ビジネス全般 倫理指針

医療のジレンマ:答えなき「命の選択」、医療における「最善の答え」とは?

2025年7月31日

日々の生活の中で、私たちは絶えず大小さまざまな選択を繰り返しながら生きています。進学や就職といった人生の大きな岐路から、今日の夕食の献立といったささやかなものまで、私たちの毎日は選択の連続です。これは医療の世界においても全く同じであり、むしろ、そこではより複雑で、時には人の生き死にに直結するような重い選択が、あらゆる場面で絶えず行われています。

もし、どのような状況においても常に唯一の「正解」が存在するのであれば、私たちは迷うことはないでしょう。しかし、現実の医療現場はそれほど単純ではありません。科学的な証拠、すなわちエビデンスが十分に揃っていたとしても、どの選択肢が本当に最善なのか、判断に迷うことは決して珍しくないのです。科学的な視点だけでは、目の前の問いに対する答えにたどり着けない場面が数多く存在します。そのような時、科学に加えて私たちが頼るべきもの、それが「倫理」という考え方です。

判断に窮するような難しい局面に直面したとき、私たちは倫理的な原則に照らし合わせて、「完璧な正解ではないかもしれないが、できる限り最善に近い選択は何か」を模索することになります。しかし、ここにもまた難しさが潜んでいます。倫理的な原則を考慮して導き出された選択肢が、一つではなく複数存在する場合があるのです。さらに、それぞれの選択肢が、異なる倫理的な価値を代表していることも少なくありません。

この報告書で中心的に扱う「生命倫理四原則」は、個人の意思を尊重する「自律尊重」、危害を加えないようにする「無危害」、利益をもたらすように努める「善行」、そして資源を公平に配分する「正義」という、四つの重要な考え方から成り立っています。理想を言えば、どのような医療行為もこれら四つの原則すべてを完璧に満たすべきです。しかし、現実には、これらを同時に、完全に満たすことは極めて困難です。

例えば、患者さん本人の「自由な意思決定を尊重する」ことを最優先に考えた結果、医学的にはリスクが高いとされる治療法を選ぶことになり、「危害を加えない」という原則が少しおろそかになってしまうかもしれません。まさに「あちらを立てればこちらが立たず」という状況です。四つの原則すべてを高いレベルで達成することが難しい場合、私たちは、この四つの原則の中で、今この状況において何を最も大切にするべきか、という問いに直面します。

このような、複数の、それぞれに正当性のある道徳的価値が衝突し、どちらか一方を選ぶと他方が犠牲になるような葛藤状況のことを「モラルジレンマ」と呼びます。この報告書では、まずこのモラルジレンマとは何かを深く理解し、次にその葛藤を乗り越えるための思考の道具となる生命倫理四原則について、一つひとつ丁寧に解説していきます。

もちろん、医療が科学的根拠に基づいて行われるべきであるという大前提を忘れてはなりません。倫理的な議論に深く分け入るほど、私たちの判断は感情的、情緒的なものに流されやすくなります。しかし、倫理原則に照らして考えられるそれぞれの選択肢は、それを裏付けるだけの科学的な根拠を伴っている必要があります。科学的な土台を欠いた倫理的な議論は、根拠のない意見のぶつけ合い、いわゆる水掛け論に陥ってしまう危険性があるからです。科学的根拠という共通の土台の上に立ったうえで、患者さんやご家族の気持ちや考えを尊重し、患者さんの健康や安全を確保し、さらには医療機関や社会全体が持つ限りある資源をどう使うか、といった多角的な視点から議論を進めることが、理想的な意思決定のプロセスと言えるでしょう。

この報告書は、医療の現場で日々生まれる複雑な問いに向き合うための、思考の羅針盤となることを目指しています。これから、モラルジレンマと生命倫理の世界を、共に考えていきましょう。

倫理的思考の基礎

生命倫理の始まり:歴史的教訓から学ぶ

現代の私たちが医療倫理について考えるとき、その出発点には、決して忘れてはならない痛ましい歴史が存在します。今日、当たり前のように語られる「患者の権利」や「インフォームド・コンセント」といった概念は、哲学者の思索の中から静かに生まれたものではありません。それらは、20世紀に人類が経験した、医学の名の下に行われた非人道的な行為への深い反省から、いわば必然として生み出されたものなのです。ここでは、現代生命倫理の礎を築いた二つの歴史的事件を振り返り、そこから私たちが何を学んだのかを探っていきます。

その第一の事件は、第二次世界大戦中に行われたナチス・ドイツの医師たちによる人体実験です。戦後、そのおぞましい実態がニュルンベルク国際軍事裁判で白日の下に晒されました 1。強制収容所に収監されたユダヤ人や捕虜など、弱い立場にある人々に対して、彼らの意思を完全に無視した形で、およそ治療とは呼べない残虐な医学実験が繰り返されていたのです。例えば、低圧や低温が人体に与える影響を調べるために被験者を死に至らしめたり、毒ガスや細菌兵器の効果を試したりといった、科学的探求心の名を借りた拷問と殺人が行われていました 1

この裁判の過程で、1947年に「ニュルンベルク綱領」として知られる10項目の倫理規範が示されました 3。この綱領が持つ画期的な意義は、その第一項目に凝縮されています。それは、「被験者の自発的な同意が絶対に必要である」と断言した点です。これは、研究に参加するかどうかは、いかなる強制や欺瞞もなく、十分な情報を与えられた上での個人の自由な意思決定に委ねられなければならない、という考え方を世界で初めて明確に示したものでした。この「インフォームド・コンセント」の原型となる理念は、ナチスの医師たちが行った、被験者の人間性を完全に否定する行為への直接的なアンチテーゼとして生まれました。ニュルンベルク綱領は、被験者を単なる研究の材料ではなく、権利を持つ主体として捉え直す、倫理観の大きな転換点となったのです 4

しかし、このような悲劇は、遠い異国の地だけで起きていたわけではありません。第二の事件として私たちが記憶すべきは、アメリカ合衆国で40年もの長きにわたって行われた「タスキギー梅毒研究」です 6。この研究は、1932年にアラバマ州タスキギーという貧しい農村地域で始まりました。対象とされたのは、約600人のアフリカ系アメリカ人男性で、その多くは梅毒に罹患していました 8。研究の目的は、梅毒を治療せずに放置した場合、人体にどのような影響が出るのかを観察することでした。被験者たちには、この研究の真の目的は一切知らされず、「悪い血の治療」という名目で、痛みを伴う検査などが無償で提供されました 9

