ヘルスケアや医学研究の世界に足を踏み入れたとき、多くの人が言葉の壁に直面します。特に、英語の専門用語が日本語に翻訳される過程で、その本来の繊細な意味合いが失われてしまうことは少なくありません。
その典型的な例が、本稿の主題である「Efficacy」と「Effectiveness」です。一般的な英和辞典を引くと、どちらの単語にも「有効性」「効率」「効能」「効果」といった訳語が並んでおり、両者の違いを読み解くことは困難です 1。この曖昧さが、英語を母語とする専門家との対話において、微妙な認識のズレを生み、議論が噛み合わなくなる原因となることもあります。
しかし、この二つの言葉の区別は、単なる学術的な言葉遊びではありません。これは、現代の根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine)を支える foundational principle、つまり根本的な原則なのです。特に、米国の規制当局である食品医薬品局(FDA)のような機関は、医薬品や治療法の承認審査において、これらの用語を厳密に使い分けています 1。この区別を理解することは、医療介入の真の価値を評価し、研究論文を批判的に吟味し、そして最終的には患者さんにとって最善の決定を下すために不可欠な知識と言えるでしょう。
では、その本質的な違いとは何でしょうか。ごく簡潔に言えば、「Efficacy」とは理想的な管理下の環境で示される効果を指し、「Effectiveness」とは「実臨床」の日常的な臨床現場で得られる効果を指します 2。この区別は、科学が複雑な現象を理解するために用いる、意図的かつ系統的なアプローチそのものです。物理学において「質量」と「重量」を区別するように、医学研究においても、治療法そのものが持つ純粋な力を、それが使用される複雑な環境の影響から切り離して考える必要があります。
医療の現場は、患者さん一人ひとりの年齢、性別、遺伝的背景、併存疾患、生活習慣、そして治療に対する考え方など、無数の変数が絡み合う非常に複雑なシステムです。ある治療法が本当に効果を持つのかを科学的に検証するためには、まず、これらの「ノイズ」とも言える周辺要因を可能な限り排除し、その治療法が持つ本来のポテンシャル、すなわち「Efficacy」を測定する必要があります。そして、その純粋な力が確認された後に初めて、私たちはその治療法を複雑な実臨床へと持ち出し、様々な変数の中で実際にどれほどの効果を発揮するのか、すなわち「Effectiveness」を問うことができるんですね。
したがって、EfficacyとEffectivenessの区別は、単なる語彙の問題ではなく、一つの治療介入が研究室の仮説から公衆衛生に貢献する技術や製品へと至るまでの長い過程を、体系的に捉えるための枠組みを提供するものです。この記事では、まずEfficacyとEffectivenessの定義をそれぞれ深く掘り下げ、次に両者の間に生じる「ギャップ」の原因を分析し、最後にこの二つの概念が医療研究と規制の文脈でどのように繋がり、私たちの健康に貢献しているのかを考えていきます。この記事を通じて、読者の皆様が医療情報をより深く、より批判的に読み解くための一助となれば幸いです。
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Efficacy ― 理想環境下で測る「効力」
ある新しい治療法が開発されたとき、科学者が最初に問うべき最も基本的な問いは、「この介入は、そもそも効果を発揮する能力を持っているのか?」という点です。この問いに答えるために用いられる概念が「Efficacy」です。Efficacyとは、ある治療介入が、管理され、統制された理想的な条件下で、期待される効果を生み出す能力や潜在的可能性を指します 5。これは、治療法そのものに内在する純粋な力、いわば不純物を取り除いた「原石」の輝きを測定しようとする試みです。日本語では、この概念をEffectivenessと区別するために「効力」という訳語が提案されることもあります 4。
この「理想的な条件」とは、具体的にどのようなものでしょうか。それは、研究者が結果に影響を与えうる様々な変動要因(ノイズ)を意図的に排除し、治療介入そのものの効果だけを浮かび上がらせるために構築された、いわば「実験室」のような環境です。この理想的環境は、主に三つの柱によって支えられています。
