なぜ「イノベーション」に「ガバナンス」が必要か

イノベーションとは何か

我々が生きる現代社会は、少子高齢化、都市への人口の集中、経済成長の鈍化、所得格差の拡大、急速な気候変動、環境破壊等、様々な課題を抱えている。こうした課題を克服し、一人ひとりがより豊かで主体的な幸せな生活を送ることができる社会を実現するためには、AI、ビッグデータ、IoT、5Gなどのサイバー空間とフィジカル空間とを融合させるシステム(サイバー・フィジカルシステム(Cyber Physical System: CPS))がもたらすイノベーションを、社会のあらゆる場面で起こしていく必要がある。日本政府は、このような社会を“Society5.0”と名付け、ガバナンス・イノベーション報告書では、こうしたSociety5.0の実現に向けたガバナンスモデルの在り方を検討してきた。

ここでの「イノベーション」とは、単なる技術開発ではなく、シュムペーターが「創造的破壊」と呼んだように、価値形成モデルの転換を伴うものを指す。歴史的なイノベーションの例としては、鉄道、自動車、電話、インターネットなどが挙げられ、近年では、スマートフォン、クラウド、シェアリングビジネスなどが挙げられるであろう。イノベーションとは、既存のビジネスモデルの「改善」(Improvement)とは異なり、価値の形成の仕組みを根本的に変革するものである。また、単なる技術開発としての「発明」(Invention)とも異なり、それらが社会に実装されて価値を創出することで、はじめてイノベーションが生じたということができる。

さらにシュムペーターは、イノベーションを「新結合」とも呼んでいる。Society5.0においては、ある商品やサービスが設計された時点では予想することのできない新しいサービス提供者、自律ロボット、あるいは消費者等の様々なアクターが社会システムに次々と加わり、相互に結合することが想定されるところ、このような「新結合」こそが、Society5.0におけるイノベーションの重要な特徴であるといえる。

社会課題の進行や技術革新の速度がかつてなく増大している現代、こうしたダイナミックなイノベーションを社会の中で継続的に起こしていくことが、社会課題を解決し、我々一人ひとりの幸福を達成するために不可欠となってきている。

発明が実装されて「イノベーション」となるまでに時間を要した例

  • 発電は、その原理が発見されてから産業基盤として価値を生むまでに、約50年を要した。
  • 自動車は、1886年にドイツでガソリンエンジン型の自動車が開発されてから、1909年に自動車の通行に関する法律が制定されるまで、20年以上を要した。
  • 旅客機は、ライト兄弟が動力飛行に成功したのが1903年であり、1920年代の航空法などの法整備を経て、乗り物として機能しだしたのが1930年代、大衆化したのは1960年代頃である。

高まる「ガバナンス」の重要性

このような意味でのイノベーションは、様々なステークホルダーのリスク状況や利害状況に影響を与える可能性があるため、これらのリスク状況や利害状況を適切に分配できるような制御メカニズム(技術・ルール・組織など)を伴うことが必要である。この意味での制御メカニズムが、ガバナンス・イノベーション報告書及び本報告書が掲げる「ガバナンス」である。Ver.2報告書では、「ガバナンス」を以下のように定義した。

社会において生じるリスクをステークホルダーにとって受容可能な水準で管理しつつ、そこからもたらされる正のインパクトを最大化することを目的とする、ステークホルダーによる技術的、組織的、及び社会的システムの設計及び運用

この定義を端的に表現すれば、ガバナンスとは、「ステークホルダーに共有された一定のゴールを達成するための仕組み(技術・制度・組織等)の設計・運用」であるといえる。そして、サイバー・フィジカルシステムを通じて幸福や自由を実現するというSociety5.0を実現するためには、以下で述べるように「イノベーションのための、イノベーションに対する、イノベーションによるガバナンス」(Governance FOR/OF/BY Innovation)という視点からガバナンスを設計・運用していく必要がある。

イノベーションのためのガバナンス(Governance FOR Innovation)

イノベーションとは、価値形成モデルの転換であり、従来想定されていなかった方法で社会に影響を及ぼすものである。そのため、既存の法規制などの制度に抵触したり、法の適用関係が不明確なグレーゾーンに入ったりする可能性がある。しかし、このように「既存の社会制度が想定していない」という理由のみで、イノベーションの実装が妨げられるべきではない。既存の制度は、歴史上のある一時点における社会状況に基づいて設計されているのだから、その前提条件が変化した場合には、制度の本来の目的に立ち返り、これをアップデートしていくことが必要である。イノベーションを促進するためには、この前提条件の変化がこれまでにないスピードで生じることを想定し、機敏かつ柔軟に社会制度のアップデートを行うことが求められる。

他方、あるイノベーションを妨げるような既存の制度がない場合であっても、これに対する社会一般からの信頼を獲得することが難しく、結果としてイノベーションの実装に至らない場合も少なくない。その場合、新たな価値形成モデルについて一定のルールやモニタリングのメカニズムが整備されることによって、サービスへの信頼が生まれ社会実装が進む場合も多いと考えられる。