この研究が倫理的に決定的に許されないのは、1940年代にペニシリンという梅毒の特効薬が発見され、広く使われるようになった後も、被験者たちにはその治療が意図的に提供されなかった点です 7。研究者たちは、治療によって自然経過の観察という「貴重な機会」が失われることを恐れ、地域の医師たちにさえ、被験者たちを治療しないよう要請していました。その結果、多くの被験者が梅毒やその合併症で命を落とし、彼らの妻や子供にまで感染が広がるという悲劇が生まれました 7。この非人道的な研究は、1972年に内部告発によって報道されるまで、公的機関によって続けられたのです。

タスキギー梅毒研究は、人種的偏見に基づき、社会的に弱い立場にある人々を搾取し、有効な治療法へのアクセスを意図的に妨げたという点で、深刻な倫理違反でした。この事件は、研究における「正義」の原則、すなわち、研究のリスクと利益は公平に分配されなければならず、特定の集団だけが不当な負担を強いられるべきではない、という考えの重要性を痛感させました。

これらの歴史的事件は、私たちに共通の教訓を突きつけています。それは、医学や科学の進歩という目的が、個人の人権や尊厳を侵害することを決して正当化しないということです。ニュルンベルク綱領を基礎とし、その後の医学研究の進展に対応する形で、1964年には世界医師会によって「ヘルシンキ宣言」が採択されました 1。この宣言は、ニュルンベルク綱領が主に健康な人を対象とした非治療的な実験を想定していたのに対し、患者自身が被験者となる臨床研究における倫理規範をより包括的に定めたものです 1。特に、研究計画は独立した倫理審査委員会による審査を受けなければならないという規定は、研究者の独善を防ぐための重要な仕組みとして、今日の世界中の研究倫理指針の基礎となっています 11

このように、現代の生命倫理の諸原則は、机上の空論ではなく、過去の過ちから学んだ具体的な防衛策として形作られてきました。ナチスの人体実験は「自律尊重」と「無危害」の原則の必要性を、タスキギー梅毒研究は「正義」と「善行」の原則の不可欠性を、私たちに教えています。これらの原則を理解し、実践することは、悲劇の再発を防ぎ、医学が真に人々のためのものであることを保証するために、現代の医療に関わるすべての人に課せられた重い責務なのです。

生命倫理の四原則

医療現場で生じる複雑なモラルジレンマを前にして、私たちはどのように考え、対話を進めていけばよいのでしょうか。感情や個人的な信条だけに頼っていては、建設的な議論は望めません。そこで、倫理的な問題を整理し、体系的に検討するための強力な思考の枠組みが必要となります。その最も代表的で、世界的に広く受け入れられているものが、アメリカの哲学者であるトム・ビーチャムとジェイムズ・チルドレスによって提唱された「生命倫理四原則」です 12

この四原則は、特定の宗教や文化に根差したものではなく、多くの人々が共有しうる普遍的な道徳観、いわゆる「コモン・モラリティ」に基づいているとされています。そのため、多様な価値観を持つ人々が共に議論を行う際の共通言語として機能します。それは、複雑に絡み合った倫理的問題を解きほぐし、論点を明確にするための、いわば思考の道具箱のようなものと考えることができます。

四原則は、自律尊重原則、無危害原則、善行原則、そして正義原則という、四つの基本的な道徳的配慮から構成されています。これから、それぞれの原則が何を意味し、医療の現場でどのように現れるのかを、一つずつ詳しく見ていくことにしましょう。重要なのは、これらの原則が絶対的な戒律ではなく、互いにバランスを取りながら適用されるべき指針であるという点です。多くの場合、倫理的な難問は、これらの原則同士が衝突することによって生じます。したがって、四原則を学ぶことは、安易な答えを見つけるためではなく、葛藤の中でより良い判断を下すための熟慮のプロセスそのものを学ぶことなのです。

自律尊重原則

まず初めに、「自律尊重原則」、英語では respect for autonomy と呼ばれる原則について考えてみましょう。これは、自己決定能力のある個人が、自分自身の身体や人生に関わる事柄について、自らの価値観に基づいて自由に決定する権利を尊重するという考え方です。医療の文脈では、患者さんが提供された情報に基づいて、提案された検査や治療を受けるか、あるいは受けないかを自分で決める権利を指します。たとえ医療チームが「医学的にこちらの方が良い」と考えていたとしても、患者さんが十分な理解の上で異なる選択をした場合、その決定を尊重することがこの原則の要請です。

この原則が具体的な形で現れるのが、「インフォームド・コンセント」や、近年重視されるようになった「シェアード・ディシジョン・メイキング(SDM)」です 14。これらは、医療者が一方的に治療方針を決めるのではなく、患者さんが意思決定の主体であることを保証するための重要なプロセスです。また、看護の領域における「患者参画型看護計画」や、より広い意味での「患者参加型医療」という言葉も、この自律尊重の理念を反映した動きと言えるでしょう 14

しかし、すべての患者さんが常に自己決定できるわけではありません。例えば、未成年者や、意識を失っている患者さん、あるいは認知症などの疾患によって判断能力が低下している方々もいます。そのような場合、この原則は「人としての尊重」、英語で言う respect for persons という、より広い意味合いを持ちます。自己決定が困難な人々に対しても、一人の人間としての尊厳を最大限に尊重し、その人にとって最善の利益が図られるように配慮することが求められるのです。この場合、家族や後見人など、本人の価値観を最もよく理解する人が、本人の意思を推定しながら意思決定を代行することになります 15

無危害原則

次に、「無危害原則」、すなわち nonmaleficence です。これは文字通り、「他者に危害を加えてはならない」という義務を指します。古代ギリシャのヒポクラテスの誓いにもその原型が見られる、医療倫理の根幹をなす考え方です。医療者は、患者さんや研究の被験者に対して、意図的に害を与えることはもちろん、不注意や怠慢によって不必要な苦痛や損害を与えないように努めなければなりません。

「これは絶対に危害が及ぶ」と分かっている行為を避けるのは、当然のことです。しかし、医療における判断は、それほど白黒はっきりしているものばかりではありません。例えば、ある治療法が、高い効果をもたらす可能性がある一方で、重篤な副作用を引き起こすリスクも伴う場合があります。あるいは、本報告書の冒頭で触れた日本未承認の抗がん剤の使用のように、「もしかしたら危害が及ぶかもしれないし、逆に大きな利益をもたらすかもしれない」という、不確実性の高い選択肢も存在します。

