110996.html
  55. 傾向スコア・マッチング propensity score matchingって何? | みんなの疫学統計教室, https://ekigakutokei-class.com/kiso_propensityscore/
  56. さまざまなバイアスを考慮する 第6回 交絡因子の影響を取り除く方法 多変量解析・傾向スコア, https://chugai-pharm.jp/ma/research-and-medical/clinical-research/statistician/6/
  57. 傾向スコア解析(マッチング) | 医療関連情報 - アステラスメディカルネット, https://amn.astellas.jp/medical-information/analysis/analysis-2
  58. 【観察研究での交絡調整の方法】傾向スコアを使った解析3種を紹介! | 医療統計相談室, https://biostatistics-consult.com/propensity-score-analysis/
  59. A Practical Guide to Getting Started with Propensity Scores - SAS Support, https://support.sas.com/resources/papers/proceedings17/0689-2017.pdf
  60. EZRによる傾向スコア分析 - 和歌山県立医科大学附属病院 臨床研究センター, https://waidai-csc.jp/updata/2018/11/EZRpropensity.pdf
  61. 傾向スコア分析 - 和歌山県立医科大学附属病院 臨床研究センター, https://waidai-csc.jp/updata/2018/08/seminar-igaku-20180126.pdf
  62. 朝食摂取習慣の教育達成への因果効果の検証 ―傾向スコアマッチングと感度分析によるアプローチ, https://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/panel/dp/PanelDP_079Ogawa.pdf
  63. Chapter 1 Introduction - Applied Propensity Score Analysis with R, https://psa.bryer.org/chapter-introduction.html
  64. Sensitivity Analysis in Observational Studies - Wharton Statistics and Data Science, http://www-stat.wharton.upenn.edu/~rosenbap/BehStatSen.pdf
  65. The Central Role of the Propensity Score in Sensitivity Analysis for Matched Observational Studies - Project MUSE, https://muse.jhu.edu/article/877884
  66. Sensitivity Analysis in Observational Research: Introducing the E-Value - Harvard DASH, https://dash.harvard.edu/bitstreams/7312037e-0f45-6bd4-e053-0100007fdf3b/download
  67. Sensitivity Analysis in Observational Studies: Quantifying Unmeasured Confounding, https://editverse.com/sensitivity-analysis-e-value/
  68. マーケティング実務で因果推論を活用する方法:観察データ解析による効果検証 | 株式会社サイカ, https://xica.net/xicaron/how-to-use-causal-inference-with-observational-data-in-marketing/

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