Society5.0を実現するためには、このように、ガバナンスがイノベーションを阻害せず、また、イノベーションを促進するような「イノベーションのためのガバナンス」(Governance FOR Innovation)の視点が重要である。

Governance FOR Innovationの例

  • 個人が自宅・空いた部屋を貸し出すいわゆる「ホームシェアリング」は、旅館業法(1948 年)上、法的な位置づけが不明確なものとなっていたが、2018年6月に成立した住宅宿泊事業法により、日本においてホームシェアリングが明確に合法となった。新法制定の背景には、民泊事業者が、旅館業法の目的を尊重しつつ、同法制定時からの社会状況の変遷を踏まえ、現代にふさわしいガバナンスの手法を構築して信頼を獲得したことが挙げられる。
  • シェアリングサービスを提供する企業等で構成されるシェアリングエコノミー協会では、「シェアリングエコノミー認証制度」を実施している。この制度は、シェアサービスの安全性、信頼性を同協会が第三者として評価し公表することで、認証を受けた事業者の利用者の拡大につなげることを目的とするものである。シェアリングエコノミー協会が実施する認証は、政府の公表したガイドラインに基づき同協会が策定した自主規制(共同規制)に従って行われる。

イノベーションに対するガバナンス(Governance OF Innovation)

Society5.0の基盤となるサイバー・フィジカルシステムの特徴を考えると、イノベーションに対するガバナンスの必要性は、従来以上に増している。

サイバー空間が形成されたのはSociety4.0(情報社会)の時代であるが、ここでは、サイバー空間とフィジカル空間との結節点として人間が存在していた。例えば、預金残高や借入履歴が電磁データで記録されるようになっても、融資の判断を行うのは人間であったし、レントゲン写真が電子カルテの形式で保存されるようになっても、それを読影して診断を下すのは人間の医師であった。こうした社会では、意思決定に基づきシステムを操作するのはあくまでも人間であり、システムに求められるのは、その道具として人間に与えられたミッションを忠実にこなすという意味での信頼性や、想定可能なトラブルが起きても耐えられるという意味での安全性などであった。

これに対し、Society5.0を構成するAIなどの技術は、人間に代わって自律的な決定を行ったり、人間の意思決定や状態に直接介入したりすることが想定される。例えば、膨大なデータと多層構造のアルゴリズムによって、人間には理解できず、かつ人間よりも短時間かつ高精度で融資が貸倒れとなる確率を計算したり、医用画像から患部の疑いを指摘したりすることが可能になってきている。また、システムの自律的な判断結果に基づいて自動的に融資を拒否するという判断を金融機関が行ったり、手術ロボットの自律的な判断により人体の特定の範囲が切除されたりする場合のように、人の手が介在しないまま機械の判断結果を実現させることも、理論的・技術的にはすでに可能になっている場合も多い。

このように、システムの自律化が進むSociety5.0においては、人間の指示に従うシステムが備えるべきとされてきた信頼性や安全性といった要件だけでなく、これまで人間自身が担ってきたプライバシー、公平性、持続可能性等などの価値を、システムを運用する中で実現していく必要が生じる。その際、必ずしも定量化できない価値をどのように定義するのか、その価値をシステムの設計の中にどのように埋め込むのか(「バイ・デザイン」のアプローチ)、さらにそのシステムの管理者にどのような義務を課すのか、といった点が検討されなければならない。

加えて、Society5.0においては、スマートシティにおける決済システムやモビリティ管制システムのように、独立して機能する複数のシステムを、動的に連携させて利用するシステム(システム・オブ・システムズ)の果たす役割が一層拡大していく。こうした複雑なシステムは、結果の予見可能性や統制可能性が著しく限定的になるため、その中でどのように上述のような価値の実現を確保していくかということや、システムの判断ミスによる損害に対して誰がどのように責任を負うのか、といった検討も必要となる。

昨今では、ビジネスシーンにとどまらず、日常触れる情報の検索から、購入する商品やサービスの選択、人とのつながり、そして民主的決定に至るまで、我々の行動は自律的で複雑なデジタルシステムに一層依存するようになってきている。こうした時代においては、イノベーションに対するガバナンス(Governance OF Innovation)が従来以上に求められている。

Governance OF Innovationが問題となった事例

①トロント都市開発計画 「IDEA」の中止

2017年10月、Googleの親会社であるAlphabet傘下の企業Sidewalk Labsが、カナダのトロントで未来都市実現のためのスマートシティプロジェクト「I D E A( Innovative Development and Economic Acceleration)」に着手する計画を発表した。しかし、メディアからの批判や地元住民の反対運動などを受け、2020年5月に計画の中止が発表された。この計画では、モジュラー式グリーンビルディングや自動運転車両の活用など様々な先端技術の活用が予定されていたほか、市民生活のあらゆるデータが収集され、最先端のサービス等に活用されるという革新的な計画が含まれていた。しかし、市民のデータを収集することやその管理に対して、地元トロント市民や関係団体等から強い懸念が表明された。この懸念が計画を中止する理由になったとみられている。この事例は、民間企業が都市の管理者になるという新しい体制を実現するためには、管理者側がステークホルダーの信頼に足り得るガバナンスモデルを提示することが重要であることを示している。