近年、社会全体で「ゼロリスク」を求める傾向が指摘されることもありますが、医療行為にリスクはつきものです。手術には常に合併症の危険が伴いますし、薬剤には副作用の可能性があります。無危害原則が求めているのは、リスクを完全にゼロにすることではなく、そのリスクを可能な限り最小限に抑え、かつ、そのリスクを冒すことが患者さんにもたらされる利益を上回ると合理的に判断される場合にのみ、医療行為を行うべきだということです 16。どの程度のリスクなら許容できるのか、その判断は患者さん自身の価値観や人生観にも大きく左右されるため、ここでも自律尊重原則との密接な関わりが生まれます。

善行原則

三つ目の原則は、「善行原則」、英語で beneficence と呼ばれるものです。これは、「他者の利益となることを行う」という積極的な義務を意味します。無危害原則が「害をなすな」という消極的な義務であったのに対し、善行原則は「善をなせ」という、より積極的な行動を求める原則です。医療の文脈においては、患者さんの病気を治し、苦痛を和らげ、健康を増進するなど、その人にとって最善を図ることを意味します。

これは一見すると当たり前のことのように思えるかもしれません。しかし、この原則の実践を難しくしているのは、「何が最善か」という問いに対する答えが、必ずしも一つではないという点です。特に、「医療提供者が考える最善」と「患者さんが考える最善」が、完全に一致するとは限りません。

医療提供者は、医学的な知識や経験に基づいて、病気の治療という観点からの最善を考えます。一方で、患者さんは一人の生活者であり、仕事や家庭、趣味といった多様な側面を持っています。そのため、純粋に医療的な観点からの最善と、生活全体を含めた上での最善は、異なる場合があるのです。例えば、医療者としては、病状をきめ細かく管理するために毎月の通院を勧めたいと考えるかもしれません。しかし、遠方から通院している患者さんや、仕事の都合をつけにくい患者さんにとっては、毎月の通院は大きな負担であり、数ヶ月に一度の通院を望むかもしれません。この場合、どちらが絶対的な「最善」であるかを決めることはできません。

善行原則を実践するためには、医療者は自らの考える「善」を患者さんに押し付けるのではなく、対話を通じて患者さんが何を価値あるものと考え、どのような生き方を望んでいるのかを深く理解し、その人にとっての「最善」を共に探求していく姿勢が不可欠です。この点において、善行原則は自律尊重原則と密接に連携して機能するのです 17

正義原則

最後に紹介するのは、「正義原則」、英語では justice と呼ばれる原則です。この言葉は日常生活ではあまり使われないため、少し抽象的に聞こえるかもしれません。生命倫理における正義とは、主に「分配における公正さ」を意味します。より具体的に言えば、医療という利益や、それに伴う負担を、社会の中でいかに公平に配分するか、という問題に関わる原則です。そして、その配分の基準について、社会に対して説明する責任を果たすことも含まれます。

この正義の原則が問題となるのは、医療資源が無限ではないという現実に起因します。医師や看護師の数、病院のベッド数、高価な医療機器、そして医療保険制度を支える財源など、すべては有限です。もし資源が無限にあれば、必要な人すべてに必要なだけの医療を提供できますが、現実にはそうはいきません。したがって、限られた資源を誰に、どのような優先順位で分配するのか、という難しい判断が求められるのです 18

この正義原則が大きく問われた身近な例として、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が挙げられます。ワクチンの供給量が限られていた当初、国は接種の優先順位を定めました。例えば、厚生労働省が示した4回目の接種対象者の方針では、60歳以上の方や、18歳以上60歳未満でも基礎疾患を有する方、そして医療従事者などが優先されました 14。なぜこのような条件が設定されたのか。それは、重症化リスクが高い人々や、医療提供体制を維持するために不可欠な人々を優先的に守ることが、社会全体の利益を最大化するという判断に基づいています。このような優先順位付けの論理的な根拠を明確に示し、国民の理解を得ることは、正義の原則が要請する説明責任を果たす上で極めて重要です。

また、大規模な災害や事故で多数の負傷者が同時に発生した際に行われる「トリアージ」も、正義原則の適用例です 17。限られた医療スタッフと設備の中で、一人でも多くの命を救うために、治療の緊急度に基づいて優先順位を決定します。これは、助かる可能性がより高い患者を優先するという、功利主義的な考え方に基づいた正義の一つの形です。この原則は、患者の社会的地位や経済力、人種や性別といった、医学的な状態とは無関係な要因によって差別的な扱いがなされることを禁じ、医療への公平なアクセスを保障するために不可欠な考え方なのです 16

生命倫理四原則の適用と葛藤

自律尊重:患者自身の物語を聴く

生命倫理四原則の中でも、特に現代医療において中心的な位置を占めるのが「自律尊重原則」です。かつての医療が、専門家である医師が最善と判断した治療を患者に施すという、いわば「パターナリズム(父権主義)」的な側面を強く持っていたのに対し、現代医療は患者さん自身が意思決定の主体であるという考え方へと大きく舵を切りました。ここでは、自律尊重の理念が、医療現場でどのように実践され、また、どのような課題に直面しているのかを深く掘り下げていきます。

自律尊重原則を具現化する最も基本的な仕組みが、「インフォームド・コンセント(IC)」です。これは日本語で「説明と同意」と訳されることが多く、医師が患者さんの病状や治療法の選択肢、それぞれの利点と欠点、リスク、代替案などについて十分に説明し、患者さんがその内容をよく理解し、納得した上で治療に同意するというプロセスを指します 15。このプロセスを通じて、患者さんは単なる治療の受け手ではなく、自らの治療方針を決定する責任を負う主体として位置づけられます 19。ICは、患者さんと医療者の間の信頼関係を築き、患者さんが治療に積極的に参加する意欲を高める上でも重要な役割を果たします 15

しかし、従来のICの実践にはいくつかの課題も指摘されてきました。時には、医療者が訴訟リスクを避けるための防衛的な手続きとして形式的に行われたり、専門用語の多い難解な説明がなされ、患者さんが十分に内容を理解できないまま同意書に署名してしまったりするケースも少なくありませんでした 19。このような一方的な情報提供の限界を乗り越え、より真の意味で患者さんの自律を尊重しようとするアプローチとして近年注目されているのが、「シェアード・ディシジョン・メイキング(SDM)」、すなわち「共同意思決定」です 20