第一の柱は、「介入の標準化」です。Efficacyを測定する研究では、提供される治療法が寸分違わず同一であることが求められます 13。例えば、ある薬剤の効果を検証する場合、有効成分が同じであっても、製造メーカーが異なるジェネリック医薬品の使用は許されません。なぜなら、製造工程や添加物のわずかな違いが、結果に予期せぬ影響を与える可能性を排除できないからです [User Query]。治療法は厳密に規定され、すべての参加者に対して全く同じ方法で提供されなければなりません。これにより、「何を」検証しているのかが明確になり、結果の再現性が担保されるのです。
第二の柱は、「実施状況の標準化」です。実際の臨床現場では、患者さんの生活に合わせて治療法が柔軟に調整されることがよくあります。「痛いときに飲んでください」といった指示や、「次は2ヶ月後くらいに来てください」といった曖昧なフォローアップは、その典型例です [User Query]。しかし、Efficacyを検証する世界では、このような「ゆるさ」や「臨機応変さ」は徹底的に排除されます。薬剤を投与するタイミング、量、期間、そして効果を測定する時期や方法など、すべての手順が厳格なプロトコル(研究実施計画書)によって定められ、均一に実施されます 13。これにより、治療の提供方法の違いが結果に及ぼす影響を最小限に抑えるのです。
そして第三の、そして最も重要な柱が、「完全なアドヒアランス(服薬遵守)」の仮定です。Efficacy試験では、治療を受ける対象者が、指示された治療法を100%完璧に受け入れ、厳格に従うことが前提とされます [User Query]。現実には、薬の飲み忘れや、自己判断による中断は日常的に起こり得ますが、Efficacyの世界ではこうした逸脱は存在しないものとして扱われます。研究デザイン上、参加者には治療法を遵守することへの強い動機付けがなされ、時には治療が無償で提供されるなど、アドヒアランスを最大限に高める工夫が凝らされます 9。これにより、患者さんの行動という不確定要素を排除し、治療法が持つ生物学的な効果そのものを純粋に評価することが可能になるのです。
では、このような理想的環境は、どのような研究手法によって実現されるのでしょうか。その答えが、「説明的ランダム化比較試験(Explanatory Randomized Controlled Trial, 以下Explanatory RCT)」です 14。この手法は、Efficacyを証明するための「ゴールドスタンダード(黄金標準)」とされています。Explanatory RCTの目的は、ある治療法が特定の生物学的原理に基づいて効果を発揮するのか、その因果関係を解明することにあります 15。そのために、研究の「内的妥当性(Internal Validity)」、すなわち観察された結果が本当にその治療介入によって引き起こされたと確信できる度合いを、最大限に高めるための様々な工夫が凝らされています。
その中心的な手法が「ランダム化(Randomization)」です。参加者を無作為に、新しい治療法を受けるグループと、比較対象(プラセボなど)を受けるグループに割り振ることで、両グループの背景特性(年齢、性別、重症度など)を統計的に均等にし、選択バイアスを最小限に抑えます。
さらに、「プラセボ対照(Placebo Control)」がしばしば用いられます 14。プラセボとは、有効成分を含まない偽薬のことです。治療を受けるという行為自体が心理的な効果(プラセボ効果)を生むことがあるため、プラセボ群を設けることで、治療法の真の効果をこの心理的効果から切り離して評価することができます。
そして、「盲検化(Blinding)」、特に「二重盲検法(Double-Blinding)」が重要です 13。これは、患者さん自身も、治療を施す医師や研究者も、誰が本当の治療を受け、誰がプラセボを受け取っているのかを知らない状態にする手法です。これにより、参加者や評価者の期待や思い込みが結果に影響を与えることを防ぎます。
最後に、Explanatory RCTの際立った特徴として、「厳格な選択・除外基準」が挙げられます 14。研究の目的を純粋に達成するため、参加者は非常に狭い基準で選ばれます。例えば、特定の年齢層で、他の病気(併存疾患)を持たず、特定の重症度の患者さんだけが選ばれることがあります 17。これは、結果を複雑にしうる要因をあらかじめ排除し、可能な限り「クリーンな結果」を得るための戦略です 17。
このように、Efficacyとは、標準化された介入、標準化された状況、そして完璧なアドヒアランスという三つの柱に支えられた理想的環境の中で、Explanatory RCTという厳密な手法を用いて測定される、治療法が秘めた純粋な「効力」なのです。それは、実臨床の複雑さから切り離された、科学的探究と言えるでしょう。
Effectiveness ― 実臨床における「有効性」
