その他の業界と同様に、医薬品開発の場においても、COVID-19の影響や経済損失は計り知れないものがあります。そして、既存のやり方を大きく転換させる契機になっています。
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COVID-19対策と、臨床試験の抱えてきた課題
COVID-19対策
規制当局の後押しもあり、COVID-19の影響下でも臨床試験を継続できるように、様々な検討や対策が講じられています。
日本に限定せず世界に目を向けてみれば、次のようなものが挙げられます。
いずれも、治療や介入のスキップ、データ欠損、臨床試験をやむを得ず中止/早期終了する、等の発生を軽減することが主な目的です。
- 臨床検査ための在宅訪問
- 被験者の自宅へ、臨床試験に必要な資材等の直送
- ビデオや電話による評価(安全性に関する調査など)
- モバイルアプリやウェブサイトを通じた評価(患者日誌や、その他の参加者自身による報告など)
- 遠隔モニタリング
臨床試験の抱えてきた課題
上に挙げたものは、一義的には「COVID-19対策」ですが、今まで医薬品開発事業が抱えてきた課題への解決策として見ることもできます。
あまりにも有名な話なので繰り返す必要はないかもしれませんが、一般に次のように言われています。
- 新薬が発売されるまでには、およそ15年の歳月がかかる
- ひとつの新薬を開発するためには数百億円〜1千億円以上の研究開発費が必要
- 化合物が新薬として発売される可能性はおよそ3万分の1(0.003%)
COVID-19のパンデミックは、臨床試験の在り方について考えなおすきっかけになりました。ハンコ文化の見直し、満員電車通勤の見直し、居住空間の見直し等と同じく、「今まで課題は感じていたものの、なんとなくうまくいっていたから積極的に変えるような動きは小さかった」ところに対して、「今から対策を打たないと、同様の事態が起きたときに本当に潰れてしまう」という危機感から対策が打たれているのかもしれませんね。長年待ち望まれていたものに、今回のパンデミックが一つの後押しとなったという見方もできるでしょう。
既に、遠隔医療は実践され事例の蓄積が進んでいます。臨床試験でも、研究参加者のニーズに応じて"遠隔の臨床試験(遠隔治験)"が選択肢として提示されるようになるのは、自然な流れでしょう。インターネット、ソーシャルメディア、ビデオ会議、スマートフォン、ウェアラブルデバイス、スマートハウスなどの先端技術は、すでに実用レベルで使われているものであり、臨床試験の現場にも新しい風を吹き込んでくれることが期待されています。
DCT(Decentralized Clinical Trial)とは
この新しい形の臨床試験は様々な名前で呼ばれています。遠隔治験、バーチャル治験、分散型治験など、呼び名は様々です。
ただ、必ずしも遠隔でなくてもいいですし、バーチャル技術を用いている必要もないので、分散型治験(Decentralized Clinical Trial, DCT)という肝の部分を捉えた呼称が市民権を得つつあるようではあります。
語弊を恐れずに書くと、次の3つがDCTの根底にある考えになるでしょう。
- 研究活動の中心は、もはや研究施設ではない
- 研究活動の中心が、研究参加者(被験者)に移りつつある
- 研究参加者のニーズを汲み取り、研究に反映させることのできる部分が(技術的には)増えてきている
世の中では至る場面で「上下関係の消失とフラット化」あるいは「上下関係の逆転現象」が起きていますが、臨床試験の計画や実施においてもそれは同様です。
極端な話、規制を考えなければ技術的には次のようなことはすでに可能であり、似たようなことはすでに実施されているものもあります。
- 被験者募集にインターネットを利用
- スクリーニングにはオンラインアンケートを利用
- 評価に用いる情報収集にデジタル患者日誌を利用
- 治験薬の提供に郵送や宅配を利用
ルールが整っている部分もあれば、これから整える必要がある部分もあり、試行錯誤しながら事例を積み上げているというのが現状でしょう。
DCTの利点
DCTにはどのような利点があるのか、少し見てみましょう。
オンラインでの募集とスクリーニング
サイトに縛られず、オンラインで募集し、スクリーニングを行うことにより、より幅広い参加者候補を集めることができます。
匿名性を担保しながら、遠隔で電子カルテの情報をスクリーニングに利用することが出来るようになれば効率性は飛躍的に上がります。そうなったら、被験者募集の流れが大きく変わるでしょう。
サイトに縛られないとはいっても、医療従事者や疾患の専門家の目は必要ですから、集められた情報をもとに専門家の目を経てスクリーニング等が実施されるということですね。
参加者の多様性を高めることによる一般化可能性向上
募集やスクリーニングにおいてサイトへの依存性が薄れるため、地理的な理由でスクリーニングに参加できなかった方々が参加する可能性が高まります。