SDMは、ICが「患者が最終決定の責任を負う」のに対し、「医療者と患者が協力して最終決定を行う」という点に特徴があります 19。このプロセスでは、医療者は科学的根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine: EBM)の観点から、医学的な情報を提供します。一方で、患者さんやその家族は、自らの価値観、人生の目標、生活スタイル、好みといった、個人的な情報を提供します 15。そして、両者が対話を重ね、情報を共有し、議論を尽くした上で、共に治療方針を決定していくのです 15。SDMは、特に標準的な治療法が確立されていない場合や、複数の選択肢に優劣がつけがたい場合に有効です 15。いくら科学的に優れた治療法であっても、それが患者さんの価値観や人生の物語と相容れないものであれば、それは最善の医療とは言えません。SDMは、この科学的根拠と個人の物語とを統合するための、具体的なコミュニケーションのプロセスなのです 21

このSDMを円滑に進めるための手法として、「スリー・トーク・モデル」というものが提唱されています 20。これは、チーム・トーク、オプション・トーク、ディシジョン・トークという三つの段階からなる対話モデルです。最初のチーム・トークでは、まず医療者と患者さんが「これから一緒に最善の決定をしていくためのチームを作りましょう」という合意形成を目指します。患者さんが安心して自分の意見を言えるような信頼関係を築くことが目的です。次のオプション・トークでは、医療者が考えられる複数の選択肢について、それぞれの利点や欠点を含めて説明します。この際、単に説明するだけでなく、「ティーチバック」という手法を用いて、患者さんが説明内容を自分の言葉で語り返してもらうことで、理解度を確認することが有効とされています 20。最後のディシジョン・トークでは、これまでの情報を踏まえて、患者さんが何を最も大切にしたいのかを明確にし、最終的な意思決定を下すための話し合いを行います。このプロセス全体を通じて、患者さんの自律的な意思決定が丁寧に支援されるのです。

このようなSDMの考え方は、より広い「患者参加型医療」という潮流の中に位置づけられます 22。患者参加型医療とは、患者が単に医療サービスを受ける客体ではなく、医療の質と安全を向上させるための重要なパートナーとして、医療チームの一員となることを目指すものです 23。具体的には、治療方針の決定に参加することのほか、自らが服用している薬やサプリメント、アレルギー歴などの情報を正確に提供すること、点滴や注射の際に名前の確認に協力すること、あるいは自身のカルテを閲覧して治療への理解を深めることなど、様々なレベルでの参加が含まれます 22

しかし、自律尊重原則の実践が最も困難になるのは、患者さんの意思決定能力が損なわれている場合です。例えば、認知症の患者さんの場合、病状の進行に伴い、複雑な医療情報を理解し、自らの意思を明確に表明することが難しくなることがあります 26。このような状況で、私たちはどのようにしてその人の尊厳と意思を尊重すればよいのでしょうか。

厚生労働省が策定した「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」では、たとえ意思決定が困難に見える場合でも、本人には意思があり、意思決定能力を有するということを前提として支援することが基本原則として掲げられています 26。支援者は、本人の意思決定能力を固定的に捉えるのではなく、分かりやすい言葉で繰り返し説明したり、本人が安心して考えられる環境を整えたりすることで、残された能力を最大限に引き出す努力をすべきだとされています 27

それでもなお本人の明確な意思が確認できない場合には、代理での意思決定が必要となります。このとき重要になるのが、本人がこれまでどのような人生を送り、何を大切にしてきたかという価値観や人生観です。日本の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」などでは、家族などが本人のこれまでの言動や生き方からその意思を「推定」し、その推定意思を尊重することが基本とされています 29。これは、個人の意思を純粋に孤立したものとして捉えるのではなく、家族という密接な人間関係の中で形成され、理解されるものだという、日本文化に根差した「間柄主義」的な考え方を反映していると見ることもできます 31。もちろん、家族がいない場合や、家族と医療チームの間で意見がまとまらない場合には、複数の専門家からなる委員会を設置するなど、より慎重な手続きを踏んで、本人にとっての最善を探求していくことになります 29。自律の尊重とは、単に選択の自由を保障するだけでなく、意思決定が困難な状況にある人々に対して、その人らしさが最後まで守られるように、社会全体で支えていくという、深く、そして重い責務を私たちに課しているのです。

善と無害の間で:治療をめぐるジレンマ

医療の目的が、患者さんの利益となり(善行)、かつ害をなさない(無危害)ことであるのは論をまちません。しかし、この二つの原則は、しばしば医療現場で激しく衝突し、医療者や患者さん、その家族を深刻なジレン-マへと導きます。ある治療が、大きな希望をもたらす可能性がある一方で、未知のリスクや確実な苦痛を伴う場合、私たちは「善」と「無害」のどちらを優先すべきなのでしょうか。ここでは、この根源的な問いを、具体的な事例を通して考えていきます。

まず、冒頭でも触れた「適応外治療」をめぐるジレンマを考えてみましょう。あるがん患者のZさんが、標準的な治療法がもはや有効でなくなったと告げられたとします。しかしZさんには、「家族のために少しでも長く生きたい」という強い希望があり、日本ではまだ承認されていないものの、海外で効果が報告されている治療薬の使用を主治医に懇願しました。

この状況は、生命倫理四原則が複雑に絡み合う典型例です。Zさんの「新しい治療を受けたい」という意思は、自律尊重原則に基づけば、最大限尊重されるべきです。また、その治療がもし有効であれば、Zさんの延命という大きな「善」をもたらす可能性があります。これが善行原則の視点です。しかし、主治医の側から見ると、事態はより複雑です。日本では承認されていない治療薬は、その有効性や安全性に関する情報が極めて限られています。Zさんにとって本当に利益となるか、あるいは予期せぬ重篤な副作用によって、かえって大きな「危害」をもたらしてしまうかは分かりません。これは無危害原則に抵触する深刻な懸念です。