前章で探求したEfficacyが、管理された理想的環境における治療法の「効力」であるならば、「Effectiveness」はその対極に位置する概念です。Effectivenessとは、ある治療介入が、日常の臨床現場という、予測不能で多様性に満ちた「実臨床(Real World)」で用いられた際に、実際にどれほどの有益な効果をもたらすかを示す指標です 2。多くの患者さんや臨床医が「この薬は効くのか?」と問うとき、彼らが本当に知りたいのは、このEffectivenessに他なりません 19。それは、実験室の純粋なポテンシャルではなく、日々の診療における実践的な価値を測るものです。
Effectivenessを理解するためには、Efficacyを支えていた三つの柱が、実臨床ではどのように変化するのかを見ていくのが最も分かりやすいでしょう。
第一に、「介入の柔軟性」です。Efficacy試験では厳格に標準化されていた治療法も、実臨床ではある程度の柔軟性を持って適用されます。医師は患者さんの状態に応じて、同じ有効成分のジェネリック医薬品を処方することがありますし、薬局で薬剤師がその選択を行うこともあります [User Query]。これらの医薬品は臨床的に同等と見なされており、製造工程レベルの微細な違いは、実用上問題がなければ許容されます。このように、Effectivenessの世界では、厳密な同一性よりも臨床的な実用性が優先されるのです。
第二に、「実施状況の柔軟性」です。日常診療は、患者さん一人ひとりの生活に寄り添う形で行われます。Efficacy試験のような厳格なプロトコルは存在しません。「熱っぽいときに頓服で飲んでください」といった指示や、「次の受診は2ヶ月後を目安に」といったアポイントは、まさに実臨床の柔軟性を象徴しています [User Query]。また、患者さんは他の病気のために別の薬を服用している(併用療法)ことも多く、こうした「共介入」も管理されません 21。Effectivenessの評価では、こうした日常診療に固有の変動性や複雑さを、ありのままに受け入れます。
そして第三に、決定的に重要なのが「不完全なアドヒアランス」です。実臨床において、患者さんが医師の指示を100%守り続けることは稀です [User Query]。薬をうっかり飲み忘れたり、副作用が辛くて自己判断で服用を中止したり、あるいは経済的な理由で薬を継続できなかったりすることは、決して珍しいことではありません 22。Effectivenessは、このような現実的な、しばしば最適とは言えないアドヒアランスの下で、治療法がどれだけの効果を維持できるかを問うものです。この点が、Efficacyとの最も大きな違いの一つと言えるでしょう。
このような実臨床の「有効性」を測定するためには、Efficacy試験とは異なるアプローチが必要となります。Efficacy試験が内的妥当性を最優先するのに対し、Effectivenessを評価する研究では、「外的妥右当性(External Validity)」、すなわち研究結果をどれだけ広く一般の患者集団や臨床状況に適用できるか(一般化可能性)が重視されます 24。そのための代表的な研究手法が、「実用的ランダム化比較試験(Pragmatic Randomized Controlled Trial, 以下、Pragmatic RCT)」と「観察研究(Observational Study)」です。
Pragmatic RCTは、Explanatory RCTと同様にランダム化を用いますが、その設計思想は大きく異なります 7。その目的は、日常診療を可能な限り模倣し、実用的な問いに答えることです。そのため、いくつかの特徴的な設計がなされます。まず、「幅広い選択基準」が採用されます 9。Efficacy試験のように理想的な患者さんだけを選ぶのではなく、一般的なクリニックで見られるような、併存疾患を持つ患者さんや高齢者など、より多様で不均一な集団を対象とします。次に、「柔軟な介入プロトコル」が用いられます 21。介入は、高度に訓練された研究専門スタッフではなく、一般の臨床医や看護師によって提供され、その実施方法にもある程度の裁量が認められます。比較対象も、プラセボではなく、既存の標準治療となることが多く、より臨床的な疑問に答えることを目指します。
さらに、Pragmatic RCTでは、「患者中心のアウトカム(Patient-Centered Outcome)」が重視されます 5。血圧の数値や腫瘍の大きさといった生物学的な指標(バイオマーカー)だけでなく、生活の質(QOL)の改善、入院日数の短縮、仕事への復帰など、患者さんの実生活にとって意味のある変化が評価項目として選ばれます。
