公衆衛生学

教育と健康を繋げるもの―ヘルスリテラシー、ソーシャル・キャピタル―

2021年2月24日

リテラシーとは

リテラシーという言葉は教育や学習と絡めて語られます。

ITリテラシー、情報リテラシー、データリテラシー、金融リテラシー、科学リテラシー、メディアリテラシー、文化リテラシー、環境リテラシー。

もともとはリテラシーとは識字能力に近いものを指していましたが、上記のように○○リテラシーと使う場合、「○○に関する知識や、○○に関する情報を処理したり活用する力」のような意味合いで使われます。

リテラシーの中には、ヘルスリテラシーというものもあり、健康に関する情報を咀嚼し、自分事として処理する能力として注目を集めています。

情報処理能力と考えると、勉強や学習によって伸長する部分も少なからずあるでしょう。

教育・学習とヘルスリテラシー

教育や学習とヘルスリテラシーは相関があると考えるのも、ある意味で自然なことです。

勤勉な人や、様々な教育を受けている人は、健康に関する知識を多く持っていたり、健康に関する情報を処理したり活用する力がありそうですね。一部、例外的な人達もいますが。

そして、高いヘルスリテラシーを持っているなら、健康状態も高い傾向にあるだろうという推測も、大きく間違っていることはないでしょう。少なくとも悪いことはあまりないだろう、ということですね。

少し角度を変えて、同様に教育環境や学習環境が整っていたり、高い学力を有している場合はどうでしょうか。

「高い学力を持っているなら、健康状態も良い傾向にあるのではないか」という仮説も、少々苦しい部分はあるものの突拍子もない発想ではありません。誰だって自分の身体は大切ですから、意図的に傷付けるようなことは普通はしないでしょう。

とはいえ、仮に「高い学力は、良好な健康状態と相関していた」「ある地域の教育水準の高さは、その地域の人々の良好な健康状態と相関していた」という結果が仮に示されたとしても、教育環境を整えたり改善することが、良好な健康状態を生み出すんだ!と短絡的に結論づけるのは危険です。

教育とは

「ある地域の教育水準の高さは、その地域の人々の良好な健康状態と相関していた」という文章を読み解けば、「教育」は疫学でいう曝露因子として捉えられています。

教育というものに曝露されることで、健康状態に何らかの影響が及ぼされているかどうかを調べた、ということですね。

いまさら聞けない?疫学の基礎ーその6「曝露因子ってそもそも何?」

ただし、教育という曝露を数値化することは非常に難しく、結論が出ていません。

具体的に教育を数値化するとしたらどんなものがあるでしょうか。個人と地域、どちらのレベルで見ているかをごちゃまぜにして列挙してみましょう。

  • 教育年数・・・その地域に住む人達が受けてきた教育何年の平均値または中央値。
  • 識字率・・・その地域における読み書き能力の程度。
  • 学期内就学日数・・・1年間に学校に通っている日数。
  • 自治体が教育に割いている子供一人当たりの年間予算額・・・教育に対する公的な投資額がわかる。
  • 地域における子供一人当たりの教員数・・・公的な学習支援体制の数値化。
  • 地域における学習塾の数・・・私的な学習支援体制の数値化。
  • 教育開始年齢・・・早期教育の実施状況の数値化。ただし、本人に対する影響を評価するためには数年から十数年後にしか使えない。

教育環境の充実、ということは方向性としては何となくわかるのですが、具体的に数値で測れる目標を立てようとすると、なかなか難しいことに気付きます。

「ある地域の教育水準の高さは、その地域の人々の良好な健康状態と相関していた」という文章を見たら、「教育水準の高さは、いったい何で測っているんだろう?」という視点を持つようにしましょう。

教育と健康をつなぐもの

教育と健康には相関があるというのは、これまでにいくつもの研究が示しています。

ただ、その相関を説明する仕組み、メカニズムについては未だ不明な部分の方が多いといえるでしょう。

なぜ「良い教育は、良い健康状態と相関している」のかがわからないのです。

仮説1:教育―職業―健康

最初の仮説として、教育によって比較的高収入な職業に就きやすくなったり、あるいは、同じ収入でも安全な仕事に従事する可能性が高くなるのが原因ではないか?という考えがあります。

高収入であれば、食生活を豊かにしたり、休日に趣味に打ち込んで精神的な安定を得られやすかったり、ジムに通う金銭的・時間的余裕が生まれるので健康状態が良くなる、という仮説です。

あるいは、同じ収入であっても、肉体的な負荷の大きな仕事ではなく、ケガや事故のリスクが少ない仕事に就く可能性が高まるので、ケガや事故に遭わずにすむ、ということもあるかもしれません。

この職業の効果を検証したければ、変数として職業に関する情報を集めておけば多変量解析でヒントを得ることができるでしょう。

仮説2:教育―知識習得―健康

次の仮説は、教育によって健康状態の改善や向上に役立つ知識を習得することができ、結果的に良好な健康状態を達成できている、というものです。ヘルスリテラシーですね。

正しい知識は無いよりあった方がよいのが普通ですが、正しい知識を持っていても、実際の行動に反映させることが出来るかどうかは、また別の話です。

頭ではわかっていても、色々な事情があってできないなんてことは珍しいものではありません。

仮説3:教育―知恵習得―健康

3つめの仮説は、2番目と似てはいますが知識ではなくて知恵の習得の方です。たとえ知識が少なくても、知恵によって補い、時には知識を凌駕する判断につながることもあるでしょう。

既存の常識にとらわれず、自分の頭で考えて判断する力は、健康に関する情報が錯綜しがちな現代において強力な武器になるともいえます。

また、情報を鵜呑みにせず、頭を働かせてその都度考えるという姿勢は、思考停止の真逆であり、認知症をはじめとする加齢に伴う脳機能低下を防ぐことにも繋がるかもしれません。

仮説4:教育―社会的交流―健康

教育や学習を進めることによって、学歴の高い人たちとの社会的繋がりを獲得する可能性が高まります。

配偶者、友人、職場、ボランティア仲間など、身の回りにいる人達の学力や知識水準が高くなると、その状態自体が高いソーシャル・キャピタルを得ていることになります。

例えば、普通にパーティーに参加したり遊んだりすること自体は、将来何かの役に立つかといえば、友人との大切な思い出となる以外に、直接的なメリットをもたらすことはあまりないでしょう。

一方で、世界有数の大学に進学した後、その大学の仲間たちと遊んだりパーティーで語らった時間は、将来のベンチャー企業の社長や大手企業社員との人脈となるかもしれません。

そんな打算的な考えは持っていなかったとしても、結果的に、同じ行動をとってもソーシャル・キャピタルの状態次第で異なる結果となることは往々にしてあります。

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おわりに

教育は、一度受けたら終わりというものではなく、連続的な状態であったり、一連のプロセスとも言えます。

そのため、一般的に疫学で捉えられている曝露因子と同じ扱いをすることは難しい部分があるのは確かです。

一方で、行動科学の考え方をヘルスケア分野に取り入れて、薬剤や医療機器などの介入とは異なる方向から、疾患の予防も含めた介入を行えないかという検討が進んでいます。

その鍵を握るのが、教育であったりヘルスリテラシーです。これからの発展が楽しみな分野の一つですね。

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