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知ってる?日本の「国民皆保険・皆年金」がいつ生まれたか

みんなが生まれるずっと前、昭和30年代って、日本はものすごい勢いで成長してたんだ。「神武景気」なんて言葉、聞いたことあるかな? それをきっかけに、みんなの暮らしもどんどん豊かになっていったんだ。政府が「みんなの給料を10年で倍にするぞー!」なんて「国民所得倍増計画」を立てたら、なんと7年で達成しちゃったくらい! すごい勢いだよね。

「もはや戦後ではない」なんて言葉が経済白書で宣言されたけど、一方で厚生白書は「いやいや、まだまだ生活に困っている人もたくさんいるよ!」って、社会保障をもっとしっかりさせなきゃって訴えていたんだ。

ちょうどその頃って、若い働き手が多くて「人口ボーナス」なんて言われる時代。このパワーも借りて、「みんなが保険に入れるように!」「みんなが年金をもらえるように!」っていう国民皆保険・皆年金が実現していくことになるんだ。目指すは、困ってから助ける「救貧」じゃなくて、困らないようにする「防貧」。昭和48年には「福祉元年」って呼ばれるくらい、国も福祉に力を入れ始めたんだよ。

経済が成長すると、働き方も変わるよね。都市には人が集まって、会社は人手不足。特に高卒の採用がグーンと増えたんだ。会社も社員に長く働いてもらいたいから、お給料がだんだん上がったり、ずっと雇ってくれたりする「日本型雇用慣行」っていうのが広がった。お父さんが会社で働いて、お母さんが家を守るっていう家族の形も一般的になって、「ウチは中流だよね」って思う人が増えたのも、この頃なんだ。

「誰でもお医者さんにかかれるように!」国民皆保険への道

でもね、経済が成長している裏で、実は国民の3人に1人は医療保険に入っていなかったんだ。大企業で働く人と小さな会社で働く人、住んでいる場所によっても入れる保険が違ったりして、ちょっと不公平な「二重構造」があったんだよね。病気で生活に困っちゃう人も多くて、「みんなが安心して医療を受けられるように、国民皆保険を実現して!」っていう声がすごく高まったんだ。

国民も「医療保険って大事だよね!」って思っていて、世論調査でもほとんどの人が「続けたい!」って答えていたくらい。政府もこの声に応えて、昭和32年から「全国民を国民健康保険に入れよう!」っていう計画をスタートさせたんだ。

最初は大きな都市でなかなか進まなかったりもしたんだけど、昭和33年に「新国民健康保険法」っていう法律ができて、「昭和36年4月までには、全部の市町村で国民健康保険をやるように!」って義務付けられたんだ。会社で保険に入っている人以外は、みんな国民健康保険に入ることになった。こうして、ついに昭和36年4月1日、日本中で「国民皆保険」がスタートしたんだ!

それから、お医者さんにかかった時のお金のルール(診療報酬)も全国で統一されたり、使える薬の制限がなくなったりもしたんだ。最初は国民健康保険でもらえるお金(給付)が少なかったりしたんだけど、だんだん他の保険と同じくらいもらえるようになっていったんだよ。

お医者さんも病院も足りない!医療のインフラ作り

国民皆保険ができたのはいいけど、肝心のお医者さんや病院が足りなかったら意味がないよね。だから、医療を提供する体制づくりも急ピッチで進められたんだ。昔の軍隊の病院が国の病院になったり、県や市が作る病院も増えていった。民間の病院も、会社みたいな形(医療法人)で作りやすくなって、どんどん増えていったんだ。日本って、民間の病院が多いのが特徴なんだって。

お医者さんの数も足りなくて、特に国民皆保険が始まると、もっとお医者さんが必要になった。だから、大学の医学部の入学定員を増やしたり、お医者さんがいない県がないように「一県一医大構想」っていうのを進めて、新しい医学部がたくさんできたんだ。

それでも、お医者さんはどうしても都市に集まりがちで、田舎の方にはお医者さんがいない「無医地区」っていうのが問題になった。そこで、そういう地域にお医者さんを派遣したり、地域の病院や診療所が協力し合えるようにしたり、いろんな対策が取られたんだ。