② Facebook(現Meta)社の内部告発

2021年10月、米SNS大手企業Facebook(現Meta)の元従業員が、次のことを告発した。すなわち、自社のサービス内容が社会的に有害な可能性があると知りながら、同社が自社の利益を優先し、有効な改善策をあえて取らなかったということである。公開された文書によれば、同社は、ユーザーのエンゲージメント(いいね、クリック、コメント、シェアなどの件数)を最大化するために、喜びや幸福などの感情ではなく、憎しみや怒りを増長するようなコンテンツを表示するアルゴリズムを採用していたという。また、写真共有SNS「Instagram」を利用する10代女子の13.5%が「自殺願望が悪化した」と回答し、17%が「拒食や過食の摂食障害が悪化した」と答えていることも自社の調査を通じて把握されたにもかかわらず、何らの対策も取られていないことが指摘されている。企業が、自社のイノベーションについて外部からは認識しづらいネガティブなインパクトについても適切にガバナンスすることの必要性を示すと共に、内部通報制度のように、事情を知る者によ
る問題提起を促す仕組みの重要性を示す事例である。

③ 顔認証のためのデータセットの使用に関する課題

2019年1月、米国IBMは、100万人の多様な個人の顔画像データを収めた「Diversity in Faces(DiF)」と呼ばれるデータセットを公開した。しかし、この顔画像データとして、写真共有を目的としたコミュニティサイト「Flickr」上にある写真が利用されていることが判明し、Flickrのユーザーの中から、データセットへの写真利用に対して同意していないという声が挙がった。IBM側は、著作権等の制限が通常よりも緩和される「クリエイティブ・コモンズ(CC)」のタグがつけられた画像のみを使用しているため、写真の利用に法的な問題はないというスタンスを取っていた。しかし、企業側と一般ユーザーの認識には乖離があり、写真の利用にあたって合意の形成が十分ではないことが明らかになった。顔画像データを利用する際には、法的な根拠さえあれば問題がないというわけではなく、対象者に対して十分な説明を行い、対象者による適切な理解に基づく同意を得ることが重要であることが示された事例である。

イノベーションによるガバナンス(Governance BY Innovation)

従来のように人間がガバナンスを行う場合、そのスピードや精度は、人間の能力という限界に規定される。しかし、近時の高度に発達したデータ収集やデータ分析技術を前提とすれば、より効率的で精度が高いガバナンスを実施することができると考えられる。

例えば、インフラや工場等の点検業務において、目視点検のかわりにセンサーでデータを取得し、リアルタイムで検査すれば、点検者に生じる身体の危険を避けると共に、より正確な点検を常時行うこともできるであろう。また、動画サイトプラットフォームでは、日々寄せられる大量の著作権侵害通報に対して、AIが自動的に権利侵害の有無を判定しているが、こうしたAIによる大量の処理の適切性を判断するためには、やはりAIの力を借りる必要があると考えられる。

デジタルシステムによって精緻で大量の情報処理が可能となるSociety5.0においては、このように、「イノベーションによるガバナンス」(Governance BY Innovation)という視点も非常に重要である。

Governance BY Innovationの事例

①スマート保安

高圧ガス保安法が適用される事業所では、原則として、1年に1度、運転を停止して保安検査を行わなければいけない。しかし、2017年に導入された高圧ガス保安法上の「スーパー認定事業所」制度では、(i)IoT、リアルタイムデータ等の新技術の導入と、(ii)高度なリスクマネジメント体制の構築といった要件を満たした事業所について、最大8年間連続して運転することが可能とされた(保安検査自体は行う必要があるが、運転を止める必要はない)。

② AIによる建機自動化

建設産業では、産業全体で熟練者の引退・働き手の不足の深刻化が懸念され、省人化・無人化による生産性の向上が期待されているため、近年、AIによる建機自動化が注目されている。人が建機を操作する場合は、人が周辺環境を把握し安全に配慮しながら作業をするが、人が搭乗しないようなAI建機の場合、別途、安全を確保する仕組みが必要である。特に、人身事故のリスクの最小化は優先度が高い。 事故リスク低減の技術的な方法として、例えば、建機の作業区画内は人の立ち入りを禁止し、万が一、人が立ち入った場合に、それを自動で検知し、AI建機を停止させるような仕組みが想定される。 人の検知方法としては、建機に搭載したライダーやカメラからの3次元点群データやRGBデータの情報処理によって人を検知する方法や、建機に搭載した磁界発生装置で人の装着物に埋め込んだRFIDの検知によって人を検知する方法などがある。

参照

トップ > 案件一覧 > 「アジャイル・ガバナンスの概要と現状」報告書(案)に対する意見公募

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