ここで、「日本では未承認だから」とZさんの希望をにべもなく断るのは、自律尊重の観点から問題があるでしょう。一方で、「本人が望むなら」と安易に治療を進めるのは、無危害の原則に照らして無責任です。この葛藤の中で医療者が取りうる道は、可能な限りの情報を収集し、その治療がもたらしうる利益とリスクを科学的根拠に基づいて慎重に評価し、その上でZさんや家族と再び対話を重ね、共に悩みながら進むべき道を探していくこと以外にありません。このプロセスそのものが、善行と無危害のバランスを取ろうとする倫理的実践なのです。

この善行と無危害の対立が、最も先鋭的かつ普遍的に現れるのが、「終末期医療」の現場です。回復の見込みがなく、死が避けられないと判断された患者さんに対し、どこまで医療介入を続けるべきかという問題は、古くから医療倫理の中心的課題であり続けてきました。人工呼吸器の装着、胃ろうによる栄養補給、心肺蘇生といった延命治療は、生命を維持するという意味では「善行」と捉えることができます。しかし、患者さん本人が意識のない状態でただ生命活動が維持されるだけの状態を望んでおらず、それを「無意味な苦痛」や「尊厳の侵害」と感じているならば、その医療行為はむしろ「危害」となりえます。

過去には、医師が患者や家族の意思を十分に確認しないまま延命治療を中止し、法的な問題に発展した事例も存在します 32。このような悲劇を避けるため、厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を策定し、改訂を重ねてきました 33。このガイドラインの核心は、人生の最終段階における医療・ケアは、本人による意思決定を基本とする、という点にあります 36。本人の意思が確認できる場合はその意思を尊重し、確認できない場合は家族などが本人の価値観を推定して、本人にとっての最善の方針を医療・ケアチームと共に慎重に決定することが求められます 30。重要なのは、延命治療を行うか否かという二者択一ではなく、痛みや不快な症状を緩和するケアを十分に行い、本人と家族の精神的・社会的な苦痛にも配慮することが大前提とされている点です 36

一方で、海外に目を向けると、より踏み込んだ選択肢が法的に認められている国もあります。オランダ、ベルギー、カナダなどでは、厳しい条件のもとで医師が患者の生命を積極的に絶つ「積極的安楽死」が、スイスやアメリカの一部の州では、医師が致死薬を処方し患者自身がそれを服用する「医師による自殺幇助」が合法化されています 38。これらの国々では、耐え難い苦痛があり、回復の見込みがなく、本人の明確かつ自発的な意思があることなどを要件として、個人の自己決定権を最優先する形で死の選択が認められています。日本では、これらの行為は法的に認められておらず、ガイドラインでも明確に対象外とされていますが 36、世界の多様な価値観を知ることは、日本の終末期医療のあり方を考える上で重要な視点を与えてくれます。

このような生命の終わりをめぐる重い決断の場面で、医療従事者はしばしば深刻な心理的負担を経験します。それが「モラル・ディストレス(倫理的苦悩)」です。モラル・ディストレスとは、倫理的に正しいと信じる行動が分かっていながら、制度的な制約や人間関係、資源の不足など、様々な障害によってその行動が取れないときに生じる苦痛な感情や心理的な不安定さを指します 40

例えば、ある看護師が、患者本人はこれ以上の延命を望んでおらず、穏やかな看取りが最善だと確信しているとします(善行・自律尊重)。しかし、家族が延命治療の継続を強く求め、病院の方針もそれに従う場合、看護師は自らの倫理的判断に反して、本人が望まないであろう処置を続けなければなりません。このような状況は、看護師に無力感やフラストレーション、怒り、悲しみといった負の感情をもたらします 42。このモラル・ディストレスは、モラルジレンマという倫理的な問題状況が、医療者の内面にもたらす具体的な「苦しみ」の表れと言うことができます。解決されないモラルジレンマは、医療者の燃え尽き(バーンアウト)や離職につながる深刻な問題であり、個々の医療者の苦悩であると同時に、医療システム全体の課題でもあるのです 44。善と無害の原則がぶつかり合う現場では、最善の答えを見つけることと同じくらい、その葛藤に関わるすべての人々の苦悩に寄り添う視点が求められています。

正義の名のもとに誰を助けるか:限りある資源をどう配分する?

これまで、個々の患者さんとの関係性における倫理原則の適用について考えてきました。しかし、医療倫理の視点は、個人のレベルにとどまりません。社会全体という、より大きな視野で考えなければならない問題も存在します。そこで中心的な役割を果たすのが、「正義の原則」です。この原則は、限りある医療資源を、誰に、どのように、いかなる根拠で分配するのが公正(フェア)なのか、という問いを私たちに投げかけます。ここでは、この「分配的正義」が問われる具体的な場面を見ていきながら、その難しさと重要性について考えていきます。

正義の原則が最も分かりやすく、そして切実に現れるのが、大規模な災害や事故、あるいはパンデミックのような非常事態です。限られた時間の中で、医療の需要が供給能力をはるかに上回るとき、私たちは誰を優先して治療すべきかという過酷な選択を迫られます。その際に行われるのが「トリアージ」です 17。トリアージでは、傷病の緊急度や重症度に基づき、治療の優先順位を決定します。これは、一人でも多くの命を救うという社会全体の利益(功利主義的な正義)を最大化するために、個人の治療を受ける順番を調整するという、正義の原則の一つの適用例です。

近年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは、この分配的正義の問題を世界中に突きつけました。特に、ワクチンの供給が限られていた初期段階において、誰から接種を進めるべきかという優先順位付けは、まさに正義の原則が問われる場面でした。日本政府は、医療提供体制の維持を目的として医療従事者を、また重症化リスクの大きさから高齢者や基礎疾患を持つ人々を優先する方針を示しました 45。これは、「最もリスクの高い人々を優先する」「社会機能の維持に不可欠な人々を優先する」といった、複数の正義の基準を組み合わせて下された判断です。このような危機的状況において、なぜそのように資源を配分するのか、その理由を社会に明確に説明し、人々の納得を得ることは、公正なプロセスを担保する上で不可欠です。

非常時だけでなく、日常的な医療の中にも、分配的正義の問題は存在します。その代表例が「臓器移植」です。移植を待つ患者(レシピエント)の数は、提供される臓器(ドナーからの臓器)の数をはるかに上回っており、深刻な資源不足の状態にあります。そのため、提供された貴重な臓有名を、どのような基準で待機患者に配分するのかが、極めて重要な倫理的課題となります。日本では、医学的な緊急度や適合性などを基に公平な配分が行われるべきであり、患者の社会的地位や経済力、性別、宗教などによって差別があってはならないとされています 46。これは、すべての人の生命の価値は等しいという基本的な考えに基づいた、正義の原則の表れです。