幅広い地域から参加者を集められるようになると、参加者の多様性を高まり、結果の一般化可能性が向上することになります。
また、最初は不慣れな部分があるかもしれませんが、慣れてくれば募集やスクリーニングのスピードも上がることが期待されます。移動時間が大幅に削られるのが主な理由です。
研究参加のために必要となる「同意」においても、電子的な同意は、技術的にはすでに複数の方法(ウェブ画面上への表示、電話、ビデオなど)で利用可能です。
電子署名の技術も、今後の同意取得の担保のためにより一層広く使われていくことでしょう。
施設数を減らすことによる効率化
サイトへの依存が薄れるとは、言い換えれば研究参加施設の数が減るということになります。
研究参加施設が減るということは、施設から求められる審査の数が減ります。
施設の立ち上げ費用も減りますし、実施に伴うトレーニングやモニタリングにかかる費用も減ります。
プロトコル変更が必要になった際に、再度、各施設の審査にかける費用や時間も減ることで、研究の柔軟性が増すことになります。
安易にプロトコル変更を行うのは厳に慎むべきですが、研究参加者のニーズややむを得ない理由に合わせて改善しやすくなるのであれば、効率化が高まるとも言えます。
評価のばらつきを減らせる
サイトが減ることで、少数の試験責任医師(または集中管理された評価者グループ)が評価を行うことになります。
中央化されることで、人に依存する評価のブレやばらつきが減ります。
当然ながら中央評価の信頼性が求められることになりますが、施設効果を固定効果として統計モデルに含めるようなことが減ると、分析時に必要なn数を減らせる利点があります。
参加者の負担を減らせる
ビデオ会議ツールや電話などを用いたフォローアップにより、より頻繁で長期的な安全性評価が可能となることが期待されます。
また、臨床試験の参加者は疾病を有する場合が多く、参加するための時間や旅費、労力を費やす負担を少しでも減らすことが重要と考えられます。
DCTにより、デジタルデバイスや在宅訪問等が必要になるという面では、コスト増となる部分もありますが、参加者目線で見たときにメリットとなる部分があるのであれば、費用があまり減らない、または多少増えるとしても検討に値するでしょう。
DCTの課題
DCTの利点だけでなく、課題についても少し考えてみます。良い面ばかりしか見ないと、落とし穴に嵌ってしまいますからね。
対面での活動とのバランス
多くの臨床試験では、対面での活動(画像診断や外科手術など)が必要です。これらの中には地元で実施できるものもありますが、治験薬を投与する場所や機器を埋め込む場所まで参加者が移動しなければならないものもあります。このような試験であっても、遠隔地でのスクリーニングや長期的なフォローアップが可能であり、また、それが望ましい場合もあります。遠隔モニタリングは、頻繁に行うことができるため、研究参加者の安全性評価にも役立ちますが、"遠隔モニタリングのための"基礎知識や経験、スキルが求められます。場合によっては、対面での評価が必要になることもあるでしょう。
遠隔医療や遠隔評価に対する慣れとトレーニング
治験依頼者と治験責任医師は、どこでデータを取得するかにかかわらず高い品質を維持するデータ取得戦略を採用するなどして、研究に対するコントロールが少なくなることに慣れなければなりません。多くの活動は研究施設の外で行われ、研究者のコントロールが弱く、参加者のコントロールが強い環境で行われます。COVID-19により遠隔医療の事例は飛躍的に増加しましたが、研究という文脈においては、遠隔医療や遠隔診断・評価に対する慣れはまだまだでしょう。当面の間、研究に携わるすべての関係者に対して、遠隔医療に関するトレーニングが必要と考えられます。
デジタルデバイドへの対応
最後に、デジタルデバイドは、多くの人が遠隔医療のメリットを実感することを妨げ、遠隔地での臨床試験に参加する際の障壁となっています。
日本において、2019年における世帯の情報通信機器の保有状況を見ると、”「モバイル端末全体」(96.1%)の内数である「スマートフォン」は83.4%となり初めて8割を超えた” とされています。
一方で、ウェアラブル端末の普及率は2019年時点で4.7%と非常に低い状態です。スマートフォンの普及率と同じように進むと楽観的に想定しても、8割を超えるにはあと10年ほどはかかる可能性があります。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r02/html/nd252110.html
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DCTは今後伸びていく分野の一つです。思いもよらないところで技術と技術が結びつくことになるでしょうから、視野を広く持っておくとよいでしょう。