一方、「観察研究」は、研究者が介入を管理・割り付けすることなく、日常診療の中で行われている治療とその結果を「観察」する研究手法です 8。これには、特定の疾患を持つ人々と持たない人々を比較する「症例対照研究」や、ある集団を長期間追跡調査する「コホート研究」などがあります。ランダム化が行われないため、交絡因子(結果に影響を与える第三の変数)によるバイアスのリスクは高まりますが、非常に大規模な集団を対象に、長期間にわたる効果や、稀な副作用を評価できるという大きな利点があります。リアルワールドデータ(RWD)と呼ばれる、電子カルテやレセプト(診療報酬明細書)のデータを活用した研究も、この観察研究の一種です。
このように、Effectivenessとは、柔軟な介入、柔軟な状況、そして不完全なアドヒアランスという実臨床の条件下で、Pragmatic RCTや観察研究といった外的妥当性を重視する手法を用いて測定される、治療法の実践的な「有効性」なのです。それは、理想的環境のポテンシャルが、現実の土壌でどれだけの果実を実らせるかを示す、極めて重要な指標と言えます。
Efficacy-Effectiveness Gap ― 理想と現実のギャップ
これまで、理想的環境で測る「Efficacy(効力)」と、実臨床で測る「Effectiveness(有効性)」という二つの異なる概念を詳しく見てきました。ここで自然に浮かび上がる疑問は、「Efficacyが高ければ、Effectivenessも同様に高くなるのか?」というものです。残念ながら、答えは「必ずしもそうではない」です。実際には、多くの治療法において、理想的な条件下で示されたEfficacyと、実臨床の臨床現場で見られるEffectivenessとの間には、しばしば無視できない隔たりが存在します。この現象は、「Efficacy-Effectiveness Gap(エフィカシー・エフェクティブネス・ギャップ)」として知られています 5。このギャップの存在こそが、研究室の成果を臨床現場に応用する際の最大の障壁の一つであり、その原因を理解することは極めて重要です。
では、なぜこのギャップは生まれるのでしょうか。その主な駆動要因は、Efficacy試験の「理想的環境」と実臨床の「現実」を隔てる、根本的な違いに起因します。特に重要な要因は二つ、「患者集団のミスマッチ」と「アドヒアランスの断絶」です。
第一の要因は、「患者集団のミスマッチ」です。前述の通り、Efficacyを検証するRCTでは、結果を純粋化するために、非常に厳格な基準で選ばれた、均質性の高い患者集団が対象となります 14。例えば、特定の年齢層に限定されたり、重篤な併存疾患を持つ患者さんや、多くの薬剤を併用している患者さんは除外されたりします。しかし、日常の臨床現場で医師が向き合うのは、このような「理想的な」患者さんばかりではありません。むしろ、高齢で、複数の疾患(高血圧、脂質異常症、腎機能障害など)を抱え、様々な薬を服用している、いわゆる「典型的な」患者さんが大半です 20。こうした併存疾患や併用薬は、薬物の代謝や作用に影響を及ぼし、Efficacy試験では見られなかった効果の減弱や、予期せぬ副作用を引き起こす可能性があります。ある血糖降下薬のRCTでは、研究に参加した被験者と、米国の一般的な2型糖尿病患者の背景が大きく異なっていたことが報告されており、このような患者背景のギャップが、EfficacyとEffectivenessの乖離を生む一因となるのです 14。
第二の、そしておそらく最も影響力の大きい要因が、「アドヒアランスの断絶」です。Efficacy試験は、参加者が指示通りに100%治療を継続するという、非現実的な仮定の上に成り立っています 9。しかし実臨床では、慢性疾患の治療におけるアドヒアランスは驚くほど低いのが現実です。研究によっては、服薬アドヒアランスが50%を下回ることも報告されています 22。その理由は、単なる「飲み忘れ」だけではありません。副作用への懸念、治療効果への不信感、薬剤費の負担、複雑な服薬レジメン、あるいは疾患そのものに伴う認知機能の低下や意欲の減退など、生物学的、心理的、社会経済的な要因が複雑に絡み合っています 22。どんなにEfficacyが高い薬剤であっても、患者さんが服用しなければ、その効果はゼロに等しいのです。