老後の安心もみんなに!国民皆年金、ついに実現へ

医療保険と並んで大事なのが、年金だよね。でも、昭和29年頃の厚生年金って、もらえるお金がすっごく少なかったし、入れる人も限られていたんだ。農家の人や自分でお店をやっている人、小さな会社で働く人なんかは、年金がなかったんだよ。医療保険は国民の3分の2くらいが入っていたのに、年金はまだまだだったんだ。

でも、だんだんお年寄りが増えてきたり、子どもが親の面倒を見るのが当たり前じゃなくなってきたりして、「国がちゃんとお年寄りの生活を支えなきゃ!」っていう考えが強まってきたんだ。医療保険がどんどん良くなっていくのを見て、「年金もなんとかしなきゃ!」って思うのは自然な流れだよね。

そんなこんなで、「国民年金」っていう新しい年金制度を作る動きが活発になったんだ。そして昭和34年、「国民年金法」が成立! 保険料を払わなくてももらえる福祉年金と、保険料を払ってみんなで支え合う国民年金が始まって、昭和36年4月、国民皆保険と同時に「国民皆年金」もスタートしたんだ! これで、日本に住む20歳から60歳までの人は、何かしらの公的年金に入ることになったんだよ。

ただね、この国民年金、始まった時は「もらえる年金が少なすぎる!」「保険料が高い!」なんて反対運動もあったりして、特に都市部ではなかなか理解されなかったみたい。政府も一生懸命アピールしたんだけどね。

そうそう、日本の国民皆保険・皆年金って、世界的に見ても結構早くできたんだって。特に、いろんな種類の保険を組み合わせて全国民をカバーするやり方は、日本が初めてだったらしいよ。国がまだそんなに豊かじゃない時から、みんなが安心して暮らせるようにって制度を作ったのは、すごい決断だったんだね。

あと、もう一つ大事なのが「通算年金制度」。昔はいろんな年金制度がバラバラで、途中で仕事を変えたりすると、それまで払った年金が無駄になっちゃうこともあったんだ。それを解決するために、昭和36年に、違う年金制度の加入期間を合算できるようになった。こうして、転職しても安心、という環境が整備されていったんだよ。

「福祉元年」だ!もっと手厚いサポートを目指して

昭和48年は「福祉元年」って呼ばれて、社会保障がさらにパワーアップした年なんだ。

お年寄りの医療費については、「無料にして!」っていう声がすごく大きかったんだ。それで、この年から70歳以上の人がお医者さんにかかった時の自己負担が、ぜーんぶタダになったんだ(老人医療費支給制度)。これは後で「お年寄りが病院に集まりすぎちゃう」なんて問題も出てくるんだけど、当時はすごく画期的なことだったんだよ。

医療保険も良くなって、家族がお医者さんにかかった時にもらえるお金の割合が5割から7割にアップ! それに、もし病気やケガで医療費がすごく高くなっちゃっても、一定額を超えた分は保険でカバーしてくれる「高額療養費制度」っていうのもできたんだ。これで、お金の心配をせずに入院や治療ができるようになったんだね。

年金も、もらえる額がどんどん増えていったよ。「1万円年金」とか「5万円年金」なんて言葉も生まれたくらい。それに、物価が上がったら年金の額もちゃんと上がる「物価スライド制」も導入されたから、インフレになっても安心だね。これで年金は、老後の生活を支える本当に頼りになる制度になっていったんだ。

そして、子どもたちのためには「児童手当」ができたよ。昔は「子どもの面倒は親が見るもんでしょ」って考えが強かったし、会社から家族手当が出たりもしてたから、なかなか国としての制度はできなかったんだ。でも、国民皆保険・皆年金ができて、社会保障を求める声が大きくなる中で、「未来を担う子どもたちのために!」っていう意識も高まって、昭和46年に法律ができて、翌年から児童手当が始まったんだ。

こんな感じで、日本の国民皆保険と皆年金は、みんなが安心して暮らせる社会を目指して、一歩一歩作られてきたんだね!

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