そして今、現代の医療制度が直面している最も大きな正義の課題の一つが、「超高額医薬品」の問題です。科学技術の進歩により、これまで治療法がなかった難病に対する画期的な治療薬が次々と登場しています。しかしその一方で、一回の治療にかかる費用が数千万円、あるいは一億円を超えるような薬も現れてきました。その代表例が、脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病の治療薬である「ゾルゲンスマ」で、その薬価は日本では約1億6700万円にもなります 47

この薬は、重篤な病に苦しむ子どもたちに劇的な効果をもたらす可能性があり、個々の患者さんにとってはまさに希望の光です。その患者さんを救うことは、善行原則の観点からも、またその患者さん個人に対する正義の観点からも、強く求められることです 49。しかし、その莫大な費用は、国民皆保険制度という社会全体の資源から支払われます。一人の患者さんに巨額の費用を投じることは、他の多くの患者さん(例えば、よりありふれた病気の治療や、予防医療、介護など)に使えるはずだった資源をそちらに振り向けることを意味します。

この問題は、個人の利益と社会全体の利益が衝突する、マクロレベルでのモラルジレンマです。この課題に対応するため、日本では2019年度から、医薬品や医療技術の価格決定に「費用対効果評価」を導入する試みが本格化しました 50。これは、ある治療がもたらす効果(延命期間や生活の質の向上など)と、それに要する費用を比較し、その価格が社会的に見て妥当かどうかを評価しようとするものです。もちろん、人の命や健康を単純に金額で測ることには強い倫理的な抵抗感があり、特に患者数の少ない希少疾患の治療薬などについては慎重な配慮が必要だとされています 51。しかし、国民皆保険という貴重な社会的資源を持続可能なものにしていくためには、私たちはもはや、医療における費用の問題を避けて通ることはできません。

このように、正義の原則は、個々の患者を救うという医療の原点と、社会全体の持続可能性という大きな要請との間で、私たちに絶えず難しい問いを投げかけます。それは、単に誰に何を配分するかという技術的な問題ではなく、私たちの社会が、健康や生命という価値をどのように捉え、そのためにどのような負担を分かち合う覚悟があるのかという、根本的な価値観を問う問題なのです 53

生命倫理のこれから

出生前診断をめぐる問い

これまで、主に治療やケアの過程で生じる倫理的問題について考えてきました。しかし、生命倫理が扱う領域はそれだけではありません。科学技術の進歩は、生命が誕生する、まさにその始まりの段階においても、私たちに新たな、そして極めて根源的な問いを投げかけています。ここでは、特に「出生前診断」をめぐる倫-理的葛藤に焦点を当て、生命の始まりを前にして私たちが直面するモラルジレンマを考えます。

出生前診断とは、胎児が生まれる前に、染色体異常や遺伝性疾患の有無などを調べる検査のことです。技術の進歩により、近年では母親の血液を採取するだけで、胎児の特定の染色体異常のリスクを高い精度で調べられる新型出生前診断(NIPT)などが普及しつつあります 54。これらの検査は、親がこれから生まれてくる子どもの健康状態について事前に情報を得ることを可能にし、心の準備をしたり、出生後の適切な医療体制を整えたりする上で、大きな利益をもたらす可能性があります。

しかしその一方で、出生前診断は深刻な倫理的ジレンマを生み出します。それは、診断の結果、胎児に何らかの疾患や障害がある可能性が示された場合に、親が人工妊娠中絶という選択を考える可能性があるからです。この状況は、複数の倫理原則が複雑に衝突する場となります。

一方には、親の「自律尊重原則」があります。自分たちの家族計画や子育てについて、十分な情報に基づいて自己決定する権利は尊重されるべきです 55。胎児の健康状態を知り、自分たちの経済力や精神的なキャパシティ、あるいは人生計画を考慮して、妊娠を継続するか否かを決定することも、この自己決定権の一部と捉えることができます。

しかし、もう一方には、深刻な懸念が存在します。出生前診断の結果に基づいて中絶を選択することは、「障害のある命を選別しているのではないか」という、「命の選別」をめぐる根源的な問いを突きつけます 55。すべての命は等しく価値があるという考え方と、障害のある子を育てることへの不安や困難を避けたいという親の現実的な思いとの間で、深い倫理的な葛藤が生じるのです。また、この行為は、現在を生きる障害を持つ人々に対する差別や偏見を助長し、彼らの尊厳を傷つけることにつながるのではないか、という社会的な懸念も指摘されています 56。これは「正義」や「無危害」の原則に関わる問題です。

日本の法律では、人工妊娠中絶は刑法で原則として禁止されていますが、母体保護法によって、身体的または経済的な理由により妊娠の継続が母体の健康を著しく害するおそれがある場合などに、例外的に認められています 57。重要なのは、この法律では「胎児の異常」は中絶の直接的な理由として明記されていないという点です。しかし現実には、出生前診断で胎児の疾患が判明したことをきっかけに、母体の精神的健康への影響などを理由として、妊娠22週未満という法的期限内に中絶が行われるケースが少なくありません 56。ここには、法律の建前と医療現場の実態との間に、大きな乖離が存在します。

この問題の根深さは、それが単なる個人の選択の問題にとどまらない点にあります。親の意思決定は、その社会が障害をどのように捉え、障害のある子どもやその家族をどれだけ支える体制が整っているかに、大きく影響されるからです 56。もし、障害者に対する社会的支援が不十分で、偏見が根強い社会であれば、親が中絶を選択する方向へと傾く圧力は強まるかもしれません。逆に、どのような子どもが生まれても安心して育てられるインクルーシブな社会であれば、親の選択肢はより広がるはずです。

したがって、出生前診断の倫理を考えることは、単に技術の是非を問うことにとどまりません。それは、私たちの社会が、人間の多様性や脆弱性をどのように受け止め、支え合っていくのかという、社会全体のあり方を問うことと分かちがたく結びついています。診断の結果を受けて苦悩する家族は、しばしば「なぜ検査を受けたのか」「産むべきだ」といった周囲からの無理解な声や社会的な圧力に晒され、孤立感を深めることがあります 55。生命の始まりをめぐる問いに真摯に向き合うためには、技術の規制に関する議論と同時に、障害を持つ人々が尊厳をもって生きられる社会を築いていくという、より大きな倫理的課題に取り組むことが不可欠なのです。