ここで見えてくるのは、Efficacy-Effectiveness Gapが単なる薬理学的な問題ではなく、薬理学と行動科学、そして医療システムが交差する領域で生じる現象であるという点です。Efficacy試験が生物学的な「シグナル」を最大化するために行動(アドヒアランス)という「ノイズ」を排除するのに対し、Effectivenessはそのシグナルが、現実の行動というノイズの海の中でどれだけ意味を持つかを測定します。したがって、このギャップを埋めるためには、より効果的な分子を開発すること(薬理学)と同じくらい、患者さんが治療を継続しやすくするための介入(行動科学)、例えば、より平易な患者教育、副作用管理の改善、服薬リマインダーシステムの導入、あるいは1日1回の服用で済むようなシンプルな治療レジメンの開発などが重要になります。実際、複雑な治療法よりもシンプルな治療法の方がアドヒアランスが高く、結果として治療効果も向上することが示唆されています 32。
このギャップがどれほど深刻なものか、具体的なデータを見てみましょう。血液がんの一種である多発性骨髄腫(MM)の治療に関するある研究では、EfficacyとEffectivenessの間に驚くべき乖離があることが示されました 26。この研究では、7つの標準的な治療レジメンのうち6つにおいて、実臨床の患者さんの治療成績は、RCTに参加した患者さんと比較して著しく劣っていました。具体的には、実臨床における病気の進行または死亡のリスクは、RCTと比較して44%も高く、死亡リスクに至っては75%も高いという結果でした。生存期間の中央値で見ると、無増悪生存期間(PFS)はRCTの方が3ヶ月から18ヶ月長く、全生存期間(OS)に至っては少なくとも19ヶ月も長かったのです。この差の背景には、実臨床の患者さんがRCTの参加者よりも高齢で、診断からの期間も長いといった、まさに「患者集団のミスマッチ」が存在していました 26。
アドヒアランスの影響をより定量的に示した研究もあります。2型糖尿病治療薬であるGLP-1受容体作動薬とDPP-4阻害薬について、RCTで示されたEfficacyと実臨床でのEffectivenessを比較した研究です 23。この研究では、例えばGLP-1受容体作動薬による血糖値(HbA1c)の低下幅は、RCTでは平均-1.30%であったのに対し、実臨床では-0.52%と、半分以下にとどまっていました。研究者たちが統計モデルを用いてこのギャップの要因を分析したところ、驚くべきことに、観測されたギャップの約4分の3が、患者さんの「低い服薬アドヒアランス」によって説明できると結論付けられました。これは、Efficacy-Effectiveness Gapを理解する上で、アドヒアランスがいかに決定的な役割を果たしているかを示す、極めて強力な証拠です。
このように、Efficacy-Effectiveness Gapは、理想と現実の間に横たわる深い溝であり、その存在を認識し、原因を理解することなくして、研究の成果を真に患者さんの利益に結びつけることはできないのです。
研究室から臨床現場へ
これまで、理想的環境の「Efficacy」と実臨床の「Effectiveness」、そして両者の間に存在する「ギャップ」について、それぞれを切り分けて詳しく見てきました。しかし、これらの概念は対立するものではなく、むしろ一つの治療法が科学的な仮説から社会に貢献する医療技術へと成長していく過程における、連続的で相互補完的なパートナーと考えるべきです。両者は、研究開発から規制当局による承認、そして臨床現場での実践へと至る長い道のりにおいて、それぞれが不可欠な役割を担っています。
この関係性を理解する上で基本となるのは、研究開発の論理的な順序です。まず証明されなければならないのは、Efficacyです 13。そもそも理想的な条件下でさえ効果を示せない治療法が、より複雑で困難な実臨床の状況で効果を発揮することは、まず期待できません。したがって、Efficacyの証明は、その後のすべてのステップに進むための必須条件となります。よく言われるように、「EfficacyはEffectivenessにとって必要条件ではあるが、十分条件ではない」のです 13。
この研究開発の段階的プロセスは、1986年に公衆衛生研究者のブライアン・R・フレイが提唱した影響力のあるモデルによって、より明確に理解することができます 6。このモデルでは、健康増進プログラムの開発は、いくつかのフェーズ(段階)を経て進むとされています。まず基礎研究や仮説構築から始まり、小規模なパイロット研究を経て、次に「Efficacy試験(第III相試験に相当)」が行われます。ここで、理想的な条件下での「効力」が厳密に検証されます。そして、Efficacyが証明された後に初めて、研究は次の段階である「Effectiveness試験(第IV相試験に相当)」へと移行します。この段階では、その治療法が実臨床の状況で機能し、広く普及させることが可能かどうかが問われます。このモデルは、研究開発の論理的な道筋を示すものとして広く受け入れられてきました。ただし、現実にはEfficacy試験からEffectiveness試験への移行が必ずしもスムーズに進まず、一般化可能性が未知数のEfficacy研究ばかりが蓄積してしまうという課題も指摘されています 35。