ゲノムとAI:未来医療の倫理

生命倫理の探求は、常に科学技術の最前線と共にあります。そして今、私たちは「ゲノム編集」と「医療AI(人工知能)」という、医療のあり方を根底から変えうる二つの革新的な技術の登場に直面しています。これらの技術は、これまで治療が困難だった病気の克服といった計り知れない恩恵をもたらす可能性を秘めている一方で、人類がこれまで経験したことのない、新たな倫理的課題を突きつけています。ここでは、未来の医療がもたらす光と影を見つめ、その倫理的な意味を考えていきます。

まず、「ゲノム編集」技術についてです。これは、生物の設計図であるゲノム(全遺伝情報)を、極めて高い精度で狙い通りに書き換える技術です。この技術を応用すれば、遺伝子の異常によって引き起こされる様々な難病の根本的な治療が可能になると期待されています。例えば、特定の遺伝子に変異があるために発症する病気に対して、その変異を正常な配列に修正するといった治療法が考えられます。

ゲノム編集の倫理を考える上で重要なのは、その対象がどの細胞であるかという区別です。一つは、患者個人の体細胞(皮膚や血液、臓器などを構成する細胞)を対象とする「体細胞ゲノム編集」です。この場合、遺伝子の改変はその患者さん一代限りのものであり、子孫に受け継がれることはありません。これは、従来の遺伝子治療の延長線上にあるものと捉えることができます。

しかし、もう一つは、精子や卵子、あるいは受精卵といった「生殖細胞系列」を対象とする「生殖細胞系列ゲノム編集」です。こちらの場合、行われた遺伝子の改変は、その個人から生まれる将来の世代へと恒久的に受け継がれていくことになります。ここに、極めて重大な倫理的問題が生じます。

この技術を使えば、理論上は、ある家系に伝わる遺伝性疾患の根絶が可能になるかもしれません。しかし同時に、それは人類の遺伝情報を人為的に操作し、未来の世代のあり方を規定することを意味します 59。病気の治療という目的を超えて、知能や身体能力を高めるといった「エンハンスメント(能力増強)」に用いられる危険性や、特定の遺伝的特徴を持つ「デザイナーベビー」の誕生につながるのではないかという懸念も指摘されています 59。このような行為は、人間の尊厳を損ない、社会に新たな差別や格差を生み出す優生思想につながるのではないか、という深刻な批判があります。

こうした懸念から、多くの国では、人の生殖細胞系列に対するゲノム編集の臨床利用は、法律や厳しいガイドラインによって禁止されています 61。日本においても、現時点では人の受精胚にゲノム編集技術等を臨床利用することは認められておらず、基礎研究に関しても厳格な指針の下で慎重に進められています 59。科学の進歩がもたらす可能性と、人類が守るべき倫理的境界線の間で、私たちはどこに一線を引くべきなのか。これは、社会全体で熟慮を重ねていかなければならない重い課題です。

次に、「医療AI」がもたらす倫理的課題です。AI、特に深層学習(ディープラーニング)の技術は、画像診断や診断支援、創薬、ゲノム医療など、医療の様々な分野で急速に活用され始めています 64。例えば、AIがレントゲン写真やCT画像を解析し、人間の医師が見逃す可能性のある微細な病変を検出することで、診断の精度を向上させることが期待されています 65。また、膨大な医学論文や臨床データを学習したAIが、個々の患者に最適な治療法を提案することも可能になるかもしれません。

このように、AIは医療の質の向上や医療従事者の負担軽減に大きく貢献する可能性を秘めています。しかし、その導入には、いくつかの重要な倫理的課題が伴います。

第一に、「責任の所在」の問題です。もしAIが診断を誤り、その結果として患者さんに損害が生じた場合、その責任は誰が負うのでしょうか。AIの判断を最終的に確認した医師か、AIを開発した企業か、それともAI自身なのでしょうか。現行の法制度では、最終的な診断・治療の責任は医師にあるとされていますが 64、AIの判断が高度化・自律化していく中で、この責任分担のあり方は改めて問われることになるでしょう 66

第二に、「ブラックボックス」問題です。現在の高度なAI、特にディープラーニングは、なぜその結論に至ったのか、その判断プロセスを人間が完全に理解することが難しい場合があります 65。AIが「この患者はがんに罹患している確率が高い」と示しても、その根拠を説明できなければ、医師はそれを鵜呑みにするしかありません。医療における意思決定には、その理由を説明できること(説明責任)が不可欠であり、判断の根拠が不透明なままでは、患者さんとの信頼関係を築くことも困難になります 68

第三に、「データの公平性とプライバシー」の問題です。AIは学習するデータに大きく依存するため、もし学習データに人種や性別などの偏りがあれば、AIの判断もまた偏ったものになり、特定の集団に不利益をもたらす可能性があります。また、AIの学習には膨大な量の個人情報(診療情報やゲノム情報など)が必要となりますが、これらの機微な情報をいかにプライバシーを保護しながら安全に利用するかは、極めて重要な課題です 65

これらの新しい技術が提起する問いは、私たちに医療専門家の役割そのものを問い直すことを迫ります。もしAIがデータ分析や知識の検索において人間を凌駕するようになれば、医師の役割は何になるのでしょうか。それはおそらく、単なる知識の保有者から、AIが提示する複雑な情報を患者さんの価値観や人生の物語と結びつけ、共に最善の道を探る「倫理的な対話の専門家」へと変化していくのかもしれません。未来の医療は、最も進んだテクノロジーと、最も人間的なケアとが、いかに融合できるかにかかっているのです。

おわりに:倫理的実践家として生きる

この報告書を通じて、私たちは医療の現場がいかに複雑なモラルジレンマに満ちているか、そしてその葛藤を乗り越えるための思考の枠組みとして、生命倫理四原則がいかに重要であるかを見てきました。自律の尊重、無危害、善行、そして正義。これら四つの原則は、歴史的な教訓から生まれ、現代医療が直面する様々な課題を分析し、議論するための共通言語として、不可欠な役割を果たしています。