この研究開発のプロセスにおいて、規制当局、特に米国のFDAが果たす役割は決定的です。FDAは、製薬企業が新しい医薬品を市場で販売するためには、その「有効性(effectiveness)」について「十分な証拠(substantial evidence)」を提出することを法律で義務付けています 3。そして、この「十分な証拠」とは、主として「適切かつ十分に比較対照された臨床試験(adequate and well-controlled investigations)」、すなわちEfficacyを証明するRCTから得られるものと定義されています 3。ここでFDAの用語法には注意が必要です。FDAは、「efficacy」という言葉を「臨床試験における所見」を指すために用い、一方で「effectiveness」という言葉を、そのefficacyデータやその他の情報を総合的に評価した上で下される最終的な「規制上の判断」を指すために使っています 3。これは、Efficacy試験で得られたデータが、より広範な規制上の有効性判断を下すための「原材料」であることを示唆する、重要なニュアンスの違いです。
これらの関係性を踏まえると、一つの重要な結論が導き出されます。それは、医薬品開発の最終的な目標が、単に規制当局の承認を得ること(Efficacyの証明)ではなく、公衆衛生の向上に貢献すること(Effectivenessの実現)にあるという点です。製薬企業はEfficacyを証明して医薬品を市場に出しますが、その医薬品が社会にもたらす真の価値は、そのEffectivenessによって決まります。どんなにEfficacyが高くても、実臨床の多様な患者集団において副作用が多発したり、服薬方法が複雑すぎてアドヒアランスが著しく低かったりする医薬品は、Effectivenessが低く、結果として公衆衛生への貢献も限定的になります。
したがって、Effectivenessを理解し、それを最大化しようとすることは、すべてのステークホルダーにとって極めて重要です。政策立案者にとっては、限られた医療資源をどの治療法に配分すべきかを判断するための基準となります。臨床医にとっては、目の前の患者さん一人ひとりにとって最適な治療法を選択し、現実的な期待値を設定するための指針となります 26。そして患者さんにとっては、自らが受ける治療の便益とリスクを正しく理解し、治療に主体的に関わるための助けとなるのです。Efficacy試験の成功が「成功した臨床試験」を意味するのに対し、高いEffectivenessの実現は「成功した治療」を意味します。この二つの間にあるギャップを埋める努力こそが、医学研究を真に人々の幸福に結びつける鍵なのです。
結論として、EfficacyとEffectivenessは、医療介入の価値を評価するための二つの異なる、しかし不可分なレンズです。Efficacyは、理想的環境の中で治療法が持つ「可能性」を教えてくれます。それは科学的な第一歩であり、希望の源です。一方で、Effectivenessは、その可能性が実臨床の土壌でどれだけの「成果」を生むかを教えてくれます。それは臨床的な最終目標であり、現実の価値です。この二つの概念、そして両者の間に存在するギャップを深く理解すること。それこそが、新しい治療法を批判的に評価し、情報に基づいた賢明な臨床判断を下し、そして最終的に実臨床における患者さんのアウトカムを改善するために、私たちすべてに求められる知性と言えるでしょう。
参考情報
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- What is an Effectiveness Study? 有効性研究とは何か?, https://www.iasp-pain.org/wp-content/uploads/2022/01/What-is-an-Effectiveness-Study-Japanese.pdf
- 薬物の効力および安全性 - 23. 臨床薬理学 - MSDマニュアル プロフェッショナル版, 薬物の効力および安全性 - 23. 臨床薬理学 - MSDマニュアル プロフェッショナル版
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