私たちは、患者さんの自己決定を支えるためのインフォームド・コンセントやシェアード・ディシジョン・メイキングの重要性を学びました。また、治療における善と無害のバランスを取ることの難しさ、特に人生の最終段階における重い決断の意味を考えました。さらに、限りある資源をいかに公平に分配するかという社会的な正義の問題や、出生前診断、ゲノム編集、AIといった最先端技術がもたらす新たな倫理的挑戦にも目を向けてきました。

しかし、この記事を終えるにあたり、強調しておきたいことがあります。それは、生命倫理四原則は、倫理的思考の「出発点」ではあっても、「終着点」ではないということです。これらの原則は、問題を整理し、論点を明確化するための強力な道具ですが、それだけで現実の複雑な人間関係の中で最善の答えを導き出せるわけではありません。真に倫理的な実践家であるためには、この原則主義的なアプローチを、他のいくつかの重要な倫理的な視点で補完していく必要があります。

その一つが、「徳倫理」の視点です 69。徳倫理は、「何をすべきか」という行為の正しさを問う原則主義とは異なり、「どのような人間であるべきか」という行為者の人格や性格特性に焦点を当てます 71。医療者として、思いやり、誠実さ、信頼性、共感、洞察力といった「徳」を自らの内に育むこと。それは、規則に従うだけでは到達できない、より深いレベルでの倫理的実践を可能にします。優れた医療者は、単に倫理原則を知っているだけでなく、その原則を体現する徳を備えた人物なのです 72

二つ目は、「ケアの倫理」です 74。この視点は、抽象的な原則や個人の権利だけでなく、人々の間の具体的な関係性や相互依存性を重視します。医療とは、独立した個人同士の契約ではなく、脆弱な状態にある患者さんと、それに応える責務を負う医療者との間の、具体的な「ケアの関係」の中で営まれます 76。この関係性の中で、相手のニーズに共感的に応答し、責任をもって関わり続けること。ケアの倫理は、冷徹な原則の適用だけでは見過ごされがちな、人間的な温かさや配慮の重要性を教えてくれます。

そして三つ目が、「ナラティブ・ベースド・メディスン(NBM)」、すなわち「物語に基づいた医療」のアプローチです 78。科学的根拠に基づく医療(EBM)が客観的なデータやエビデンスを重視するのに対し、NBMは患者さん一人ひとりが語る、その人固有の病の「物語」に耳を傾けることを中心に据えます 80。病気とは、単なる生物学的な出来事ではなく、その人の人生の文脈の中で経験される、意味を持った出来事です。患者さんが何を恐れ、何を望み、病と共にどのように生きていきたいのか。その物語を深く理解し、共感することなくして、真に患者さん中心の医療は実現できません 81。NBMとEBMは対立するものではなく、むしろ互いに補い合い、医療をより豊かにするための車の両輪なのです 79

終末期を迎えた患者さんやそのご家族の手記を読むと、そこに綴られているのは、倫理原則の議論だけでは決して汲み取ることのできない、深い悲しみや愛情、感謝、そして後悔といった、生身の人間の感情です 83。彼らが医療者に求めているのは、しばしば、正しい倫理的判断を下す専門家としてだけでなく、一人の人間として、その苦悩や希望の物語に寄り添ってくれる存在なのです 86

結論として、医療における倫理的実践とは、一つの正しい答えを求める作業ではありません。それは、原則という分析の道具を手に、徳という人間性を磨き、ケアという関係性を大切にしながら、目の前の人の物語に真摯に耳を傾け続ける、終わりのないプロセスです。この報告書が、皆さんがその長く、しかし尊い道を歩んでいく上での、ささやかな一助となることを心から願っています。

参考情報

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  69. 看護における徳の倫理の意義 - J-Stage, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jans/28/4/28_4_4_3/_article/-char/ja/
  70. 看護倫理の徳倫理アプローチに関する文献サーベイ - 大阪医科薬科大学, https://www.ompu.ac.jp/research/omc/outcome/magazine/nursing/tpv6n400000028ga-att/03.pdf
  71. 思いやりの心を表現する「看護倫理」, http://www.nihonkango.jp/journal/10-2/10-2-9.pdf
  72. 【基礎知識】徳倫理学の初歩 - NECソリューションイノベータ株式会社, https://note.nec-solutioninnovators.co.jp/n/n5429b2927d91
  73. 徳倫理学 - Wikipedia, 徳倫理学 - Wikipedia
  74. 医療・介護・福祉職の倫理とは - 日本ケアサプライ, https://www.caresupply.co.jp/media_upload/4.greencareforum_smarttraining_rinri_hourei.pdf
  75. 倫理的ルール | 社会の仕組みとなったケア(医療・介護)の倫理 | 臨床倫理プロジェクトサイト, http://clinicalethics.ne.jp/cleth-prj/cleth_online/part1-2/rule.html
  76. 看護の倫理問題とは?事例から学ぶ看護師のための倫理的思考 - ワイズマン, https://www.wiseman.co.jp/column/home-nursing/32281/
  77. 看護職の倫理綱領 | 看護職の皆さまへ | 公益社団法人日本看護協会, https://www.nurse.or.jp/nursing/rinri/text/basic/professional/platform/index.html
  78. ナラティブベーストメディシン(narrative-based medicine) とは? 意味・読み方・使い方 - Goo辞書, Goo辞書
  79. NBM(narrative based medicine)とは?ナラティブ(物語)の意味やEBMとの違いを解説, https://www.doctor-vision.com/dv-plus/column/knowledge/nbm.php
  80. ナラティブ・ベイスト・メディスン | 看護師の用語辞典 | 看護roo![カンゴルー], https://www.kango-roo.com/word/7060
  81. 第31回:「医療現場にナラティブという視点を導入する意義」, https://www.medsafe.net/specialist/31saitou.html
  82. ナラティブ・ベイスト・メディスン - 株式会社金剛出版, https://www.kongoshuppan.co.jp/smp/book/b514386.html
  83. 看取り期の家族への声かけ - 日本終末期ケア協会, https://jtca2020.or.jp/news/cat3/mitoriki/
  84. 読者体験手記-「患者やその家族の立場で考えろ」 父が命をもって教えてくれた - 日本医療企画, http://www.jmp.co.jp/yobo/gakko/note/note14.html
  85. 終末期にある患者さんへの在宅看護~家族そして看護師の立場からの経験, https://jtca2020.or.jp/news/cat3/zitakukango/
  86. 臓器提供者の主治医の手記 - 日本臓器移植ネットワーク, https://www.jotnw.or.jp/note/detail.php?id=187

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